‡‡‡




――――生きている。
 私は現実なのか暫く信じられなかった。

 目が覚めてみると私は下半身を土砂に喰われているような形で、土砂崩れがあった斜面とは反対のそれに寄りかかっていた。
 緩やかな坂だったからだろうか。土砂の所為で動かない足に鈍い痛みがある以外は、上半身に少し深めの裂傷や打ち身、細い枝が浅く刺さっているくらいで済んでいる。
 顔も、上半身程酷い怪我が無い。残るような傷を作れば嫁げない女確定だったのにと残念に思うくらいには、目覚めた私には余裕があった。

 雨は止んでいるが、黒い雲は未だ空を覆っている。
 私はどれくらい気を失っていたのだろうか。
 家を出た時間、小屋に着くまでの時間、小屋の中にいた時間、小屋からここに至るまでの時間を大凡(おおよそ)で考えても、早く見積もっても多分夕方だ。

 このまま日が暮れるのを待つ訳にはいかない。
 私は何とか抜け出せないかと、両手で土砂を掘った。丁度臍(へそ)の当たりから埋まっているから、頑張れば抜け出せる筈だ。
 ただ心配なのは足が折れている可能性があること。
 程度によるけれど歩けない状態だと村に帰れるか分からない。


「何にせよ、まずはここから出なければね」


 生きているだけでも有り難い。
 そう思うようにして、私は無心に土砂を掘り続けた。
 今頃、両親は私がいないことに気付いて心配しているだろうか。翠宝の手紙は隠しておいたから見られることは無いだろう。
 早く帰って誤魔化さないといけない。

 私はそのままずっと手を動かし続けた。
 冷静なのは川から離れ、雨が降っていないからだろう。水への恐怖が薄れるだけで思考はこうも変わる。恐怖を後に引きずらないのは正直有り難い。元々色んな人から逞(たくま)しいと揶揄されていた自分の女らしからぬ部分がここで役に立っている。
 水が無ければ良いのだ。水が無ければ。

 雨が降り出せばまた恐怖に邪魔されるだろうから、私は出来るだけ急いだ。

 爪が割れても、枝が刺さっても、土砂から抜け出して家に帰る為に、手を土砂に突き刺し掻き分ける。

 そして、膝が見えてきて、無理矢理に土砂から這い出た。
 土砂の上に座り込んで足の状態を見る。
 痛みは足全体に広がっている。泥で汚れた裳の裾を捲り上げて確認すると、右足の臑が真っ赤に膨れ上がっている。

 立ち上がってみようとするけれど、足の痛みが増してしまうだけで上手く力が入らず、歩ける見込みが無い。
 可能性だけで、済ませてはくれなかったようだ。
 無理だと分かるとどっと疲労感が押し寄せて、やる気が一気に失せた。

 村の人達が捜しに来てくれるまで待つしか無いのかしら。

 私は、溜息を禁じ得なかった。


「翠宝、ちゃんと帰れたかしら……」


 吐息と一緒に、呟いた。

 取り敢えず、骨折部分の応急処置が出来ないか土砂を引っ掻き回してみることにする。



‡‡‡




「……○○殿」


 呆れ返った声が聞こえた時、私は土砂から引っ張り出した蔦で添え木を固定していた。
 泥と血で汚れた手を見、彼は土砂の上に登ってきた。

 私は、驚いた。


「諸葛亮様ではありませんか。何故ここに?」


 正直、人が現れてほっとしてもいる。
 だけどそれを押し隠して問いかけると、諸葛亮様は顔をしかめる。不機嫌になった彼は私の足を見て大仰に嘆息した。


「あなたという方は……無茶という言葉をご存じですか」


 刺々しい言葉を私にかけて、私の足の状態を診始めた。


「骨にヒビが入っているだけです」

「このように腫れていては『だけ』で済む訳がないでしょう。手も酷く傷ついて……」

「ああ、これは抜け出す為に土砂を掻き分けたからです。大した怪我ではありません」

「大した怪我ばかりです」


 諸葛亮様は語気強く断じ、私の横へと移動する。
 何をするのかと思えば背中と膝の裏に手を差し込み、ぐっと上に力を込めた。
 突然の浮遊感に「ひっ」と悲鳴を上げ、咄嗟に諸葛亮様にしがみつこうとして寸前で止めた。


「な、何……っ!」

「このまま村まで運びます」

「運ぶ!?」


 それはさすがに恥ずかしいと嫌がると、諸葛亮様の機嫌が更に悪くなった。


「まさかご自分で歩くおつもりで?」

「え? いえ、さすがにそれは……ただ助けに来て下さった村の人に背負っていただこうと思っていはいました。ですから、あの、これはちょっと……」

「お断りします」


 即答された。
 諸葛亮様は私を下ろして背負うなんてことはせず、そのまま村への道を戻ってしまった。私が何を言っても、彼は耳も貸しては下さらない。
 かと思えば、


「っ!?」


 諸葛亮様が唐突に腕の力を抜いたのだ。
 反射的に腕を首に回して抱きついた。
 はっとして離れようとすると耳元で諸葛亮様が制止する。


「そのままで。しがみつかれていた方が楽です」

「あ、あの……でも、」

「私も、それ程力がある訳ではありませんので」


 その割にしっかりと抱えられていらっしゃいますけれど。
 また離れようとすると止められてしまうので、私はやむなくしがみつき諸葛亮様の呼吸音を間近に聞きながら、とても落ち着かない帰路に就いた。

 異性にこんな風に抱き上げられて、間近に顔があるなんて、初めてのこと。
 数日前に川で諸葛亮様と密着した時以上に落ち着かない。怖い訳でもないのに心臓がばくばくと騒がしい。
 私は息を張り詰めてぎゅっと目を瞑って、村に早く到着することを祈った。


 なのに、諸葛亮様が小さく笑うのだ。


「な、何ですか……」

「いえ、何でもありません。ただ……女性らしい一面もあるのだなと」

「え……っ?」


 私はぎょっとした。

 諸葛亮様は微笑を浮かべて、何も言わずに進んだ。

 いや、違う。
 私は意識なんてしていない。
 意識なんてしていない。
 そんな訳がないわ。
 私は自分の中で否定を繰り返した。

 その間に、村には到着していて。

 心配して村の皆とあちこち走り回っていたらしい両親は真っ先に駆けつけて、私の姿に青ざめた。

 諸葛亮様が私の状態を詳しく話して落ち着かせてくれたけれど、傷が癒えるまでは絶対に家から出てはいけないとお父様に叱りつけられた。
 それだけならまだ良かったのに、何故かその間諸葛亮様が家に滞在して私の看病をするなんて言い出して、私は強く強く拒絶した。

 私の慌てた様子に両親は驚き、諸葛亮様は訳知り顔で笑っていた。まさか異性を意識しているなんて思われているなんて信じたくない。これじゃあお父様の思う壺じゃないか。

 結局私を心配してくれる両親には勝てず、私が折れることになった。

 諸葛亮様に抱き上げられたまま家に戻る姿を村の皆に見られたのが、恥ずかしくて恥ずかしくて死にそうだった。

 でも彼らの中に混じって、翠宝が泣きそうな顔をして立っていたのに心からほっとした。
 今すぐにでも飛びつきに行きたいけれど、私が身動ぎしたのに諸葛亮様が反応した。
 動くなと怒られるかと思ったけれど、


「今はお止めなさい。彼女にも整理する時間は必要でしょう」


 囁かれ私は仰天した。
 翠宝が私にしたことを知っている!?
 私は青ざめた。

 それに、


「あなた方の問題でしょうから、誰かに言うつもりはありません」

「……、あ……ありがとう、ございます……」


 小声で言うと、諸葛亮様は小さく首を左右に振り、私を私室へと運んでくれた。

 その後、私の身体中の傷を見たお母様が悲鳴を上げて私に長時間の説教をしたのは、言うまでもない。
 一番耳が痛かったのは、未婚の女が身体に傷を作るなという話だった。
 諸葛亮様がいる前で長々と話されて、しかも諸葛亮様が「私は構いませんので」とお母様を宥めに入るのが、私は恥ずかしくてたまらなくて死にそうだった。

 それでも私は、決して諸葛亮様を異性として意識していないと信じたい。



‡‡‡




 一ヶ月の強制安静期間を終えて傷が癒えた翌日、私は誰にも言わずにこっそりと家を抜け出した。
 翠宝に会いに行って無事だったかどうか確かめる為だ。
 それに、翠宝には謝らなければならない。謝ってどうにかなる問題ではないけれど、謝りたかった。

 お父様には翠宝のことを相談した。お父様も私の幼馴染だからと翠宝を可愛がってくれていたから、力になってくれると約束してくれた。だから、きっとどうにか出来る筈だ。私に出来ることがあるなら協力する。
 そのことも伝えに行かなくてはと、私の足も自然と早足になる。


「彼女のもとへ行かれるのですか」

「ひっ!」


 ふと聞こえた声に悲鳴が上がる。
 足を止めてそちらを向くと、諸葛亮様が待ち受けていたかのように腕組みして家屋の影に立っている。

 諸葛亮様と一緒に過ごせば過ごす程、逃げ出したい気持ちが強くなっていく。
 逃げ腰になって数歩距離を開ける私に諸葛亮様は無理に近付こうとはしなかった。ただ、いつも通りの凛々しい顔の下で何を考えているのか……不安になる。


「い、行きます。友人ですから……」

「ならば礼の言葉も彼女へ。先にあなたを助けに行こうとしたのはあの娘です」


 私は瞠目した。


「翠宝が?」

「あなたがいないと村で騒ぎになった時、水に恐怖心のある○○殿が危険な川に行く筈がない誰もが言う中、あの娘が取り乱した様子で森の方へ行こうとしていたのを呼び止めて、事情を聞きました。それ故、私があなたのもとへ」


 翠宝……私を助けようとしてくれたのね。
 やっぱり、とても優しい子。彼女を嫌いになれる筈がない。
 私の心は浮き立った。翠宝が私を嫌っているのではないかと、不安だったのだ。助けようとしてくれたことが、とても嬉しかった。
 私は諸葛亮様に頭を下げた。


「教えて下さって、ありがとうございます。私、急ぎます!」

「……ええ」


 何故か、諸葛亮様は一瞬驚いた。


「何か?」

「いえ……○○殿が私に笑いかけるのは初めてでしたから」

「え……」


 ……言われてみれば、そうだったかもしれない。
 自分でも、彼に対しては仏頂面だった記憶ばかりだ。
 無性に、恥ずかしくなってきた。
 私は俯き早口に謝罪した。


「こ、これはお見苦しいものをお見せしてしまい申し訳ありません」

「いえ。あなたは笑われる姿の方が一層好ましい」


 外を歩かれるならまだ身体が本調子でないことを忘れずに。
 彼は顔を逸らしたまま話も逸らした。私に釘を刺し、背を向けた。

 私も彼から顔を背け、頬を両手で押さえた。熱い。


「……ち、違うわ、きっと……これは違うのよ」


 『一層好ましい』なんて言い方……きっと意味は無いわ。
 私は不美人。誰も娶ろうなんて考えない女なんだから。
 私もあの人を意識なんてしていないのよ。

 ああもう、全身が熱くて熱くて仕方がない……!
 私は振り切りたくて、その場から全力で翠宝の家へと走った。

 そこで息も絶え絶えになった私は、今度は翠宝に説教をされる羽目になるのだった。



●○●

 始めこそくっつける気で書いたのに、こんなに長くなっておいて夢主がやっと意識し始めて終わったのは何故だ……。

 しかも最初から最後まで諸葛亮が夢主をどう思ってるのか分からないですね、これ。しかもキャラが迷子になってる気がします。

 ……続くかも。


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