関羽
【関羽に近しい女主(姉妹でも親友でも可)が「自分はモブだから」と関羽やその周りを慎ましく見守っていようと思っていたら、予想以上に関羽に好かれていたら?(関羽はモテている)】
※現パロ
『それじゃあ、私と友達になりましょうか』
彼女はのんびりと微笑んで、その微笑みと同じくらい鷹揚な声音でそう言った。
‡‡‡
「おはよう、○○姉さん!」
インターホンを鳴らされること無く、○○の自宅に客人が訪れる。
下の玄関から聞こえた笑顔を誘う元気の良い声に、○○はキーボードを叩いていた手を止めて腰を上げた。
軽くストレッチをして一日の九割を過ごす仕事部屋を後にし、欠伸をしながら階段を降りた。
階段を降りた先には玄関がある。
一般に比べて人の出入りが少ない玄関に、可憐な少女が立っていた。
近くの公立高校の制服に身を包んだ彼女は、○○の姿を見るなりぱっと笑顔を咲かせた。
「○○姉さん」
「おはよう。関羽ちゃん。とっても早いのねぇ」
腕時計を見、○○は首を傾げる。
「今日は文化祭なの」
「あ……そうだったわ。忘れないように行かないとね」
関羽は嬉しそうに頷いた。
どうやら、昔から何かと忘れっぽい○○が前々から交わしていた文化祭を見に来る約束をすっぽかさないように、登校前に様子を見に来たようだ。
「姉さん、何時か覚えてる?」
「九時だったかしら?」
「一般は午前十一時からよ」
「そうそう。そうだったわね。そのくらいに行くわ」
「世平おじさんが迎えに来てくれるわ」
「助かるわぁ」
おっとりと言う○○に、関羽は苦笑を浮かべた。
「もう……姉さん、本当に忘れっぽいんだから。わたしが出た後に忘れないでね」
「さすがにおばさんでもそこまではないわよー」
不満を露わにする○○だが、関羽は構わず何度も重ねて釘を刺し、軽やかな足取りで登校していった。
それを門柱の側まで出て見送り○○は口元を綻ばせる。
また欠伸をして、家に戻った。
仕事部屋に戻る足は早く、今年何度うっかり落として買い替えたか分からないノートパソコンをシャットダウンし、これもまた今年何台目になるか分からないスマートフォンで電話をかける。
『せせ先生! まさかやっっっと原稿が仕上がったんですね!? そうですよね!? それ以外の話なら私の鼓膜即シャットダウンしますからね!?』
電話に出て早々にまくし立てる相手に、○○はやはりおっとりと言葉を返す。
「おはよう、美香ちゃん。ごめんなさいねえ、今日までに仕上げられそうって言ったけれど、私、約束があったのを忘れてて〜。だから、明日以降に完成させて送るわねぇ」
『は!? 約束!? 締切も立派な大人の約束ですよ!? 先生どんだけ締切無視してるか分かって――――』
にこにこと相手の言葉を聞いていた○○であったが、机の隅に置いた時計を見てあっと声を上げた。
「あらあら。もうこんな時間なのね」
『ちょっと、聞いてます!?』
「ごめんなさい。美香ちゃん。そろそろ畑の手入れをしないと〜」
『ちょっとぉぉぉ!!』
のほほんとしていながら、無情に通話を切る○○。
その後鳴り響くスマートフォンを机上に放置して鼻歌交じりに家の庭に出ていった。
○○の家の庭には、彼女が高校生の頃に事故で他界した両親の共通の趣味である家庭菜園が残っている。
現在も毎日娘の手で良く手入れされている畑で育てられた野菜は形も味も良く、たまにおすそ分けする近所からの評判が良い。
彼らが亡くなったばかりの頃は、○○と両親との確かな繋がりでもある畑を守ることで、自分の心を守ってきた。
それが、今では両親と同じように趣味になって、心の底から土いじりを楽しんでいる。自分が育ててみたいと思った野菜が毎年増える。
畑仕事を楽しみ、それからシャワーを浴びて、朝食、外出の支度と、いつも通りのんびりやっているとインターホンが鳴る。
「○○。出来ていないと思うが準備は出来たか?」
「世平お兄さん。いらっしゃい。そうなの。だから少し待ってて」
「ああ、分かっ……たから下着姿で出て来るな!」
上だけ下着のまま廊下に出て階段下を覗き込むと怒鳴られた。
○○はきょとんとして、急かされるままに仕事部屋の隣、あまり利用しない寝室に戻って身支度を整える。
「荷物と戸締まり、三回は確認しろよ」
「はあい」
三回も必要かしら?
いつも皆に言われることだけれど、そこまで確認しなくてはいけない程、自分は抜けていないと思う。ただ、人より忘れっぽいだけで。
だけど、ちゃんと言われた通りにしないと、特に幼馴染みの世平は口煩い。
世平お兄さん以上に、関麗お姉さんが口煩かったわねぇ。
ふと、昔のことを思い出す。
関羽の母親にも、○○は口煩くされていた。
三人の中で、○○が年下だったからだろう。といっても、たった二つ三つの違いである。
関麗はもう、○○の両親と同じ場所に行ってしまったが、関羽が彼女のお節介をそっくりそのまま継いでしまったようだ。
お陰で、亡くなった筈の彼女がまだ自分達の側に残ってくれているような気がする。
「準備は?」
「出来たわ」
「確認は?」
「後は一階だけかしらね」
「なら俺がリビングの方を確認してくるから、お前は風呂とか、客間を確認して来い。良いか、三回だからな」
「大袈裟ねぇ。世平お兄さん」
「大袈裟にさせてるのは何処のどいつだ」
呆れた風情で幼馴染みの頭を撫で、世平は家に上がる。
慣れた足取りでリビングに行く世平をこちらもまた呆れ顔で見送り、○○も一階の戸締まり確認に向かった。
‡‡‡
一般入場の一時間前に、中学生が教師、希望の保護者同伴で入場し、自由に見て回る。
この辺では有名な進学校とあって、○○達が豪勢な手作りのアーチを潜る十一時丁度にはすでに学生達だけで熱すぎるくらいの活気に満ちていた。
「みんな、凄く楽しそうねぇ。可愛い」
「今の時点でこれだけ多いと、昼からとなれば子供じゃなくてもはぐれそうだな。何か興味を引いたなら勝手に行かずに、俺に言ってくれ」
「ありがとう。じゃあ、早速このまま進んで露店から見てみたいわ。関羽ちゃんのところに行く前に、軽くご飯を食べておきましょうか」
「分かった」
関羽の出し物は喫茶店。クラスで料理上手な数名が作った創作デザートのコンテストも行われる。コンテストに関羽も参加しているので、勿論関羽に一票投じるつもりだ。
客ばかりではなく、生徒達も生き生きとしていてこの文化祭を楽しんでいるのが見ていて分かる。
微笑ましい光景に○○の眼差しもいつも以上に柔らかく、優しい。
「良いわねぇ、若いって。おばちゃんも元気になっちゃうわぁ」
「俺より年下が何を言ってる」
「年下って言ったって、そんなに変わらないじゃない。あなたはおじさんで、私はおばさんよ。だって関羽ちゃんがあんなにも大きく可愛く育ったんだもの」
世平はすれ違う中学生を一瞥し、
「……もうそんなになるんだな」
ぼそりと呟いた。
その遠い目を見上げ、○○は微笑を悲しげに曇らせた。
関羽の年齢、それはすなわち関麗の死から経た年月を示す。
生まれたばかりの関羽を近所の老夫婦に託して姿を消した関麗。
翌年には行方が明らかになった。
……遺体となって。
他殺であることは明らかだったが、それ以上捜査が進展することは無かった。
当然、関羽の父親についても分かっていない。
世平が幼い頃から関麗を好いていたのは知っている。
彼女の死にどれだけのショックを受けたのかも、側で見ていた。
老夫婦に金銭的な援助をしているのも、関麗への深い愛情故のこと。
それは今も変わらない。
世平はこれからも関麗を愛して、老夫婦と共に関羽を守り育てていくだろう。
「あの時はありがとう」
「あの時って?」
「関羽が行方不明になった時だ。お前が見つけて戻ってきてから、あの子は前を向くようになった。少しずつ堂々と生きるようになった。今じゃ、沢山の友達に囲まれて、毎日が楽しそうだ。お前が関羽と友達になってくれたお陰で、関羽の今がある」
「あら、私はただ関羽ちゃんと友達になって遊びたかっただけよ。世平おにいさん達が、引っ越して来たばかりで馴染めなかった私と遊びたいからって誘ってくれた時みたいに。それは当たり前のことじゃない?」
関羽と○○の境遇は違うけれど、周りに溶け込めずに独りでいるしか無かった点は同じ。
父親が分からず、母親が遺体で発見された関羽を、近所の人間は敬遠していた。影では様々な憶測が飛び回った。
大人は関羽の前では表に出さなかったが、子供は違った。
無邪気に心無い言葉を浴びせ、手を上げる子までいた。
自分は要らない子――――彼女がそう思い込むのは当然の環境だった。
行方を眩ませたのもその思い込みによる衝動的なもの。
世平や老夫婦は近所を回って情報を集めたが、皆、非協力的で捜索は難航。
そこへ○○があっさりと関羽と手を繋いで帰ってきた時の彼らの顔は今でも笑える。
それから○○は関羽の親友兼姉として、関羽の学校以外のほとんどの時間を一緒に過ごすようになった。
『関羽を虐めたいならまず私を泣かせてからね。あらあらぁ、どうして君が泣いているのかしら。私、何か悪いことをしている? 君達よりも悪いことをしているかしら? ねえ、お姉さんに教えてちょうだい。何の罪も無い小さな女の子に酷い言葉をかける子と、ただその子を片手で持ち上げているだけの私、どっちが悪い?』
自分の前で関羽を罵ったがたいの良い少年の襟首を掴んで片手で軽々と持ち上げ、にっこりと笑って他の子供に問い掛けて答えを促してから、関羽が虐められることはめっきり減った。○○が見た目に似合わず怪力持ちであることを知っているのは世平と関麗だけであったから、いつもおっとりと微笑んで接してくれる美人のお姉さんのこの姿が彼らはよっぽど怖かったと見える。
関羽が虐められなくなると、一部の子供が一緒に遊んでくれるようになり、それが今に繋がっている。
関麗に似て魅力的な女性に育ちつつある彼女が周りに愛されて毎日を明るく過ごせている姿を、一歩引いたところで見守っているのが、○○にとって一番の幸せである。
高校に入学してから学業や部活で滅多に○○に会いに来なくなったのがちょっとだけ寂しいけれど、これから先、関羽が大人になるにつれ、○○の存在は必要無くなり、遠くなっていくのだろう。
もう自分の役目は終わり、ということだ。
関羽はもう自分がいなくても、守らずとも、沢山の人達に愛されて、支えられている。
あとは関羽の物語を彼女自身の足で進めていく姿を、読者として外から見守っていくだけ。
そんな風に悟っていたから、関羽から直接文化祭に来てくれと言われた時は小躍りしてしまうくらい、物凄く嬉しかったと、思い出した。
それだけ嬉しくて大事な約束でもうっかり忘れてしまえるところは、もはや○○の最大の個性である。
「こうして思い出すうちに、いつの間にか私達年を取って、関羽ちゃんの結婚式を迎えちゃうんでしょうねえ。あの子モテモテだから、悪い男に引っ掛からないようにお兄さんがしっかり見てあげないと駄目よ。あ、近所の子達の一部は私が許しませんからね」
「……」
「あらあら。世平お兄さんの機嫌が悪くなっちゃったわぁ」
楽しげに笑い、○○は露店を見渡した。
と、
「おーい、○○姉ちゃん! おっちゃーん!」
賑やかな中、自身を呼ぶ声がした。
聞き慣れた声だ。
○○は足を止めて周りを見渡す。
こちらが見つけるよりも早く、声の主は二人の前に飛び出してくれた。
その姿を見て、○○は顔を輝かせる。
「まあまあ、張飛ちゃん! その服素敵。とても良く似合ってるわよ〜」
騎士服姿の張飛はにっかり笑って、胸を張った。
「恰好良いだろ!」
「ええ。おばさん、ときめいちゃった。今度の作品のネタにさせてもらおうかしらね」
「○○姉さん、張飛なんかネタにしたら売れなくなるよ。児童書なんだからもっと良いネタにしないと」
「何でだよ!」
冷めた感じで話に入ってきたのは、張飛と少しデザインの違う、世平の甥である蘇双だ。その隣には制服姿の関定が何度も頷いている。
「張飛ちゃんと蘇双ちゃんのところはコスプレなの?」
「女子が作った小物を、オレ達男子が騎士のコスプレして売るって奴。で、関定のとこが、」
「輪投げとかボール当てとか、景品付きのミニゲーム。景品が結構豪華なのが売り!」
「どちらもとっても楽しそう。絶対にお邪魔させてもらうからね」
三人の頭を撫でると、ちょっと照れ臭そうにするのがまた可愛らしい。
自然、○○の笑みは深くなる。
「○○。にやけるな」
「本当、子供って輝いていて良いわぁ。文化祭で一杯元気を貰えそう」
「そうか。だったらその元気で早く原稿を書き上げてやってくれよ」
「そうねぇ。頑張るわ」
世平が溜息をつく。
‡‡‡
「○○先輩!」
また、人に呼ばれて足を止める。
華やかに飾られた廊下をこちらに向かって走ってくるのは、関羽のクラスの担任教師である。
彼は○○の前に立つと嬉しそうに目を細めた。
「趙雲君。こんにちは」
「こんにちは。○○先輩、世平殿」
○○に微笑みかける趙雲は、○○の大学の後輩である。
高校卒業後、大学への進学を諦めて就職を選んだ○○は、ある程度の額まで貯まったところで隣県の大学に入学した。
学部も学年も違うが、食堂で相席をしてからすれ違う度に話すようになり、○○の家を訪れる数少ない友人の一人である。
「生活指導の先生は、今日も大変そうだな」
世平がねぎらうと趙雲は苦笑を滲ませた。
先程、不良が女子生徒に絡んでいたのを追い出してきたそうで、巡回を強化しているとのことだった。
「二人を関羽のクラスまで案内したいところだが、」
「勝手に回るさ。俺達のことは気にしないで仕事に集中してくれ。関羽を安心して任せられる教師に怪我をされたら保護者としては困るからな」
趙雲は頷き、○○を見て口を開きかけた。
だが、
「○○姉さん! 世平おじさん!」
関羽の声が遮った。
○○と趙雲の間に入ってきた関羽は、ヴィクトリアンメイド姿でとても清楚で可愛らしい。
揺れるスカートを押さえ、関羽は○○に明るい笑顔を向けた。
「関羽ちゃんはメイドさんなのね」
「ええ。男子は執事で、女子はメイドで接客をするの」
「とっても可愛いメイドさんだわ」
心から褒めると関羽ははにかんで笑った。
○○の腕を掴んで教室へ連れて行った。
「じゃあ、趙雲君。お仕事頑張ってねぇ」
「○○先輩。また後で!」
趙雲に手を振り、○○は関羽のなすがままとなる。
世平も苦笑混じりに趙雲に片手を挙げてから二人について来た。
関羽のクラスは、存外近くにあったらしい。
さほど時間が経たずに到着した。
執事とメイドに扮するだけあって、中世のヨーロッパの様式を再現した内装となっている。
用意出来る物を上手く利用し、見事に再現した喫茶店は中々に繁盛していた。
中に入ってすぐ、内部を見渡した○○は目を輝かせて胸の前で手を組んだ。
「まあ! 凄いわ。みんな、頑張ったのねえ」
心の底からそう言うと、関羽は嬉しそうに、誇らしげに笑った。
「では、お席にご案内致します。お嬢様」
「あらあら、こんなおばさんに『お嬢さん』だなんて、嬉しいわぁ」
うきうきと関羽の後について行く○○。その後ろに、居づらそうな世平が続く。○○よりも年上の彼は、『お帰りなさいませ、ご主人様(お嬢様)』『行ってらっしゃいませ、ご主人様(お嬢様)』と少年少女に言われるのに微妙な気分らしい。
メイドの関羽からメニューの説明を受けるのを、○○は存分に満喫している。
注文を終えて関羽が下がったところで、「みんな、可愛いわねぇ」弾んだ声を出した。
幼馴染みの様子に、世平は苦笑い。
「本当に楽しそうだな、○○。帰る頃にはヘトヘトになるんじゃないか?」
「そうねぇ。お家に帰ったらすぐに寝ちゃうかもしれないわ」
「せめて飯と風呂は済ませろよ」
「忘れちゃっても大丈夫よ。明日があるわ」
○○は鷹揚に言う。
生活習慣がどうのこうの説教されるのだろうと思っていたが、世平は何も言ってこない。
ちょっと、驚いた。
「あら、小言を言わないのね」
「今日くらいはな」
世平は肩を竦めて言った。
珍しい。
心の中で呟いた。
それが分かったらしく、世平が眉根を寄せた。
「あのな。俺だってお前を説教したい訳じゃない。お前が俺達に心配をかけるような生活をしているから、こっちも口煩くならざるを得ないんだ」
「でもねえ……私、もう子供じゃないのよ。良い歳なんだから」
「分かってるさ。だが――――」
そこで、世平は口を噤んでしまう。
「お待たせ致しました。お嬢様。ご主人様」
関羽が注文の品を持って戻って来たのだった。
○○が注文したのは、勿論彼女が考案した、地元の蜜柑を使ったスフレパンケーキである。
蜜柑が大好きな○○は大喜びだ。
「蜜柑を使ったのね。関羽ちゃん」
「ええ。○○姉さん、蜜柑が大好きだったでしょう? だから喜んでくれると思って」
「大喜びよ。ありがとうね」
関羽は頬を赤らめて破顔した。
可愛い子だ。
昔から――――友達になってから、関羽は関羽なりに○○を喜ばせようと頑張ってくれた。
生まれて初めて出来た友達を失いたくない一心から始めた奉仕とも言える行動を、○○は止めなかった。小さな子供に出来ることは限られているし、断って彼女を不安がらせたくなかったのだ。
さすがに今はもうそんなことはないけれど、○○を喜ばせたいという気持ちが残っているのが嬉しかった。
○○は愛おしげな温かい眼差しで関羽を仰いだ。
関羽を見ていると、関麗が垣間見える。
いつの間にかこんなにも大きくなって……。
そう思ううちに、誰かと恋をして、嫁いでいって、新しい家族を育んで行くのだろう。
昔を思い出してつい凝視してしまったらしい。
関羽が不思議そうに首を傾げた。
「○○姉さん?」
「ああ、ごめんなさい。関羽ちゃん、いつの間にかこんなに大きくなったんだなあって思ってたの。あんなにちっちゃかったのにね。大人になると時間の流れが早くなるって本当ねぇ。……こんなことを言っている間に、関羽ちゃんも結婚して、私もお婆ちゃんになっていくんだわぁ」
しみじみ言う○○に、世平は溜息をついた。
「○○。一応、年相応にとは言わないからお前も少しくらい結婚願望は持っとけ」
「一応はあるわよぉ。でもときめく相手となかなか会えなくて」
「一番の原因はお前が外に出ないからだろうが」
「失礼ね。ちゃんと出てるわ」
「徒歩十分のホームセンターにな」
「ほら、立派な外出でしょう?」
「そういうことじゃない」
また、溜息。
関羽が物言いたげに世平を見て――――いや、睨んでいる。
その眼光の鋭さに気付いた○○は、早くケーキを食べて欲しいのだと察して、フォークを取った。
「さあさあ、無駄話はこれで終わり。美味しいものをいつまでも無視したら失礼だわ」
‡‡‡
二人は最後まで文化祭を楽しんだ。
当然、張飛達のクラスの出し物も覗いたし、休憩に入った趙雲と食堂で雑談がてら関羽達の学校での様子を聞いたりした。途中、中学生の引率で文化祭を訪れていた後輩と会って長話してしまうこともあった。
懐かしさと嬉しさと楽しさで、思っていたよりもずっとはしゃいでしまっていたように思う。年齢を考えると少し恥ずかしい。
でも、文化祭の終わりに関羽のクラスに立ち寄って、関羽のスフレパンケーキが一位だったことに飛び上がって喜んだのだけは許して欲しい。本当に嬉しかったのだ。
関羽達生徒は片付けがあるので一緒に帰ることは出来ず、張飛達が今度○○家へ今日のことを詳しく話に来てくれるのを楽しみに、世平と並んで学校を出た。
「本っ当に楽しかったわあ」
「相当楽しんでたな。お前」
「みんなが楽しんでいる場所にいると楽しいのは当たり前じゃない。世平お兄さんこそ、時々興味を惹かれていた時があったでしょう」
「……まあな」
気付いていたか、とでも言いたげに唇を歪める世平。
○○は小さく笑った。
「メイドの関羽ちゃん、可愛かったわぁ。世平お兄さん気付いてた? 教室の中のお客さん、みんな関羽ちゃんを熱い目で見ていたの」
見透かしたような顔でわざと問い掛けると、世平の眉間にぐぐっと深い皺が寄る。
関羽に話し掛けたそうにしていた青年達を世平が殺しそうな目で睨んでいたのは知っていた。諌めたって無駄なような気がしたから何も言わないでいたけれど、○○としては世平がそんな調子では不安が残る。
○○の紅唇の隙間からこれみよがしに物憂げな吐息を漏らした。
「世平お兄さんがその調子じゃあ、関羽ちゃんの婚期が遅れちゃうわ〜。私、関羽ちゃんの子供が成人するまでは元気でいたいのよ」
「その前に、関羽にお前の子供を抱かせてやれ」
「そうは言ってもね、私には相手がいないわ」
「関羽が成人するまで相手が現れなかった時には俺が貰ってやるから安心しろ」
さらりと告げられた言葉に、○○の歩調が乱れた。ほんの少しだけ後退してしまった。
どくりと大きく跳ね上がった心臓が嘘だろうと胸のうちで騒ぎ立てる。
勝手に期待する心臓を宥めつつ、○○は努めて平静に返した。
「残念でした。私に関麗お姉さんの代わりは出来ま、せん!」
「うっ!」
強めに背中を叩き、うっと息を詰まらせた世平に笑いかける。
ほんの僅かに表に出してしまった動揺を誤魔化したくて、数歩跳ぶように前に出た。
「冗談が過ぎるわよ。世平お兄さんがどれだけ関麗お姉さんに惚れてたか知ってるんだから」
世平を振り返らぬまま片手を振って、先を行く。
後ろで溜息。
次いで、がりがりと何かを忙しなく掻く音。
○○は振り返らぬまま、帰路を辿る。
後ろで彼がどんな顔をしているか、○○には分からない。
‡‡‡
「絶対、無理だと思う」
蘇双はばっさりと切り捨てた。
辺りはもう日が沈み真っ暗だ。片付けを終え、いつもの三人でいつもの道を歩いて帰っている。
関羽は世平が関羽を引き取った老夫婦を連れて車で迎えに来て、そのまま外食だそうだ。
星の少ない夜空に寂しげに浮かんだ三日月を仰ぎ、関定が肩を竦める。
「激しく同意」
「相手が○○姉ちゃんじゃなあ……姉ちゃんの周りに色々問題がありすぎる」
張飛が溜息混じりに、ちょっとだけ辟易した様子で言うのに蘇双も関定も大きく頷いた。
「世平の奴、初恋を乗り越えたかと思ったら、潔く自分の初恋を諦めて側で見守ってくれてた人に惚れるって……」
三人同時に溜息。
彼らの現在の議題は、蘇双の叔父張世平と○○の恋は叶うか否か。
結論はすぐに『無理』と出る。
それでも何度も議論するのは、三人共幼い頃から慕う○○を幸せにしてくれるのは世平しかいないと思っているからである。
だが……。
「しかも姉貴が○○姉ちゃんに近付く男の悉(ことごと)くをしれっと排除してるからなぁ」
「最近は趙雲と諸葛亮だったっけ。警戒してるの」
「《特に》な……」
諸葛亮とは市立図書館の館長である。児童書作家の○○とは頻繁に顔を合わせる機会が多く、現在趙雲と並んで関羽に特に警戒されている青年である。
関羽程ではないが、○○を恋い慕う男は多い。
世平を筆頭として近所の独身男性はほとんどだし、大学の後輩趙雲や、図書館館長の諸葛亮、また近くの交番に勤務する夏侯惇も気があるようだ。
だが彼らと○○の間に浮いた話が出たことは無い。
何をどうやっているのか、関羽が徹底的に邪魔をしているのだ。
大事な○○を誰かのものにしたくないらしく、少しでも気があると判断すると、○○の知らぬところでこれでもかと邪魔してくる。
世平ですらその対象なのだから相当である。まあ、他に比べて軽い方ではある。
その所為で関羽と夏侯惇は物凄く仲が悪い。
一時期張飛達の中で同性でありながら○○に対して恋愛感情があるのではと疑いが持ち上がったが、どうやら違うようだ。
恋愛感情ではなく、母親を盗られるのを怖がる子供と同じだと、関羽を育てた老夫婦が苦笑混じりに言っていた。
高校に入学して充実した忙しい毎日を送るようになって少しは○○離れも進んだだろうと思っていたのに、二年生になっても彼女は変わっていない。
「関羽、○○よりモテてるのに、○○が男に盗られないようにするので青春を使い切るよね。このままだと」
「張飛終了のお知らせだなコリャ」
「いやまだ分からねーじゃん!」
「万が一大丈夫だったとしても、張飛は無理だと思う」
言って蘇双が頭の中に浮かべるのは、近所の建築会社社長の一人息子、劉備。
関羽が○○の次に遊ぶようになった年下の少年で、私立中学に通ってはいるものの、今でも張飛達と遊ぶこともあるし、○○の家に遊びに行くこともある。
○○が要れば良いと割と本気で思っていそうな関羽の懐に、劉備は張飛以上に入り込んでおり、他の関羽狙いの男達よりも遥かに優位に立っている。
幼い頃からずっと関羽に想いを寄せてきた張飛でも到底敵わぬ相手であった。
ただ、最も強い恋敵は劉備というだけで、他にも捨て置けない男は多い。
周瑜や孫権、それから馬超や曹操も関羽に気があるのは明らかだ。
彼らの能力や身の上を考えると、どうにも張飛の分が悪い気がする。関羽にとっては張飛は弟のようなものだろうから。
張飛はがくっと肩を落とし、犬のように悔しげに唸る。
そんな幼馴染みの肩を、左右から叩く二人である。
「まあ、お前には到底無理だとは思うけど、頑張れ」
「夏侯淵をミジンコに変えるくらい無理だとは思うけど、頑張れ」
「蘇双ちょっとそれ意味分かんないんだけど超絶無理だって言いたいのは分かった。一発殴らせろ」
「張飛が関羽と付き合ったらね」
蘇双は小馬鹿にして、数歩前に出る。
すぐに憂い顔で立ち止まる。
「そんなことよりも、○○姉さんが一生嫁げないままだったらどうしよう」
「……うーん」
「色々世話になってるし、だいぶ迷惑もかけちまったし……○○姉ちゃんには幸せになって欲しいよなぁ」
「でもさ、関羽のあれ、落ち着くと思うか?」
「それに加えて、なんか、○○姉さんってば子育てを終えた母親みたいなオーラ出してるんだよね。関羽が入学してから」
「あー、それ分かる。もう私がやるべきことは無いわ
とか思って安心してそう。○○さん、そのまま隠居したりしないよな?」
「「……」」
三人は顔を合わせ、世平を憐れみ長々と嘆息したのだった。
関羽が青春を楽しむ気になればまだ小さくても望みがあるのかもしれないが、現状、そんな気配はまるで無い。
「おっちゃん……」
張飛の深い憐れみのこもった呟きが、ひんやりとした夜陰に無情に溶けていった。
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