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あれから、何度も不味い飯を食いに飯店に通っている自分がいる。
どうも、中毒性があるというのは本当らしい。
尤(もっと)も、それは料理でなく、店主の姉弟なのだけれども。
あの山賊に育てられながら快活で直向きな姿は、とても好ましい。
○○は、料理の腕こそ地を這うが、問われれば山賊時代の武勇伝を自慢げに話すなど、裏表の無いあっけらかんとした性格は、ついついこちらも心を許してしまう。一体何度、己が公孫賛に仕える武将であると、うっかり漏らしてしまいそうになったか。
客と店主の友好的な関係を崩したくなくて、趙雲は『子龍』と名を偽り、己の素性をひた隠す。
知られてしまったら○○に警戒され、出入りを拒絶されるのではないか、不安に思った。彼女の性格を考えるに、杞憂だろうが……もしも、が趙雲の口を閉じさせる。
「常連皆に言えることっすけど、子龍さんも、大概強いっすよねー」
店主姉弟ともすっかり打ち解けて、食事中に王玲と談笑することも増えた。
○○はほとんど厨房から出ないので、ままに出てきた時に挨拶を交わすのみだが、初めに来た時よりも気安くなったように思う。
今日も、厨房で調理する○○を眺めながら、王玲と話をする。
「三日に一回は必ずここで姉ちゃんの料理食ってくとか。初めて来た時、倒れたじゃん」
「ああ……あれは、だいぶ強烈だったからな。今では慣れてしまったよ」
「ここで働いていて、慣れの恐ろしさを痛感したの何度目だっけ」
王玲はぼやき、肩をすくめる。別の客に呼ばれて机を離れた。
王姉弟は愛想が良い。常連の中は皆料理はおまけで、この姉弟に会いに店を訪れている。蓉爺と呼ばれ慕われるあの翁もそうだし、自分も、そうだ。
厨房で汗を拭う○○を見やり、趙雲は小さく笑った。
直向きに頑張る人間を見守るのも、なかなか悪くない。
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親しい右北平の住民に、川魚を貰った。
趙雲はすぐに、あの反転へ向かった。
だいぶ毒されている。
○○に調理してもらおうと思い立ったのだ。
涼しい気候だとはいえ、生物だからと気も急いて、小走りに坂を上った。
店は、もう閉まっている頃だろうか……。
見えてきた飯店は、やはり閉まっているようだ。
落胆したが、ならばせめて、姉弟に食べてもらおうと扉を叩く。
ガタン、と中から音がして、ようやっと扉が開けられた。
現れた怪訝そうな○○の顔が、拍子抜けしたように弛む。
「ああ……子龍さんか。どうかした?」
「知り合いから川魚を貰ったんだ」
「川魚……それは嬉しいね。ありがとう」
礼にこれで料理を作ってやるよ。
○○は突然の訪問にも関わらず、快く趙雲を招き入れた。
店内奥の机に王玲が突っ伏している。どうやら寝ているらしい。
○○は彼の脇を通過して厨房に入った。
その時一瞬、彼女の影に隠れた何かを見たような気がした。が、敢えて見なかったふりをした。
調理道具の奏でる軽快な音と、火に焼かれ踊る食材の音が聞こえ始める。
店内に客は趙雲一人だ。気に入りの店を貸し切ったようで、非常に気分が良い。
○○の姿を見ている間に、王玲は起きた。顔を上げ、寝惚け眼で趙雲を捉えると、暫し間を置いてから大袈裟に驚いた。
「し、子龍さんっ? え、さっきまで弁柁(べんだ)の奴が来てたんじゃ――――」
「いつまで寝惚けてるつもりだよ、玲」
呆れた様子で○○が言う。
王玲はポカンとした。店内をゆっくりと見渡し、顎を落とした。
「あー……。うん、分かった。今までがっつり寝てたのが分かった」
「ああ、涎」
「うっそ!?」
「本当」
口の端を拭い、王玲は大急ぎで厨房に駆け込む。
埃が立つと○○があの大音声で怒鳴りつけた。
○○は舌打ちし調理に戻る。
料理が完成した頃、王玲は戻ってきた。
「ったく……起こしてくれたって良いじゃないっすか?」
「すまない。日頃から疲れているだろうと思ってな。ところで、弁柁というのは? 常連か?」
何気無く問うたつもりだった。
けれども王玲は気まずそうに視線を逸らし、言いにくそうに唇を引き結ぶ。
趙雲の問いに答えたのは、○○であった。
「昔の仲間さ。新しい頭になったから、一応、その挨拶にね」
もうあたしらは関係無いのにさ。
遠い目をしつつ、腕を振るう。
姉を何か言いたげに見た王玲は、不意にぎょっとして厨房に駆け込んだ。
「ばっか!! 姉ちゃん手元! 手元!」
「え? え――――だぁぁあ!?」
「どうした!?」
趙雲は厨房に飛び込んだ。
王玲が掴んだ○○の手には赤い筋が親指の付け根から手首にまで至っていた。まだ、肘に向かって伝い落ちている。
趙雲は慌てて己の袖を引き裂き傷口に押し当てた。
○○がぎょっと腕を引こうとしたのを王玲が止める。
その間に、血を拭い傷の様子を確認する。
何がどうしてそうなったのか。
親指の付け根の側面の肉が綺麗に削がれている。包丁で誤って斬り落としてしまったようだが、包丁を扱っていてこんな傷を作るなんて……素人でも難しいのではないだろうか。
それに、○○本人に痛がる様子が全く見られないのだ。
まるで、痛みを感じていないかのように――――。
「ああもう! 姉ちゃん、気を漫(そぞ)ろにしてるからー! 痛み感じないんだから人より気を付けろって言ってるだろ!? オレが代わってやっぞ!?」
「え……」
「十日振りだろ! それに、大袈裟な怪我でもないしさ」
趙雲は辟易した様子の○○を見下ろし、王玲の言葉を繰り返した。
「○○……お前は痛みを感じないのか」
「そうなんすよ。おまけに味覚も無いから料理にはま全っっ然向いてないってのにこの人やるって聞かないもんで……」
「……」
「あ、これ蓉爺とか、親しい常連さんは知ってるんで。別に隠してることじゃないんすよ」
あの殺人料理を頻繁に食べれる程の器の人間だ、○○の欠点を知ったとて何の非難もあるまい。むしろ、納得し同情を寄せたのではなかろうか。
特にあの翁などはそうだろう。
○○は肩をすくめ、また調理に戻ろうと背を向けた。
それを王玲は慌てふためいて止めた。
「ああ、こらこら姉ちゃん! 料理はオレがやるって! さすがにそんな傷で作業させられねえよ」
「えー……」
「『えー』じゃねえってば! 子龍さん、この人お願いしますよ」
○○の背中を押し、趙雲に強引に押し付ける。
趙雲もそれを拒まず、己の座っていた場所の椅子の隣に座らせた。
○○も観念し、神妙に腰を下ろした。
「無痛ってのは、どうもいけない。気付いたら大事な料理が真っ赤になってるってのもざらでさ」
「それでも、この飯店を?」
○○は頬杖を突き、自嘲するように口角を歪めた。
「味が分からない温度も感触も分からないで、普通は料理人は勤まらないよな」
「いや、責める意図は無かった。ただ、王玲が料理を、お前が接客を担っても良かったのではないか。それなのに何故、と思ってな」
「さあ、何でだろうね」
彼女は、そらとぼけた。
その理由は言えぬのだ。
ならばそれ以上追及すまいと趙雲は話題を変えた。
「しかし、凄い。そんなに不自由しておきながら、それでも料理人として飯店を営むなど……苦労もあっただろうに」
「今でも苦労してるよ。元々料理なんて生まれてこのかた一度もしたことが無いもの」
○○は屈託無く笑い、あっけらかんと言う。
「包丁みたいな小さい刃物には全っ然慣れなくてさー……あたしも玲も頭を使うのも苦手なもんで、金勘定もろくすっぽ出来やしない。赤字がどう赤字なのか分からない。下手すりゃ赤字だって気付きもはしない体たらくさ。あれこれ四苦八苦してはどうにもならずに苛々してばっかだよ。……でも、」
○○は遠き日を思い出すように窓を見やり、焦点の定まらぬ目を細めて微笑んだ。
山賊にいた頃、頭の役に立って喜んでもらえた時と同じくらい、楽しくてねえ。
小さな声で、彼女は言う。
「だからだろうね。慣れないことに焦れったさを覚えても、料理人の座は弟にも絶対に譲れない」
また、屈託の無い笑顔を趙雲に向けた。
趙雲は思わず目を細めた。
彼女の笑みは、邪気が無かった。
○○はそれから、他愛ない世間話に話を変えた。彼女の話題は王玲が料理を持ってくるまで途切れず次から次へと変わっていった。
普段厨房から出ることの少ない○○と、こんなにも長く話したことなど、初めてではないか。
それが、趙雲には新鮮で、とても嬉しかった。
余談であるが、香り良い王玲の料理は、その香りを全く裏切らぬものであったことを、敢えてここに記しておく。
‡‡‡
○○を右北平の街中で見かけた。
見知らぬ男と並んで歩いていた。
つい気になってしまって声をかけようとした趙雲はしかし、二人の空気の異様さに動きを止めた。
二人共、後ろ姿だけでいやに殺気立っているのである。
穏やかでない。
趙雲は静かに彼らの後をつけた。
○○は男を睨み上げ、ままに背を向ける。
だがそれを男は忌々しそうに腰に手を回し引き寄せる。
よしや、喧嘩中の恋人だと言われても、とてもそう見えない。お互いがお互いを殺そうと機を見計らいながら並び歩いているとしか思えなかった。
まさか、山賊繋がりか?
よもや姉弟を山賊に戻そうとしているのでは……。
それは、困る。
自分だけではない。
彼女らの飯店を訪れる色んな人間が大いに困る。
街を出た直後、趙雲は○○を呼び止めた。
「○○。買い物か?」
すると、○○は一変、にこやかに趙雲を振り返った。
「ん? ああ……子龍さんか。いや、そのつもりだったんだけどさ、こいつに出会っちまって」
親指でぞんざいに男を示す。
彼が舌打ちして口を開きかけたのに先んじて、
「こいつ、仲間連れて公孫賛んとこに盗みに入るつもりでさー、あたしらに協力しろってしつこいの何の」
男は絶句した。
「お前……っ! 何バラして――――」
「これがあたしら姉弟の答えだ。あの人の守ってきた形を保っていないあんたらとは、もう縁を切ってる。あたしらが、あんたらに関わることは無いよ」
○○は片手を振って趙雲に歩み寄る。
「ほらほら、あんた公孫賛んとこの武将さんなんだろ、さっさと取っ捕まえちゃってよ、《趙雲》さん」
趙雲はぎょっとした。
「知っていたのか……!?」
「蓉爺があんたが武将だって感付いててね。裏が無いか調べさせてもらったよ。ま、杞憂だった訳だけど」
「……では、偽名だったのも」
「バッレバレ」
「……」
にしし、彼女は悪戯が成功した子供のように無邪気に笑う。
趙雲は苦笑を浮かべ、片眉を上げた。少し、肩が軽くなった。
○○を背に庇い、男を見据える。
「さて……そういうことだが」
「……っ! この裏切り者っ」
「裏切ったのは誰だ。頭が死んですぐに、頭の意に背きやがって」
あんたは昔から大嫌いだったんだよ。
吐き捨て、○○は舌を出す。
「あたしをめとったからって、賊を去った奴らは戻らないよ。むしろ反感を買うだけさ。あたしが好きで嫁いだんじゃないって、皆分かるだろうからね。あんたの賊は、もう終わりだ。……諦めな、弁柁」
「……っ、くそ!! 混血のくせに!」
……混血?
趙雲は軽く目を瞠(みは)った。
振り返ると○○は笑顔のままだ。堂々として、否定も肯定もしない。
揺さぶりをかけたかったのだろうか、大した効果も無い。
弁柁は、憎らしげにこちらを睨め付け、身を翻した。逃げた。山賊なだけあって、非常に足が速い。
追いかけようとすると、○○に腕を掴まれた。
「追わなくて良いよ。これだけで十分」
「しかし……」
「あいつの態度で良く分かった。もうあいつらは駄目だ。自然消滅するか、討伐されちまうだろうよ。あたしらもこれで、何の痼(しこり)も無く店をやっていけるってもんだ」
大きく伸びをして、○○はきびすを返した。
弁柁の所為で中断させられた買い物に戻るそうだ。
その前に、趙雲は問いかけた。
「混血とは、まさかお前達は猫族と人間の?」
○○は足を止め、やや驚いた風情で趙雲を見上げた。
「へえ、十三支呼びしない人間とか、蓉爺以来久し振りー」
心底感心した彼女は、さらりとこめかみにかかる横髪を退け、本来人間の耳殻がある場所を晒した。
……無い。
「あたしも玲も、昔自分で切り落として頭にめっちゃ怖い雷喰らったよ」
それが、彼女の答えだ。
趙雲は顎を落とした。
だが――――決して嫌な感じはしない。
元々猫族に対して偏見を全く持っていなかったことも作用しているだろうが、きっとそれを抱いていたとしても、俺はこの姉弟に嫌な感情は持たない。
「じゃ、子龍さん。今度は店で」
「あ……」
快活な笑みを浮かべ雑踏に混ざっていく○○を見送っていた趙雲は、ふと弾かれたように足を踏み出し小走りに追いかけた。
「○○、俺も手伝おう。荷物持ちがいた方が楽だろう?」
「あ、マジで? ありがとう子龍さん。助かるよー。いつも荷物持たせる玲の奴昨日川に落っこちて風邪っ引きでさ」
まああたし一人でも十分なんだけど。
おどけて言う○○に確かにそうだと頷き、「しかし、」と。
「しかし、○○はこういう時に楽をして丁度良い」
「玲にも言われたよ。それ」
子龍さんにも言われるとはね。
○○は歩き出す。
趙雲も彼女の隣に並んだ。
こちらに気を遣っているのだろうが、素性を知られた今、偽名で呼ばれ続けるのもむず痒い。
趙雲は苦笑を浮かべ、
「○○。もう偽名で呼ばなくて良い」
「そうかい? じゃあ玲にもそう言っておくよ」
今後ともご贔屓に、趙雲さん。
初めて本名で呼ばれた瞬間、趙雲の胸の中で跳ね上がるものがあった。
それはほんの一瞬の異変で、どうして起きたのか分からない。
「趙雲さん?」
「!」
○○に顔を覗き込まれ、趙雲は驚きに一歩後退する。
不思議そうに首を傾げる彼女に、今度は全身の温度が上昇する。
「い、いや、何でもない。ただ、初めて本名で呼ばれたからだろう、少し、戸惑った」
「それじゃ、どっちが本名か分からないじゃないか。偽名を使っていたのはうちだけなんだろ?」
○○は呆れ、歩き出す。
華奢な後ろ姿を見送り、趙雲は胸を押さえた。
「……まさか……」
呟き、ほうと吐息を漏らす。
嫌ではないこの感覚は……きっと。
少し離れた場所で○○が趙雲を呼ぶ。
本名で呼ばれると、胸が膨らむようだ。
……嗚呼、そうか。
俺は、そうなのか。
趙雲は小さく笑い、○○を追いかけた――――……。
●○●
かなで様からのネタ提供『慣れない作業に四苦八苦する』でした。……あんまり、生かせてないですかね……(・・;)
ちなみに、飯店前店主は夢主達の実父です。二人は今でも全く知りません。永遠に知ることは無いでしょう。
そんな裏設定。
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