アルフレート


※夢主、非常にガラ悪いです。



 元ルナール、レブナンテ伯爵領は、カトライアとの国境に接する。
 ここ三十年程レブナンテ家が治めているこの領地、レブナンテ伯爵がこの地に拝領される前までが非常に治安が悪かったことで国内外に拘(かか)わらず有名である。

 レブナンテ伯爵による統治によって治安は格段に良くなっているが、ルナールの端のこの領地は作物の育ちが悪く、湿気が多い上近くの川が毎年何度も氾濫する為人が住み着かなかったこともあり、元々無法者荒くれ者が集まる無法地帯だった。住人に負けて領主は取っ替え引っ替え、まともな統治もままならなかった。
 それを、レブナンテ伯爵とその妻はルナールに並ぶ者無しと賞賛された自慢の体術で徹底的に打ち負かし、彼らのリーダーとして領主の座に君臨したのである。この時に化け物じみた逸話が百程生まれているが、半分は事実だと言う。
 当時の住人は伯爵家の私兵となり訓練を施され、国の盾と誇られるまでになっている。

 だが、ルナールがカトライア、ファザーンへ侵攻を開始した際、国の異変を察知した伯爵は娘の病気を理由に辞退。母国に対しても領地の守備を固め、日和見を決め込んだ。

 それ故、ファザーンからの処分も厳しくはなかった。ただ一人娘を人質としてファザーンの誰かと結婚させると言う条件を付けただけで許された。
 だが、問題はここからだ。
 レブナンテ伯爵は、これに難色を示す。

 ただ、意外な話、大事な一人娘を元敵国に人質に差し出すことに懸念があるのではない。

 むしろ、ファザーンに気を遣っているのだ。
 縁談を持ちかけた際に使者が持って帰った伯爵の返事は、丁寧に綴(つづ)られた内容を物凄く簡単にようやくすれば、


『いや、こっちは全然良いんですよ。むしろ万々歳なんですよ。ですけど、ですけどね? うちの子どんなのか分かったら多分というか確実にそちら嫌がりますよ。マジで。いやホントマジで。何であんな風に育ったか分かんない子なんで。だから簡単に決めない方がそっちの身の為だと思うんで、取り敢えず娘送るんでどんなもんか知ってからもう一回考え直すことをお勧めします。これ冗談じゃないんで。こっち本気でそちらの心配してるんで。うちの子マジアライグマなんで気を付けて下さい。駄目だったら即日返して下さい。そちらの為に』


 と言った感じである。
 自分の唯一の娘をここまで悪し様に言い、更にはアライグマと訳の分からない例えまでしている伯爵は、本気でこちらの心配をしている。

 その真意は一体――――。

 一応、こちらで用意した夫候補は、アルフレートだった。
 彼ならば、若き頃は屈強の騎士であったレブナンテ伯爵や、男顔負けの体術を取得し、夫と共に私兵の訓練を指導する奥方とも上手くやれるだろうとマティアスが判断したのだ。
 それにアルフレートの性格から、彼らの娘にも誠意ある対応を心がけてくれるだろう。

 ファザーン側も十分配慮をしたこの縁談が、まさか相手方の配慮で停滞することになろうとは、誰が予想し得ただろうか。

 どうしてレブナンテ伯爵が今回の縁談に難色を示したのか、それを確かめる為、マティアスはオストヴァイス城は謁見の間にてレブナンテ伯爵の娘と対面した。

 臍の辺りで手を組んで深々と一礼する●●・アルバー・レブナンテは、見た目で判断する限り、こちらが嫌がる程の大きな問題があるようには到底思えなかった。

 夜の闇よりも黒く艶やかな髪は肩に付くか付かないかというくらいの長さで、ふんわりと綿菓子のように柔らかい。
 細い首に支えられた小さな顔は慎ましやかな面立ちで、神秘的な上品さがある。瞼を伏せれば長い睫毛が目元に影を落とした。
 身体は小柄で、スレンダーな方だ。ティアナよりも背が低く、身体も細い。胸も……とは、言わずにおこう。

 一目の印象では簡単に折れてしまいそうな儚い姫君だった。

 アライグマ……確かに、アライグマに似た可愛らしさはある、か……?
 だが手紙の文面から察するに、そう言う意味合いで用いられた例えではなかろう。
 念の為同じ年齢のティアナやアルフレートにも同席してもらっている。彼らも手紙の内容を知っているだけに、拍子抜けしたような顔をしてこちらに困惑の視線を向けてくる。


「……●●殿。此度はご足労、感謝する」

「いいえ。傍観を決め込んだルナールの伯爵を、陛下には温情にてご容赦いただきました。大恩を受けておきながらどうして陛下の招きを拒めましょう」


 その声も、鈴の音のように透き通ってまこと耳に心地良い。
 ますます手紙の示すものが分からなくなってくる。
 マティアスは●●を見下ろし、内心首を傾げた。


「慣れぬファザーンの気候は、身体に負担となろう。縁談の件は明日、改めて席を設けて話し合う故、今日は連れの者と共に、ゆるりと身体を休められるが良い」

「……」


 ●●はこれに反応を返さなかった。
 眉間に皺を寄せ、マティアスを不思議そうに見上げている。


「●●殿。如何(いかが)なされたか」

「……私は、陛下と領地の統治権について話し合ってこいと父に命じられてここへ参じたのですが」


 マティアスは軽く驚いた。


「統治権? それは先だって手紙で一切の統治をレブナンテ殿に任せる旨をお伝えしてある。今更問題になる筈はないが……もしやそちらの臣下に反対する者が?」

「いえ……申し訳ありません。少し、席を外します」


 ●●は深々と一礼し、扉近くに控えていた武装した女性を振り返った。
 長い金髪を後頭部高く一つに束ねたこの女性、名をアリア・ベネブリアと言い、●●の侍女兼護衛である。
 脛当て、籠手、胸当てと言う最低限の防具しか付けていないが、防具が本当に必要なのかと疑う程全身の筋肉が物凄い。アルフレート以上の筋肉隆々とした身体は、もはや女のそれとは言えない。
 武を極めた為だと、ここに入ってきた際目を奪われたマティアス達に●●が誇らしげに説明していた。

 アリアの眼光はその辺の刃よりも鋭い。
 正直、彼女の視線を一瞬たりとも受けたくはない。

 アリアは●●が近付いてくるのに扉を開き、主に外の何かを指差して一礼した。
 ●●は頷き返した。
 大股に謁見の間を出――――。


――――それはまさに、驚天動地の出来事であった。


「デイヴィス、テメエエェェェッ!! 親父とグルになって嵌めやがったな!! 死に損ないの爺がふざけてんじゃねえぞゴルァッ!!」


 鼓膜を容赦無く殴り付ける逞(たくま)しい大音声が、肌を震わした。


「アア!? そんなん知るかよ騙されんのが悪いんだろうが!! 恨むなら自分(てめえ)の頭の弱さを恨めアライグマちゃんよお!!」

「アライグマ止めろっつってんだろボケェェ!!」

「やんのかオラァァッ!!」

「上等だゴラァァッ!!」


 一同、固まった。

 ●●の鈴の声が、今は低く殺気と威圧感がある。

 彼女が見た目から想像し得ぬ怒声を浴びせているデイヴィスというのは、レブナンテ伯爵家執事の老爺である。物腰柔らかな人物であったが、穏やかな彼からも、暴言が連発する。

 マティアス達が慌てて廊下に出ると、●●とデイヴィスは苛烈な肉弾戦を展開していた。●●など、ドレスでは動きにくかろうに、デイヴィスの急所を的確にかつ素早い動きで狙っている。
 どちらもとても、老人と少女の動きではない。


「アライグマの理由が分かった気がする……」

「ティアナ?」

「アライグマってね、大人になると気性が荒くなっちゃうの。猟犬も噛み殺しちゃうこともあるんだって」


 成る程、と納得するマティアスとアルフレート。

 確かに、そう考えれば確かにアライグマだ。可憐な姫君然とした姿や声と裏腹に、どんな無法者も怖じ気付いて道を譲ってしまいそうな恐ろしい気迫。
 多重人格ではないかと疑ってしまう程に、正反対だ。

 止める隙の無い二人をただ黙って傍観していると、アリアが動いた。

 静かに廊下で罵り合う身分も年齢もだいぶ差のある男女を眺めていた彼女は、ふと何処からともなくボウガンを取り出した。


「え、ちょっと、」

「●●様。アリアも助太刀致します」

「ええ!?」


 彼女のボウガンは、迷い無くデイヴィスに向けられている。
 彼に狙いを定め――――放つ。

 デイヴィスはその場から跳び退いた。一瞬遅ければ矢は確実に心臓を射抜いていただろう。

 デイヴィスは舌打ちし、アリアに怒鳴った。


「アリアァァァァッ!! 今本気で俺の命狙いやがったな!?」

「自分は●●様の忠実なる僕(しもべ)です」

「ん な こ と 聞 い て ね え ん だ よ!!」

「●●様の忠実なる僕なればこそ……●●様に不快感を与える不埒者は、誰であろうと万死。何度でも殺す所存」

「あーそうだったなあ伯爵に対しても躊躇無く爆弾投げて涼しい顔してやがったなクソガキめ!!」


 主人至上主義のアリアの参加によって二人の拳闘は更に激化する。

 それに待ったをかける程の度胸は、残念ながらファザーンの誰にも無い。……ただ一人、彼らの動きに感心しているアルフレートを除いて。


「凄いな。さすがはルナールに並ぶ者無しとまで謳(うた)われた武勇のレブナンテ伯爵の右腕とご息女……聞きしに勝る気迫と体捌(さば)きだ」

「止められるか? アルフレート」


 問われたアルフレートは、二人の応酬を見、隻眼を細めた。


「レブナンテ伯爵家は、武術に関して一切妥協を許さない家だ。部下のデイヴィス殿やアリア殿は勿論、一人娘の●●殿もその例に漏れないだろう。オレのような未熟者では三人を宥めることは難しいかもしれない」

「……そうか」

「どうしよう……マティアス。このままじゃ、」

「ご安心下さい」


 アリアが口を挟んだ。ボウガンは下を向き、もうデイヴィスを狙うことは無いようだ。
 女とは思えないごつごつの身体と繋ぐ太い首にちょこんと載る小さな頭は、どうにも異様だ。なまじ綺麗な面立ちをしているだけに、不気味とも言える。……失礼なので、絶対に口にはしない。


「スタミナに関してはお若い●●様が圧倒的に上です。じきにデイヴィス様が力尽きて鎮まります。それ以後は、部屋でデイヴィス様に●●様へご説明いただきます。我らの部屋は、何処でしょう」

「部下に案内させる。●●殿の部屋を、アリア殿とデイヴィス殿で挟むように用意させてもらったが」

「出来れば自分は●●様と同室に。我らに恩情をかけて下さった方の居城で過ごすことに心配は全くありませんが、昔からずっとそのように過ごしておりますので」

「分かった。ではそのように指示を出しておこう」


 アリアは深々と一礼した。

 ●●とデイヴィスの拳闘が、アリアの言う通りデイヴィスの体力切れで決着が付いたのは、それからすぐのことだった。



‡‡‡




 先の一件で、家の印象を守る為に猫を被る必要は無くなった。
 ●●はソファの上に胡座を掻いて腕を組み、唇を歪めた。後頭部を掻き、舌を打つ。


「……成る程な。私をキレさせてファザーンに素を見せる意図があった訳か」

「隠し立てして縁談を進めちまったら、後々問題になるからなあ」


 小さく頷き、●●は吐息を漏らす。


「だな。……謀(たばか)られたのはまだ気に食わねえが、私の所為で家が窮地になる方がもっと気に食わねえ」

「そう仰ると思ってましだぜ、お嬢」

「親父は縁談以外に誠意を見せる方法、考えてんのか?」

「候補が幾つか。ファザーンとの話し合いで完全に決まるだろ」

「そっか。じゃあ破談になっても問題は無えな」


 あちらが誰と結婚させるつもりだったのか分からないが、大暴れした●●を見ればそんな気は一気に失せたに決まっている。
 破談になっても双方問題にならないとなれば、●●があれこれ気を遣って素を隠す必要は無い訳だ。

 ファザーンで過ごすのは二週間。
 その間はどうやって過ごすか、●●は思考を切り替えた。

 ここまで雪深い土地は初めてだ。城下を歩き回ってみようかとアリアに提案してみる。

 アリアはすぐに頷いた。その目はきらきらと輝いており、彼女も雪国に好奇心を擽(くすぐ)られているようだ。
 武一辺倒と思われがちなアリアだが、こう見えて芸術に明るい。美しい物、風景にはとにかく目が無い。一応は●●の私室の隣に与えられている彼女の部屋には美術品が数多く展示されているくらいだ。
 滅多に見られない銀世界の中を歩いてやれば、アリアはさぞ楽しかろう。
 ●●は指を鳴らして予定を決定した。


「んじゃ、王様にはそう言っといて。あ、護衛要らないから。気の向くまま城下町の中適当に歩くし」

「いや、一人ぐらい付けてもらった方が良いだろ」

「何で」


 不満を露わにするとデイヴィスが肩をすくめ「人間誰しも、腹の底までは分からんもんさ」と。
 確かにそうだ。
 ルナールの伯爵家、しかも武に秀で国が手を焼く無法者を見事に束ねた人間の一人娘が城下で好き勝手歩き回っていれば、ファザーンからすれば、そりゃあ気に食わないだろう。

 敢えてこちらからファザーンの監視を付けさせておいた方が、身の潔白を示すことにもなる。

 デイヴィスの提案を●●は受け入れた。


「デイヴィス、頼むぜ」

「おうよ。お嬢はアリアと一緒に異国の街並みを楽しんできな。ルナールとファザーンじゃあ建築様式にも違いがあるからな。アリアにとっちゃパラダイスだろうて。……ああ、確か、美術館もどっかにあるらしいから、案内を頼みな」


 アリアが即座に●●を見る。

 ●●は「良いぜ」笑顔で頷いた。

 もしアリアに犬の尻尾が生えていたら、千切れんばかりに振れていたであろう。


「よーっし。今日はこのまま休もうぜ」

「風邪引くなよ、お嬢、アリア」

「そりゃこっちの科白だ、爺」

「ガキが生意気言いおる」


 デイヴィスは口角をつり上げながら、深々と頭を下げた。



‡‡‡




「ちょっと、本当に良いんスか」


 監視役とは言わず、兵士か誰かに案内をして欲しいとデイヴィスがマティアスに頼んだところ、何故かマティアスの腹違いの弟アルフレートが抜擢された。

 いや、さすがに国の要人に同行されるのは如何なものか。

 素を隠す必要無しと判断した●●は、最低限の敬意は払いつつ、問いかけた。


「私ら名所観光とかじゃなくて、マジで気の向くまま自由に歩き回るつもりでしたし……アルフレート殿下は美術館とか縁遠いんじゃ?」

「確かにそうだが、人並みに美術品を楽しむくらいは、出来ると思う」

「はあ……そッスか……」


 そう言う風には見えない、とは、●●の個人的な印象である。
 ●●は目を細めた。

 ファザーン王室のアルフレートは、マティアスへの服従を前々から示し軍部に通じた男であると聞く。彼がファザーン兵士の鍛錬、軍の一切を担っているのは、王位継承権を王子自ら放棄しているとの意思表示もなるが、先の騒動では彼の母親の一族も共謀していた。
 一族は厳罰に処されたが、終始マティアスの側だったアルフレートのみがお咎め無しという結末だったと、間諜の報告にある。
 それに関して本人が何を感じているのか……●●に察することは出来ない。
 ややもすれば、ルナールが唆(そそのか)したと、こちらにも良い感情は抱いていないかもしれない。

 完全に傍観者だったことが、必ずしも良いように捉えられてばかりではないことは、政に参加することの無い●●にも分かる。

 ●●の中で、ふと生まれた疑惑が膨らむ。
 たかだか城下をぶらつく女二人――――しかも片方は伯爵家の一人娘だとは到底思えない激しい喧嘩を見せた気性の荒い暴力娘なのだ――――の案内(かんし)役に兵士ではなく階級の高い……と言うか王族をあてがうなど、本当にこちらを手厚くもてなすつもりでいるのか、それとも別の意図が……。

 ……なんて、考えすぎだろうか。
 レブナンテ家に対し、ファザーンは寛大な処置ばかりだった。ルナールの上流階級の家の中で最も好待遇と言っても良い程。
 それがファザーンのレブナンテ伯爵家に対する信頼の証だとするなら、これも別段気にすることでもないのかもしれない。
 だが、父や臣下に気を遣って政から離れた状態を自ら維持する●●はそれの全てを知らぬ。知らぬから、どうも勘ぐってしまうのだろうと自覚している。
 帰ったら、両親に訊いてみたらこれも要らぬ杞憂だと解消するかもしれない。

 一応、アリアにもこの男の気分を害することが無いように言っておくか。

 縁談破談以外に、面倒な問題を作って戻ったらお袋に何をされるか分かったものじゃない。
 つい、母の度を超した《お仕置き》を思い出し、●●はぶるりと身震いした。母の恐怖は、誰もが完全にトラウマとして身に染み着いている。アリアや愛娘●●とて例外ではなかった。


「どうかされたか」

「……いや、何でもないッス。アリア、美術館は最後に回そうぜ」

「御意」


 従順に頷くアリアは、しかし残念そうだ。
 でも最初から行けば丸一日美術館で過ごすことになりかねない。
 ●●も●●でこの城下を見て回りたいし、アリアだって雪景色の美しさを見たい筈だ。

 美術館に沢山時間を割けるようにするからと言うと、アリアの表情も少しだけ晴れた。


「じゃあ、出発」

「お嬢、チンピラとやり合うなよ。多分弱肉強食が当たり前のこっちのクソガキ共より弱ぇ」

「わーってるって」


 口調こそ荒っぽいが恭(うやうや)しくこうべを垂れるデイヴィスに片手を振り、●●はアリアを後ろに従えて歩き出した。案内役のアルフレートは隣だ。

 ●●もアリアも宣言通り、好き勝手興味が湧いたものに寄って歩いた。店であったり、氷のオブジェであったり、雪合戦して遊ぶ子供達を眺めたりもすれば、アルフレートに気付いた城下の主婦達の井戸端会話に参加してみたり――――子供にも主婦達にもアリアの自慢の筋肉は非常に人気であった――――本当にぶらぶらと気の向くままだった。

 それに対し、アルフレートが不審がっても、面倒そうにもしていないのは、少し怪訝に思う。
 むしろ、●●達の興味を引くものを思いつけば、申し出てそこまで案内してくれる。
 そんな明らかに自然体のアルフレートを見ていると、純粋に案内役として同行してくれているようで、どうも、デイヴィスの配慮も、出立前抱いた疑念も杞憂であったらしいと●●の中で考えが改められていく。

 そうなると、警戒も薄まり、純粋に城下散歩を楽しめるようになった。

 雑貨屋でファザーン伝統の細工物を眺めたり、店主にその歴史を簡単に説明してもらったりしている時、アリアが珍しく他人にも分かるくらいに笑ったのが、とても嬉しかった。
 これなら、美術館でも大層喜んでくれそうだ。

 そう踏んだ●●の期待は、やはり裏切られなかった。


「規模は小さいが、遙か昔に伝わった遠い異国の建築様式を再現して建てられた建物はファザーン国内でも美しいと評判なんだ」

「……でしょうね。アリアの感性にドンピシャっぽいッス」


 口を半開きにして美術館の外観を凝視する部下を見やり、●●はくすりと笑う。
 美術館の客や学芸員がアリアの異常な体格の良さにぎょっと見てくるが、それにすら気付いていない様子だ。

 彼女がここまで夢中になるのも、よく分かる。

 雪が落ちやすい傾斜の急な屋根の建物は、両開きの扉の前にに太い石柱が並び、その装飾には天使や獣、花の彫刻が施されている。窓も微細な飾りが賑やかな彩りを添え、まるで神殿のように荘厳な佇まいでありながら華やかだ。
 びっしり一ミリのズレも無く並べられた石畳を踏んで石柱を通過すると、城の物よりも巨大な扉に彫られた竜が威圧する。竜に剣を向け、背中に姫君を庇う騎士の雄々しさにも気圧されてしまう。
 確かに、外観だけでもここまで拘(こだわ)り尽くされた建物、評判にならない筈がない。


「で、アリア。さっきから何ぶつぶつ言ってんの。この建築様式知ってんの?」

「はい。これは今から三百年前に滅んだ国の貴族の間で主流だった様式です。扉にこのような戦いの絵を飾ることは見る者に騎士としての心構えを示すものであり、これはその中でも騎士の家系に多く見られた絵柄です。この姫君は王家を表し、この竜は強敵を意味します。つまりこの絵は、騎士たる者如何なる敵に襲われようと常に王家の強かなる剣と盾であれと伝えるもので――――」


 話を振った途端、これである。
 早口に解説を始めてしまったアリアに、軽率だったと後悔しても遅い。
 ●●は肩をすくめ、苦笑した。

 興奮状態のアリアが落ち着くまで話を聞いてやり、ようやっと中に入る。
 その後は、もうアリアを止められない。
 その熱の上がりように自分では付き合いきれないと判断した●●はすぐに学芸員を呼び、アリアに案内を頼んだ。気が合いそうな人物を選んだから、二人はすぐに話に夢中になり、美術館を二人だけで回り出した。●●のことも勿論気にしたが、アルフレートとゆっくり回ると伝えれば、アルフレートに深々と一礼して急いで展示品へ近付いた。

 正直、アリアがここまで夢中になるとは予想外であった。


「甘く見てたぜ、ファザーンの美術館の魔力……」

「オレはあまり来る方ではないが、美術館にであそこまで我を忘れる者も、珍しいな」

「あの子の芸術マニアは筋金入りッスからー……まあ、あれ私の所為なんスけど」

「そうなのか?」


 ●●はアリアを見つめたまま首肯する。


「孤児で屋敷の周りを彷徨いていたのを私が拾ったんスよ。それで、私が住んでた屋敷が父が集めた骨董品だらけで、管理してるマニアな部下に色々教えてもらううちにそいつの情熱が感染したらしくて」


 好きなことが無いよりはましなんスけど。
 ●●が目を細めて微笑むと、アルフレートはふと思いついたように問いかけてくる。


「●●殿は、何が趣味なんだ?」

「趣味? 昆虫採集」


 あ、やっぱり驚いた。
 慣れっこな●●は肩をすくめた。


「昆虫採集……」

「女のくせにって?」

「いや、純粋に驚いた。動物好きの女性は知っているが……昆虫を好むのは男ばかりだと」

「こういう変な奴もいるんスよ。私に比べたら、アリアの方が女として健全な趣味ッスよねぇ」


 はは、と笑い飛ばす。
 しかしアルフレートは静かに「いや」首を横に振った。


「何かを好きだという気持ちは、尊いものだ。十人十色とも言うのだから、昆虫を好きだと言う女性がいても恥じることでも辱められることでもないと、オレは思う」

「……は、はあ……」


 真面目な返答に、調子が狂う。
 ●●の周りの男と言えば、基本的に気性の荒いがさつ者ばかりだったから、マティアスやアルフレートのうような男相手では少々やりづらい。

 まさか笑われるばかりの趣味が異国の王族に真面目に肯定されるとは思わなくて、●●は唇を歪めた。


「……そうだ。ここは確か、学芸員専用の別館に昆虫の標本が保存してある筈だ。ファザーンの固有種もいるから、見てみないか」


 それは興味深い申し出だが……。


「でも学芸員専用なんスよね?」

「ここの学芸員の一人が、部下の奥方なんだ。彼女に頼めば、きっと閲覧させてくれる」

「あー……じゃあ、お願いします。アリアに一言言ってくるんで」

「ああ」


 夢中になっているアリアだったが、●●がアリアの同伴無しに建物の外に出るのに渋面を作った。
 だが別館は渡り廊下で繋がっているし、アリアと気が合った学芸員が一通り見た後に一緒に別館に行けば良いと提案してくれて、ひとまずは了承してくれた。さすがに、身体以外は●●よりも女らしいアリアを女受けしない趣味に付き合わせるのは気が引ける。

 アルフレートはその間に近くの学芸員にアルフレートと顔見知りという同僚の女性を呼び出してもらえるよう頼んでくれたようで、戻ってきてそのまま美術館を出た。
 別館は、正面の景観を壊さぬよう、美術館本館の真後ろに建てられている。

 アルフレートと共に別館へ向けて歩いていると、ふと、男の怒鳴り声が聞こえてきた。
 次いで、負けじと怒鳴り返しているらしい子供の声。
 後者に●●は反応、声のした方向にがたいの良い男と小さな男児が母を庇って向かい合っているのを認めた途端、アルフレートに短い謝罪をかけて走り出した。

 母親の悲鳴が上がる。
 男が男児に太い手を伸ばしたからだ。

 ●●は舌を打ち、数メートル手前で跳躍した。


「何しとんじゃワレェェェ!!」

「あ? ごぼぶぅぅっ!?」


 こちらを見た瞬間に●●の跳び蹴りが脇腹に埋まる。
 男の身体は見事に吹っ飛んだ。

 唖然とする親子の前でドレスの裾をはたき、腕を組む●●は大股に男に歩み寄り、


「って……めぇぇっ! 何しやが」

「あ゛あ!?」

「ひぃっ」


 眼光一つで男を戦(おのの)かせた。

 ●●は彼の前にしゃがみ込み、盗賊顔負けの悪い顔を浮かべた。
 この笑顔を向けられて威勢を保っていられるのは、故郷でも両親やデイヴィス、アリアくらいのものである。
 小さな手で大きな頭を掴み、ゆぅらゆぅら左右に揺らす。


「おう兄ちゃん……弱いもん脅かして優越感浸るっつうのはなあ、雑魚のすることなんだよ。てめぇみてぇな底辺の破落戸(ごろつき)が、私、大っ嫌いでよぉ……」

「……っ」

「●●●●(良家の令嬢として非常によろしくない発言である為伏せさせていただく)●●●●?」


 物騒な言葉を聞いた男は青ざめぶるぶるとかぶりを振った。

 ●●は口角をもっとつり上げ、


「――――嫌なら最初からやんなボケエェェッ!!」


 頭から離した手で胸座を掴み、片手で持ち上げ雪まみれの植え込みめがけて放り投げた。

 萎縮しきった男の情けない悲鳴が震えながら遠ざかっていく。
 ずぼっと音がして腰から足先までが植え込みから突き出した何ともダサい格好となってしまった。

 ●●は手をはたき、茫然としている親子に歩み寄った。

 母親に手を差し伸べる。


「あんた、大丈夫? 立てる?」

「へ? ……あっ、は、はい!」


 ●●の手を借りて、母親は立ち上がる。
 服に付いた土を払ってやり、次は男児だ。

 男児に対しては、まず拳骨を落とした。

 一応手加減はしているだろうが、男児はみるみる泣きそうに顔を歪めていく。


「う……うあ……っ」

「おい坊主。お前は馬鹿か」

「あ、あの……っ」


 母親が止めようとしたのを、片手で制す。


「あの男相手に今の坊主がお袋さん守れる訳ないだろ。弱いガキは無謀なことして親悲しませる前に、周りの大人に助け求めろ。その方が確実にお袋さん守れる」


 拳骨を落とした男児の頭を、今度は優しく撫でてやる。
 しゃがみ込み、微笑む。


「……けど、その年で怖じ気付かずにお袋さん守ろうと思ったのは、男として見事な心意気だった」

「え……」


 泣きそうになっていた男児は打って変わって優しくなった●●に不思議そうに瞬いた。


「守りたいものがある男は強くなれる。これだけは覚えとけ」

「う、うん……」

「人は成長していきゃあ自然と強くなる。ガキのうちは黙って大人に守られてろ。身の丈に合わない無茶はすんな、良いな? 坊主」

「うん」


 ●●の手ががしがしと男児の頭を掻き乱し、母親に押しつけた。


「じゃあな、坊主。次会う時があったら強い男になってお袋さんちゃんと守ってろよ」

「うん!」

「あ、ありがとうございました……!」

「大したことじゃねえから」


 片手を振って、アルフレートのもとへ戻る。
 彼は、位置的に一度はこちらに駆け寄ろうとしていたらしいが、●●が丸く収めたところを見て大丈夫だと判断したようだ。


「先程人が衛兵を呼びに行った。すぐに連行されるだろう」

「そッスか。じゃ、あいつそのままでいっか」


 ●●は腕を回して歩き出した。

 その後ろ姿を、アルフレートは感心した様子で少しの間見送り、追いかけた。



‡‡‡




 それからの滞在期間、●●はどうしてか、アルフレートと接する機会が異様に多かった。
 美術館での騒動を知ったデイヴィスに叱られたから、あまり部屋から出なかったのだが、アルフレートが毎日のように●●の部屋を訪問してきた。

 デイヴィスもアリアも不審がっていたが、どうも裏を感じない、●●達と親しくしようという意識が見て取れる為、ただ武に秀でている人間としてレブナンテ家に興味を持っているだけだろうと三人は認識していた。

――――のだが。

 どうも、これはファザーンの方で、レブナンテの三人の誰にとっても予想外な事態になっていたらしい。

 明らかになったのは、ルナールへ帰る出立の日の朝のことである。
 別れの挨拶をしようとマティアスに謁見した●●は、顎を落とした。


「……はい? あの、すんません。今私耳が馬鹿になったっぽいんで、もう一度お願い出来ますか」

「ああ。縁談の件だが、暫し保留ということにしたいと、レブナンテ伯爵に伝えて欲しい」

「いや……あの、破談じゃなくて、保留? マジで……?」

「ああ。ちなみに、こちらで用意したあなたの夫となる者は、アルフレートだ」

「……へーえー……」


 ●●は口端をひきつらせた。
 アルフレートを見やると、彼は一礼し、微笑んだ。

 いや、何で保留になったんだ。
 破談になるだろ普通。
 こんな自他共に認める危険暴力女を娶って良いと思える奴がいるか!? ここにいたけど!
 予想外の事態である。

 デイヴィスを振り返ると、彼も相当驚いている。アリアも不審そうにマティアスを見上げている。


「えーと……何で、保留になったか訊いても?」

「アルフレートに●●殿と過ごさせて、本人に判断を委ねた結果だ。アルフレートがあなたに好感を抱いた為、保留となった」

「……」


 あ、だからやたら接触してきてたのか。

 ……。

 ……。

 いやだからと言って有り得ねーだろー……。
 あの王子は一体何処に好感を抱いたんだ。
 私どんな性癖持ってる男だろうが娶れる女じゃねえのに。

 もう一度デイヴィスを振り返ると、●●と同じことを考えていると分かる顔をしていた。だよな、口の動きだけで言うと、お嬢この男に何した? と同様に返ってきたので身振りで分からないことを伝えた。

 マティアスの言葉は、続く。


「ということで、来月はアルフレートをそちらにやろうと思う」

「は?」

「我らにとっては慣れぬ土地だ、弟をよろしく頼む。これも伯爵に伝えてくれ」

「え、ちょ……ええぇぇ〜……っ」


 何それ。
 どういうことッスかそれ。
 ●●は、脱力するしか無かった。

 破断してくれた方が、楽だったのに。
 心の中で、ぼやく……。



○●○

 ノリです。
 全部むしゃくしゃして書きました。
 夢主とデイヴィスとの掛け合いはとてもすっきりしました。



.



- 66 -


[*前] | [次#]

ページ:66/88