趙雲





『○○様

 おめでとうございます。
 この度あなたはこちらの勝手極まって申し訳ない抽選によって五百二人目の《放浪者》に選ばれました。
 異世界で暮らしながら、元の世界へ戻る方法を探して下さい。
 戻るのではなく、こちらに留まり永住することも可能です。
 世界の住人に課せられた物語に干渉することも出来ますが、あなたに許されることは物語の岐路の選択のみで、結末を激変させることは不可能です。ですが恋愛や敵対、友情など、あなたにも十分起こり得る要素もございます。
 文化の違う異世界での暮らしは困惑が多く、また数多の困難も降りかかるでしょうが、命の保証は出来かねます。こちらで死亡した場合元の世界には戻れませんのでご了承下さい。
 なお、少しでも危険を回避していただく為、救済処置としてあなた様には特殊な能力を付加しております。詳しくは後程お届け致します麻袋をご確認下さいませ。
 では、良い人生を。』


 ……何が、『良い人生を』だよ。
 いきなりこんなふざけた手紙をポケットに忍ばされて、見たことも無い大自然の中に放置プレイってどういうことだ。馬鹿か。
 誰からかも分からない手紙を握り潰し、私はやり場の無い怒りを持て余す。

 私が立っているのは、森の中だ。しかもかなり深い。
 すぐ側には綺麗な泉が日光を反射してきらきら輝いていて、その反射光で辺りが明るく照らされている。
 普通なら魅取れていただろう。
 だけど今、こんな状況でうふふ美しい光景ねなんて暢気なこと言ってられない。

 私はついさっきまで気を失っていた。
 記憶があるのは、大学に急いでいて曲がり角で誰かにぶつかったところまで。そこで気を失ったのだろう。どうやってかは、私には見当も付かない。
 目が覚めた時にはすでに私は嗅ぎ慣れない草と土の臭いに包まれ、ごつごつした山道に倒れていた。
 見知らぬ土地に誘拐され、放り捨てられたのだと、自分で状況を推測出来るまで、かなりの時間固まっていたと思う。

 荷物は一つも無く、ポケットに粗末な分厚い紙に漢字の羅列が並んでいた。日本では使われないような漢字もあるし、多分、中国語……かな?
 文字は急いで書かれたのが分かる程雑で、文章も雑だ。
 それを見てすぐに読めたのも不思議だったけど、それは考えないことにした。唯一持たされたこのメモが読めなかったら、私は冷静さを欠いていたかもしれない。

 とは言え、これが読めたからどうにかなる訳でもない。

 まず『異世界』という記述が解せない。信じられない。何だそれは、ファンタジーか。
 『世界の住人に課せられた物語』って何だよ。ここは何かのゲームか小説か何かですか。

 私が置かれた状況は、分からないことばかりだった。
 紙に書かれていた麻袋が届けられる様子も無い。

 何時間も紙と睨めっこして手がかりを探し続けた結果、私は、


「よし、人のいる場所に行こう」


 思考より行動を選んだ。
 大学に通っていますけどね、だからと言って頭が良い訳ではないんですよ。

 私は出来るだけ早いうちに人に巡り会うことを祈りつつ、取り敢えず道と思える場所を選んで進んだ。

――――と、ここまでは良い。
 良かったのだけれども。


 人どころか街すら全然見つからないのだ。


 これはどうしたことだ。
 かなり歩いて森を抜けている。
 広がるのは見晴らしの良い平原ばかりだ。
 だのに、車道も歩道も見受けられない。沢山の人間が歩いて踏み固めた地面が一本伸びているだけだ。
 日本のド田舎でも、広大な牧草地だったとしても、こんな光景は有り得ないんじゃないかって思うくらいに、何も無い。

 一瞬頭にあの紙の言葉がよぎったけれど、すぐに首を左右に振って意識から追い出した。まだだ、まだ信用しないぞ、私は。
 大丈夫。きっと私の思い違いだ。
 そのうち小さな町とか、山奥の村とか……きっと見つかるんだ。
 そうだと信じ、私は疲労を振り払って無心で歩き続けた。

 私は、紙の言葉を信じかけている自分を、必死に引き戻そうとしていたんだろう。
 それを現実だと受け入れるには、あまりに規格外の出来事だったから。

 実を言えば、歩けば歩く程、私は肉体以上に精神的に弱り切っていたのだ。

 誰かに出会えたなら、まだ良かったかもしれない。
 少しくらいは救われたかもしれない。
 だけど、日が暮れても人は見つからなかった。

 とうとう力尽きた私は、木に寄りかかって無防備に眠り込んでしまった。

 いけないと分かっていたけれど、無視し続けた疲労がどっと押し寄せて抵抗出来なかったのだ。
 睡魔の腕に身を委ね、私は眠ってしまった。

 幸い、眠っている間に獣には襲われなかったようだ。
 私は日も高く昇った空を仰ぎ、夢ではないと知って落胆した。

 立ち上がろうと地面に手を付いた私は、指に当たった物に大袈裟なくらい飛び退いてしまった。

 怖々確かめてみると、そこには真新しい麻袋が。
 紙に書いてあった麻袋だろうか。
 警戒しつつ中身を開けると、沢山の巻物が入っていた。けれど、私の知る日本の巻物とは違い、薄くて細い木の板を繋げて、それを巻いた物だ。
 これ、どっかで見たような……。

 ……ああ、そうだ。
 これ中国の歴史ドラマで見たんだ。
 木簡、って言うんだっけ。

 木簡は全部で五つ。
 そのうちの一つを取って開いてみると、やっぱり中国語と思しき漢字の羅列が。やっぱり読める。


『傷薬《弱》
 ××草を沸騰させた湯で色が変わるまで煮込む。

 傷薬《中》
 ××草の根を擦り潰し×花の蜜と混ぜ、火で炙(あぶ)る。』


「……何これ」


 大事な草や花の名前が黒く塗り潰されてる。どれもそうだ。
 作り方が書いてあっても、種類が分からなかったら意味が無いじゃん。
 私は木簡を麻袋に戻し、口をしっかりと結んで立ち上がった。
 現時点では役に立たないけれど、それでもこれは数少ない手がかりだ。使えないが手放す訳にはいかない。

 そう。
 種類が分からない以上は出来ない。
 そこに生えている雑草が傷薬《弱》の材料だとは、どうしても思えないのだ――――。


「……」


 ……。

 ……。


 ちょ っ と 待 て。


 私は今何を考えました?
 そこに生えている雑草って言った?
 そこに生えている雑草って何さ。


「……」


 これか。
 私は木の根本に生えている特に珍しくもなさそうな雑草を見下ろし口を閉じた。
 それだけじゃない。
 ちょっと首を巡らせれば傷薬《中》の材料になる蜜を持つ花も生えている。

 ……何これ。
 どうやら、私には薬に必要な種類がちゃんと分かるらしい。
 麻袋を見下ろし、私は口を歪めた。歪めるしか無かった。

 まだ、現実を受け入れたくないんですけど……駄目ですよね?

 暫く、その場に立ち尽くした。



‡‡‡




「お世話になりまして、本当にありがとうございました」

「いや。困った時はお互い様だ。気にしないでくれ」


 洛陽という街の宿屋の前。
 にこやかに首を振る趙雲さんに、私は深々と頭を下げた。

 平原を前に茫然自失としていた私を見つけてくれて、声をかけてくれたのがこの、イケメンな好青年趙雲さんであった。
 事情を聞かれたので取り敢えず盗賊に襲われて有り金は全部、荷物もほとんど奪われたのだと説明した。
 つい最近両親はいなくなったし故郷も無くなったとあながち嘘でもないことを添えると、ならば共に洛陽に行こうと言ってくれた。薬が作れるようなら薬を作って売れば良いのだと助言もくれた。
 洛陽なら薬売りも大勢いるだろうし、薬を作れるように器具を貸してくれる優しい人もいるかもしれない。自分も一緒に頼んでみるからと、気遣ってくれた。

 優しい人だ。
 この世界の情勢も教えてくれたし。
 ……まあ、その優しさで私を現実を突きつけたということでもあるけれど。

 どうも、この世界は私の故郷でも有名な三国志の世界を模した異世界であるようだ。
 模したというのは、ここには私が初めて聞いた種族がいるから、私が勝手にそう判断したのだ。

 猫族、読み方は『まおぞく』。
 人の身体に猫の耳を持つ気性穏やかな半妖の種族が、この世界には存在しているらしい。
 彼らは大昔漢帝国が討ち滅ぼした金眼という凶暴な猫の大妖の末裔なのだとか言われ、その為人間からは酷い迫害を受けている。
 猫族は人里を避けて何処かでひっそりと暮らしているそうだ。

 三国志に詳しくない私でも、これは私の世界では有り得ない。獣人なんて創作の中で許された人種。そんなのがいたら世の中大騒ぎだ。
 という訳で、私はこの世界を異世界として、完全に受け入れることにした。早くも私の敗北である。

 となると紙の内容も改めて吟味する必要が出てくる。
 幸い、趙雲さんが費用負担で宿屋の部屋を私の分も取ってくれた。部屋でゆっくり読み返して、麻袋の中身も全部確認してみようと思う。

 趙雲さんに会えて、本当にラッキーだったなあ、私。

 宿屋に落ち着いてすぐ、傷薬《弱》の材料を採りに行こうと、別の用事で出て行く趙雲さんを見送って宿屋の奥さんに厨房が借りられないか相談してみた。趙雲さんにも話した身の上話をすると、片付けをちゃんとすることを条件に許してくれた。
 使用許可も出て安心したところで、私は意気揚々と街を出た。
 まず売れる薬を作らなければならない。そして、稼いだ金で服を買おう。今の服装は露出は無いが時代に全くそぐわない。洛陽に入った後から滅茶苦茶目立っている。趙雲さんは特にツッコまなかったから大丈夫なのかと思ったけど全然そうじゃなかった。駄目だった。

 あとは器具を揃えて、旅に必要な物も買わないと。後者については、一人旅を始めたのが最近でまだ知識に自信が無いからと嘘をついて教えてもらおう。

 あまり洛陽から離れないようにしつつ、せっせと頭にいつの間にかインプットされている種類を採取して、日が暮れる前に宿に帰った。
 そして、夕食が終わるのを待って食器の後片付けが終わったのを見計らって一人、あの木簡に書いてあった通りに綺麗に土を洗い落とした草を沸騰させたお湯でコトコト煮込んだ。
 するとどうだろう。
 見る見る水の色が変わったかと思えば、どろどろになって、最終的に乳白色の軟膏っぽい物が出来上がったではないか。
 これを見た瞬間、私は思った。

 あ、これ多分他人に見せちゃ駄目な奴だ、と。

 明らかにこれは正規の作り方じゃない。こんな簡単に軟膏が出来る訳ない。あれ、ワセリンとか脂肪とか入ってるんじゃなかったっけ? そんなん確実にあの雑草に入ってないよ。
 ここに宿屋の人がいなくて良かった。これからは誰もいない隙にささっと作ってしまおう。

 しかし、軟膏というのが出来たところで、本当に効くのか分からない。
 なのでたまたま外で作ってしまった切り傷に塗りつけてみた。

 するとどうだ。
 すぐに傷口が塞がったじゃないか!
 これはゲームか。ゲームか!
 驚いて見下ろしていると、厨房に趙雲さんが入ってきた。


「○○殿。薬の仕上がりはどうだ」

「あ、女将さんに聞いたんですか?」

「ああ」


 鍋を火から離して、中を掻き混ぜながら粗熱を取り始める私の横に立って、趙雲さんは中身を覗いた。


「軟膏か。鍋で炊いて作るんだな」

「あ、いや、これ両親のやり方だから……多分、本当の作り方じゃないんじゃないかって思います。良く不思議がられていましたから」


 咄嗟に嘘をつき、私は苦笑いする。
 これは絶対に正規のやり方じゃないと思うんだ。
 両親の作り方が特別違うんだと言い張って、趙雲さんには納得してもらった。


「何か手伝えることは無いか」

「あ……じゃあ、これ掻き混ぜててもらえますか」

「分かった」


 趙雲さんには悪いが目を薬の方に向けていてもらおう。
 その隙に私は麻袋を開いて中身を確認する。
 そう言えば私は大事な物を失念していた。
 薬を入れる容器である。

 容器が無ければ売り物にならない。鍋も綺麗に洗って片付けることが出来ない。
 なので、まだよく見ていない麻袋の中を確認しようと思ったのだった。
 一個くらい容器無いかなーと期待しつつ、麻袋を覗き込み――――。


 目が点になった……と思うくらいに驚いた。


「え……」


 ちょっと、待って下さい。
 また有り得ない現象が目下麻袋内で起こっています。

 木簡の下に、小物入れみたいに加工が施された大きめの貝殻が沢山入っていました。

 四次元ポケット?
 え、青い猫型ロボット? 青い猫型ロボットが住んでるんですかこの麻袋は。

 ……んな訳ないでしょ。落ち着け私。
 でも本当に謎な袋である。中にはこんなに丁度良い容器になった貝殻が詰まっているのに外見は全く変わっていないのだ。木簡だけしか入っていないような凸凹しか見受けられない。
 この麻袋も、とんでもない癖のある代物のようだ。
 私は趙雲さんの様子を窺いながら必要そうな分だけ貝殻を取り出した。

 蓋を開けて調理台に並べ、趙雲さんの横に立つ。


「まだ湯気立ってますね。代わります」

「いや。長旅の身で、外へ材料を採って来たんだろう。男の俺と違って疲れが溜まっている筈だ。少し、休んでいると良い」


 趙雲さん、優しすぎる。
 こういう人がいたら絶対ナンバーワン人気間違いなし。平凡人生まっしぐらな私なんかご縁の無い雲上の人だったに違い無いわ。
 私は微笑みながら掻き混ぜ続けてくれる趙雲さんのご厚意に甘えて、私は調理台の側に椅子を持ってきて座った。

 一度落ち着いて暇になると、疲労が一気に睡魔を引き寄せる。
 私はそのまま調理台に突っ伏して眠ってしまった。

 趙雲さんに揺すられて起きた時には、すでに容器には軟膏が詰められていた。


「……わああっ、すみません!」


 がたっと椅子を倒して立ち上がった私に趙雲さんは寝る前に見た微笑みで首を横に振った。


「やはり、無理をしていたのだろう。途中で宿の女将が容器に詰める作業を手伝ってくれた」

「じ、じゃあ片付けだけでも……!」

「ああ。俺も手伝うよ」

「いやいや。さすがにそこまでお世話になる訳にはいきません。女将さんと約束したのは私なので、趙雲さんはもう休まれて下さい。調理器具はあまり使ってませんし」


 少しは私も働かなくてはと、趙雲さんの背中を押し、厨房から出す。
 すぐに休むからと心配そうな彼に笑ってみせて、私はてきぱきと片付けに取りかかったのだった。



 それを、終わる直前まで趙雲さんが見ていたとは、私は全然気付かなかった。翌朝になって女将さんに教えられた。
 ……私はそんなに危なっかしいだろうか。



‡‡‡




 翌日早速出来上がった薬を路上で売ることにした。
 趙雲さんに聞いた薬の相場を参考に決めた値段――――これも不思議で私の頭は私の知らないところでこの世界の通貨もしっかり理解してくれていた――――でお役人の目に触れない場所で、また希望を持って覗き込んだ麻袋から取り出した敷布を広げ、軟膏を並べた。

 軟膏は全部で二十個。今日だけとはいかなくても、近日中に全て売り切れたら良いなと思い、お客さんを待ってみる。
 声出しをしようと思ったけれど、それでお役人に見つかったら問題だ。ひとまず最初は目立たないようにお客さんの口コミに頼ろう。……厄介事にならない程度に。

 しかし、人通りの多い場所を避けた所為で、客は一向に来ない。
 たまに通りかかっても、好奇の目を向けてくるだけで、身体も足も向いてくれない。
 やっぱり最初はそう上手く行かないよなあ……。
 早めに店仕舞いをして、売り物の種類を増やして明日リベンジしようと軟膏に手を伸ばすと、手に影が落ちた。


「あの……それって、薬ですか?」

「え? あ――――」


 顔を上げて固まる。
 やっぱり異世界に来たばかりじゃ驚きが続く。

 店の前でやや身体を前に倒して薬を覗き込んでいる私よりもちょっと年下の可愛い女の子がいる。
 その頭の上には猫の耳が自然な感じで乗っかっている。

 ああ、これが猫族なのか。
 人間ばっかのここにいたらマズいんじゃないのかなと思ったのも一瞬、私はすぐに初めての客を逃すまいと彼女の問いに答えた。


「傷薬です。といっても、急いで作った簡単な物で、効果は弱い方なんですけど」


 浅い傷なら一瞬で治りますけどねとは言わない。言っても実際に見てくれなければ信用してくれる気がしないし。
 猫族の女の子はその場にしゃがみ込み、薬を一つ手に取った。私に一言断ってから中身を見た。


「深い傷は難しいと思いますけど、ちょっと切った擦った程度の浅い怪我なら、それで事足りると思いますよ」

「おいくらですか?」


 値段を言うと、「買います」と女の子は言ってくれた。
 おお、初めてのお買い上げだ。
 私は嬉しくなって、「もう一個おまけしときますね」ともう一個彼女に手渡した。

 女の子は驚いて返そうとしたけれど、今日店を始めたばかりで、初めて売れたのが嬉しいからと言うと、納得してくれたようだ。
 感謝の言葉を貰って私も気分が良かった。

 初めての売り上げを大事に持って、私はその日の営業を終え、材料採取に向かった。

 昨夜部屋の中で木簡や紙に目を通した。
 が、やっぱりと言うか……だからと言って現状がどうにかなるものでもなかった。
 ただ、傷薬以外に色んなも種類の薬の作り方が、木簡には書いてあった。
 作れそうな物をピックアップして、その材料を今から探しに出かけることにした。

 そうして、徐々に客も増えてくれたら、身形(みなり)も器具も旅支度も整えられる。

 私はとにかくこの世界で生きていく為に必要な物を揃えなければならない。
 今はどんな苦労も甘んじて受け入れるべき状況なのだ。

 それからは毎日、厨房で薬を作っては店で売り、時折材料を採取して薬を作って――――その繰り返しだった。金を稼ぐことにここまで必死になったことは人生で一度も無かった。
 日々を重ねていけば猫族の女の子は常連になり、人間の客も増えて、運が良ければ即日完売なんて有り難い日も出てきた。
 服も地道に安くて趣味に合う物を探し出して買い、街の中にそれなりには溶け込めたと思う。

 けれど――――ある日とうとう、私の店で問題が発生してしまった。


「十三支の女!? 何故十三支がここにいるんだ!」

「か、夏侯惇に夏侯淵まで……」


 初見さんの人間二人組は、私が薬それぞれの説明をしている途中、店を始めて以来の常連関羽ちゃんが現れるなり急に騒ぎ出した。
 そこで気が付いたんだけど、関羽ちゃんが避けていたのか、彼女が店を利用している時、人間はいなかった。

 関羽ちゃんが人間といるのを見たのは、これが初めてだ。

 顔を強ばらせる関羽ちゃんを見上げながら、首を傾げた。


「『十三支』……?」

「お前知らないで十三支に薬を売っていたのか!?」

「え、何で怒ってるんですか?」


 あれ、呆れられてる……。
 初見さんの刺々しい視線を受け、私は顔をしかめた。
 いや、知ってますけど。十三支って呼び方を知らないだけなんですけど。
 むっとした勢いで、私はつい突っ慳貪に返してしまった。


「猫族が金眼って言う化け猫の末裔だって蔑まれているのは、恩人に教えられて知ってます。でも私、その話には疑問ばかり覚えてるから、引っかかる情報を鵜呑みにしたくなくて普通に接してるだけです。で、十三支って何ですか」

「疑問だと? 何を――――」

「十 三 支 って 何 で す か」


 語気を強めてゆっくりと問えば、髪の長めの男の人が一歩退いた。え、何で退くの。

 彼の代わりに髪の短い男の人が教えてくれた。


「十三支とは、十二支で回る時からあぶれた猫を意味する。存在の許されない猫族を指す言葉だ」


 ああ、あの猫の話……。

 ……。

 ……。

 ……んー、でも中国の十二支の話って……。


「……それもおかしくないですか?」

「何?」

「だって、十二支の話って猫って同じく泳げない鼠と協力して知恵を出して牛の背中に乗って川を渡っている時、鼠に裏切られて川に落とされちゃったんでしょう? それって人間で言うなら、味方がいきなり味方を斬り捨てることと同じじゃないですか。もしくは親友だと思っていた人が、自分を罠にはめて大出世した、とか。あなた達の言う猫って、話の中じゃ鼠の被害者じゃないですか。それを蔑称に使っているってことは……あなた達も味方に裏切られた時、その人に斬り殺された味方が悪いんだって認識してるようなものじゃないですか? それにですね、猫って元々は他の十二支と同じく、招かれた動物だったんでしょう? 招かれる程の動物だったのに、それを蔑称に使うのは矛盾してませんか?」

「な……」

「ついでに、猫族のことについて私が抱いている疑問に触れますとですね、何で化け猫の末裔が人の姿になっちゃってるんですか? 関羽ちゃん見てみたら耳しか名残無いじゃないですか。大陸を荒らして回った凶暴な存在の末裔だってんならどうしてこんなに凶暴とはまるで無縁に温厚になっちゃってるんですか? それに金眼は漢帝国が倒したって言ってますけど、具体的にどうやって倒したんです? 漢帝国に忠義を捧げる誰がしとめたんです? 化け猫すら倒して民を守れる漢帝国はとっても凄いんだぞーって威光を示す割には話が漠然とし過ぎてて伝説としても物足りないよなあって思っちゃうんですよ。それってただ単純に大昔の話だから風化したってことで、私の考え過ぎなんですかね。詳細な記述がある信頼出来る史料は無いんですか? それでなくても当時の時代背景を知る為の史料って残ってないんですか? 大陸は広いんですから、何処かで残っててもおかしくないですよね?」


 矢継ぎ早に言うと、髪の短い男の人が眉間に皺を寄せた。

 あ、ヤバいかも。
 と思い、私は「と、言う訳で」慌てて話を終わらせた。


「疑問が解けない限りは、十三支は汚らわしいーが常識の大衆には混ざれないです。そんな私が嫌なら、店に来なければ良い話です。ここで商売をするなと言うのなら大人しく出て行きます。問題が生じたら周りの人達に迷惑がかかる前に店を畳むつもりでしたから」


 私が言うと、関羽ちゃんが顔色を変えた。


「そんな! 駄目よ! ○○の薬は本当に効くんだから、もう随分とお客さんも増えてきてるでしょう? 折角波に乗り始めているのに……」

「良いよ、関羽ちゃん。どうせ、準備が整ったら色んな場所を旅するつもりだったし。……あ、ついでだし、金眼について解明の手がかりになる史料が無いか探してみようかな」


 ただ私を連れてきた人を捜すだけの旅よりは良いかも。
 我ながら良い案だと一人頷いていると、ふと髪の短い男の人が「夏侯淵」


「今日はこのまま戻るぞ」

「兄者!? まさかこの娘の言葉を鵜呑みにしたのか?」

「鵜呑みにした訳ではない。……が、」


 その後言葉は続かなかった。
 思案に沈む双眸が私を暫く睨み、髪の短い男の人はきびすを返した。

 夏侯淵と呼ばれた髪の長めの男の人は、関羽ちゃんと私を睨んで、兄者を追いかけていった。


「あの、ごめんなさい。○○。私の所為で……」

「あ、ううん。それは大丈夫。気にしないで。……でもそろそろ、洛陽を出た方が良いかな。自分で問題を大きくしちゃったかもしれないし。路銀も貯まってきたから」


 関羽ちゃんの頭を撫でて言うと、彼女は途端にしゅんとした。
 可愛かったので暫く撫で撫でしてあげた。

 趙雲さんに、話さないとな。



‡‡‡




 その日の夜に、趙雲さんの部屋を訪れて今日の出来事を話した。
 関羽ちゃんのことを趙雲さんも知っていたことには驚いたけれど、まあお陰で話はスムーズだった。

 しかし、私が洛陽を出るって話になった時、趙雲さんはあからさまに残念そうな顔をした。
 曰く、彼ももう幽州に戻るそうだ。
 じゃあ私も洛陽を出るのは丁度良いと思うのだけれど……まだ心配してくれてるのかな?


「お世話になりっ放しでしたから、これを期にまた一人で旅をしようと思います。あ、その前に払っていただいた宿代もお返ししないとですね」

「……○○殿」

「何ですか?」

「俺と共に幽州に来るというのはどうだ?」

「はい?」


 いや、それは有り難いですけど。
 でも甘える訳にはいかないよね。
 私は苦笑して、首を横に振った。


「すみません、趙雲さん。助けてもらってからずっと優しくしてもらってばかりで申し訳ないです。心配は無用です。私なら大丈夫ですよ。ちゃんと一人で旅も出来ると思いますし、危ないと思ったら即行逃げますんで。だから安心して下さい」

「しかし……」

「あ、でも何処かで会ったら話しかけても無視しないで下さいね。あと、私が気付いてなかったら話しかけて下さい」

「それは、勿論」


 私は「ありがとうございます」頭を下げた。
 立ち上がって、扉に寄り、


「じゃあ、お休みなさい。趙雲さん」

「ああ、お休み」


 笑ってまた頭を下げて、私は部屋を出た。
 扉を閉める直前趙雲さんが何か言ったような気がしたけど、私は気にせずに部屋に戻り、自分に気合いを入れる為に「頑張れ私!」と両手を天井に向けて突き上げた。







「心配だけでは……なかったんだが」



●○●

 思い付いたネタを詰め込んだだけの話です。
 オチ無しで、すみません……。

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