周瑜1


※周瑜が異世界に飛んで始まる話。(逆トリップ?)
※主人公かなり荒んでます。



 西の国の王都で、魔暴爆弾が使われたらしい。
 それは私が昔作った物だろうか。まだ闇市に出回っているみたいだから、可能性は高い。

 でも今の姿を見れば、私がかつては魔暴爆弾の制作者の一人だとは、誰も思うまい。

 今や、昔の面影も無く、ただただ廃れたスラム街に蔓延する薬物を焚いて煙を吸い、幻想的な快楽につかの間浸るだけの毎日だ。

 私には何も無い。
 何もかも奪われた。
 愛していた人に全てを奪われ、踏みにじられた。
 その果ての退廃など、どうでも良い。何もかもがどうでも良い。

 そうであって────欲しいのに。

 今朝もまた、煙の充満する寝室の扉は、ゆっくりと開くのだ。



‡‡‡




 扉の影からひょっこりと頭を出したのは真っ黒でぼさぼさの髪で目を隠し、真っ赤な布で口を覆い隠す小さな女児。
 ぱたぱたと走って窓を開け放つ彼女を見送り、●●は嘆息した。


「神風(シェンフォン)。何度も言っているでしょう。私の寝室に入らないで」

「……」


 神風は瞬きを繰り返し、●●を見返してくる。

 ●●は苦笑を浮かべ、燃える薬物に水をかけた。
 それに蓋をしたのは神風だ。下着姿の●●の手を掴み、外を指差して連れ出そうとする。
 外に何か綺麗な物でも見つけたのだろうか。いや、それなら着替えくらい待ってくれる。いやに慌てて●●を引っ張る神風は珍しい。

 仕方なく床に放り投げたままの季節外れコートだけを羽織って神風に従った。

 神風は言葉も無く、視線だけで急いでと訴える。


「分かってるわ。でも私は足が悪いのよ。急げないのはあなたも知っているでしょう」

「……」

「これでも、急いでいるのだから許してちょうだい」


 神風を宥めて家を出ると、玄関の前に誰かが仰向けに倒れている。
 男性のようだ。歳の程は……●●と同じ程か、少し下か。
 ●●は彼を見てすぐに瞠目した。


「獣人……いえ、ハーフね。どうしてこんなスラム街に獣人のハーフが……」


 人の身体と獣の身体を融合したような獣人は、このイーデンデルこ国では優遇される人種だ。嘗(かつ)て初代王の親友として身を挺してその命を守ったという歴史から、イーデンデル国民は獣人に親しみを持つ。
 ハーフだとしても、スラム街に住むような下民よりももっともっと地位が高い存在だ。
 それがどうしてこんなしがない薬付けの娼婦の家の前にいるんだ。

 ハーフの男が身じろぎした瞬間神風を背に庇う。

 男の目がゆっくりと開き、金色の瞳が左右に揺れた。
 ●●を捉え、胡乱(うろん)げに眉根を寄せる。上体を起こして片手で頭を押さえた。
 赤毛の頭には、垂れ気味の獣の耳。耳だけがあって尻尾が無いのはハーフの共通する特徴だ。


「アンタ、は……誰だ」

「それはこちらの科白だわ。あなたみたいな優遇される人が、スラム街に何の用よ。女を買いたいなら、公認の娼館が繁華街にあるわ。生憎このスラム街には、あなたに見合う娼婦はいないの。悪いことは言わないから、さっさと帰りなさい」

「すらむ……?」


 男が立ち上がる。よろめいたのを見て神風が駆け寄ろうとするが、●●が制した。


「すらむがいってのは、何だ」

「スラム街はスラム街よ。言葉の意味が分からない訳ではないでしょう。イーデンデルに住む獣人なら、私と同じ言語を使っている筈だわ」

「は? 獣人?」


 男の反応に、●●は不審を強める。
 何なの、この男……妙だわ。
 ひとまず神風を逃がした方が良さそうだ。


「神風。あなたは遊びに行っていなさい。この人のことは、私がどうにかしておくから」


 しかし、神風は動かない。●●を見上げ、手を握ってきた。

 直後────。


『そのひと、ちがうこ────、しゃべってるの』

「え?」


 脳に響く、高めの舌足らずな声。一瞬だけノイズが混ざった。
 ●●は手を握り返した。


「ごめんなさい、神風。もう一度言ってくれるかしら」

『そのひと、ことばがちがうの。わたしがいないと、かあさん、わからないの』

「この男の言語が違う? じゃあこの国の人間ではないのね」

『ちがうの。どこのくにともちがうの。このせかいとちがうの。くちがひらいたからね、きちゃったひとなの』

「なんですって……?」


 男を振り返る。
 こちらを怪しむ彼には神風の言葉など聞こえていない。ただ●●が神風に一方的に話しかけているように見えるだろう。
 されども神風は、そういう種族だから仕方がない。


「神風、一旦術を解いて」


 神風が頷いたのを見て、●●は男に改めて話しかけた。


「私の言葉が理解出来る?」

「────!? ──、───!」


 男は聞き慣れない言語で何かを言う。
 ●●の言葉が分からなかったようだ。そしてこちらも分からない。

 神風の言葉も含めて考えるならば────●●に導き出せる答えは一つ。
 面倒なことに巻き込まれたんだわ、私。

 神風に目配せし、もう一度話しかけた。


「家に入りなさい。あなたの現状を説明してあげる」

「……どうなってんだ、一体……」


 男は再び通じた言葉に混乱を隠しきれずに呟く。
 神風が彼の袖を掴んで家に引っ張るのを目で確認し、●●は一応はリビングにあたる何も無い部屋に入った。

 壁に寄りかかり腕を組んで、神風に連れてこられた男を見据えた。


「まず、ここはイーデンデル国。最近西のソディローズフィアという国のレジスタンスに武器提供していた軍事国家よ。先日ソディローズフィアの王都が魔暴爆弾で消失したけれど。私の話は理解出来る?」

「全然だ」

「でしょうね」


 神風を見やると彼女は小さく頷いた。
 希少種の彼女の感性は、疑いようが無い。
 それは●●自身よく分かっている。
 ●●は大仰に溜息をつき、男に告げた。


「あなたのいた世界とこの世界は、全く別物なのよ」

「……は?」

「この世界には妙な現象があって────」


 説明を続けようとする●●に、男は慌てて待ったをかけた。
 が、黙殺である。


「大きな魔術が発動した場合空間に大きな歪みが生じるの。そこに口が現れたり現れなかったりするのだけれど、そこの子の種族は口のことを『迷悲(ミィベイ)』と呼ぶらしいわ。迷悲の口に誰かが呑み込まれた場合、異世界に飛ばされ二度とこちらに戻れなくなる」

「ちょ、」

「その時、ごく稀にとある現象が併発するのよ。口が繋げた異世界から、呑み込んだ人数と同じ人間をこちらに引き込むの。こちらは戻る方法があるわ。良かったわね。あなたが来た先にこの子がいて。その子はこちらに引き込まれてしまった異世界人を元の世界に戻すことが出来るから」

「ちょっと待て! 一方的に話をするなよ。さすがに頭が……」

「追いついていなくても事実は事実よ。理解しなさい」


 混乱していようが嘆いていようが、その間にも時間は過ぎていく。
 ●●は神風を呼び、顎で外を示した。


「その男を連れて迷悲の尻を探してきなさい。見つけたらすぐに帰して、戻ってくるのよ」

「尻? 尻って、おい」

「あなたは迷悲の尻の穴からこちらに放り出されたの。だから尻の穴から戻るのが筋でしょう」


 私だったら死んでも嫌だけれど。
 青ざめた男と、慰めるように男の背中をぽんぽんと叩く神風を置き、●●は足早に寝室に戻る。

 新しい薬に火を点けベッドに沈む。



‡‡‡




 日が沈めば、●●は男を探す。
 スラム街に住む若い女は、必ずと言って良い程身体を売る。そうしなければイーデンデルでは地位の低い独り身の女は金を稼げないのだ。

 ●●も、拒否することも許されず、薬物を買う為に身体を売る。
 神風はいない。拾った●●を母と慕うことは許すが、同じ家に暮らすことは良しとしなかった。近くの盲目の老夫婦に預けている。

 あの男を無事に戻したかどうか気になるところだが、彼女が●●のもとに駆け込んで来なかったのだから厄介な事態にはなっていないだろう。
 そのまま家に共に帰ったのかもしれない。それで良い。

 神風に、演技がかった私の喘ぎを聞かせる訳にはいかない。あの子はとても純粋な子だから、今だけであろうと、汚したくない。


「あら、またいらしたのね」

「ああ。君の温もりが忘れられなくて」

「お上手ですこと」


 笑顔で嘘を言う貴族。
 ただ独身が溜まる性欲を発散させる為、見目の良い女を選んでいるだけだ。
 捌け口を貸す代わりに、●●は金をもらう。その金で薬を買う。

 荒んだ日々を繰り返すのだ。


「ちょっと待った、そこのお嬢さん」

「!」


 肩に回った腕を剥がされ、貴族から引き離された。
 えっと思う間も無かった。腰を抱かれて見上げると、今朝見た秀麗な顔がにやにやしているではないか。


「な……」

「何だ、お前は?」

「先に予約しておいたの、オレなんだよ。金もほら」


 目の前に掲げられた麻袋。●●の顔などすっぽり隠してしまえるくらいに膨らみ、今にも硬貨の重みで破けてしまいそうだ。
 一体、いつの間にこんな大金を……。


「ってことで、この金で一ヶ月オレがアンタを買った」

「な、何勝手なことを、」

「ここじゃこういうのもアリなんだろ? それとも、下手そうなそっちの若者が良い?」

「何だと!? 貴様、私を誰だと────ひっ!!」


 言葉半ばで貴族は悲鳴を漏らす。青ざめ身体を硬直させる。

 ●●の背後から、男が貴族の咽元に刃物を突き付けたのだ。
 軍事国家と言えど、軟弱な貴族も珍しくない。この貴族もその類いだ。
 鼻白み数歩後退、悔しげに男を睨んで近くに待たせた馬車に向かって逃げ出した。

 お得意様が、逃げていく。

 商売を邪魔された●●は溜息をつかずにはいられなかった。


「なんてことをしてくれたの……」

「大金が手に入ったんだから良いだろ?」


 混乱はもう落ち着いたのか。
 男は麻袋を●●に手渡し、声を張り上げた。


「神風、もう良いぜ。今日は色々とありがとうな」


 と、自宅の影から顔を出した神風。●●が何か言う前に片手を振って駆け出した。
 正直、帰らないで欲しい。彼女がいなければ、言葉は通じない。言葉が通じなければ彼の行動を責めても意味が無い。

 舌打ちをする●●の腕を掴み男は寝室へと連れ込む。
 ●●から麻袋を取り上げその辺に放り投げ、●●をベッドに押し倒し、自身はそのまま横に転がった。

 起き上がろうとする●●の腰を抱き、目を伏せる。
 ただ寝るだけ……?


「ちょっとあなた、」

「──、───」


 分からぬ言語で誤魔化される。
 ●●が男を連れ込んで何をするつもりだったのか気付かぬ筈もあるまいに、男は完全に寝に入っている。

 あれだけの大金を何処で手に入れたのか。いや、それ以前にちゃんと二人は迷悲を探していたのか。


「何なの……あなた」


 問いかけても、彼に通じる筈がない。



‡‡‡




 朝目覚めると、●●よりも男が先に起きていた。
 ベッドの縁には神風が座って足をぶらつかせている。
 また寝室に入ってきたことを叱ろうとして、男が袋をいじっていることに気付いた。肩を掴んで手元を覗き込み、青ざめる。


「ちょっと……! 何をするのよ!?」


 大金を払って買い置きしておいた薬物が全て、水を吸い込んで変色してしまっているのだ。
 神風はベッドを降りて小走りに扉の方へ逃げていく。


「塩水を入れたのね。神風の入れ知恵?」

「この薬、精神に異常を来たし、依存性が強い反面、病気の進行を遅らせる効能があるんだってな。だが常用するうち量は増え、逆に身体が壊れていく。アンタの足が悪いのもその予兆なんだろ?」


 ああ、やはり神風だわ。
 きっと睨めつけると神風は覆面を握って俯く。母と慕う●●を思っての行動だけれど、余計なお節介だ。
 神風に歩み寄ろうとすると、男に肩を掴まれ引き寄せられる。


「怒るのは筋違いだ。神風はもう独りになりたくないと言ってる。アンタに死んで欲しくないからオレに話してくれたんだ。それだけ愛されてるのに何でアンタはその子の親切を拒絶するんだ」

「一方的なものだわ。神風が勝手に私を慕っているだけ」

「違うだろ!」


 不意に怒鳴られ、●●は動きを止める。
 が、どうして自分が叱られなければならないのかと、怒りが沸き上がってくる。

 思わず手が出た。
 乾いた音が荒んだ寝室に響く。
 男の頬に平手打ちした。


「あなたは部外者でしょう。余所者が口出ししないで。さっさと元の世界に戻りなさいよ」

「そのつもりだったけどな、このまま恩人を放っておけるか。それに生きたいのか死にたいのかハッキリしないアンタを見ていると腹が立つ」

「だから余計なお世話だと……!」


 片手を振り上げて魔術を使おうとすると、腰に何かがぶつかった。
 神風だ。前髪から丸い目が露わになっている。自分で掻き分けたのだろう。虹色に輝く瞳が不安げに揺れている。

 ●●は即座に神風を怒鳴りつけた。


「何をしているの!! 目を晒しては駄目と言っているでしょう!?」

『つよいまじゅつ、つかっちゃだめ。こんどはしんぞうこわれちゃう』


 男の手を振り払い神風の前髪を元に戻す。
 すると、神風は●●に向けて掌を差し出した。
 そこには切り傷。血が滲み出て赤い玉が横に並んでいた。
 彼女の言わんとすることを悟り●●は小さな掌に手を翳(かざ)した。早口に呪文を唱えて治癒術をかける。


「闇雲に血を出すのは止めなさい。あなたの正体が周りにバレたら、色んな人間に狙われるわよ」


 神風は落胆に肩を落とした。今日も駄目だったと、気落ちして覆面を摘む。
 男には、神風は自身のことを話しているだろう。この子は信用出来る人間と出来ない人間を自分の直感で判断する。もっと警戒を強めた方が良いと日頃から言ってはいるが、聞く様子は無い。


「出て行きなさい。神風。この男を連れて」


 神風の背中を押し、男を振り返る。
 男は依然厳しい眼差しを●●に向けていたが、神風が部屋を出ていくと、嘆息して神風を追いかけた。



‡‡‡




 それから男は一週間、二週間と●●の家に居座った。
 周瑜という名前らしい彼は、言葉を通じるようにする神風を連れ何処かをふらついていると同業の娼婦から聞く。
 一月分買われたことを羨ましがられるが、●●自身はとても複雑な心境である。

 周瑜は、●●が隠れて買った薬物を容易く見つけ、その度に塩水に漬けて無効化してしまう。
 薬物の中でも出来の悪い安物だから塩水で簡単に効力を失ってしまう。もっと高い物を選べば塩水程度では無効化出来ないけれど、娼婦の稼ぎでは手が出せない値段だ。

 長く服用していた●●の禁断症状は酷く、そして醜い。
 けれども周瑜は禁断症状が出始めれば神風を一旦部屋の外へ追いやり●●を押さえ込んで、禁断症状が落ち着くのを待つのだ。何度傷つけたか分からない。何度罵声を浴びせたか分からない。

 だのに、神風への恩返しだとか、●●の生き様が癪に障るとか言って、元の世界に帰ろうとせず●●の世話を焼くのだ。


「●●。気分はどうだ」

「最悪に決まっているでしょう。さっさと失せて」


 禁断症状の直後は、必ず四肢を縛られる。まだ油断が出来ないのだ。
 憎らしい周瑜を睨め上げると、彼は鼻で笑って●●の横で眠る神風を見下ろした。


「アンタが薬をやってたのは、神風を守る為に命を繋ぎたかったからだ。何故飲んでやらない? 神風の種族の血は、難病に効くんだろ?」

「彼女の血を飲むのは一種の契約よ。飲んでしまったらこの子は完全に私の側を離れなくなる」


 神風の種族は、嘗ては神に近い、神聖な部族として崇められていた。
 けれども今、神風以外全て人間に狩られ種族自体存在を掻き消されている。
 万病の妙薬である血を求める様々な人間に、蹂躙され、殺された。
 生き残りである神風も、いつかはそうなるだろう。

 迷悲が時折現れるのも、迷悲について解明出来ないのも、最も理解出来ていた種族を殺した所為だ。迷悲を慰める儀式を行う彼らを殺したことにより東大陸で神風の種族と共に在った迷悲は孤独となり野放しとなり、全ての大陸に現れる度人間を吸い込んでは孤独を埋めようとする。

 そして、周瑜のような人間も、本当の世界へは二度と戻れない。

 神風は逃げるべき時に逃げられる身でいなければならない。
 ●●の側に繋ぎ止めてはならないのだ。


「そんなに大事に思ってるなら飲んでやれよ。神風は父親を欲しがってる。真っ当に生きて良い旦那を見つけてやれば、神風を守れるかもしれないだろ」

「余所者が馬鹿言わないで。ここはイーデンデルのスラム街よ。スラム街に入れられたイーデンデルの人間はもう平民の生活すら赦(ゆる)されない。一生この汚いスラム街で地面を這い蹲(つくば)って生きることを義務づけられる。身分が上がることなんて一生無いわ」

「けどアンタは高名な魔術師だった筈だ。神風に力の制御を教えたのもアンタなんだろ。だからこうして寝ていてもオレ達は話せる」

「昔の話だわ。私の過去も神風から聞いてるのね」


 本当に、困った子。
 周瑜は●●を一瞥し、また神風に視線を落とした。


「自分が産んだ子供に会いたいとは思わないのか?」

「思ったことが無いわ。私は、お貴族様の為に魔術の素養を持った子供を産んでここに住み着いただけ。血が繋がっていようと赤の他人だわ。それに私が産んだと分かったらその子が哀れよ」

「ネクロマンサー、か」

「ああ、それも知っているのね。そう、私は死者を使役するのが得意だった。死体の解体も好きだったし、生きた人間よりも死体の方を愛していたわ。死体を求めて戦場を歩いていた頃が懐かしい」


 くつくつと嗤(わら)う。
 頭が上手く働いていないんだろう。何を言っているのか、●●自身分かっていない。

 周瑜は沈黙した。
 ゆっくりと身体を倒し、●●の横に寝転がる。
 ぽつりと、


「アンタは、嘘が下手だな」


 呟く。



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