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外は雨だ。
イーデンデルは雨が少ない。
前も見えないくらいの土砂降りは、滅多に無い恵みの雨だ。
今日は、神風(シェンフォン)は来ないだろう。周瑜と話さなくて良さそうだ。
安堵から吐息が漏れる。
もうすぐ一月になる。
その間娼婦と客らしいことは何一つせず、一方的に薬物を禁止され、禁断症状に苦しまされ、説教じみたことを言われ、面倒な毎日だった。
周瑜がこれで引き下がるとは思えないけれども、ひとまず一月の契約はもうじき終わる。そうなれば彼のことは追い出してしまおう。
いることが当たり前になりつつあるこの状況が、●●には恐ろしい。
周瑜が元の世界に戻ればこちらの生活も元通りだ。
それまでの我慢だから────。
「────うぐっ!?」
ふと、胸に激痛が走り●●はその場に座り込んだ。
激しく咳き込み口を押さえる。収まって手を見れば、べったりと赤い粘着質な液体が大量に付着していた。
薬で止まっていた病が、進行しているのだ。
スラム街に来てすぐに、●●は元々弱かった肺を患った。
薬を使わなければ、私の肺は急速に壊れていく。
薬を使った所為でボロボロになった身体では病の進行は早かろう。
周瑜には早く戻って欲しいところである。こんな姿を見られたら、また神風の血がどうのこうのと言ってくるに決まっている。
ほうと、溜息を漏らした。
ガタンッ。
「……? 音?」
玄関の方からだ。
何かしら、と寝室を出て、●●は息を呑んだ。
ずぶ濡れの神風が、腕から血を流して立っている。
赤い覆面は無く、口の無いつるつるとした肌が露出していた。これも種族の特徴だ。
●●は色を失った。
神風を抱き締め、腕を魔術で癒してやる。幸い浅いようで、すぐに塞がった。
遅れて周瑜も現れ、神風を見た瞬間血相を変える。玄関を睨み、●●に向けて何事か言った。だが言葉が分からないまま。神風が力を使っていないのだ。
周瑜は舌打ちして●●を立たせ寝室へ。
扉を閉めた瞬間玄関が壊された。
●●は即座に扉に魔術をかける。結界だ。そう簡単には破れない。
扉を睨み唸る。
「神風のことがバレたんだわ……」
「────」
周瑜が窓を指差す。逃げるぞ、ということだろう。
この視界の悪い土砂降りの中を走れば、どうにか逃げられるかもしれない。
でも私は足が悪い。
周瑜と神風だけならば逃げられる────。
●●は周瑜に神風を抱えさせ、背を押し窓へと押し付けた。
それだけで察したらしい。周瑜は顔を険しくして●●の腕を掴む。
振り払おうとしたが、びくともしなかった。
「おい、●●!! 神風を寄越せ!!」
「!」
周瑜が窓へ飛び出す。●●も一緒に、無理矢理連れ出して、だ。
「ちょっと! 私は連れていかなくて良いのよ!!」
言葉が通じない。
それを良いことに、周瑜は●●を連れて土砂降りを早足に歩いた。
走らないのは●●の足の悪さ故である。建物の影に隠れ隠れ、スラム街を出る。
スラム街はイーデンデルでも扱いが非常に悪い。
衛生も悪いし、城壁には幾つもの穴が放置され、下手をすれば余所の侵攻を受けやすいし、常に魔物の襲撃を警戒しなければならない。
城壁の穴を一体いつ見つけたのか、周瑜は穴からイーデンデルの外へ出ていく。
それまでずっと●●は通じぬ言葉を叫び続けた。幸い、土砂降りに掻き消されて周囲には届かぬ。
そろそろ、肺が危ない。
周瑜の腕を叩き立ち止まってもらい、●●はその場に座り込んだ。
「───? ───!」
「何言ってるか分からないわよ……! ……う、く……っごほ!」
ヤバい!
口を押さえうずくまる。激しく咳き込み血痰を吐いた。
胸が焼けるような激痛に痙攣する。身体に無理を強いたからだ。寝室で倒れた時よりも、痛みが酷い。
周瑜が気付いて手を剥がす。血を見て戦慄した。
血の付いていない方の手で肩を押せば彼は神風を見、呻いた。何事か声をかけ、神風を●●に抱かせる。そして家から持ち出したのだろうナイフを神風の腕に添えた。薄く切り口を付ける。
血を吸い上げているのだと理解した●●はすぐさま身を引いた。彼が何をするつもりなのか分かってしまった。
だが身軽になった周瑜の腕に頭を掴まれ引き寄せられる。
口が触れそうになって慌てて顔を背ける。即座に顎を掴まれ無理矢理に口を開かされ塞がれる。
直後に流れ込んできた鉄の味にぞわりとした。
血だ。神風の血が口に流れ込んでいる!
抵抗しようと腕に力を込め、その手に神風を抱いていることに邪魔された。
押し戻そうとすれば舌を捻じ込まれて許されない。
舌を噛み千切ってやりたいが彼の指が顎を押さえられて上下に動かすことすらままならなかった。
抵抗すればする程に互いの唾液も混じって、気管に入りかけて誤って飲んでしまう。
心臓が跳ね上がった。
しまった!!
身を離し●●は咽に自分の指を突っ込み無理矢理に吐き出そうとした。
しかし、●●の抵抗も虚しく胸から痛みが引いていく。同時に血の気も失せた。
神風を周瑜に押しつけてその場から離れようとした●●を、周瑜は許さなかった。神風を抱き締めさせたまま手を伸ばし肩を掴んで引き寄せうなじに手刀を落とした。
「あ……っ!?」
視界が、意識が、ぶれる。
‡‡‡
誰かに揺さぶられて意識が浮上する。
うなじに鈍い痛みを感じて目を開けると、間近に虹色の双眼が。
驚いて固まっていると、目は細まって離れた。
「神風……? あなた、覆面は……あら、雨は止んだ、の────」
────思い出す。
目を丸くして起き上がり周囲を見渡した。
いた。
「よお。ようやくお目覚めか」
「あ、あなた……!」
垂れた獣の耳を持った男がそこにいる。
●●は立ち上がり周瑜に歩み寄り胸座を掴んだ。
「周瑜! あなた、なんてことをしてくれたの!?」
「アンタに神風の血を飲ませたことか? お陰で体調は良いだろ」
「ええ頗(すこぶ)る良いわよ。良すぎて問題なのよ!! 私は飲むつもりはないと言っていたでしょう!?」
胸座を掴む手に触れ、周瑜は怒る●●を静かに見据える。悪びれた様子など一切無い。
「アンタの状態じゃあ、あのまま逃げるのは不可能だった」
「だったら私を置いていけば良かったじゃない! その子だけ逃げおおせれば良かったの!!」
「アンタだけが残って無事かどうか分からない。万が一残ったとして、アンタはもう薬を使わないだろ。そのまま死ぬだけなら連れてった方が神風の為だ。オレも後味が悪くなくて良い」
そっと手を離す。立ち上がりざまに●●の頭を撫で神風を呼んだ。
「さて、追っ手も静まったし、そろそろ行くか。●●。歩けるか」
「……」
「駄目ならオレが抱えてってやろうか」
●●は素っ気なく言葉を返す。
「要らないわ。このまま置いていって」
「そうなると神風が残る」
「恩人は神風なんだから私は関係ないでしょ」
「一月しっかり世話してもらっただろ?」
「は……」
周瑜はにやりと口角を告げる。
神風が●●に抱きつき、服をくいくいと引っ張る。やたらと機嫌が良い。
やんわりと剥がすが神風は負けじと密着してくる。
そのやりとりは周瑜の笑みを深くさせるだけだった。
「オレはアンタにも恩がある。きっちり返させてもらうからな」
「冗談っ。要らないわよ!! 私はあなたに恩を売った覚えは無いの。だからあなたは何もしないで!」
「却下だ。あんな熱烈な口付けを交わした相手を放っておけない」
「あなたが血を飲ませただけでしょう!?」
ああ言えばこう言う。
あくまで●●も一緒に連れていこうとする周瑜に苛立ち拳を握れば神風が唐突に駆け出した。
「神風!」
やや離れた場所で耳の後ろに手を立て耳を澄ます。やがて大きく頷くと戻ってきて●●に抱きついた。
声が脳内に響く。
『ミィベイがきてくれるって!』
●●は瞠目した。
「迷悲が……?」
『来てくれる』?
来てくれるって……まさか!
「神風、あなたまさか、迷悲を呼べるの!? 呼べるのに今まで呼ばずにいたってこと!?」
『やすませてっていってたから。もういいよって、きてくれるの』
神風の声は弾んでいる。
周瑜にも飛びついて同じことを伝えた。
周瑜は笑って神風の頭を撫でた。ようやっと帰れる筈だのに、落ち着いたものだ。
ああ、なんてタイミングが良いのかしら。
周瑜だけでも帰ってくれたなら────。
……いや、この男はまだ何か算段でもしているのではないかと勘繰り距離を取る。
────と。
周瑜が●●の背後を見て顔を強ばらせた。
背筋がぞわりと冷える。
賛美歌のような不穏な高い声が聞こえる。
振り返って、●●は言葉を失う。
間近に巨大な口がある。
●●がその場から離れると周瑜が抱き寄せる。神風はぴったりと周瑜に張り付いている。
神風が手を伸ばすのに応じるように、口は徐(おもむろ)に開く。
少ない資料の中には、この口から現れた黒い触手に巻き付かれ引き込まれてしまうとされている。
されどもそんなもの、全く出てこない。
こちらが入るのを待っているようで、そのまま固まっている。
「神風。ここに飛び込めば良いんだな」
神風は頷く。
彼女の声は周瑜と密着する●●にも聞こえた。
『このこががんばってくれるから、いっしょにあっちにいけるの』
「そうか。そいつは良かった」
周瑜はにんまりと笑う。
●●は嫌な予感がして周瑜から離れた。
すぐに捕まえられた。
「ちょっと……どういうことよ。あなた一人が戻るんじゃないの?」
「神風の話だと、そいつが頑張れば、アンタも神風も連れて行けないことも無いんだと」
「嘘でしょう!?」
そんなの、聞いたこと無いわ!
神風を見下ろすと、ぐっと親指を立てる。本人は褒めてもらいたいのだろうが、●●にとってはとんでもない、予想外のことである。
周瑜の腕から逃れようとするも、彼は神風も●●も連れて行く気で、びくともしない。
「こんな世界にいるよりはこっちに来た方が良い」
「何勝手なことを言ってるの! 私は行かないわよ。行くなら神風一人で────」
「神風の血を飲んだアンタは神風の母親だ。拾った以上は最後まで面倒見ろよ」
「きゃ……!?」
神風を肩に、●●を脇に抱え上げ、周瑜は地を蹴った。
だから、さっきから拒んでいるのに!!
黒に呑み込まれ●●は、悲鳴を上げた。
‡‡‡
「ふざけるのも大概にして!!」
●●は適当に掴んだ雑草を引き抜き目の前の周瑜へ投げつけた。
憤懣やるかたない彼女に、しかし周瑜は堂々としたものだ。連れてきた以上、あちらには戻れないのだからと神風に笑顔を向けた。
神風は白く細長い生き物を抱き締めてずっとその身体を愛おしそうに撫でている。
彼女の腕の中の生き物は口と肛門だけを持つ。迷悲だ。色々と問い質(ただ)したいが、もう頭の中がぐちゃぐちゃで、誰かを責めるのも億劫になりかけている。
「良かったな。後は父親が出来るのを待つだけだ」
「少しは人の話を聞きなさいよ!!」
「聞いてるって。アンタ達親子のことはちゃんとオレが面倒見てやるから安心して良いぜ」
「戻しなさい! 今すぐに!!」
怒鳴りつける。
周瑜は苦笑し、●●を見下ろした。
はっきりと告げる。
「嫌だ。というか、そんな真似、オレに出来る訳ないだろ」
「この……!!」
ならば迷悲も連れてきた神風────いや、無理だ。彼女は周瑜に協力的。ラインの言葉に同意するとは思えない。
「ほら、行くぞ。ここが何処か分かったら、この世界のことを教えないとな」
神風程ではないが機嫌が良い周瑜は●●を立たせて腰を抱き、神風を呼んで歩き出した。
「ほらほら、もう来ちまったものはしょうがないだろ?」
「あなたが勝手に連れてきたんでしょう!? 私は来たくなかったわ!」
「オレはアンタと神風を一緒に連れてきたかった。あのスラム街に残しておきたくなかった」
嗚呼、腹が立つ!
「あなただけはさぞ満足でしょうね!」
怒りを込めて言うと、周瑜は笑顔で肩越しに振り返った。
それがまた、●●の神経を逆撫でするのである。
○●○
勢いのまま書いた話です。そしたらこんなに長くて展開の早い話になりました……。
短編を書くと大概思います。こんな筈じゃなかったと。
余談ですが諸葛亮トリップ夢主とこちらの夢主の扱う魔術は違うので(こちらの夢主は黒魔術が主)言語翻訳の魔術は知らないと言う裏設定です。
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