「その前に、関羽にお前の子供を抱かせてやれ」

「そうは言ってもね、私には相手がいないわ」

「関羽が成人するまで相手が現れなかった時には俺が貰ってやるから安心しろ」


 さらりと告げられた言葉に、○○の歩調が乱れた。ほんの少しだけ後退してしまった。
 どくりと大きく跳ね上がった心臓が嘘だろうと胸のうちで騒ぎ立てる。

 勝手に期待する心臓を宥めつつ、○○は努めて平静に返した。


「残念でした。私に関麗お姉さんの代わりは出来ま、せん!」

「うっ!」


 強めに背中を叩き、うっと息を詰まらせた世平に笑いかける。
 ほんの僅かに表に出してしまった動揺を誤魔化したくて、数歩跳ぶように前に出た。


「冗談が過ぎるわよ。世平お兄さんがどれだけ関麗お姉さんに惚れてたか知ってるんだから」


 世平を振り返らぬまま片手を振って、先を行く。

 後ろで溜息。
 次いで、がりがりと何かを忙しなく掻く音。

 ○○は振り返らぬまま、帰路を辿る。
 後ろで彼がどんな顔をしているか、○○には分からない。



‡‡‡




「絶対、無理だと思う」


 蘇双はばっさりと切り捨てた。
 辺りはもう日が沈み真っ暗だ。片付けを終え、いつもの三人でいつもの道を歩いて帰っている。

 関羽は世平が関羽を引き取った老夫婦を連れて車で迎えに来て、そのまま外食だそうだ。

 星の少ない夜空に寂しげに浮かんだ三日月を仰ぎ、関定が肩を竦める。


「激しく同意」

「相手が○○姉ちゃんじゃなあ……姉ちゃんの周りに色々問題がありすぎる」


 張飛が溜息混じりに、ちょっとだけ辟易した様子で言うのに蘇双も関定も大きく頷いた。


「世平の奴、初恋を乗り越えたかと思ったら、潔く自分の初恋を諦めて側で見守ってくれてた人に惚れるって……」


 三人同時に溜息。

 彼らの現在の議題は、蘇双の叔父張世平と○○の恋は叶うか否か。
 結論はすぐに『無理』と出る。
 それでも何度も議論するのは、三人共幼い頃から慕う○○を幸せにしてくれるのは世平しかいないと思っているからである。

 だが……。


「しかも姉貴が○○姉ちゃんに近付く男の悉(ことごと)くをしれっと排除してるからなぁ」

「最近は趙雲と諸葛亮だったっけ。警戒してるの」

「《特に》な……」


 諸葛亮とは市立図書館の館長である。児童書作家の○○とは頻繁に顔を合わせる機会が多く、現在趙雲と並んで関羽に特に警戒されている青年である。

 関羽程ではないが、○○を恋い慕う男は多い。
 世平を筆頭として近所の独身男性はほとんどだし、大学の後輩趙雲や、図書館館長の諸葛亮、また近くの交番に勤務する夏侯惇も気があるようだ。

 だが彼らと○○の間に浮いた話が出たことは無い。

 何をどうやっているのか、関羽が徹底的に邪魔をしているのだ。
 大事な○○を誰かのものにしたくないらしく、少しでも気があると判断すると、○○の知らぬところでこれでもかと邪魔してくる。
 世平ですらその対象なのだから相当である。まあ、他に比べて軽い方ではある。
 その所為で関羽と夏侯惇は物凄く仲が悪い。

 一時期張飛達の中で同性でありながら○○に対して恋愛感情があるのではと疑いが持ち上がったが、どうやら違うようだ。
 恋愛感情ではなく、母親を盗られるのを怖がる子供と同じだと、関羽を育てた老夫婦が苦笑混じりに言っていた。

 高校に入学して充実した忙しい毎日を送るようになって少しは○○離れも進んだだろうと思っていたのに、二年生になっても彼女は変わっていない。


「関羽、○○よりモテてるのに、○○が男に盗られないようにするので青春を使い切るよね。このままだと」

「張飛終了のお知らせだなコリャ」

「いやまだ分からねーじゃん!」

「万が一大丈夫だったとしても、張飛は無理だと思う」


 言って蘇双が頭の中に浮かべるのは、近所の建築会社社長の一人息子、劉備。
 関羽が○○の次に遊ぶようになった年下の少年で、私立中学に通ってはいるものの、今でも張飛達と遊ぶこともあるし、○○の家に遊びに行くこともある。

 ○○が要れば良いと割と本気で思っていそうな関羽の懐に、劉備は張飛以上に入り込んでおり、他の関羽狙いの男達よりも遥かに優位に立っている。

 幼い頃からずっと関羽に想いを寄せてきた張飛でも到底敵わぬ相手であった。

 ただ、最も強い恋敵は劉備というだけで、他にも捨て置けない男は多い。
 周瑜や孫権、それから馬超や曹操も関羽に気があるのは明らかだ。
 彼らの能力や身の上を考えると、どうにも張飛の分が悪い気がする。関羽にとっては張飛は弟のようなものだろうから。

 張飛はがくっと肩を落とし、犬のように悔しげに唸る。
 そんな幼馴染みの肩を、左右から叩く二人である。


「まあ、お前には到底無理だとは思うけど、頑張れ」

「夏侯淵をミジンコに変えるくらい無理だとは思うけど、頑張れ」

「蘇双ちょっとそれ意味分かんないんだけど超絶無理だって言いたいのは分かった。一発殴らせろ」

「張飛が関羽と付き合ったらね」


 蘇双は小馬鹿にして、数歩前に出る。
 すぐに憂い顔で立ち止まる。


「そんなことよりも、○○姉さんが一生嫁げないままだったらどうしよう」

「……うーん」

「色々世話になってるし、だいぶ迷惑もかけちまったし……○○姉ちゃんには幸せになって欲しいよなぁ」

「でもさ、関羽のあれ、落ち着くと思うか?」

「それに加えて、なんか、○○姉さんってば子育てを終えた母親みたいなオーラ出してるんだよね。関羽が入学してから」

「あー、それ分かる。もう私がやるべきことは無いわとか思って安心してそう。○○さん、そのまま隠居したりしないよな?」

「「……」」


 三人は顔を合わせ、世平を憐れみ長々と嘆息したのだった。

 関羽が青春を楽しむ気になればまだ小さくても望みがあるのかもしれないが、現状、そんな気配はまるで無い。


「おっちゃん……」


 張飛の深い憐れみのこもった呟きが、ひんやりとした夜陰に無情に溶けていった。



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