狗族(ごうぞく)、という一族がある。
 彼らは半獣人であり、猫の大妖金眼の呪いで半妖と化した猫族とはまったき別の存在である。

 狗族の祖は狡(こう)とも言われ、狡は『山海経』に登場する怪物であった。玉山という山に棲み、身体は犬に似るが豹のような斑があり、牛の角が生えているという。また、鳴き声は犬と同じである。

 怪物と記述しているが、この獣が出現した国は大豊作になると言い伝えられていた。

 その狡が何をしてか遠い昔人間の女と結ばれ、狗族の祖となった。
 そのような伝説からか、狗族は非常に気位が高く、猫族に対して強い優越感も持っていた。
 狗の名に相応しく、好戦的で仲間意識も強く、長の存在は絶対だ。長に対する忠誠は、比較するべき対象が見当たらぬ程。

 そんな彼らは猫族同様人間との接触は避け、谷底でひっそりと暮らしていた。
 そんな狗族の娘○○が人間を拾ったのは、後々一族全体を揺るがす大事件でもあった。


「親父様。これ、近くの川で拾ったんだけど」


 狩りから帰ってきた○○は、肩に幾つもの獲物をぶら下げ、片手に大きな塊を持って自宅に戻ってきた。大きな塊は所々が裂け包む布を赤く、茶色く染めている。

 ○○の父◎◎は包丁を研ぎながらのっそりと筋肉の隆々とした巨体を捻る。狗族が長たるに相応しい野性的な強さを滲ませる強面が最愛の娘を捉える。
 彼の頭に生える狗の耳は、所々が避けてギザギザとしていた。


「……何だ、それは」

「狗耳無いんだ、こいつ。猫耳も無い」

「人間か」


 ◎◎が包丁を置く。一瞬、刃が鋭利に煌めいた。


「捨ててこい。それは、卑しい人間だ。我らが関わるべき存在ではない」

「でも、その人間が村の近くで死ぬのも嫌じゃない? それに死体って腐るとすっごく臭うし。だったら手当てくらいやってこの谷から追い出すべきだと思うけど」


 ○○は死体の腐った臭いが大嫌いだ。鼻が曲がりそうになるし、吐き気もする。
 狗族は鼻が良い。強烈な臭いは却って気分を悪くさせるのだ。

 ○○がしつこく食い下がると、◎◎はやおら吐息を漏らした。


「……好きにするが良い。しかし、村の中で世話はするなよ。卑しい人間に村の中を彷徨(うろつ)かれては敵わん」

「うん、ありがとう。親父様」


 歴戦の猛者たる◎◎もまた、一人娘の前ではただの父親なのであった。



‡‡‡




 何故彼が十三支を認めたのか分からなかった。
 理解が出来ない。

 以前の彼はそうではなかった。
 自分と同じで、十三支を毛嫌いしていた筈。
 だのに、何故?

 まるで、彼が自分から遠退いたようだ。
 十三支の女にほだされて自分とは違う場所を歩いてしまっている。

 止めたかった。
 行かないで欲しかった。
 ずっと一緒だったのに――――自分を一人にして欲しくはなかった。

 爆発した自分。
 暴走した自分。
 その結果が、死。
 自分は、間違っていたのだろうか――――?



 自問しても、答えは出ない。




‡‡‡




 目が覚めて愕然とした。
 生きていることも勿論だが、それよりも、何よりも。

 夏侯淵の身体に抱き付くようにして眠る娘がいるのである。
 しかも、その頭には獣の耳がある。これは狗の耳、だろうか。

 まさか、狗族……?


「ん……」


 不意に娘が身動ぎした。瞼が震え、ゆっくりと押し上げられる。
 一対の青い瞳が、夏侯淵を捉えた。

 それに、夏侯淵はうっと咽を詰まらせた。離れようと身を捩るが、思いの外がっしりと腕を回されているのでなかなか上手く行かなかった。


「ああ、起きたんだ」


 娘は笑うとあっさりと夏侯淵から身を離した。それから側に座り込んで顔を覗き込んでくる。


「んー……やっぱまだ血色が悪いね。暫くはまだ寝てなよ」

「き、貴様は……」

「あたし? あたしは○○。狗族長の娘だよ。あんたは誰?」

「やはり……あの狡の子孫の……」

「そうそう。その狗族。で、あんたの名前は?」


 ずいっと顔を間近に近付けて○○は問うて来る。

 夏侯淵はその純粋な笑顔に気圧されて渋々名乗った。


「夏侯淵ね。……何か、普通の名前だね」


 どんな名前を想像していたのか、○○はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 こちらも狗族を見るのは初めてだが、彼女もまた人間を見るのは初めてなのだろう。


「っていうか、狗の耳が無いってだけで、大して変わんないんだね。ああ、あんたの筋肉は親父様には負けてるけど」

「んなっ!?」


 そろりと胸を撫でられ、夏侯淵はぎょとした。
 だが、○○に恥じらう様子は全く無い。夏侯淵のことは人間としてしか見ていないようだ。


「ね、人間の世界はどんなんなってるの? あ、やっぱりまずは耳が何処にあるか知りたいかな」


 ○○は髪を捲って耳を探そうとするが、人間は頭頂部分に耳は無い。


「……ここだ」


 仕方なく○○の手を掴んで耳に触らせる。

 ○○はきょとんとし、形を確かめる。
 そして一言。


「……木耳(きくらげ)?」

「違う!」

「いやだって何か硬いけど木耳みたいで――――うわっ、気持ち悪っ!」


 たとえ人間を見たことが無いからと百歩譲っても、この容赦無い酷評は如何なものだろうか。
 こいつは礼儀と言うものを知らないのか!!
 内心で怒鳴り付け、○○を見上げる。


「人間って気持ち悪いもんなんだねぇ。尻尾も無いなんてさ」


 自分の尻尾を掴んでふるふると振って見せる。髪と同じ黒い毛のそれは良く良く手入れされているのか、艶があって大変手触りが良さそうだ。

 しかし夏侯淵にしてみれば異形だ。豊作を呼ぶ怪物の子孫と言えど、十三支と同じく汚らわしく感じるものなのである。

 だが、先程手を掴んだ時、不思議と嫌悪感は無かった。
 心では、嫌なのに。


「ねえねえ、人間の世界の話をしてよ。どうせ暇なんだろ? ここはあたし以外の狗族は来ないから命の危険は無いし、教えてよ」


 邪気の無い笑顔を浮かべて彼女は夏侯淵に頼んだ。何故だろうか、その姿に十三支の長が重なってしまう。無知で純粋な白い少年だ。

 続いて思い浮かぶのは、一人の十三支の娘だ。夏侯淵の大事な人を奪っていった娘。


「兄者……」

「んぁ? 兄者? ……って、誰?」


 嗚呼、どうして違ってしまったのだろう。
 ずっと一緒だと思っていたのに。
 彼の隣は永久に自分のものだと信じていたのに。

 壊れてしまった。

 思い出せば、ぽろりとつり上がった目から涙が零れた。

 ○○は目を瞠った。


「夏侯淵?」

「……っ兄者、どうして……」


 涙は止まらない。
 心の中で忘れていた感情がぶわりと膨れ上がった。

 どうして十三支の女を取った?
 悔しさと寂しさに嗚咽まで漏れてしまった。

 ○○は彼女の存在を忘れ泣く夏侯淵を見下ろし、ふと目尻に顔を寄せた。
 舌先でぺろりと涙を拭い取った。

 途端、夏侯淵はぴたりと動きを制止してしまうのだ。
 ○○を見上げ、顔を赤くした。


「な……っな……!」

「……?」


 狗族は挨拶で相手の頬を舐めるし、慰めで涙を拭ってやることもある。

 夏侯淵がどうして顔を真っ赤にしたのか、○○には全く分からなかった。

 それを、狗族について全く知らぬ夏侯淵が接することなど出来ようか。いいや、出来る筈もない――――。



●○●

 じんわり惇関です。
 オリジナル設定である狗族の設定がわりかししっかりとしているのは、長編で使いたいなぁと思っていたからです。でも結局使わない……かな。使いたいとは思うんですが。
 ちなみに中国では犬のことを狗(ごう)と言うそうです。

 夏侯惇ルートの記憶が曖昧なので間違ってるかもしれないです。

 多分これも続くんだろうなぁとは思います。



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