どすどすと簀の子を歩いてくる源は、姫君を見るなりうっと息を詰まらせ足を止めた。

 その様子に、姫君は何を思われたのか。
 一瞬足を止めたかと思うと、ずいっと実兄に詰め寄った。
 大男が、小さな娘に気圧され仰け反る姿は、なかなか面白い。
 思わず笑ってしまう。勿論、二人に気付かれぬように、だ。


「……お兄様。お約束のものはお持ちいただけましたか?」

「頼子……い、いや……それが、だな……」

「お兄様? わたくし、ちゃんとお願い申し上げた筈ですよ」


 源は視線を逸らし弁明しようとしたが、やがて諦めたようだ。
 気まずげに姫君に、懐から取り出した物を差し出した。


「まあ、これは……」

「すまぬ。拙者にはこのくらいしか、思いつかなかったのだ」

「……」


 姫君は沈黙した。

 源は、後ろに数歩逃げた。


「……仕方ありませんね。お兄様。これをお持ち下さいまし」


 そう言って彼の手に持たせたのは私の本体だ。
 それだと気付いた源は困惑を見せる。


「これは……いや、拙者は、」

「この鏡を持って、外に出掛けて下さいな。でも鏡は絶対に今日中にお返し下さいね」


 姫君は拒否を許さず源に言う。

 実兄は妹の気迫に圧し負けてしまったようだ。
 鏡を見下ろし、複雑そうな顔をして私を、そして姫君を見た。

 私は、どう言うことなのかさっぱり分からない。


「……わ、分かった」

「それで良いんです。○○。お兄様が外の世界を見せて下さるそうです」

「外の世界を……?」


 私が首を傾げると、私の声が聞こえる源が、


「その……前に、言っていただろう。外の、賑やかな人々の往来が見てみたい、と」


 ……ああ、確かに、言った。
 だがそれは連れて行けと願うつもりで言った言葉ではない。ただ、姫様が見てみたいと仰っていたから、ほんの少しだけ興味があっただけのことなのだ。
 まさかそこまで本気にされていたとは思わなかった。


「……源。人でない私になぞ、気を遣わずとも良い。私はただの付喪神故」


 新しい主の手に渡り、名前を貰い、姫様が私の中に息づいていると分かった、それだけで良い。
 それ以上のことを私は彼らに望むまい。
 私は二人に背を向け、源にその意思を示す。

 すると、源は私の意思を違えずに姫君に伝える。彼が残念そうな声音をしているのが、不思議だ。

 私が強く望んでいないことを知った姫君も、とても残念そうだ。源に鏡を渡したまま、では中で話しましょうと私の脇を通過する。
 私もそれを追おうとした。

 だが、源に呼び止められる。


「○○殿」

「毎度同じ言葉を言わせるな。私は人ではない。従って私にそのような敬称をつける必要は無い」

「いや……こればかりは、拙者が慣れぬだけだ。付喪神と言えど、見た目は姫となれば……」

「お前、女性(にょしょう)に化けたアヤカシに簡単に骨抜きにされそうだな」


 源は「な……」口を半開きにして固まった。が、すぐにそんなことは無いと否定する。


「さて、どうだかな」

「アヤカシとあなたは違うのだろう。ならば、同列に扱いなどしない」

「はて、アヤカシと同じであると和泉に警戒しろと諫めたのは何処の誰だったか」


 私が姫君に贈られるその直前までのことを持ち出せば、源は黙り込む。
 そう、恐らくは姫君に贈られた後も暫くこの男は私を警戒していた。
 それがどうしてか、今、私にこのように気を遣う。何とも解せぬ男である。


「それで、何の用だ」

「あ……ああ……」


 源は私の言葉にはっとして、懐から何かを取り出した。

 差し出されたそれは、花だ。
 何の花かは分からない。花は全くと言って良い程、私は種類を知らぬ。数えきれぬ花弁が密集した黄色の花が三輪、紙縒(こより)で束ねてあった。
 それが、何だ。

 訝(いぶか)って源を見上げると、


「外の世界を見せるという話になったのだが……拙者には、これしか用意出来ず……」

「……」


 私は花をじっと見つめ、手を伸ばした。
 摘んで顔の側に寄せる。


「これが花か」

「ああ」

「そうか。姫様の絵巻物に書いてあった物しか見たことが無かった。これが花と言うものか」


 姫様は、これも直に見たいと言っていた。
 それなら庭に出れば良かろうに……と思わないでもなかったが、姫様は良く整えられた庭には全く興味を持たなかった。
 植物の自然な姿を見たいと言っていた。
 姫様は作られた邸(やしき)の中よりも、外の世界に憧れていたのだ。

 これを見せたら、きっと姫様は喜んだことだろう。

 そう思うと、私も嬉しくなってきて、思わず笑みがこぼれた。


「感謝する、源」

「……」

「源?」


 反応が無い。何故か顔が赤いし、目を剥いて私を凝視している。
 気味が悪くて何度か呼ぶと、源はようやっと我に返った。すると更に真っ赤になって――――脆弱な人間は、斯様(かよう)に赤くなって命は大丈夫なのか――――慌てて首を左右に振る。


「い、いやっ! な、何でもない……気にしないでくれ」

「気にはしていない。ただ気味が悪いだけだ」

「……気味が、悪い……」

「ああ、気味が悪い。気味の悪い真似をして姫君を待たせるな」


 私は源に言い、背後に回って背中を押した。鏡が動いてくれなければ、私は姫君のもとへ戻れない。
 手が触れた瞬間に源の身体は大きく震えたが、私は構わず力の限り源を押して無理矢理進ませた。

 ようやっと戻った部屋で、姫君は呆れたように源を見た。

 妹の視線を受け、肩を落とした源の、なんと情けないこと。
 これの何処が、女性のアヤカシに惑わされぬと言うのか……。
 私は姫君の側に座り、溜息をついた。

 途端、更に源の肩が下がったように見える。



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