郭嘉


※異世界からのトリップ。
※非常に残酷な表現があります。



 やはり私の理論は完璧だったのだ。
 目の前に広がる広大な大河を前に私は笑いを止められなかった。
 一度だけ見ることが叶った人を異世界に連れ去る魔物を見た時全身が震えた。
 未知に遭遇し謎を突き止めていく快感……今まで感じたことが無い程、甘美で強烈だった。

 全く違う空、空気、大地。
 私の世界とは違う世界に、私己の理論のみで移動し得たのだ。
 なれば次は、この世界から元の世界に戻る為の理論を構築してやろうではないか。

 ……いや、その前にこの世界の全てを調べ尽くそう。
 人間動物────この世界に生きる全ての身体を解剖して、天候を調査し、地質や水質を調べていこう。

 嗚呼、知的興奮が収まらない。今にも絶頂してしまいそうだ。



 さあ、まずは何から着手しようか。



‡‡‡




 郭嘉は、自然とそちらに惹き付けられた。
 たまたま立ち寄った飯店で、本来いる筈のない姿を見つけたのだ。


「……あれ?」


 それは、自分よりもやや歳上の女だ。
 すらりと細い身体で、衣服も相俟って一見すると優男に見えるが、細部に目を向ければ女性らしい特徴が散見される。
 その、丸く整えられた真っ白な頭には猫の耳が生え、ぴくぴくと動いては周囲の様子を探っているようだ。

 どうして、十三支がここにいるのだろうか。
 どうして、十三支がいるのに周りの人間は普通に接しているんだろうか。
 これはこれは、奇異な光景である。

 首を傾げようとした矢先、意外な物が視界に映る。
 ……尻尾?
 ゆらりゆらりと彼女の腰から生えた細長い物が揺れている。あれは間違い無く尻尾だ。
 十三支って、尻尾あったっけ?

 袁紹の下にいた時ちらりと見たことがあったが、尻尾らしき物は無かったように思う。

 新種の十三支かな。
 興味を持って、郭嘉は席を立つ。給仕の女性に絡みつつ彼女の前に座るが、食事を進める十三支らしき女は郭嘉には目もくれない。
 手を差し込んで、ようやっとその桃色の目が郭嘉を捉えた。一瞬見開かれた目は、すぐに億劫そうに半分に据わった。


「へえ、十三支って金色の目ばっかりだって聞いてたけど、桃色もいるんだね」

「……」

「えー、ちょっと、無視は酷くなーい?」


 女性は目を細めた。


「……十三支とは、君達人間の中で語られている魔物の末裔の蔑称だったな。だが私は十三支という生き物ではないぞ。山猫型の獣人だ。一度十三支だという男を解剖したことがあるが、どうにも身体の作りは獣人よりも人間に近いし、身体能力も獣人のハーフにすら劣る。食生活もそうだ。それぞれの獣人には食べられない食物が存在するが、十三支にはそれが無い。人間が食べられる物なら、身体に何の悪影響も無い。君達人間の間に広まる伝承とは矛盾している。まあ、伝承はえてして人間の妄想や虚勢心で歪められるものだ。何かしらの意図があってのことだろうがな。例えば、人間の威信に関わる事柄を隠す為であるとか」

「は?」

「そもそもどうして魔物の末裔が人間の姿になっている? 魔物は人間と子孫は残せるのか? 何処でその魔物は人間と交尾をして子を産んだ? ……いや、もしそうであれば異母兄弟が子孫を残したことになる。血が近ければ近い程劣悪な遺伝子の組み合わせが発現しやすくなり、奇形児、或いは障害を持った赤子が生まれる可能性は高まる筈。近親婚で家系が途絶えることは無いが……魔物との混血であることが、血族内の交配におけるリスク一切を打ち消したとでも? それはそれで興味深いが……いや、数を産んで劣悪な組み合わせとなった子供を淘汰(とうた)し残さず、交配を続けてきたのか?」

「ちょっとちょっと、何、何のこと話してるの?」

「君達の言う十三支についてだが」


 何を言っているんだと言わんばかりの顔だが、こちらはそんな返答は予想していなかったし、求めてもいなかった。
 郭嘉は早速後悔する。


「えっと……僕は普通の世間話をしたくてここに来たんだけど」

「私には君と話す理由が無い」

「そっかー……じゃあ、失礼しようかな」


 これは、とんだ見込み違いだ。
 変な女だ。結局十三支であるのかないのか────本人は訳の分からない話の中で否定していたが────曖昧なまま。
 些末な好奇心で動いた結果が、面倒な女に引っかかってしまった。
 郭嘉は早々にその場から退却した。

 彼女とはそれきりだと、この時彼は思っていた。



‡‡‡




 郭嘉は我が目を疑った。


「君は……あの時の十三支」

「失礼。私と君は何処かでお会いしただろうか」


 前と同じように一瞬だけ見開かれた桃色の瞳は、完全に郭嘉のことを忘れている。
 郭嘉は口端をひきつらせた。

 郭嘉────いや、彼女の周囲は凄惨なものだ。
 元は郭嘉が討伐を任された烏丸(うがん)全てが、胴や頭部を開かれた状態で数列に並べられているのだ。しかも、古い死体は腐敗が進み、目も当てられなければ鼻も曲がりそうだ。
 よくもまあ、こんな疫病が流行りそうな不衛生な場所にいられる。

 袖で鼻と口を覆い、嫌悪感から眉間に皺を寄せた。

 それを見、十三支の女はぞんざいに手を上下に振った。


「君、邪魔だから消えてくれ。もうすぐ新種の病原菌が作れそうなんだ。疫病を罹患(りかん)したいのなら、有り難く観察させてもらうが」

「新種の疫病……って、正気?」

「本気でなければここまでやらないさ。……ふむ、三種類の変異以外に見込みは無いか」


 真剣に思案を巡らせるその横顔から腕に視線を落とし、郭嘉ですら戦慄する。
 汚い右手だ。とてもとても汚い。
 どうして汚いのか。

 それはきっと────開いた死体の中に手を突っ込んだから。

 なんて狂った女だ。
 正気の沙汰ではない。

 そう思うけれど……郭嘉は、彼女に興味が湧いてしまった。
 一瞬でも、この惨たらしい惨状に彼らが殺される際の阿鼻叫喚を想像して愉(たの)しそうだと思ってしまったからだ。


「ねえ……狂ってるって言われない?」

「ああ。だが、だから何だ。知りたいことを追求する際に他人を何故気にしなければならない? 常識に囚われればそれだけ未知の解明から遠ざかる。研究中の余所見は愚行だ」


 女は周囲を見渡し、一つ頷いた。郭嘉を振り返る。


「前言撤回だ。もうこれ以上の成果は見込めそうにない。私がこの地を去ろう」


 女は左手を後ろにやり、腰から下げていた分厚い紙束を取り出した。厚い板のような物で三面を覆われたそれには見慣れぬ文字が走りっている。
 板で覆われていない、紙が剥き出しになっている部分に指を差し込み開く。

 それが、《本》と言う読み物であることなど、郭嘉は知らぬ。この世界には未だ無い物だ。

 女が何事か呟くとそれ自体が発光し始める。

 すると────突如烏丸の死体が一斉に発火したではないか!


「なっ……!?」


 愕然。
 有り得ぬ現象に郭嘉は顎を落とす。


「死体がいきなり燃えた!?」

「何を言う。条件さえ揃えば人の身体は屍蝋化し、更に煙草などの熱源が側にあれば自然発火は起こり得る。……まあ、ここは水中でも湿地のような湿潤な環境ではないし、そもそも屍蝋化には相当な時間がかかるのだが。これはただの手品さ」


 本を閉じ、腰に巻き付けられた分厚く細い革の帯に括り付けた。
 女は燃え盛り濃厚な異臭を放つ死体に目もくれず、歩き出す。

 郭嘉はそれを見送り、呼び止めた。


「ちょっと。僕達こいつらを討伐しに、わざわざ遠征に来たんだけど?」


 女は足を止めた。


「それは私の知ったことではないな。例えば君は、たまたま買った物をいきなり現れた他人にこちらがそれを買うつもりだったのだと言われて、わざわざ詫びを入れるのか? 買ったばかりのそれを譲るのか?」

「えー……それ、話の大きさが違くない?」

「そうか? 私にとっては同じことだと思うが」


 つまり人間も買った物と同じ価値しか無いってことか。
 郭嘉自身、己を一般人と感覚が一緒だとは思っていないが、この女はもっともっと異常だ。頭がおかしい。
 でも、やっぱり彼女の頭の中を、覗いてみたくなる。
 残酷な好奇心がむくむくと首を擡(もた)げ、口角が自然とつり上がった。

 同類とは思わない。思いたくない。
 けれども、近い存在だと思えて仕方がない。

 彼女は未知の追求の為に。
 郭嘉は己の愉悦の為に。

 人道に反した残酷なことをする。

 相手が十三支なのか違うのか分からなくても構わない。
 飽きたら、《色々と》遊んで捨てれば良いし。


「ねえねえ、名前を訊かせてよ。そっちは覚えてないみたいだけど、僕達前にも一度会ったことがあるんだよ。これも何かの縁だし、ね?」


 女は無表情に郭嘉を見つめ、小さく●●、と名乗った。
 聞き慣れない響きの名前である。


「●●、か。何だか新鮮な名前だ。良かったらうちで食事でもしていかない? ●●の話を聞きたくなってきちゃった」


 郭嘉は足を止めた女に歩み寄り、顔を覗き込む。
 すると、少しだけ仰け反った。
 「ん?」首を傾けると、桃色の瞳が逸れてしまう。


「どうかした?」

「私は夜以外食事をしない」

「そっか。でも僕、折角会えた綺麗なお姉さんと離れたくないなぁ」


 ゆらり、と。
 ほんの一瞬だ。
 桃色の瞳に感情が見えた。
 それはどんなものだったか郭嘉には分からなかった。ただ、何かしらの感情のようなものが見えただけだ。

 顔をより一層近付けると、彼女はくるりときびすを返した。
 早足に歩き出す後ろ姿は、まるで郭嘉から逃げるようで。

 ……何だか分からないけれど多分、僕が顔を寄せたからだろう。
 そう思うと、遊びたくなる。
 郭嘉は小走りに女に追いついた。腕に己の腕を絡め、甘ったるく乞う。


「ねえ、●●さん。一夜限りの関係でも良いからさ。駄目?」

「残念ながら私は性行為で快楽を感じたことが無いし、そもそも私に生殖機能自体無い。性的快楽を望むのなら他を当たった方が良い」


 ●●はにべもない。
 先程には無かった壁が作られているようだ。
 これはますます面白い。

 暫くは、この人と遊んでもらおうかな。
 つつける藪を見つけ、郭嘉はより口角をつり上げた。

 女の前に回り込み、目を細める。


「じゃあさ。僕、上司にこのことを報告しなくちゃいけないんだよね。だから●●さんから話を聞いてまとめなくちゃいけない。それくらいは協力してよ」

「……」


 女は、沈黙して郭嘉を見据えた。

 また、ほんの一瞬だけ、何かの感情に二つの桃色が揺れた。



‡‡‡




 さぞ、私を恨んでいるのだろう。
 ●●は一人、部屋の中で独白する。
 結局、●●は誘いを受け入れ彼が拠点とした城の中に部屋をあてがわれた。

 郭嘉と名乗ったその中性的で危うい性癖を持っていそうな童顔の男が●●に興味を持ち、玩具にしたがっているのだとは、すぐに分かった。

 だが、●●にはいつものように淡泊に拒みきれなかった。

 ……未だ、私は完全ではないのだ。
 完全な研究者になりかけていた筈が、また、引き戻されそうになっている。
 これも、郭嘉が《あいつ》に似ているからだ。


「これは君の復讐なのだろうな。《カクカ》」


 図らずも、君と同じ名前、同じ容姿の人間が、この世界にいたよ。
 くっと皮肉げに口角をつり上げ、鼻を鳴らす。

 窓辺に寄り夜空に浮かぶ満月を見上げる。


「だが、カクカ。君が私の研究の為に自分の身体を使えと言ってきた。私は君の好意を有り難く受け入れ、研究を私の思い描いたように成功させた。私が恨まれる理由は無いと思うがね」


 語りかけるように独白し、声も無く笑う。


「……それとも君は、私に《心》を残せと言っているのか」


 一時でも君に向けた感情を忘れるなと、そう言いたいのか。

 要らぬ世話だ。
 ●●は吐き捨て、襟から服の下へ手を差し込む。
 引き上げたのはロケットペンダント。
 ロケットを開ければ一枚の小さな肖像画がはめ込んである。郭嘉そっくりの少年が、儚げな笑みを浮かべて●●を見上げている。

 ●●はまた鼻を鳴らし、ロケットを閉じた。


「研究に、心は不要だよ」


 昔から何度も言っているだろう。
 呆れた口調ながら、彼女はロケットを大事そうに服の下へ隠す。

 その双眼は、深い悲しみを映している。


「……私は、君の思い通りにはならないだろう。郭嘉というあの青年の玩具になるつもりもない。研究者としてこの世界に満足したら、元の世界に戻ることにするよ。その為の理論も、もうすぐ出来上がる」


 そして、元の世界に戻って────。


「────そのうちに、君の愛した●●と言う女は、私から消え失せる」


 そうすれば私はまた何にも囚われずに知識欲に支配されて生きていける。
 ただただ未知を探り、解明して生きていける。
 君の思うようにはならないさ。ああ、決して。

 ●●はゆっくりと、窓から離れる。


「さて……どうしたものか」


 ここでは私を興奮させるような研究は出来そうにない。
 好奇心を擽(くすぐ)る物が何一つ無いのだ。

 早々に、立ち去ろうか。
 その方がいっそ楽だ。
 腰の後ろに提げた本に触れ、●●は目を細めた。
























 日が昇りきったその時すでに、●●は城から消えていた。



 当然、まだ彼女に飽きが来ていない郭嘉が諦める筈もない────……。



●○●

 郭嘉のキャラが全く分かりません……。
 こんな感じだったっけと書いていたら何か不穏な関係になってしまいました。

 ちなみに前半で夢主を飯店の客や店員が不審に思わなかったのは彼女自身の術によるものです。
 たまたま郭嘉に術が効果を発揮しなかっただけでした。



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