張蘇双
猫族の隠れ里近くのなだらかな丘に一人、○○は佇んで風に髪を踊らせていた。
彼女には一人ふらりと何処かへ行ってしまう癖があった。劉備よりも行動範囲が広く、人間の村近くまで行ってしまったことも数知れずとなれば、悪癖と世平の頭を悩ました。
だがこの癖に、意味が無い訳ではない。
○○の両親は大陸各地を放浪するという猫族の中でも一風変わった夫婦だった。○○も旅の最中、仄暗い洞窟の中で生まれた。
激しい差別に遭いながらも、両親は彼女に人の良いところを沢山教えた。実際に見た醜い部分を隠すように、沢山、沢山教えた。
母親に似ておっとりとした○○は、それを受け入れ、人間には友好的だった。よしや、人間の世で両親を殺されたとしても、彼女は人間を恨むなどしなかった。
彼女がふらりと何処かに出掛けるのは、両親と旅をしていた頃を思い出して急激に心細くなるからだ。村の外を歩いていれば、死んだ両親に会えるような気がするのだ。
彼女が人間の村まで行くのは、唐突に人間が憎いと思ってしまうからだ。人間の良いところを見ればこの醜いうねりを何とか収められるのだ。どんなに蔑まれても両親が愛し続けた人間を、憎みたくはなかった。
愛したいのと憎みたいのと。
相反する二つの感情が対峙し、混ざり合おうとして強く反発し合う――――苦しい葛藤を抱え、○○はいつもいつも村を出ていた。
放置すれば一日、いや三日は帰ってこない彼女を見つけるのは、決まって《彼》だ。
「○○」
「……蘇双」
ゆうるりと振り返れば、涼しい顔した中性的な少年がこちらに歩いてきていた。
○○はぼんやりと彼を見つめ、ふと欠伸した。
「……眠い」
「人の顔見て、それ?」
呆れた風情の蘇双に一言謝って、○○はまた欠伸をする。そして天を仰ぎ、小さく「あれ」
「蘇双、随分と早い迎えじゃない? いつもは夕方なのに」
「ああ。世平叔父が呼んでるから。弓が直ったんだって」
「本当に?」
途端、○○の眠そうな目が輝く。表情も晴れ渡った。
○○は弓が得意で、猫族では数少ない弓使いの中でも抜きん出ていた。
弓は父親が生前使っていた物だ。形見であり宝物であり、○○の相棒のようにそれは大事にしていた。
それが、昨日狩りに出たところ誤って狼に襲われて弦が切れてしまったのだった。
しかも○○も利き腕を捻挫してしまい、自分で弦を張り直すことも出来なくなってしまった。
だから、修理を世平に頼んでいたのだ。
蘇双は頷き、○○の腕を見た。すっと目を細める。
「腕、時間がかかるって?」
「え? ええ、そうね。関羽が言うには相当酷いから、完治するにはまだ時間がかかるんですって」
「そう……」
「心配してくれてるの?」
「別に」
即答である。
○○は笑った。
「ありがとう」
「だから、ボクは別に心配なんかしてない」
「……あのさあ、蘇双。ちょっとごめんね」
○○はそっと手を伸ばし、突拍子もなく蘇双の耳を潰した。
蘇双は驚き慌ててその手を払い除けた。
「何だよ、いきなり……」
「私達ってさ、猫耳があるだけなんだよね」
「はあ?」
「耳が違うだけなのに、仲良くなれないって悲しいね」
誰と、なんて言わずとも聡明な蘇双なら分かるだろう。
ほら、呆れちゃった。
「仲良くならなくて良い。人間達が仲良くしようとするとは思えないし、そんな必要無いじゃないか。○○の両親も人間に殺されたのだし……」
「でもね、私は仲良くなりたいな」
人間は私達と何にも変わらないんだよ。
彼に何度話しただろう。
ずっと猫族の村で生きてきた蘇双も、他の皆も、誰一人信じてはくれない。
人間を愛しているのは、村の中で私だけだ。
寂しいなあ……。
「どうしたら分かってくれるのかなぁ……」
「そんなの分かりたくもないよ」
けんもほろろに言って蘇双は○○に背を向けた。
「ほら、馬鹿言ってないでさっさと行くよ。世平叔父を待たせたらいけない」
「……そうね」
歩き出す蘇双の背を見て○○は笑う。
とても切なげに、寂しそうに。
彼女が猫族と人間を仲良くさせたいのは自分の為だった。
どんなに綺麗事を言っていても、それは全て両親の言葉なのだった。
猫族と人間が分かり合えたなら、自分はきっと憎しみを忘れられると思うから。
ああ、なんて自分勝手。
○○は笑顔を自嘲のそれに変えて再び振り返った。
この丘を下って行けば人間達の暮らす小さな村がある。
決して行けない距離ではないのに……とても遠いのね。
本当に猫族と人間は分かり合えないのだろうか?
蘇双を追わずに、丘の先に見える森を見つめる。人間が現れるとも知れないその森を。
――――けれど。
「○○!」
がしっと。
後ろから肩を捕まれて無理矢理振り返らされた。
切迫したような蘇双のかんばせが目前にある。
○○は突然のことに目を瞬かせた。
「蘇双?」
名を呼べば、蘇双は長々と溜息をついた。
「……まうかと思った」
「え?」
「何でもない。早く行こう。世平叔父が待ってる」
「分かったわ」
蘇双の手が、○○の怪我をしていない方の手を握る。
その感触と温度に、○○は心底から安堵した。
「やっぱり私は蘇双の手が好きだわ」
「……はいはい」
返事こそ素っ気無かったが、○○はさらさらと動く髪の合間から見えた彼の頬が仄かに赤らんでいるのを、確かに見た。
彼女は目元を和ませ、そっと彼の手を握り返す。
私は人間を憎みたくない。
だって憎悪は人を醜くさせるから。
醜い私を、あなたに見られたくなかったの。
自分本意の、下らない願いだと自分でも思う。
だけど、だけど――――。
好きな人の為に、どんなことをしてでも綺麗な人でありたいと思うのは、間違っているのでしょうか。
○○は敢えて、考えない。
どんなことをしてでもと考える時点ですでに、その心が綺麗である筈かないと、彼女が分からない筈もない――――。
○●○
何のこっちゃ分からんですね。
蘇双さんが肩を掴んだのは主人公がそのまま何処かに行ってしまうのではないかと思った為です。
小説って難しい!
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