これにはもう笑うしかありませんでした。
 この方は本当に……血しか見えていないのですね。
 わたくしのことなど、もう――――。


「……えて」

「何?」

「消えて、消えて、消えて! 今すぐここから! この世から!! もう全てが憎い!! あなたも関羽さんも殺してやりたいくらいに憎い!! わたくしの視界に二度と映らないで!! 関羽さんの何もかももあなたの何もかもも、この世界から滅びて無くなって!」


 自分のおぞましい金切り声で頭がくらくらしながら、わたくしは壁を何度も殴って曹操様を睨みました。

 曹操様は鼻白み、言葉も出せない様子でした。
 今更です。今更わたくしのことを気にして、昔と違うなんて、心配するのです。


「いいえ。いいえ! 滅ぼしてやる。わたくしが、あなたの全てを滅ぼしてやる。夏侯惇様も夏侯淵様も、関羽さんも関羽さんの大事なものも全てわたくしがこの世から消し去ってやる……!!」

「○○」

「あなたの妻になったのは間違いだったわ!!」


 曹操様は、わたくしから視線を反らし足早に部屋を出て行きました。
 遠ざかる足音を聞きながら、わたくしはふらふらと寝台に近寄ります。

 そして、倒れ込むのでした。



‡‡‡




 ○○の部屋から異臭がすると、見回りの兵士達の報告を聞いた曹操は、気まずさを抱きながら夏侯惇を伴ってここ三日程近寄らずにいた妻の部屋へ向かった。

 あの日見た彼女の形相が今でも忘れられない。
 あんな顔が出来る女だと、思っていなかった。

 関羽は○○に対して怯えているが、同時に心底案じてもいる。
 ○○のことで、関羽は曹操をきつく責めてきた。
 自分ではなく、妻のことを大事にするべきだと。混血なんて彼女の存在に比べればあまりに小さいことだと。

 混血でない○○など、もうどうでも良かった。
 関羽さえいれば、それ以外には何も要らない。
 関羽との婚儀の予定が定まれば、○○は離縁して故郷に帰すつもりだった。

 それを伝えると、関羽は激昂した。 
 自分にそのつもりはないと。すでに○○という妻を持つ曹操を一人の男として愛すことは絶対に無いと。

 関羽にはこの血の貴(とうと)さが分かっていないのだ。
 どのようにして分からせるか、今曹操の頭の中はそればかり。


「曹操様。臭いが……」

「……これは……死臭か」


 鼻を動かし、曹操は顔を歪める。
 ○○の部屋は近い。
 ということはやはり、この臭いのもとは○○の部屋……。


 嫌な予感がした。


 曹操は足を早めた。
 ○○の部屋に近付くにつれて死臭も強くなっていく。


「曹操様……もしや、○○様の御身に何か遭ったのでは……」

「……」


 ○○の部屋の扉が見えてきた。
 曹操は、小走りになって部屋に飛び込んだ。

 愕然。


「な……!」

「曹操様っ。○○様は……」


 夏侯惇の言葉が途切れる。

 曹操は寝台に歩み寄った。
 そこには人の形をした塊が乗っている。
 異臭の原因は、これだ。


 腐乱死体。


 膨張した青黒い肌には気泡が生じ、至る所でそれが破けて腐敗した体液が垂れたどろどろになった無惨な姿だ。顔もぶくぶくに膨れ上がって、眼球も飛び出し、誰なのか分からない。
 蝿やうじ虫がたかっている死体は、着ているものから察するに……○○だろうか。

 曹操は衝撃を受け、また混乱した。


「夏侯惇。たった三日で、死体がこうなると思うか」

「……いえ。さすがに短すぎます。三日前はまだ、ご存命だったのですか」

「ああ……。確かに、生きていた」


 夏侯惇も、死体が○○であることを察したらしい。
 動揺の濃い表情で寝台を見下ろしている。


「これはどういうことでしょうか」

「分からぬ。医者を呼べ」

「はっ」


 夏侯惇が足早に部屋を出て行く。

 曹操は妻の無惨な姿を見下ろし、ふと股の辺りに不自然な膨らみがあることに気が付いた。
 気が引けたが、裳をめくり上げて覗き込むと、別の小さな肉塊が。

 曹操は青ざめた。


「……まさか、赤子……なのか……?」


 私の子か?

 嘘だ。
 信じられない。
 この大きさに育っているのならば腹も相応に膨れている筈。
 三日前に見た時には……。

 ……腹は、膨れていただろうか?

 覚えていない。


「そんなものだったんだな。お前の心は」


 不意に、背後で声。
 夏侯惇の声ではなかった。
 曹操は反射的に得物の柄を握り身体を反転させた。

 薄汚い服を着た少女がいる。
 ○○の食事と風呂の世話をしていた下仕えの少女である。
 などと、曹操には分かるまい。

 少女は寝台に歩み寄り目も当てられない様相となった○○の顔をそっと優しくいたわるように撫でた。


「可哀相に。私の可愛い○○。この男の甘言に惑わされて故郷を出たばっかりに、こんな姿になり果てて……」


 この少女は何者だ。
 曹操は彼女から距離を取り、得物を鞘から抜く。

 注意深く少女の動向を見つめる。


「お前の望みはちゃんと聞いていたよ。私が叶えてあげるから、安心してあの命の谷に帰っておいで」


 そう言った直後。
 ○○の身体が光に包まれる。
 小さく震えたかと思うと光が丸くなり、急速に小さくなって消失した。

 ○○と赤子の死体は消えてなくなっていた。


「なっ!?」

「曹操。娘と娘に孕ませた子は返してもらうよ」

「何をした!? お前は……!」


 少女は曹操を見上げ、微笑んだ。


「神様さ。○○達に大事に大事に奉られている神様。この子が心配でついて来ていたんだ。この子のこと、ずーっと見ていたよ。お前が娘にしたことも、ぜーんぶ、ね」

「神……だと……」


『村人は皆、神様から様々な恩恵を受けております。わけてもわたくしは、恐れ多いことに実の娘のように目をかけていただき、神様にお目通りを許されております』


 ○○の言葉が脳裏に蘇る。

 神。

 そんな存在、いる筈がない。
 いる筈が……。

 では、十三支の存在はどう説明する?
 この身に半分流れる呪われた血は?

 曹操は冷や汗を流した。


「ちゃんと○○を幸せにしてくれたら、こんなことにはならなかったんだ。あの子は貪欲じゃない。受けた分以上のものを返そうとする健気で純粋な優しい娘だった。些細なことでも幸せを感じるような娘だったんだ。お前の全てを受け入れて、あの子なりにお前の救いになろうとしていた。その結果がこれとは、あまりに酷い」


 色を失った曹操を見つめ、少女は笑みを深める。


「滅びろ。あの子が願った通りに。お前の大切な者達と、お前を大切に思っている者達と、関羽が大切に思っている者達と一緒に」

「……っ、止めろ……!」

「お前は谷の人間ではないだろ。私がお前の望みを叶える理由は無いな。それに、もう遅いよ」


 もう始まっているから。
 その言葉と同時に、夏侯淵が部屋に飛び込んできた。


「そ、曹操様!! 十三支の女が!」

「! 何が遭った!?」

「と、突然胸を押さえて苦しみ始めて……医者を呼ぶ暇も無く、息絶えました……」


 足元が崩れていくような感覚に襲われた。

 少女を見やるも、もうそこに少女はいなかった。

 それから程無く、


「曹操様!! 夏侯惇様が突如お倒れに!!」

「曹操様! 荀イク様が!」

「曹操様! 曹仁様が!」


 兵士達が血相を変えて異変を報告しに飛び込んで来る。


「……一体、何が――――うぐっ!?」

「か、夏侯淵様!?」


 夏侯淵までもが、胸を押さえてその場にうずくまる。
 苦しげに呻き、床を引っ掻いて――――絶命した。


『滅びろ。曹操』


 耳元で、少女の声が囁いた。
 曹操は茫然と、寝台を見下ろしているしか無かった。


「……○○」


 お前と出会わなければ良かった。



‡‡‡




「嗚呼、やっと言ってくれたね。○○」


 わざわざ死体から別の身体に魂を移した甲斐があった。
 神は平和な村を見下ろし、微笑んだ。

 ○○は、とっくの昔に自害していた。曹操から貰い受けた匕首で胸を貫いて。

 だが彼女を慈しんだ神はそれで終わらせなかった。
 命絶える間際、魂を○○そっくりの人形に移し替え、苦行の日々を過ごさせた。
 更に苦しめることに胸が痛まなかった訳ではないが……それよりも彼女がこのまま死んであの二人が幸せになるなど、神には赦しがたかったのだ。

 しかし神と言えども伴侶から非道な扱いを受けた《神の娘》が伴侶を憎み復讐を望まなければ、神は何も出来ない。

 だから曹操でも関羽でも良い、○○が憎み、滅びを望むように仕向ける必要があった。

 神は、村の住人全てを我が子のように愛している。
 可愛い我が子を不幸たらしめた存在をのうのうと生かしておく訳が無い。

 それに、曹操があの谷に迷い込んできたのは神の結界が緩んでいたことに気付かなかった所為だ。責任は自分にもある。
 己の不備の為に○○への償いの意図も含まれていた。


「帰ろう……大丈夫。谷に帰れば新しい命を吹き込んであげるよ。今度こそ、あの穏やかな村で、幸せにおなり。罪の無い赤子と共に」


 神は結界をかけ直す。このような悲劇が起きないように、何重にも、何重にも。



‡‡‡




 神の娘は愛する将軍様に裏切られ、心をこわしてしまいました。
 将軍様は違う女性に心をうばわれ神の娘にそれはそれはひどい仕打ちをしたのです。
 神の娘は失意のうちに自ら命を絶ってしまいました。
 当然、将軍様には罰が当たります。
 まず将軍様が愛してしまった女性が突然死んでしまいます。
 それから、彼に従う者達が。
 そして最後に、将軍様が死んでしまいました。
 神の娘は誰に弔われることもありませんでしたが、憐れんだ神様が故郷へ連れ帰ると、不思議なことに息を吹き返し、前のように穏やかな暮らしに戻ることが出来ました。
 きっと、それからは幸せに暮らしたことでしょう。
 いつくしみ、愛してくれる優しい人々に囲まれて。




●○●

 ネタを見てこの話を思い付く自分の精神ちょっとヤバいかもと思いました。
 これ書いていて、自分かなり病んでるなと思いました。
 悪い方向に凄いものを書いてしまった気がします。多分夢小説では滅多に無いパターンなのではないかと。

 ネタを提供していただき、本当にありがとうございました。


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