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 先の一件で、家の印象を守る為に猫を被る必要は無くなった。
 ●●はソファの上に胡座を掻いて腕を組み、唇を歪めた。後頭部を掻き、舌を打つ。


「……成る程な。私をキレさせてファザーンに素を見せる意図があった訳か」

「隠し立てして縁談を進めちまったら、後々問題になるからなあ」


 小さく頷き、●●は吐息を漏らす。


「だな。……謀(たばか)られたのはまだ気に食わねえが、私の所為で家が窮地になる方がもっと気に食わねえ」

「そう仰ると思ってましだぜ、お嬢」

「親父は縁談以外に誠意を見せる方法、考えてんのか?」

「候補が幾つか。ファザーンとの話し合いで完全に決まるだろ」

「そっか。じゃあ破談になっても問題は無えな」


 あちらが誰と結婚させるつもりだったのか分からないが、大暴れした●●を見ればそんな気は一気に失せたに決まっている。
 破談になっても双方問題にならないとなれば、●●があれこれ気を遣って素を隠す必要は無い訳だ。

 ファザーンで過ごすのは二週間。
 その間はどうやって過ごすか、●●は思考を切り替えた。

 ここまで雪深い土地は初めてだ。城下を歩き回ってみようかとアリアに提案してみる。

 アリアはすぐに頷いた。その目はきらきらと輝いており、彼女も雪国に好奇心を擽(くすぐ)られているようだ。
 武一辺倒と思われがちなアリアだが、こう見えて芸術に明るい。美しい物、風景にはとにかく目が無い。一応は●●の私室の隣に与えられている彼女の部屋には美術品が数多く展示されているくらいだ。
 滅多に見られない銀世界の中を歩いてやれば、アリアはさぞ楽しかろう。
 ●●は指を鳴らして予定を決定した。


「んじゃ、王様にはそう言っといて。あ、護衛要らないから。気の向くまま城下町の中適当に歩くし」

「いや、一人ぐらい付けてもらった方が良いだろ」

「何で」


 不満を露わにするとデイヴィスが肩をすくめ「人間誰しも、腹の底までは分からんもんさ」と。
 確かにそうだ。
 ルナールの伯爵家、しかも武に秀で国が手を焼く無法者を見事に束ねた人間の一人娘が城下で好き勝手歩き回っていれば、ファザーンからすれば、そりゃあ気に食わないだろう。

 敢えてこちらからファザーンの監視を付けさせておいた方が、身の潔白を示すことにもなる。

 デイヴィスの提案を●●は受け入れた。


「デイヴィス、頼むぜ」

「おうよ。お嬢はアリアと一緒に異国の街並みを楽しんできな。ルナールとファザーンじゃあ建築様式にも違いがあるからな。アリアにとっちゃパラダイスだろうて。……ああ、確か、美術館もどっかにあるらしいから、案内を頼みな」


 アリアが即座に●●を見る。

 ●●は「良いぜ」笑顔で頷いた。

 もしアリアに犬の尻尾が生えていたら、千切れんばかりに振れていたであろう。


「よーっし。今日はこのまま休もうぜ」

「風邪引くなよ、お嬢、アリア」

「そりゃこっちの科白だ、爺」

「ガキが生意気言いおる」


 デイヴィスは口角をつり上げながら、深々と頭を下げた。



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「ちょっと、本当に良いんスか」


 監視役とは言わず、兵士か誰かに案内をして欲しいとデイヴィスがマティアスに頼んだところ、何故かマティアスの腹違いの弟アルフレートが抜擢された。

 いや、さすがに国の要人に同行されるのは如何なものか。

 素を隠す必要無しと判断した●●は、最低限の敬意は払いつつ、問いかけた。


「私ら名所観光とかじゃなくて、マジで気の向くまま自由に歩き回るつもりでしたし……アルフレート殿下は美術館とか縁遠いんじゃ?」

「確かにそうだが、人並みに美術品を楽しむくらいは、出来ると思う」

「はあ……そッスか……」


 そう言う風には見えない、とは、●●の個人的な印象である。
 ●●は目を細めた。

 ファザーン王室のアルフレートは、マティアスへの服従を前々から示し軍部に通じた男であると聞く。彼がファザーン兵士の鍛錬、軍の一切を担っているのは、王位継承権を王子自ら放棄しているとの意思表示もなるが、先の騒動では彼の母親の一族も共謀していた。
 一族は厳罰に処されたが、終始マティアスの側だったアルフレートのみがお咎め無しという結末だったと、間諜の報告にある。
 それに関して本人が何を感じているのか……●●に察することは出来ない。
 ややもすれば、ルナールが唆(そそのか)したと、こちらにも良い感情は抱いていないかもしれない。

 完全に傍観者だったことが、必ずしも良いように捉えられてばかりではないことは、政に参加することの無い●●にも分かる。

 ●●の中で、ふと生まれた疑惑が膨らむ。
 たかだか城下をぶらつく女二人――――しかも片方は伯爵家の一人娘だとは到底思えない激しい喧嘩を見せた気性の荒い暴力娘なのだ――――の案内(かんし)役に兵士ではなく階級の高い……と言うか王族をあてがうなど、本当にこちらを手厚くもてなすつもりでいるのか、それとも別の意図が……。

 ……なんて、考えすぎだろうか。
 レブナンテ家に対し、ファザーンは寛大な処置ばかりだった。ルナールの上流階級の家の中で最も好待遇と言っても良い程。
 それがファザーンのレブナンテ伯爵家に対する信頼の証だとするなら、これも別段気にすることでもないのかもしれない。
 だが、父や臣下に気を遣って政から離れた状態を自ら維持する●●はそれの全てを知らぬ。知らぬから、どうも勘ぐってしまうのだろうと自覚している。
 帰ったら、両親に訊いてみたらこれも要らぬ杞憂だと解消するかもしれない。

 一応、アリアにもこの男の気分を害することが無いように言っておくか。

 縁談破談以外に、面倒な問題を作って戻ったらお袋に何をされるか分かったものじゃない。
 つい、母の度を超した《お仕置き》を思い出し、●●はぶるりと身震いした。母の恐怖は、誰もが完全にトラウマとして身に染み着いている。アリアや愛娘●●とて例外ではなかった。


「どうかされたか」

「……いや、何でもないッス。アリア、美術館は最後に回そうぜ」

「御意」


 従順に頷くアリアは、しかし残念そうだ。
 でも最初から行けば丸一日美術館で過ごすことになりかねない。
 ●●も●●でこの城下を見て回りたいし、アリアだって雪景色の美しさを見たい筈だ。

 美術館に沢山時間を割けるようにするからと言うと、アリアの表情も少しだけ晴れた。


「じゃあ、出発」

「お嬢、チンピラとやり合うなよ。多分弱肉強食が当たり前のこっちのクソガキ共より弱ぇ」

「わーってるって」


 口調こそ荒っぽいが恭(うやうや)しくこうべを垂れるデイヴィスに片手を振り、●●はアリアを後ろに従えて歩き出した。案内役のアルフレートは隣だ。

 ●●もアリアも宣言通り、好き勝手興味が湧いたものに寄って歩いた。店であったり、氷のオブジェであったり、雪合戦して遊ぶ子供達を眺めたりもすれば、アルフレートに気付いた城下の主婦達の井戸端会話に参加してみたり――――子供にも主婦達にもアリアの自慢の筋肉は非常に人気であった――――本当にぶらぶらと気の向くままだった。

 それに対し、アルフレートが不審がっても、面倒そうにもしていないのは、少し怪訝に思う。
 むしろ、●●達の興味を引くものを思いつけば、申し出てそこまで案内してくれる。
 そんな明らかに自然体のアルフレートを見ていると、純粋に案内役として同行してくれているようで、どうも、デイヴィスの配慮も、出立前抱いた疑念も杞憂であったらしいと●●の中で考えが改められていく。

 そうなると、警戒も薄まり、純粋に城下散歩を楽しめるようになった。

 雑貨屋でファザーン伝統の細工物を眺めたり、店主にその歴史を簡単に説明してもらったりしている時、アリアが珍しく他人にも分かるくらいに笑ったのが、とても嬉しかった。
 これなら、美術館でも大層喜んでくれそうだ。

 そう踏んだ●●の期待は、やはり裏切られなかった。


「規模は小さいが、遙か昔に伝わった遠い異国の建築様式を再現して建てられた建物はファザーン国内でも美しいと評判なんだ」

「……でしょうね。アリアの感性にドンピシャっぽいッス」


 口を半開きにして美術館の外観を凝視する部下を見やり、●●はくすりと笑う。
 美術館の客や学芸員がアリアの異常な体格の良さにぎょっと見てくるが、それにすら気付いていない様子だ。

 彼女がここまで夢中になるのも、よく分かる。

 雪が落ちやすい傾斜の急な屋根の建物は、両開きの扉の前にに太い石柱が並び、その装飾には天使や獣、花の彫刻が施されている。窓も微細な飾りが賑やかな彩りを添え、まるで神殿のように荘厳な佇まいでありながら華やかだ。
 びっしり一ミリのズレも無く並べられた石畳を踏んで石柱を通過すると、城の物よりも巨大な扉に彫られた竜が威圧する。竜に剣を向け、背中に姫君を庇う騎士の雄々しさにも気圧されてしまう。
 確かに、外観だけでもここまで拘(こだわ)り尽くされた建物、評判にならない筈がない。


「で、アリア。さっきから何ぶつぶつ言ってんの。この建築様式知ってんの?」

「はい。これは今から三百年前に滅んだ国の貴族の間で主流だった様式です。扉にこのような戦いの絵を飾ることは見る者に騎士としての心構えを示すものであり、これはその中でも騎士の家系に多く見られた絵柄です。この姫君は王家を表し、この竜は強敵を意味します。つまりこの絵は、騎士たる者如何なる敵に襲われようと常に王家の強かなる剣と盾であれと伝えるもので――――」


 話を振った途端、これである。
 早口に解説を始めてしまったアリアに、軽率だったと後悔しても遅い。
 ●●は肩をすくめ、苦笑した。

 興奮状態のアリアが落ち着くまで話を聞いてやり、ようやっと中に入る。
 その後は、もうアリアを止められない。
 その熱の上がりように自分では付き合いきれないと判断した●●はすぐに学芸員を呼び、アリアに案内を頼んだ。気が合いそうな人物を選んだから、二人はすぐに話に夢中になり、美術館を二人だけで回り出した。●●のことも勿論気にしたが、アルフレートとゆっくり回ると伝えれば、アルフレートに深々と一礼して急いで展示品へ近付いた。

 正直、アリアがここまで夢中になるとは予想外であった。


「甘く見てたぜ、ファザーンの美術館の魔力……」

「オレはあまり来る方ではないが、美術館にであそこまで我を忘れる者も、珍しいな」

「あの子の芸術マニアは筋金入りッスからー……まあ、あれ私の所為なんスけど」

「そうなのか?」


 ●●はアリアを見つめたまま首肯する。


「孤児で屋敷の周りを彷徨いていたのを私が拾ったんスよ。それで、私が住んでた屋敷が父が集めた骨董品だらけで、管理してるマニアな部下に色々教えてもらううちにそいつの情熱が感染したらしくて」




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