後編-2
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江陵城には、沢山の十三支────もとい、猫族がいた。
猫族については、道中関羽殿や張飛殿から聞いた。彼らの猫の耳を見た瞬間は、それは驚いたが、すぐに可愛らしくて手触りが良さそうな耳に惹き付けられてしまった。小動物を見ているような心地だった。
が、それを邪魔するように、賈栩殿は俺から離れない。何がなんだか本当に分からなくて、ただただ混乱を極めていくばかりである。
江陵で俺達を出迎えた猫族は、一様に俺の姿を見て固まった。かと思えば、渋面になって首を傾けるのだ。
それだけで、彼らが何を思っているかすぐに分かった。
苦笑して、後頭部を掻く。
関羽殿が察して、すぐに謝ってくれた。
「○○。ごめんなさい。皆が失礼を」
「いや、良いよ。もう何年もこの姿で過ごしてるんだから、こういう反応にはもう慣れてるからさ。むしろ、見た目に合わない人間で申し訳ないよ。混乱させちゃって」
関羽は首を左右に振った。
「そんなことないわ。悪いのはこちらなんだから」
言いながら、くすんだ銀髪の少年に歩み寄り、その鳩尾に拳を叩き込んだ。凄い音がした。
悶絶してうずくまる彼を冷たく一瞥し、関羽殿は他の猫族を睨めつけた。
一斉に、視線が外れる。
その時だ。
「退きなさい獣共!! ○○様はあなた達が視線を向けて良いお方ではなくってよ!!」
「ぐほっ!!」
猫族を強引に押し退け、倒れた少年の身体を踏みつけて俺の前に現れたのは、会いたかった蓮々だ。
その身が無事であることを確認し、俺は蓮々に笑いかけた。
「蓮々。無事だったんだな、良かった」
「ええ! 当然ですわ。わたくしは○○様から離れて死ぬつもりはございませんもの。○○様のことを傷つけるなら、猫族も人間も関係なく、わたくしが始末致しますからご安心下さいな」
「し、始末って……」
容赦ないなあ……。
また、苦笑が漏れてしまう。
けれど、蓮々が幸せそうにとろけるような笑みを浮かべたのに、胸が温かくなる。
頭を撫でようと手を伸ばした直後、その腕を賈栩殿に掴まれて引き寄せられた。
密着する俺達に蓮々の顔が青ざめる。
「んな、あ、あ、あなた……っ!!」
「か、賈栩殿」
「暫く、休んだ方が良い。長旅で疲れただろう。怪我のこともある」
「え? あ、ああ。それはまあ……ってぇ!?」
「ひいぃっ!?」
まただ。
また、俺は賈栩殿に抱き上げられた。
蓮々が悲鳴を上げ、懐から匕首を取り出す。
鬼気迫る勢いで襲いかかろうとしたのを、関羽殿と張飛殿が慌てて止めた。
「放しなさい!! わたくしの○○様が!! こんな、こんな人間の感情も持てない不気味気持ち悪い無男になんてぇ!!」
賈栩殿が、冷めた顔で蓮々を振り返る。
そして、静かに言うのだ。
「……少なくとも女のフリをして付きまとう男よりもましだと思うよ」
「……、……え?」
その場の空気が、一瞬で凍り付いた。
「女……の、フリ?」
「本名の蔡剛(さいごう)と言えば、それなりに有名な武門の名家の次男坊だ。年齢は確か、俺よりも上だったかな」
「……」
沈黙。
ざっと、蓮々が青ざめる。ぶるぶると身体を震わし、口端をひきつらせながら両手に拳を作って鳴らす。俄(にわか)に殺気立つ。
その態度が、賈栩殿の言葉を肯定しているようなものだ。
「蔡蓮々は妹姫の名前……だったか」
「え、れ、蓮々……男、だったのか」
蓮々は俯き、小さく頷いた。あっさりとしたものだ。
驚きはしたが、落胆は無かった。
というか、俺とはまるで真逆の存在がいたことに、感動を覚えた。
「……そうか。だから、お前はずっと俺の側にいてくれたのか。俺とは真逆で、俺よりも長く辛い目に遭っていたから、慰めてくれてたんだな」
……何度か裸を見られていたことは、考えないでおこう。
俺の様子から、蓮々は顔を上げ、両手を胸の前で組んで感じ入ったように涙ぐんだ。
「○○様……! やっぱり、その辺のクソ女共よりもお優しいです……!!」
「ク、クソ女共……」
また乱暴な言葉が可愛らしい唇から飛び出した。
というか、俺以外の女性達のことを、そう思っていたのは驚きだ。
熱っぽく見つめてくる蓮々が近付いてくるのに、賈栩殿はあからさまな嫌悪感を示しながら大幅に退がった。
蓮々が舌打ちし顔を歪める。
「このクソキモ野郎……」
「あ、あの! わたし、○○の部屋を整えてくるわ。蓮れ────蔡剛も手伝って」
「その不細工な名前で呼ぶんじゃねえクソアマ指突っ込んで目ン玉引っこ抜くぞ!!」
「「「怖っ!!」」」
「……うわぁ」
今までで一番汚い言葉を聞いた気がする。なるほど、これが、彼の素か。
関羽殿もこの流れで苦笑を禁じ得ない様子だった。他も、反応に困っている者が多い。
俺の所為じゃないんだけど……この気まずい空気、何だか申し訳なく思う。
それに何だか、賈栩殿の機嫌が非常に悪い。今までで一番悪い。
蓮々とソリが合わないのは、良く分かったけれど、その所為にしては露骨に態度に出ているような気がする。賈栩殿なら、そういった相手にでも無表情淡泊を貫くと思っていたのだけれど、俺の勝手な印象だっただろうか。
賈栩殿は蓮々を関羽殿に任せ、足早に城内へと。いやに足音を響かせて廊下を進み、奥まった場所に部屋に入る。
寝台に座らされ、肩を押された。逆らわずに寝転がる。
「今日は、そうしていると良い」
「……この部屋は、」
「俺の部屋だよ。……ああ、こちらは別に寝台でなくとも平気だから、気にしないでくれ」
こちらもこちらで、混乱する。
賈栩殿は寝台の縁に腰掛けて、俺の襟を少し開いてまた包帯を撫でる。
今まで会話は愚か、同じ屋敷内で会ったことすら無い名ばかりの夫の態度から、真意が測れずに当惑する他無かった。
本人も良く分かっていないらしいのが、また不可解だ。
俺は頭が悪いし思考の回転が鈍いから自分のことも満足に把握出来ないけれど、賈栩殿は軍師だからそういうの分かると思っていた。
存外だった。
「賈栩殿。一つ訊いても良いか」
「傷に障らないのなら」
肩越しに見下ろされ、俺は一瞬言葉に詰まる。こうして面と向かって話すことは一度も無かったから気後れしてしまう。
「あなたはどうして俺を迎えに? 俺はあなたの妻だが、それも名ばかりのものだ。人質になってもあなたにとっては何の支障も無いだろうに。いやそれ以前に、あなたが曹操軍を裏切って俺が処断されても関係なかった筈だ」
「何故だろうね。それは俺にも分からない」
「あなたは、俺と違ってご自分のことをよく把握しておられると思っていたが、そうではないらしいな。とても意外だ」
心から言って、後から、意図していないが棘があっただろうかと不安になった。
けれども彼の反応は凪いだもの。俺の方へ手を伸ばし、頬をそろりと撫でた。すぐに離れて彼は見下ろし、思案に耽る。
「……誰にも把握しきれない己はいるさ」
「そういうものなのか。俺は、把握し切れていないことばかりだから……」
首を傾げると、賈栩殿はその手に軽く拳を握る。僅かに首を傾けた……ような気がした。
俺から視線を外した彼の後ろ姿を見つめつつ、俺は目を伏せた。
本人がよく分からないのなら、俺が深く考えたって分かりっこない。
ならば、今はまた旅に出る為に身体を休めておいた方が良いだろう。
今度こそ、蓮々と静かに暮らせる場所を探す為に。
寝顔をずっと賈栩殿に眺められていたことを知らず、翌日には城で暮らす手筈が整えられているとは思わず、俺は将来に少々の不安を抱きながら、眠りに就いた。
●○●
初めて書くかもしれないタイプの夢主と、賈栩の話でした。
ちょっと長くなるかもと思って前後編に分けたのに後編が長いとは一体どういうことだ……侍女の性別暴露辺りからノリノリだった所為だろうか。
ちなみに賈栩は無自覚に夢主の女性的な笑顔に惚れて、無自覚のまま今に至って、まだあんまり分かってません。侍女に嫉妬してるのにも気付いてません。
夢主はそのまま城に居座って関羽含む猫族の女の子達に裁縫講座を開いてあげてると良いと思います。
そして賈栩と良い雰囲気になる度に侍女に徹底的な邪魔をされると良い。
侍女があっさりと肯定したのは、嘘で足掻いて夢主に幻滅されたくなかったから。本気で好きなので。
賈栩は、侍女が夢主の裸を知ってると分かったら、多分怖いかも……。
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