好きなことが無いよりはましなんスけど。
 ●●が目を細めて微笑むと、アルフレートはふと思いついたように問いかけてくる。


「●●殿は、何が趣味なんだ?」

「趣味? 昆虫採集」


 あ、やっぱり驚いた。
 慣れっこな●●は肩をすくめた。


「昆虫採集……」

「女のくせにって?」

「いや、純粋に驚いた。動物好きの女性は知っているが……昆虫を好むのは男ばかりだと」

「こういう変な奴もいるんスよ。私に比べたら、アリアの方が女として健全な趣味ッスよねぇ」


 はは、と笑い飛ばす。
 しかしアルフレートは静かに「いや」首を横に振った。


「何かを好きだという気持ちは、尊いものだ。十人十色とも言うのだから、昆虫を好きだと言う女性がいても恥じることでも辱められることでもないと、オレは思う」

「……は、はあ……」


 真面目な返答に、調子が狂う。
 ●●の周りの男と言えば、基本的に気性の荒いがさつ者ばかりだったから、マティアスやアルフレートのうような男相手では少々やりづらい。

 まさか笑われるばかりの趣味が異国の王族に真面目に肯定されるとは思わなくて、●●は唇を歪めた。


「……そうだ。ここは確か、学芸員専用の別館に昆虫の標本が保存してある筈だ。ファザーンの固有種もいるから、見てみないか」


 それは興味深い申し出だが……。


「でも学芸員専用なんスよね?」

「ここの学芸員の一人が、部下の奥方なんだ。彼女に頼めば、きっと閲覧させてくれる」

「あー……じゃあ、お願いします。アリアに一言言ってくるんで」

「ああ」


 夢中になっているアリアだったが、●●がアリアの同伴無しに建物の外に出るのに渋面を作った。
 だが別館は渡り廊下で繋がっているし、アリアと気が合った学芸員が一通り見た後に一緒に別館に行けば良いと提案してくれて、ひとまずは了承してくれた。さすがに、身体以外は●●よりも女らしいアリアを女受けしない趣味に付き合わせるのは気が引ける。

 アルフレートはその間に近くの学芸員にアルフレートと顔見知りという同僚の女性を呼び出してもらえるよう頼んでくれたようで、戻ってきてそのまま美術館を出た。
 別館は、正面の景観を壊さぬよう、美術館本館の真後ろに建てられている。

 アルフレートと共に別館へ向けて歩いていると、ふと、男の怒鳴り声が聞こえてきた。
 次いで、負けじと怒鳴り返しているらしい子供の声。
 後者に●●は反応、声のした方向にがたいの良い男と小さな男児が母を庇って向かい合っているのを認めた途端、アルフレートに短い謝罪をかけて走り出した。

 母親の悲鳴が上がる。
 男が男児に太い手を伸ばしたからだ。

 ●●は舌を打ち、数メートル手前で跳躍した。


「何しとんじゃワレェェェ!!」

「あ? ごぼぶぅぅっ!?」


 こちらを見た瞬間に●●の跳び蹴りが脇腹に埋まる。
 男の身体は見事に吹っ飛んだ。

 唖然とする親子の前でドレスの裾をはたき、腕を組む●●は大股に男に歩み寄り、


「って……めぇぇっ! 何しやが」

「あ゛あ!?」

「ひぃっ」


 眼光一つで男を戦(おのの)かせた。

 ●●は彼の前にしゃがみ込み、盗賊顔負けの悪い顔を浮かべた。
 この笑顔を向けられて威勢を保っていられるのは、故郷でも両親やデイヴィス、アリアくらいのものである。
 小さな手で大きな頭を掴み、ゆぅらゆぅら左右に揺らす。


「おう兄ちゃん……弱いもん脅かして優越感浸るっつうのはなあ、雑魚のすることなんだよ。てめぇみてぇな底辺の破落戸(ごろつき)が、私、大っ嫌いでよぉ……」

「……っ」

「●●●●(良家の令嬢として非常によろしくない発言である為伏せさせていただく)●●●●?」


 物騒な言葉を聞いた男は青ざめぶるぶるとかぶりを振った。

 ●●は口角をもっとつり上げ、


「――――嫌なら最初からやんなボケエェェッ!!」


 頭から離した手で胸座を掴み、片手で持ち上げ雪まみれの植え込みめがけて放り投げた。

 萎縮しきった男の情けない悲鳴が震えながら遠ざかっていく。
 ずぼっと音がして腰から足先までが植え込みから突き出した何ともダサい格好となってしまった。

 ●●は手をはたき、茫然としている親子に歩み寄った。

 母親に手を差し伸べる。


「あんた、大丈夫? 立てる?」

「へ? ……あっ、は、はい!」


 ●●の手を借りて、母親は立ち上がる。
 服に付いた土を払ってやり、次は男児だ。

 男児に対しては、まず拳骨を落とした。

 一応手加減はしているだろうが、男児はみるみる泣きそうに顔を歪めていく。


「う……うあ……っ」

「おい坊主。お前は馬鹿か」

「あ、あの……っ」


 母親が止めようとしたのを、片手で制す。


「あの男相手に今の坊主がお袋さん守れる訳ないだろ。弱いガキは無謀なことして親悲しませる前に、周りの大人に助け求めろ。その方が確実にお袋さん守れる」


 拳骨を落とした男児の頭を、今度は優しく撫でてやる。
 しゃがみ込み、微笑む。


「……けど、その年で怖じ気付かずにお袋さん守ろうと思ったのは、男として見事な心意気だった」

「え……」


 泣きそうになっていた男児は打って変わって優しくなった●●に不思議そうに瞬いた。


「守りたいものがある男は強くなれる。これだけは覚えとけ」

「う、うん……」

「人は成長していきゃあ自然と強くなる。ガキのうちは黙って大人に守られてろ。身の丈に合わない無茶はすんな、良いな? 坊主」

「うん」


 ●●の手ががしがしと男児の頭を掻き乱し、母親に押しつけた。


「じゃあな、坊主。次会う時があったら強い男になってお袋さんちゃんと守ってろよ」

「うん!」

「あ、ありがとうございました……!」

「大したことじゃねえから」


 片手を振って、アルフレートのもとへ戻る。
 彼は、位置的に一度はこちらに駆け寄ろうとしていたらしいが、●●が丸く収めたところを見て大丈夫だと判断したようだ。


「先程人が衛兵を呼びに行った。すぐに連行されるだろう」

「そッスか。じゃ、あいつそのままでいっか」


 ●●は腕を回して歩き出した。

 その後ろ姿を、アルフレートは感心した様子で少しの間見送り、追いかけた。



‡‡‡




 それからの滞在期間、●●はどうしてか、アルフレートと接する機会が異様に多かった。
 美術館での騒動を知ったデイヴィスに叱られたから、あまり部屋から出なかったのだが、アルフレートが毎日のように●●の部屋を訪問してきた。

 デイヴィスもアリアも不審がっていたが、どうも裏を感じない、●●達と親しくしようという意識が見て取れる為、ただ武に秀でている人間としてレブナンテ家に興味を持っているだけだろうと三人は認識していた。

――――のだが。

 どうも、これはファザーンの方で、レブナンテの三人の誰にとっても予想外な事態になっていたらしい。

 明らかになったのは、ルナールへ帰る出立の日の朝のことである。
 別れの挨拶をしようとマティアスに謁見した●●は、顎を落とした。


「……はい? あの、すんません。今私耳が馬鹿になったっぽいんで、もう一度お願い出来ますか」

「ああ。縁談の件だが、暫し保留ということにしたいと、レブナンテ伯爵に伝えて欲しい」

「いや……あの、破談じゃなくて、保留? マジで……?」

「ああ。ちなみに、こちらで用意したあなたの夫となる者は、アルフレートだ」

「……へーえー……」


 ●●は口端をひきつらせた。
 アルフレートを見やると、彼は一礼し、微笑んだ。

 いや、何で保留になったんだ。
 破談になるだろ普通。
 こんな自他共に認める危険暴力女を娶って良いと思える奴がいるか!? ここにいたけど!
 予想外の事態である。

 デイヴィスを振り返ると、彼も相当驚いている。アリアも不審そうにマティアスを見上げている。


「えーと……何で、保留になったか訊いても?」

「アルフレートに●●殿と過ごさせて、本人に判断を委ねた結果だ。アルフレートがあなたに好感を抱いた為、保留となった」

「……」


 あ、だからやたら接触してきてたのか。

 ……。

 ……。

 いやだからと言って有り得ねーだろー……。
 あの王子は一体何処に好感を抱いたんだ。
 私どんな性癖持ってる男だろうが娶れる女じゃねえのに。

 もう一度デイヴィスを振り返ると、●●と同じことを考えていると分かる顔をしていた。だよな、口の動きだけで言うと、お嬢この男に何した? と同様に返ってきたので身振りで分からないことを伝えた。

 マティアスの言葉は、続く。


「ということで、来月はアルフレートをそちらにやろうと思う」

「は?」

「我らにとっては慣れぬ土地だ、弟をよろしく頼む。これも伯爵に伝えてくれ」

「え、ちょ……ええぇぇ〜……っ」


 何それ。
 どういうことッスかそれ。
 ●●は、脱力するしか無かった。

 破断してくれた方が、楽だったのに。
 心の中で、ぼやく……。



○●○

 ノリです。
 全部むしゃくしゃして書きました。
 夢主とデイヴィスとの掛け合いはとてもすっきりしました。



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