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「村の役に立つことが、あなたの生き甲斐なのでしょう。それを、一人の男の為になおざりにすることは無い」
気を遣って下さるのは有り難いし、生き甲斐を認めてもらえているのはとても嬉しい。
でも外に行くとなると私は諸葛亮様と分かり易く恋人のように接しなければいけないのだ。そんな恥ずかしいこと、私に出来る訳がない。
自分でも顔が真っ赤になっているだろうとは自覚している。だってこんなにも全身が熱いのだもの。
私が手を取らずにいると、諸葛亮様はやや強引に手を握って私を翠宝の部屋から連れ出した。
家を出る瞬間踏ん張って抵抗してみたけれど翠宝に背中を押し飛ばされて無駄に終わった。むしろいつかの時みたいに諸葛亮様に身体を抱き留めるように支えられる羽目になってしまった。
外でどのようにして恋人らしく振る舞うのか警戒していたけれど、意外に、諸葛亮様の態度はあまり変わらなかった。ただ、私の手を離さなかっただけ。それを思えば今までよりも接近しているで、それ以上の何かをすることは一切無かった。
だけど――――どうしてその程度で済んでいたのか、分かってしまった。
「あら、○○ちゃん。とうとう諸葛亮様に決めたのねえ」
「え」
「お似合いよ。祝言はこの村で行われるのかしら」
「あの」
「恐らくはそうなるでしょう。私は、人里から離れて生活しております故」
「ちょっと……!?」
諸葛亮様は笑顔で問題発言をなさる。
それまで熱かった私の身体は急速に冷えていった。
あれで済んでいたのは、こういうことだったのね……!
諸葛亮様は周りにも認識させた上で、翠宝の元夫に見せつけるつもりなのだと気付いた時にはもう遅い。
これじゃあ求婚を回避出来ても、もっと大変なことになってしまうじゃない!
私が待ったをかけて事情を説明しようとすると、諸葛亮様がそれを遮って点検を勧めてくる。
「あの、諸葛亮様」
「○○ちゃんの婚礼の衣装を作る時にはこの老い耄(ぼ)れも手伝わせてねぇ」
「い、いえ、それが、」
「○○殿。手元に集中しなければ怪我をなさいますよ」
「あ、はい」
それ以降も、嬉しそうなお婆さんに何度も説明をしようとしたけれど、悉(ことごと)く諸葛亮様に遮られた。
しかもそれも、端から見れば恋人らしいと思えなくもない柔らかな声音とさり気ない仕種を伴っているものだから、誤解を更に助長するのだ。
彼はそんな風にして、私が点検に訪れる場所全てで村人に誤解を植え付けていった。私が口を挟む隙も与えてくれない。
何だか、翠宝の元夫の件とは違うところで、何故か私自身が追い詰められているような気がしてならない。
不安に駆られ、私は諸葛亮様に訊ねた。
「諸葛亮様……この件が落ち着きましたら、皆の誤解を解きますよね?」
「外では、その話はせぬように」
「す、すみません……」
でも周りに人はいませんよ。
だから問いかけたのに……。
私はどうにも危機感を覚えて仕方が無かった。
ちゃんと、誤解を解いて下さるわよね。
諸葛亮様だってこれが求婚してくる人を避ける為だって分かってらっしゃるでしょうし……。
大丈夫、と自分に言い聞かせるしか無かった。
そんな私に、諸葛亮様は構うことも無く、たった一日のうちに、誤解を広めてしまったのだ。
これにまんまと騙されたお父様が泣いて喜んでしまって、諸葛亮様にお帰りいただいた後に慌てて事情説明するのは、とても苦労した。
‡‡‡
「やあ、○○。久し振りだね」
「……お、お久し振りです」
翠宝。駄目だったわ。
私は目の前に立つ青年に作り笑いを浮かべながら、運悪く出かけている翠宝に心の中で告げた。
一ヶ月経っても、この人は諦めてはくれなかった。
隣には諸葛亮様がいて、私の手を握っていらっしゃる。彼が突然前に立ち塞がった時、驚かれたのか力が籠もった。
まだ名前も知らない翠宝の元夫は、顔こそ笑っているけれど、目が冷えきっている。きっと不美人の私と諸葛亮様が恋人同士であると聞いて、屈辱に思っているのかもしれない。相当な自信があったらしいから。
彼が近付こうとすると、諸葛亮様が私の前に出る。
「何か用だろうか」
「ああ。お前ではなく○○にな」
「では、ここで手短に」
「そうはいかない。ようやっと会えた○○との時間を、他所の男に邪魔されたくないんだ」
そう言って、私に手を差し伸べてくるけれど、私は嫌悪感を覚えて取らなかった。諸葛亮様に身を寄せて、恋人と言う嘘を強調する。
ぐぐっと翠宝の元夫の眉間に皺が寄り、諸葛亮を睨めつける。
この人私を気に入っていると言っていたようだけど……やっぱり、そんな穏やかな理由ではないわ。不美人の私を気に入るなんて、有り得ない筈だもの。
ならばどうして私を娶ろうと考えたのか、それは分からない。分かりたくもない。
また、諸葛亮様の手の力が強まった。すぐに抜けたけど、多分諸葛亮様もこの人の態度に気分を害してらっしゃると思う。
だってこの人、とても分かり易い。
目を見れば本心が良く見える。
翠宝の元夫は手を下げ、苦笑を浮かべた。その目の眼光にぞっとする。
「○○。オレは君に求婚しに来たんだ。ここ一ヶ月ずっと村に来ていたのだけど、お母様から聞いていない?」
「聞いてはいました、ですが……」
「見ての通り、彼女は私の婚約者。そちらの求婚にはお応え出来ぬ」
澱み無く言う諸葛亮様にどきりとするけれど、内心これは嘘なのだと言い聞かせる。
「す、すみません……」
「分かっているよ。翠宝がオレへの当てつけにそんな演技をしているんだろう?」
「え」
どきり。先程とは別の意味で心臓が跳ねた。
……けれども。
「翠宝は馬鹿だからね。自分に原因があると分かっていないから○○とオレを結ばせまいとしているんだよ」
「なっ、馬鹿……?」
「ああ、あいつは大した家の生まれでも無いくせに高飛車で無駄に矜持が高いんだ。幼馴染の○○も知っているだろう? あいつとの間に出来た子供だって、もうあいつの影響を受け始めていてね、とても困っているんだよ。母に頼んで躾をし直してもらっているけれど、直るかどうか……こんなことなら子供も翠宝に持たせるんだった」
な、なんてことを言うの……。
すらすらと翠宝の悪口を並べる彼に嫌悪感が膨大する。
信じられない……娶った女性をこんなに悪し様に言うなんて。
確かに、気が強いし昔から矜持が高い翠宝だけれど、私は彼女が優しい人だと知っている。幼い頃は私を見下して意地悪しながら世話を焼いてくれたのもしっかりと覚えている。
悪いところも、良いところも、私は知っているのだ。
翠宝のことを愉しげに悪く言う彼が、私は許せない。
私は、一度深呼吸をした。
「お帰り下さい。名も知らぬ方。私は、よしや恋人のいない身であったとしてもあなたの妻にはなりたくありません」
「は、」
「不美人とて、相手を選ぶ権利はありますもの。あなたのような不誠実な殿方に、名を呼ばれることすら不快です。翠宝を苦しめ私の前で笑って貶したあなたを、私は許しません。お帰り下さい。……二度と、私や翠宝の前に現れないで」
冷たく突き放し、私は諸葛亮様と共にその場を離れた。
もう二度とこの人を見たくない。会いたくない。手紙すら交わしたくない。
なんて酷い人。許せない。絶対に許せない。
私は奥歯を噛み締める。
怒りが抑え込めない私は、諸葛亮様の手にも力を込めてしまいそうな気がして、手を離そうと思った。
建物の影に隠れ、手を離そうと力を弛めて引っ張った。
――――けれど。
「○○殿」
「え? あ……っ」
逆に手を強く握られ、抱き締められた。
私は身体を強張らせた。すぐに逃れようとした私に、彼は早口に耳打ちした。
「あの男が追いかけてきています。そのまま動かずに」
「え……」
「振り返らないで下さい」
耳に息がかかって反射的に鳥肌が立った。
じっとしていなければならないのは分かっている。だけど……抱き締められていると、諸葛亮様の体温を全身で感じているみたいで、一層落ち着かないのだ。
ともすればすぐにでも諸葛亮様を押し退けて逃げ出してしまいそうな自分を制御して、私は息を張り詰めた。
諸葛亮様は「そのまま……」と、声をやや大きくして私に語りかけた。
「あなたも、罪なお人だ。私を理性の利かぬただの男にしておいて、なおもご自分を卑下なさる。加えて私がありながらもあの男をもたぶらかしてしまわれた。今、私の心がどれ程に荒れ狂っているか……無情なあなたには分かりますまい」
「あの、しょ、諸葛亮様……んっ!?」
顎に手を添えられる、かと思いきや、親指で唇を押さえつけられた。
そのまま顔を寄せ、少しだけ傾ける。
見る方向によっては、口付けを交わしているように見えるだろう。
翠宝の元夫に見せつけているのだけれど、村人の目にも曝されているということになる。
しかも、諸葛亮様のさっきのらしからぬ言葉は、彼だけじゃなく村人にも聞こえる可能性が高い。
これ以上何かされたらより誤解を解くのが難しくなるではないか!
私は翠宝の元夫にバレないように諸葛亮様の手を逃れ、小声で諫めた。
「諸葛亮様。さすがにこれはやり過ぎです」
「いえ。これでも、不十分な程でしょう。生半(なまなか)な態度で諦めるような輩ではなさそうだ」
「不十分って……そんな、」
困る。私は物凄く困る。
私は後ろを振り返ろうとして、諸葛亮様に後頭部を押さえ込まれた。
「唇を許されても、心は全て委ねては下さらぬか」
「ちょ、えっ、あの……っ」
許してません!
そう叫びたいけれど、状況がそれを許してくれない。ここで私が否定を叫んだら全てが水の泡だ。敵に付け入る隙を与えるだけの愚行で悪化させる訳にはいかない。
間近で見つめ合うのに耐えられず、ぎゅっと目を瞑(つむ)る。鬱陶しいくらいに喧(やかま)しい私の鼓動が諸葛亮様に伝わらないことを、心から祈った。
諸葛亮様の視線にどれくらい耐えていたか分からない。
ふっと離れていく彼の体温に全身から力が抜ける程に安堵した。
諸葛亮様を見上げると、不満そうだったように見えた。一瞬だけの変化で、気の所為かもしない。
「彼は?」
「……もう、いないようです。念の為、家までお送りした後も暫し共に」
「う……はい」
やはり、そうなるのね。
私は諸葛亮様から離れようと一歩退がり、しかし手を握られそれ以上の距離を取れなくなった。
「参りましょう。油断なさらずに」
「はい……」
このままだと私がどうにもならなくなってしまう。
あの人には早く諦めて欲しい。
私は胸中で膨れ上がる危機感が重たくて、唇を引き結んだ。
翌日、近所のおじさんににやにやしながら「諸葛亮様も意外と男らしいところがおありなんだねえ」と揶揄された時は、嫌いな水の中に沈んでも良いと思った。
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