諸葛亮


※現パロ



 仕事帰りにふらりと立ち寄った大晦日の神社は、新年を迎えようとする人々でおおいに賑わっている。
 こっちはしつこいクレーム対応で心身共にへとへとだというのに、彼らはあんなにも輝かしい笑顔で楽しそうに屋台を見ている。
 しかも、手を繋いで仲睦まじく歩く若いカップルが多い。

 お互い仕事仕事で初詣の約束すら出来なかった私へ対する嫌がらせかしらね!
 ○○は溜息をついた。
 こればかりは仕方がないと分かってはいるが、自分だって年越しくらいは恋人と過ごしたい。


「いつ会ったっけ……私達」


 考えて、虚しくなる。
 最後のデートは半年以上前だった。お互いの長期出張が重なってしまったのだ。
 それ以降たまにメールや電話をするくらいで顔を合わせていなかった。
 ……先月までは。
 ただでさえ今年の春に昇進してから忙しくなったのに、恋人の諸葛亮は師走に入ってより一層多忙になった。○○に割く時間がとみに減り、○○も気を遣って連絡を取らなくなった。
 去年まではそんなこと無かったのに、彼の昇進をきっかけにお互いがどんどん離れていっているように感じる。

 彼の仕事が評価されるのは我がことのように嬉しい。
 けれど、このままでは寂しいどころか自然消滅も有り得る危急の事態ではなかろうか。
 ○○は足を止め顔を強張らせた。


「あれ……私達まだ付き合ってる……わよね?」


 年齢的にもそろそろ結婚――――なんて考え始めていたけれど。
 もし彼にその気が無くなっていたとしたら。
 もう関係は終わったと認識されているとしたら。

 新しい年が始まろうとしている大晦日の夜に、本気で不安になってきている自分が悲しい。
 また、重い溜息をついた○○は大股に、逃げるように鳥居の前を通過し家路を急ぐ。

 コンビニの前を通り掛かって思わず足を止め缶チューハイ五本、鶏の炭火焼きを買った。これで紛らわせて年を越そうと思う。

 ずっしり重いレジ袋を提げて○○は切ない寒さに身を震わせる。

 一応、告白は彼からだったんだけどなあ。
 学生時代にも付き合っていた異性は何人かいた。けれどそのどれもが、付き合ってみると思っていたのと違うからと言われて一年も経たずにフラれている。
 どうも、周りにはお嬢様系に見えていたらしい。
 ○○はヨーロッパ系とのハーフで髪も肌も色が薄く、瞳も青みがかっている。強風に吹かれただけで簡単に折れてしまいそうな華奢な身体と、儚げな微笑みが似合う柔和な面立ちが、そんな印象を与えてしまうのだろう。

 図書館で一人静かに読書をしていそうな○○が、子供の頃から大の任侠映画好きで、近所では泣く子も黙るガキ大将として有名で、隣町の不良からも『姐さん』と呼ばれ慕われているなどと、誰も想像しなかった。

 おしとやかな文学少女――――周りが勝手に固めたイメージに惚れた男達は、付き合ってすぐ、○○の素を見て夢を壊された、詐欺だと嘆いた。
 言うまでもないことだが、○○本人は全く隠していない。友人達も彼女のギャップなど承知の上である。
 勝手に期待して勝手に撃沈したくせに文句を言われて、こっぴどくフラれたこともある。
 そんな苦い経験もあって、社会人になってからは特に恋愛に強い警戒心と抵抗感を抱いていた。

 そんな○○と知っていながら告白してきた諸葛亮とは、もう五年の付き合いになる。見た目と中身に差で引かれることも無く、存外長続きしている。

 多分これが最後だと思っていた。

 だからこそ、結婚への期待もあったのだけれど。
 諸葛亮との関係が駄目になったら、結婚も諦めねばなるまい。

 ……いかん。
 悪いことばっかり考えついてしまう。
 大晦日だと言うのに。あと二時間もすれば新年だと言うのに。
 何か良いことはなかろうか。


「……あ、無いわ。全然無い」


 ここ二ヶ月ほど仕事仕事で仕事の記憶しか無い……気がする。
 ○○はがっくりと肩を落とす。

 と、


「お姉さん、そんなに落ち込んでどうしたの?」


 気安い声で話し掛けられた。
 立ち止まった後で無視するべきと思ってももう遅かった。

 前に回り込まれた。

 二人の軽薄そうな青年である。
 どちらも派手な色に髪を染めて、耳だけでなく鼻にもピアスを付けて、如何にも《ソレ》目的ですと言っているいやらしい笑みを浮かべている。
 ほんのりと臭う、酒の臭い……。

 何とも面倒そうな酔っ払いに絡まれるとは。

 ツイてない。


「落ち込んでるんじゃないの。仕事で疲れてるの。今は坊や達の相手をしてあげられる体力も気力も無いから、他を当たってちょうだい」

「なら、オレ達がその疲れ癒してあげよっか?」

「結構よ。ほら、折角の大晦日に、こんなくたびれたおばさんにちょっかいかけて無駄な時間を過ごしちゃ駄目よ」


 あくまでやんわりと嗜め、左に大きく回って通過する。

 が、片方に腕を掴まれ強い力で引き寄せられた。
 酔っている所為か、力が加減されず、ヒールの○○は引かれた方へ倒れ込んだ。

 逃げようとする暇も無く両腕で抱き締められてしまった。

 嫌悪感で全身が粟立った。


「ちょっと……!」

「まーまー。オレ達に任せなって」

「女のコを気持ち良くさせるの、俺達結構得意よ?」

「そういうのは間に合ってますから!」


 拘束から逃れようと身をよじるも、男の力には敵わない。
 相手は酔っ払いだ。こちらのことなど気遣う気配も無く、逃げないように容赦なく力を強めて来る。


「ちょっと! 痛いってば!」

「何? 痛いのもきもちーの?」

「んじゃちょっと酷くして欲しい感じ?」


 噛み合ってない。
 まともに話が出来るとは思っていないが、この二人完全に○○で欲を発散させるつもりらしい。

 そういえばここから西へ五分歩くと、古いラブホテルがあったような……。

 二人掛かりになれば○○一人連れ込むことなど容易い。

 新年を迎えるおめでたい日に何でこんな目に遭うの!
 諸葛亮と過ごしていれば――――恨めしく思って、物悲しくなった。


「いい加減にしないと警察呼ぶわよ」

「えー? 何で。お姉さんも気持ち良いこと好きでしょ?」

「相手によります」

「俺達超上手いよ〜」

「そういう意味じゃありません」

「良いから良いから! この近くに汚いけど安いラブホが……」


「警察ですか? ええ。酔った男性が二人、帰宅中の女性にしつこく絡んで何処かへ連れ去ろうとしているので、こちらに来ていただけないかと」


 その声に、○○は肩から力が抜けた。

 抱き締める腕が震え拘束が緩んだ隙に逃げると、青年達は舌打ちして足早に立ち去った。

 ほっと胸を撫で下ろす○○へ、


「大丈夫か?」

「……え、ええ。ありがとう」


 少し不機嫌そうな顔をした青年が、○○の側に立つ。
 機嫌が悪いのは自分以外の男に抱き締められていたからだろうと、○○は推測する。多分、間違っていない。

 ほっとした。


「諸葛亮……どうしてここに?」


 ○○は浮かんだ疑問をぶつけた。

 途端に諸葛亮の眉間の皺がより深くなる。


「私が会いに来るのは迷惑か?」

「そんな訳無いでしょ。でも仕事忙しいんじゃないの?」


 質問を重ねる度、諸葛亮の機嫌が悪くなっていく。

 諸葛亮は○○を睨んで答えた。


「三が日は休みになると知っているだろう」

「それはそうだけど……今年は連絡無かったから、きっと、今年は無理なんだろうなって」

「無理じゃない。これまでがそうだったように、これからも無理じゃない」


 諸葛亮の手が○○の手首を掴みそっと引き寄せる。
 ○○は力に従い諸葛亮に身を寄せた。

 背中に腕が回る。
 あの酔っ払いに抱き締められた時とは真逆の、柔らかくて心地好い安堵感に全身から力が抜けた。


「……連絡を取る時間を作れなかったことは、すまなかった」

「そこは、謝らなくて良いわよ。忙しいんだから仕方ないって」

「私が上手く動けなかった所為でお前を不安にさせたんだろう」


 ○○は言葉を返せなかった。
 ついさっきまで不安だったのは事実だからだ。

 今はもう無い。
 だって、諸葛亮の心臓の音が早いのだ。
 顔を上げて良くよく見てみれば、外灯に照らされた顔は頬がほんのり赤く、汗で髪が肌に張り付いている。
 運動はあまり得意でないのに、ここまで急いで来たのだと分かるから、不安に思わなくて良いのだと安心した。


「風邪引くわよ。早く私の家に」

「ああ」


 諸葛亮は○○を放し、手を握って歩き出した。



‡‡‡




「○○」


 玄関を開けてすぐ、諸葛亮は○○を呼んだ。

 疲労の滲む彼の顔は真摯に引き締まり、強い眼差しを○○を向けている。

 ○○は首を傾げた。


「何?」

「大事な話がある」

「なら、リビングで――――」

「いや、お前の返答次第ではここにはいられない」


 ○○は眉を顰めた。
 落ち着いたばかりの胸がざわついた。


「……何それ。別れ話でもするつもり?」

「別れ話ではないが、結果次第では別れ話になるかもしれない」

「は? どういうことよ?」


 意味が分からない。
 これからもって言ってたじゃない。
 不穏な流れに、つい責めるような口調になってしまう。
 今度はこちらが不機嫌になった。

 諸葛亮は答える代わりに右手を差し出した。


「左手を」

「どうして」

「良いから」

「……はい」


 彼の掌の上に己の手を重ねる。
 掌を合わせる形に。

 諸葛亮は○○の左手を返すと、小さな箱を載せた。
 藍色の、正方形の小箱だ。


「え」


 ○○は瞠目した。
 「まさか」諸葛亮を見つめ、唇を震わせる、


「こ、これ」

「開ければ分かる」

「……っ」


 ○○は小箱を両手で大事に持った。
 恐る恐る蓋を開け、


 息を呑んだ。


 小箱の中には指輪が収められていた。
 銀色の艶やかな光が美しく、尊く思える、指輪。

 全身に震えが走った。


「しょ、諸葛亮……!」

「どうか、私と結婚して欲しい」

「う、嘘でしょう……!」

「嘘でこんなことが言えるか」


 眩暈がしそうだ。
 これは夢だろうか。
 指輪と諸葛亮を交互に見ているうちに、小箱を持つ左手の親指の付け根に熱い何かが落ちた。
 濡れている。

 熱い水が落ちたのだ。


「泣いているのは何故だ」


 問うてくる声は優しい。

 ああ、そうか。
 私が泣いているんだ。
 予想外で、嬉しすぎて。


「嫌か?」


 諸葛亮の顔は、優しい微笑を湛えている。

 彼は、私が何と答えるか分かっている。確信している。
 だったら訊かないでよ!

 ○○は指輪の入った小箱をを握り締め、諸葛亮に抱き着いた。


「……嫌な訳ないでしょう! 即答で受けるに決まってる……!」

「ありがとう」

「あとでで良いから、ちゃんと諸葛亮の手ではめて」

「ああ」


 ○○の背を、諸葛亮の手が優しく撫でる。


「これでお前は、ずっと私のものだ」

「ついでに諸葛亮も私のものね。ずっと」


 顔を上げると、諸葛亮はゆっくりと頷いてくれた。

 微笑み合い、どちらからともなくキスをする。
 二人は長らく、玄関から動かなかった。




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