もう自分の役目は終わり、ということだ。
 関羽はもう自分がいなくても、守らずとも、沢山の人達に愛されて、支えられている。
 あとは関羽の物語を彼女自身の足で進めていく姿を、読者として外から見守っていくだけ。

 そんな風に悟っていたから、関羽から直接文化祭に来てくれと言われた時は小躍りしてしまうくらい、物凄く嬉しかったと、思い出した。
 それだけ嬉しくて大事な約束でもうっかり忘れてしまえるところは、もはや○○の最大の個性である。


「こうして思い出すうちに、いつの間にか私達年を取って、関羽ちゃんの結婚式を迎えちゃうんでしょうねえ。あの子モテモテだから、悪い男に引っ掛からないようにお兄さんがしっかり見てあげないと駄目よ。あ、近所の子達の一部は私が許しませんからね」

「……」

「あらあら。世平お兄さんの機嫌が悪くなっちゃったわぁ」


 楽しげに笑い、○○は露店を見渡した。

 と、


「おーい、○○姉ちゃん! おっちゃーん!」


 賑やかな中、自身を呼ぶ声がした。
 聞き慣れた声だ。
 ○○は足を止めて周りを見渡す。

 こちらが見つけるよりも早く、声の主は二人の前に飛び出してくれた。

 その姿を見て、○○は顔を輝かせる。


「まあまあ、張飛ちゃん! その服素敵。とても良く似合ってるわよ〜」


 騎士服姿の張飛はにっかり笑って、胸を張った。


「恰好良いだろ!」

「ええ。おばさん、ときめいちゃった。今度の作品のネタにさせてもらおうかしらね」

「○○姉さん、張飛なんかネタにしたら売れなくなるよ。児童書なんだからもっと良いネタにしないと」

「何でだよ!」


 冷めた感じで話に入ってきたのは、張飛と少しデザインの違う、世平の甥である蘇双だ。その隣には制服姿の関定が何度も頷いている。


「張飛ちゃんと蘇双ちゃんのところはコスプレなの?」

「女子が作った小物を、オレ達男子が騎士のコスプレして売るって奴。で、関定のとこが、」

「輪投げとかボール当てとか、景品付きのミニゲーム。景品が結構豪華なのが売り!」

「どちらもとっても楽しそう。絶対にお邪魔させてもらうからね」


 三人の頭を撫でると、ちょっと照れ臭そうにするのがまた可愛らしい。
 自然、○○の笑みは深くなる。


「○○。にやけるな」

「本当、子供って輝いていて良いわぁ。文化祭で一杯元気を貰えそう」

「そうか。だったらその元気で早く原稿を書き上げてやってくれよ」

「そうねぇ。頑張るわ」


 世平が溜息をつく。



‡‡‡




「○○先輩!」


 また、人に呼ばれて足を止める。
 華やかに飾られた廊下をこちらに向かって走ってくるのは、関羽のクラスの担任教師である。

 彼は○○の前に立つと嬉しそうに目を細めた。


「趙雲君。こんにちは」

「こんにちは。○○先輩、世平殿」


 ○○に微笑みかける趙雲は、○○の大学の後輩である。
 高校卒業後、大学への進学を諦めて就職を選んだ○○は、ある程度の額まで貯まったところで隣県の大学に入学した。
 学部も学年も違うが、食堂で相席をしてからすれ違う度に話すようになり、○○の家を訪れる数少ない友人の一人である。


「生活指導の先生は、今日も大変そうだな」


 世平がねぎらうと趙雲は苦笑を滲ませた。
 先程、不良が女子生徒に絡んでいたのを追い出してきたそうで、巡回を強化しているとのことだった。


「二人を関羽のクラスまで案内したいところだが、」

「勝手に回るさ。俺達のことは気にしないで仕事に集中してくれ。関羽を安心して任せられる教師に怪我をされたら保護者としては困るからな」


 趙雲は頷き、○○を見て口を開きかけた。

 だが、


「○○姉さん! 世平おじさん!」


 関羽の声が遮った。
 ○○と趙雲の間に入ってきた関羽は、ヴィクトリアンメイド姿でとても清楚で可愛らしい。
 揺れるスカートを押さえ、関羽は○○に明るい笑顔を向けた。


「関羽ちゃんはメイドさんなのね」

「ええ。男子は執事で、女子はメイドで接客をするの」

「とっても可愛いメイドさんだわ」


 心から褒めると関羽ははにかんで笑った。
 ○○の腕を掴んで教室へ連れて行った。


「じゃあ、趙雲君。お仕事頑張ってねぇ」

「○○先輩。また後で!」


 趙雲に手を振り、○○は関羽のなすがままとなる。
 世平も苦笑混じりに趙雲に片手を挙げてから二人について来た。

 関羽のクラスは、存外近くにあったらしい。
 さほど時間が経たずに到着した。
 執事とメイドに扮するだけあって、中世のヨーロッパの様式を再現した内装となっている。
 用意出来る物を上手く利用し、見事に再現した喫茶店は中々に繁盛していた。
 中に入ってすぐ、内部を見渡した○○は目を輝かせて胸の前で手を組んだ。


「まあ! 凄いわ。みんな、頑張ったのねえ」


 心の底からそう言うと、関羽は嬉しそうに、誇らしげに笑った。


「では、お席にご案内致します。お嬢様」

「あらあら、こんなおばさんに『お嬢さん』だなんて、嬉しいわぁ」


 うきうきと関羽の後について行く○○。その後ろに、居づらそうな世平が続く。○○よりも年上の彼は、『お帰りなさいませ、ご主人様(お嬢様)』『行ってらっしゃいませ、ご主人様(お嬢様)』と少年少女に言われるのに微妙な気分らしい。
 メイドの関羽からメニューの説明を受けるのを、○○は存分に満喫している。

 注文を終えて関羽が下がったところで、「みんな、可愛いわねぇ」弾んだ声を出した。

 幼馴染みの様子に、世平は苦笑い。


「本当に楽しそうだな、○○。帰る頃にはヘトヘトになるんじゃないか?」

「そうねぇ。お家に帰ったらすぐに寝ちゃうかもしれないわ」

「せめて飯と風呂は済ませろよ」

「忘れちゃっても大丈夫よ。明日があるわ」


 ○○は鷹揚に言う。
 生活習慣がどうのこうの説教されるのだろうと思っていたが、世平は何も言ってこない。

 ちょっと、驚いた。


「あら、小言を言わないのね」

「今日くらいはな」


 世平は肩を竦めて言った。

 珍しい。
 心の中で呟いた。

 それが分かったらしく、世平が眉根を寄せた。


「あのな。俺だってお前を説教したい訳じゃない。お前が俺達に心配をかけるような生活をしているから、こっちも口煩くならざるを得ないんだ」

「でもねえ……私、もう子供じゃないのよ。良い歳なんだから」

「分かってるさ。だが――――」


 そこで、世平は口を噤んでしまう。


「お待たせ致しました。お嬢様。ご主人様」


 関羽が注文の品を持って戻って来たのだった。
 ○○が注文したのは、勿論彼女が考案した、地元の蜜柑を使ったスフレパンケーキである。

 蜜柑が大好きな○○は大喜びだ。


「蜜柑を使ったのね。関羽ちゃん」

「ええ。○○姉さん、蜜柑が大好きだったでしょう? だから喜んでくれると思って」

「大喜びよ。ありがとうね」


 関羽は頬を赤らめて破顔した。

 可愛い子だ。
 昔から――――友達になってから、関羽は関羽なりに○○を喜ばせようと頑張ってくれた。
 生まれて初めて出来た友達を失いたくない一心から始めた奉仕とも言える行動を、○○は止めなかった。小さな子供に出来ることは限られているし、断って彼女を不安がらせたくなかったのだ。

 さすがに今はもうそんなことはないけれど、○○を喜ばせたいという気持ちが残っているのが嬉しかった。

 ○○は愛おしげな温かい眼差しで関羽を仰いだ。

 関羽を見ていると、関麗が垣間見える。
 いつの間にかこんなにも大きくなって……。
 そう思ううちに、誰かと恋をして、嫁いでいって、新しい家族を育んで行くのだろう。

 昔を思い出してつい凝視してしまったらしい。

 関羽が不思議そうに首を傾げた。


「○○姉さん?」

「ああ、ごめんなさい。関羽ちゃん、いつの間にかこんなに大きくなったんだなあって思ってたの。あんなにちっちゃかったのにね。大人になると時間の流れが早くなるって本当ねぇ。……こんなことを言っている間に、関羽ちゃんも結婚して、私もお婆ちゃんになっていくんだわぁ」


 しみじみ言う○○に、世平は溜息をついた。


「○○。一応、年相応にとは言わないからお前も少しくらい結婚願望は持っとけ」

「一応はあるわよぉ。でもときめく相手となかなか会えなくて」

「一番の原因はお前が外に出ないからだろうが」

「失礼ね。ちゃんと出てるわ」

「徒歩十分のホームセンターにな」

「ほら、立派な外出でしょう?」

「そういうことじゃない」


 また、溜息。

 関羽が物言いたげに世平を見て――――いや、睨んでいる。

 その眼光の鋭さに気付いた○○は、早くケーキを食べて欲しいのだと察して、フォークを取った。


「さあさあ、無駄話はこれで終わり。美味しいものをいつまでも無視したら失礼だわ」



‡‡‡




 二人は最後まで文化祭を楽しんだ。
 当然、張飛達のクラスの出し物も覗いたし、休憩に入った趙雲と食堂で雑談がてら関羽達の学校での様子を聞いたりした。途中、中学生の引率で文化祭を訪れていた後輩と会って長話してしまうこともあった。
 懐かしさと嬉しさと楽しさで、思っていたよりもずっとはしゃいでしまっていたように思う。年齢を考えると少し恥ずかしい。

 でも、文化祭の終わりに関羽のクラスに立ち寄って、関羽のスフレパンケーキが一位だったことに飛び上がって喜んだのだけは許して欲しい。本当に嬉しかったのだ。

 関羽達生徒は片付けがあるので一緒に帰ることは出来ず、張飛達が今度○○家へ今日のことを詳しく話に来てくれるのを楽しみに、世平と並んで学校を出た。


「本っ当に楽しかったわあ」

「相当楽しんでたな。お前」

「みんなが楽しんでいる場所にいると楽しいのは当たり前じゃない。世平お兄さんこそ、時々興味を惹かれていた時があったでしょう」

「……まあな」


 気付いていたか、とでも言いたげに唇を歪める世平。

 ○○は小さく笑った。


「メイドの関羽ちゃん、可愛かったわぁ。世平お兄さん気付いてた? 教室の中のお客さん、みんな関羽ちゃんを熱い目で見ていたの」


 見透かしたような顔でわざと問い掛けると、世平の眉間にぐぐっと深い皺が寄る。

 関羽に話し掛けたそうにしていた青年達を世平が殺しそうな目で睨んでいたのは知っていた。諌めたって無駄なような気がしたから何も言わないでいたけれど、○○としては世平がそんな調子では不安が残る。
 ○○の紅唇の隙間からこれみよがしに物憂げな吐息を漏らした。


「世平お兄さんがその調子じゃあ、関羽ちゃんの婚期が遅れちゃうわ〜。私、関羽ちゃんの子供が成人するまでは元気でいたいのよ」



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