曹操


【夢主と曹操が両思いになった後、もし曹操が関羽が自分と同じ混血だと知ったら】
※恐らくサイト一番のバッドエンド。
※救いは全く無し。
※死ネタ(夢主どころか原作キャラもことごとく死にます)
※グロテスクな表現。

↓要注意でお読み下さいませ↓


















































 これは、むかーしむかしのお話。
 ここからとおい場所にある谷には、さる神様をまつったとても小さな村がありました。
 大事に神様をあがめる心おだやかで純粋な村人達は、神様からささやかな《恩恵》を与えられておりました。
 特に村長の孫娘は、生まれた時から神様に愛され、守られておりました。
 娘は、神様だけでなく村人達からもいつくしまれながら、大層美しく、心根優しい女性に育ちました。
 大人になった娘は一人の将軍様と出会い、ひとめで娘を気に入った将軍様の妻となりました。
 将軍様はとても優しい方でした。
 娘も将軍様を愛すようになり、二人は仲むつまじく暮らしておりました。

 ところが――――。




‡‡‡




「曹操様。今宵はこちらでお休みなさいますか」

「いや。自室で良い」


 素っ気なく早口で返された答えに、たとえ予想通りでもわたくしの胸は締め付けられるような息苦しい痛みを覚えるのです。

 久方振りにわたくしの部屋へお出でになった旦那様は、終始そわそわと落ち着かぬ様子でした。
 ここには一時もいたくない――――そんな思いが透けて見えるようです。

 お茶を飲み、わたくしの近況を軽く確認なさったのみで足早に退室なさいました。
 わたくしの名前も、一度も呼んではいただけませんでした。覚えていらっしゃるのかも、分からなくなっています。

 廊下に出て大股に離れていく夫の後ろ姿を見送り、わたくしは溜息を漏らしました。
 侍女も全員外され、たった独りで過ごす部屋は、廊下よりもずっと寒いように感じます。
 一人で自分のことをするのは苦ではないのですが、侍女達と他愛ない話で笑い合っていた日々が、とても恋しく思います。

 一口しか飲まれなかった茶を片付け、一度も手を付けられなかったわたくしがお作りしたお菓子を自分で食べ、寝台に腰掛けました。
 自分の手で整えた寝台を見下ろして、


「一体何度、独り寝の夜を越えたことでしょう」


 曹操様の妻となり、どれ程の時が経ったのでしょう。
 嫁いだ当初はこんな未来など予想だにしておりませんでした。

 ○○は故郷が懐かしく思います。
 村の横を流れていた小川に足を浸け魚を追いかけていた頃に帰りたい。
 祖母の手によって作られていく竹細工を眺めながら、母の作ってくれたお菓子を食べていたい。
 祖父と父と一緒に、あの狭い畦道を歩きたい。

 こんな所に来なければ良かったと、一体何度後悔したことでしょう。
 わたくしがあの人の求婚に応じてしまったばっかりに、わたくしは身を切られるような苦痛の中にいるのです。

 あの方がわたくしのもとへお戻りになりますようにと、故郷に眠る神へ何度願ったか分かりません。

 わたくしには願う以外にどうすることも出来ないのです。

 わたくしを妻にと求めて下さった曹操様とわたくしの間に突然入ってきた、関羽さんという十三支と人間の混血の少女。

 曹操様の心は今や、完全に彼女のものとなってしまいました。
 わたくしには、曹操様と彼女の絆を壊すことは出来ないのです。
 関羽さんが曹操様の《同胞》だから。

 本来結ばれるべき相手は関羽であったと断言された曹操様が、今日ほんの一時だけでもわたくし部屋を訪れて下さったことは大変喜ばしいこと。
 そう、思わなければならないのに。

 わたくしは、寝台突っ伏し咽を詰まらせました。


「……っぁ、ァ……」


 関羽さんが現れるまでは、わたくしは曹操様に愛され、わたくしも曹操様を愛していました。
 本当に、本当に、我が身には勿体ないくらい幸せな日々だったのです。
 たった一人の為にこうも容易く壊れてしまうなどと、誰が想像出来たでしょう。

 わたくし関羽さんと顔を合わせたこともありません。曹操様お願いしてみましたが、頑なに拒まれています。
 ですから、関羽さんがどんな方なのかを知りません。
 わたくしよりも優れた方であれば諦めもつこうものですが、顔も性格も知らぬとあれば、胸中に渦巻くモノを消化できないまま抱えるしかないのです。

 きっとわたくしが先に出会わなければ良かったと思っておいででしょう。
 曹操様が求婚された手前、わたくし自ら離縁を申し出ることをお望みなのでしょう。

 ですが……わたくしは、今でも曹操様をお慕いしております。
 わたくし自身これ以上は自分の心が壊れてしまうかもしれないと頭では分かっています。
 こんなにも、苦しくて、痛くて、寒くて堪らないのに、曹操様を恨むことが出来ずにお側を離れたくないと思ってしまうのです。

 いっそのことこの苦痛がわたくし殺してくれたら、どんなにか楽なことでしょう。

 声を押し殺して泣くこと暫し、下仕えの少女がわたくしに料理を運んで下さいました。
 わたくしの食事や入浴の世話だけはこの下仕えの少女に任されています。
 曹操様からわたくしと馴れ合いはするなと命じられているようで、名前も身の上も話してくれませんし会話も長くは続けませんが、わたくしを良く気遣かってくれる優しい子です。


「曹操様……またあの十三支の部屋に入って行かれました。奥様がいるのに」


 悔しげに言う少女の頭を撫で、わたくしは努めて笑顔を浮かべます。


「そんな顔をしないで。可愛い顔が台なしですよ」

「奥様……」


 少女の瞳が潤んでいきます。


「わたくしのことを気遣かってくれて、ありがとう。さあ、長居すると曹操様に怒られてしまうわ」


 食事を机に並べ終わった彼女を諭し、持ち場に戻って行った後でわたくしは孤独な食事を摂ります。最近は、どうしてか全てを食べることが出来なくなりました。今では、食べられそうなものだけをお腹に入れておく事務的な作業と化しております。
 数ヶ月前までは、目の前に夫が、後ろには気の置けない侍女達がいてくれました。

 寒い。ここは本当に、寒い……。

 食事の手を止め、わたくしはもう一度寝台へ近寄りました。
 枕の下に手を差し込み、そこに隠された硬質な物を引き出します。

 匕首です。
 嫁いですぐ、立場上命を狙われる恐れがある為護身用に持っていろと、曹操様にいただきました。

 鞘から抜いて、研ぎ澄まされた刃に映り込む顔を見下ろしました。
 窶(やつ)れて目の下に濃いくまもあり、とても醜い女の顔です。
 わたくしは自分の顔が恐ろしくなりました。
 見たくない。
 見たくない。
 こんな自分を見たくない。

 堪らずに、その刃を己に向け――――。



 ……嗚呼、神様。わたくしはどうしたら良いのでしょうか。



‡‡‡




 誰かの声が、わたくしの意識を呼び起こします。
 気怠さに呻きながら重たい瞼を持ち上げ、寝台から起き上がりました。

 声は、少女のもののようでした。

 わたくしはよろけながら扉に近付き、そっと扉を開けました。

 わたくしと同じくらいの背丈の、可愛らしい少女が扉の前に立っていました。
 その少女は人ではありませんでした。
 頭に、髪の色と同じ色をした獣の耳があるのです。

 瞬間、周りの音が全て消え失せてしまいました。

 人の姿に猫の耳を持つ半妖、十三支――――関羽。

 彼女の口が薄く開かれたのを見た途端わたくしの胸の奥からおぞましいモノが沸き上がって来たのです。
 その出口を塞ぐようにわたくしは勢い良く扉を閉めました。


『! ま、待って! 待って下さい、○○さん!』

「……っ、わたくしの名前を呼ばないで!!」


 叫んで、よろめきました。
 何を恐れているのでしょう、わたくしはおおわらわで部屋を駆け回り、様々な物を扉へ投げつけました。傷ついていく扉に構わず、関羽さんが消えるまで何もかもを投げつけました。

 一瞬だけ見た関羽さんは、わたくしなどよりも若く、可愛い面立ちをしておりました。誰からも愛される方でしょう。

 女として、わたくしは完全に劣っていたと分かりました。

 同時に、わたくしが自分が思う以上に性格の悪い女なのだということも、分かってしまいました。
 関羽さんであると分かった瞬間、わたくしの中に生まれたどす黒いモノ。わたくしはそれを抑えることが出来ませんでした。

 嫉妬。
 憎悪。
 殺意。

 おぞましい衝動です。
 そんな醜いモノをわたくしは抱いてしまったのです。

 こんな気持ち、知りたくありませんでした。

 投げる物が無くなり、もう関羽さんの声も聞こえて来ません。
 扉に開いた幾つかの穴から見ても人影は見えません。
 わたくしはその場に座り込みました。自分の恐ろしさにただただ身体が震えています。

 嫁がなければ良かった。
 故郷を出ずに、故郷の誰かに嫁いで天寿を全うしていれば、こんなおぞましい激情と無縁でいられたでしょう。

 このままここで独りで生きていたら、関羽さんだけでなく曹操様すらも憎んでしまいそう。
 自分がどんどん醜く、邪悪に堕ちていく感覚が、空恐ろしくてたまりません。

 わたくしはまた、寝台へ近寄りました。

 寝台の上には寝る前に触っていた匕首が無造作に置かれていました。
 もう一度手に取る気にはなれずにそのままにして、横たわったわたくしは程無くして眠りの淵へ逃げ込んだのです。



‡‡‡




「お前はもう少し利口だと思っていたが、どうやら違ったらしいな」


 そんな言葉の後に、乾いた音が散らかったままの部屋に響きました。

 じんと熱を帯びた痛みを頬に感じ、わたくしは斜め下に顔を向けた状態で固まっていました。

 わたくしの前には、曹操様がいます。
 冷淡な表情のお顔に憎悪の禍々しい焔を瞳に宿し、わたくしを睨んでおられます。

 こんな顔を、こんな目を、わたくしが向けられるなんて。


「り、こう……?」

「私を理解したお前ならば私にとって関羽がどれ程大事な存在か分かってくれると思っていたが、それは私の過大評価だった」


 言葉のなんと冷たいこと。
 声には感情もありません。
 心にもない言葉で隠していますが、二、三日前に関羽さんに無礼を働いたことに対する怒りをわたくしにぶつけているだけです。


「わたくしは……曹操様の妻です」

「私と関羽はそれ以上の絆を生まれ持っている。所詮、お前は人間。お前ならば理解してくれると思っていた私が愚かだった」


 吐き捨てる曹操様は部屋を見渡し、溜息をついた。
 それ以上の言葉をかけず、足早に部屋を出て行かれました。

 『お前ならば理解してくれる』……?
 どの口が、そんなことを言うの。
 わたくしはあなたを愛していました。心の底から愛していました。

 だから、曹操様。あなたに人間の耳が無いことを知っても、二人きりで誰の耳も無い所でそれを追求してあなたが混血であることを知っても、わたくしは何も気になりませんでした。
 むしろあなたの悲しい身の上を聞いて、あなたの心を少しでも温めてあげられたら、あなたが安らげる場所をお作り出来たらと、わたくしに出来ることを何でもして差し上げたいと思っておりました。
 己の血に囚われることは無いと、曹操様は曹操様の思うように曹操様の道を歩んでいけばよろしいのですと、わたくしはあなたにお伝えしました。だって、血などに関係なく曹操様は本当に素晴らしい方ですから。
 わたくしはあなたに妻に求められて、本当に、本当に嬉しかったのです。

 けれど、結局はわたくしの想いは全て、あなたの心へは届いていなかったのですね。
 あなたはわたくしを捨て、同じ混血の関羽さんを取った。

 わたくしに対する気持ちは微かにも残っておられないのですね。
 よく分かりました。

 もう、考えることは止めましょう。
 疲れてしまいました。

 下仕えの少女が心配そうな顔をして食事を持ってきてくれましたが、空腹でもなく食べる気になれず持って帰ってもらいました。

 ぼろぼろで、散らかった部屋の中で、わたくしは寝台に横になりました。



‡‡‡




 人間とは、存外丈夫な生き物なのですね。
 食事を一切摂らなくなってからもう十日を過ぎておりますが、気怠い以外には特に不調はありません。
 ただ、一日に何度も寝台で寝るようになりました。
 眠い訳ではないのですが何が無くても寝台に横たわっています。

 あれから曹操様は部屋にお出でになっておりません。関羽さんもです。曹操様がお許しにならないのでしょう。
 わたくしの動向は気になるのか、下仕えの少女が仕事の合間にわたくしの様子を見に来るようにはなりました。

 時間がある時には部屋を片付けてくれようとしてくれますが、そこまでさせるのは申し訳ないのでやんわりと断っています。
 断っているのですが、わたくしが眠っている時に少しずつ少しずつ片付けてくれているようです。
 目に見えて物が整理されています。

 今度、お礼を言わなければいけませんね。

 あの子と接している時、あの子のことを考える時は、心はとても穏やかです。
 申し訳ないのですが、この部屋に来てくれることを心待ちにしている自分がいます。

 昼間に寝台で眠っていたわたくしは近くで物音がするのに覚醒し、嗚呼、あの子が来てくれたのだとほっとして目を開けたのです。


 そこに下仕えの少女はいませんでした。


「え……」

「……あっ、お目覚めになられたんですね」


 関羽さんです。
 四つんばいになって床を拭きながら、わたくしにやや強張った笑顔を向けています。


「……何を、しているの」


 絞り出した声は震えていました。

 関羽さんはわたくしに頭を下げて言うのです。


「わたしが驚かせてしまったから、そのお詫びにと思って。刺激しないように寝ている間に少しずつ掃除をさせていただきました」


 体温が、急降下していきます。

 今、彼女はこう言いました。
 この部屋を片付けていたのはあの下仕えの少女ではなく、自分なのだと。
 曹操様のご寵愛を受けながら、わたくしの世話を焼いて優越感に浸っていたと言うのです!
 無防備に眠って醜くみすぼらしい姿を晒していたいたわたくしを、嘲笑っていたのかもしれません。

 関羽さんはとても鮮やかな美しい装いをしています。
 反対に、わたくしは何回も何回も着て色褪せくたびれた継ぎ接ぎだらけの服。
 曹操様にいただいた服は全て曹操様に取り上げられてしまいましたから、故郷から持ってきた服しか、わたくしは持っていません。
 曹操様にいただいた物は何でも覚えています。そのくらい、嬉しかったですから。
 関羽さんが着ている服は、わたくしが曹操様から最初にいただき、勿体なくて大切にしたくて一度も袖を通さずにいた服なのです。

 なんて惨めなのでしょう。

 身体が震え出しました。
 悔しくて悲しくて涙も出て来ません。

 今の顔、関羽さんに見られたくない。
 俯くと関羽さんがうろたえたような声を上げてわたくしに近寄って来るのです。


「だ、大丈夫ですかっ? ご飯食べていないんですよね? わたし、お医者様を呼んで、消化の良いものを作って来ます。それまでもう少し横に――――」


 関羽さんの手がわたくしの身体に触れた瞬間、今まで奥に閉じ込めていた衝動が爆発してしまいました。

 乾いた音がしました。
 右掌が熱く、じんじんと痛んでいます。

 関羽さんはわたくしに向けていた顔を斜め下に向けて茫然と固まっています。


「……出て行って。今すぐ」

「え……」

「わたくしの前に現れないで。曹操様をわたくしから奪っておて、まだ足りないというの? わたくしを嘲笑わないで!」

「あ……そんな、わたし、嘲笑ってなんかいません! 曹操を○○さんから奪ってもいません! わたし、曹操とは……」


 もう一度、わたくしは関羽さんの頬を平手打ちしました。


「そんな見え透いた嘘、信じられると?」

「本当です! 同じ混血だからずっと一緒にいるのが正しいとは、わたしは思いません。曹操は自分から求婚したと聞きました。その為に何度もあなたの家に通っていたとも。それくらい好きだったのにたかだか血なんかでひっくり返すなんて……」

「血『なんか』じゃない!!」


 わたくしは関羽さんに手を伸ばし、襟を掴んで大きく揺さぶりました。


「曹操様にとって、血は『なんか』片付けられる問題ではないの! 曹操様がどんな気持ちで今まで生きてきたか、あなたは知らないからそんなことが言えるのよ……! あの方にとって同じ混血という存在がどれだけ重要な意味を持つか……」

「○○さん……あなたは、」

「お願いだから消えて。この部屋に入ってこないで。ここはわたくしの唯一の居場所なの。ここに来て、惨めなわたくしを嘲笑うのは止めて……見下すのは止めて……もう放っておいて……」


 関羽さんを突き飛ばし、わたくしは寝台に俯せました。
 あなたのその態度は上辺だけのものでしょう? 心の奥では曹操様の不変の愛を得て喜び、滑稽でみすぼらしいわたくしを嘲笑っているのでしょう? その服を着ているのだって、わたくしに対する当てつけなのでしょう?

 何もかもを失ったわたくしを、あなたは……あなた達は何処まで追い詰めれば気が済むの?

 憎い。
 関羽さんが憎い。
 関羽さんを構成するものは何でも憎い。

 何もかもが、この世の全てが憎い。
 曹操様も、曹操様に従う者達も、曹操様に好意的な者達も、それ以外の人間達も。



 全て、全て、消えてしまえば良いのです。



 わたくしは、また寝台で寝ていました。
 関羽さんが部屋の中からいなくなっていて、ほっとしました。

 ですが、関羽さんに手を出してしまったのですから、きっと曹操様がじきにいらっしゃるでしょう。

 その時には、わたくし、首を落とされてしまうかもしれませんね。


「わたくしを妻にと求めてきた曹操様の手で、わたくしが死ぬ……ふふふ」


 笑えてきます。
 嗚呼、なんておかしいのでしょう。
 曹操様がわたくしの人生を最後まで左右している。

 なんて……なんておぞましい……。

 寝台に放置されたままの匕首を手に取り、刃をそっと撫でました。

 そうしていると、思った通り曹操様が足早に部屋へいらっしゃいました。


「○○! 貴様、何のつもりだ!」


 激しく取り乱した曹操様を見るのは、初めてです。
 わたくしのことで、こんな風にはならないでしょう。


「ようこそお出で下さいました。曹操様。何用でございますか」


 問い掛けるわたくしの咽に、銀色の刃が突きつけられました。
 とても冷たい眼差しです。でもその奥には怒りの焔が揺れています。

 今の、わたくしに動揺はありませんでした。悲しみも、寂しさも。
 胸の奥にあるのは――――。


「これは何のおつもりですか」

「私の関羽を心身共に傷つけたのは、○○、お前だな」

「あら……わたくしの名を覚えておいでだったのですね。忘れておいでだと思っておりました」

「ふざけているのか?」

「いいえ。関羽さんの頬を叩いたのは事実です。が、心も傷つけたとは心外ですわ。あなたも関羽さんも、わたくしを嘲笑っておいででしょう。愚かな人間の女だと」


 刃を掴み、自分の頸動脈の辺りへ移動させます。
 曹操様は軽く目を見開いて、しかし手を動かさずにいます。


「動かさないのですか? わたくしの存在など邪魔で邪魔で仕方がないのでしょう? 曹操様に求婚されてわたくしはあなたに嫁いできました。あなたを心から愛し、茨の道を歩むしかなかったあなたの癒しとなろうとしてきました。そのわたくしよりも、もっと素敵な伴侶を見つけられたのですものね」


 わたくしは微笑み刃を掴んだまま立ち上がりました。足元に匕首が落ちました。

 曹操様が動かそうとしたのを、わたくしの手が逃しません。
 おかしいですね。刃で掌が切れて血が流れてきているのに、痛みが無いのです。
 どうしてしまったのでしょう。


「……○○……?」

「所詮わたくしは人間ですもの。あなたが愛してくれた分以上のものを返したくとも、無理だったのですね。仕方がありません。ええ。仕方がありませんわ。仕方がないことなのですから、わたくしはもう足掻くことも縋り付くこともしません。その方が良いのです」


 ですが曹操様。愛する曹操様。
 あなたはわたくしの故郷の伝説をご存じないでしょう。
 ご存じないなら教えて差し上げましょう。


「ねえ、曹操様。我が故郷と神と崇める存在のことは、覚えておいでですね?」

「待て。今更何を言い出すのだ?」

「村人は皆、神様から様々な恩恵を受けております。わけてもわたくしは、恐れ多いことに実の娘のように目をかけていただき、神様にお目通りを許されております。遥か古よりそういった娘のことを、村人は《神の娘》と呼びます。伝説では、この神の娘を娶った者も同様に神の守護を受け、子孫繁栄を約束されるそうです。反対に、神の娘を蔑ろにすれば――――」


 その者に待つのは悲惨な末路。
 そこでつい、小さく笑ってしまいました。


「わたくしは曹操様に愛されて、本当に幸せでした。ですから、曹操様の繁栄は確実なものであると、確信してお側にいたのですよ? それなのに……こんなことになって、本当に、残念でなりません」


 刃から手を離すと、曹操様は剣を下げわたくしから数歩距離を取ったのです。


「怖じ気づいたのですか? 所詮人間の女でしかないわたくしに。でも、そうですね。曹操様ならこのような話を、信じる筈がありませんね。今のお話はどうかお忘れ下さいまし」


 わたくしは扉の側に移動して、曹操様に笑いかけます。


「さあ、曹操様。わたくしなど捨て置き、関羽さんのもとへお行き下さいな。ここで時間を無駄に過ごすより、わたくしよりも大事な大事な同胞を慰めて差し上げては?」

「……どうしたのだ。○○」

「え?」

「今のお前は、昔とまるで違う」


 これにはもう笑うしかありませんでした。
 この方は本当に……血しか見えていないのですね。
 わたくしのことなど、もう――――。


「……えて」

「何?」

「消えて、消えて、消えて! 今すぐここから! この世から!! もう全てが憎い!! あなたも関羽さんも殺してやりたいくらいに憎い!! わたくしの視界に二度と映らないで!! 関羽さんの何もかももあなたの何もかもも、この世界から滅びて無くなって!」


 自分のおぞましい金切り声で頭がくらくらしながら、わたくしは壁を何度も殴って曹操様を睨みました。

 曹操様は鼻白み、言葉も出せない様子でした。
 今更です。今更わたくしのことを気にして、昔と違うなんて、心配するのです。


「いいえ。いいえ! 滅ぼしてやる。わたくしが、あなたの全てを滅ぼしてやる。夏侯惇様も夏侯淵様も、関羽さんも関羽さんの大事なものも全てわたくしがこの世から消し去ってやる……!!」

「○○」

「あなたの妻になったのは間違いだったわ!!」


 曹操様は、わたくしから視線を反らし足早に部屋を出て行きました。
 遠ざかる足音を聞きながら、わたくしはふらふらと寝台に近寄ります。

 そして、倒れ込むのでした。



‡‡‡




 ○○の部屋から異臭がすると、見回りの兵士達の報告を聞いた曹操は、気まずさを抱きながら夏侯惇を伴ってここ三日程近寄らずにいた妻の部屋へ向かった。

 あの日見た彼女の形相が今でも忘れられない。
 あんな顔が出来る女だと、思っていなかった。

 関羽は○○に対して怯えているが、同時に心底案じてもいる。
 ○○のことで、関羽は曹操をきつく責めてきた。
 自分ではなく、妻のことを大事にするべきだと。混血なんて彼女の存在に比べればあまりに小さいことだと。

 混血でない○○など、もうどうでも良かった。
 関羽さえいれば、それ以外には何も要らない。
 関羽との婚儀の予定が定まれば、○○は離縁して故郷に帰すつもりだった。

 それを伝えると、関羽は激昂した。 
 自分にそのつもりはないと。すでに○○という妻を持つ曹操を一人の男として愛すことは絶対に無いと。

 関羽にはこの血の貴(とうと)さが分かっていないのだ。
 どのようにして分からせるか、今曹操の頭の中はそればかり。


「曹操様。臭いが……」

「……これは……死臭か」


 鼻を動かし、曹操は顔を歪める。
 ○○の部屋は近い。
 ということはやはり、この臭いのもとは○○の部屋……。


 嫌な予感がした。


 曹操は足を早めた。
 ○○の部屋に近付くにつれて死臭も強くなっていく。


「曹操様……もしや、○○様の御身に何か遭ったのでは……」

「……」


 ○○の部屋の扉が見えてきた。
 曹操は、小走りになって部屋に飛び込んだ。

 愕然。


「な……!」

「曹操様っ。○○様は……」


 夏侯惇の言葉が途切れる。

 曹操は寝台に歩み寄った。
 そこには人の形をした塊が乗っている。
 異臭の原因は、これだ。


 腐乱死体。


 膨張した青黒い肌には気泡が生じ、至る所でそれが破けて腐敗した体液が垂れたどろどろになった無惨な姿だ。顔もぶくぶくに膨れ上がって、眼球も飛び出し、誰なのか分からない。
 蝿やうじ虫がたかっている死体は、着ているものから察するに……○○だろうか。

 曹操は衝撃を受け、また混乱した。


「夏侯惇。たった三日で、死体がこうなると思うか」

「……いえ。さすがに短すぎます。三日前はまだ、ご存命だったのですか」

「ああ……。確かに、生きていた」


 夏侯惇も、死体が○○であることを察したらしい。
 動揺の濃い表情で寝台を見下ろしている。


「これはどういうことでしょうか」

「分からぬ。医者を呼べ」

「はっ」


 夏侯惇が足早に部屋を出て行く。

 曹操は妻の無惨な姿を見下ろし、ふと股の辺りに不自然な膨らみがあることに気が付いた。
 気が引けたが、裳をめくり上げて覗き込むと、別の小さな肉塊が。

 曹操は青ざめた。


「……まさか、赤子……なのか……?」


 私の子か?

 嘘だ。
 信じられない。
 この大きさに育っているのならば腹も相応に膨れている筈。
 三日前に見た時には……。

 ……腹は、膨れていただろうか?

 覚えていない。


「そんなものだったんだな。お前の心は」


 不意に、背後で声。
 夏侯惇の声ではなかった。
 曹操は反射的に得物の柄を握り身体を反転させた。

 薄汚い服を着た少女がいる。
 ○○の食事と風呂の世話をしていた下仕えの少女である。
 などと、曹操には分かるまい。

 少女は寝台に歩み寄り目も当てられない様相となった○○の顔をそっと優しくいたわるように撫でた。


「可哀相に。私の可愛い○○。この男の甘言に惑わされて故郷を出たばっかりに、こんな姿になり果てて……」


 この少女は何者だ。
 曹操は彼女から距離を取り、得物を鞘から抜く。

 注意深く少女の動向を見つめる。


「お前の望みはちゃんと聞いていたよ。私が叶えてあげるから、安心してあの命の谷に帰っておいで」


 そう言った直後。
 ○○の身体が光に包まれる。
 小さく震えたかと思うと光が丸くなり、急速に小さくなって消失した。

 ○○と赤子の死体は消えてなくなっていた。


「なっ!?」

「曹操。娘と娘に孕ませた子は返してもらうよ」

「何をした!? お前は……!」


 少女は曹操を見上げ、微笑んだ。


「神様さ。○○達に大事に大事に奉られている神様。この子が心配でついて来ていたんだ。この子のこと、ずーっと見ていたよ。お前が娘にしたことも、ぜーんぶ、ね」

「神……だと……」


『村人は皆、神様から様々な恩恵を受けております。わけてもわたくしは、恐れ多いことに実の娘のように目をかけていただき、神様にお目通りを許されております』


 ○○の言葉が脳裏に蘇る。

 神。

 そんな存在、いる筈がない。
 いる筈が……。

 では、十三支の存在はどう説明する?
 この身に半分流れる呪われた血は?

 曹操は冷や汗を流した。


「ちゃんと○○を幸せにしてくれたら、こんなことにはならなかったんだ。あの子は貪欲じゃない。受けた分以上のものを返そうとする健気で純粋な優しい娘だった。些細なことでも幸せを感じるような娘だったんだ。お前の全てを受け入れて、あの子なりにお前の救いになろうとしていた。その結果がこれとは、あまりに酷い」


 色を失った曹操を見つめ、少女は笑みを深める。


「滅びろ。あの子が願った通りに。お前の大切な者達と、お前を大切に思っている者達と、関羽が大切に思っている者達と一緒に」

「……っ、止めろ……!」

「お前は谷の人間ではないだろ。私がお前の望みを叶える理由は無いな。それに、もう遅いよ」


 もう始まっているから。
 その言葉と同時に、夏侯淵が部屋に飛び込んできた。


「そ、曹操様!! 十三支の女が!」

「! 何が遭った!?」

「と、突然胸を押さえて苦しみ始めて……医者を呼ぶ暇も無く、息絶えました……」


 足元が崩れていくような感覚に襲われた。

 少女を見やるも、もうそこに少女はいなかった。

 それから程無く、


「曹操様!! 夏侯惇様が突如お倒れに!!」

「曹操様! 荀イク様が!」

「曹操様! 曹仁様が!」


 兵士達が血相を変えて異変を報告しに飛び込んで来る。


「……一体、何が――――うぐっ!?」

「か、夏侯淵様!?」


 夏侯淵までもが、胸を押さえてその場にうずくまる。
 苦しげに呻き、床を引っ掻いて――――絶命した。


『滅びろ。曹操』


 耳元で、少女の声が囁いた。
 曹操は茫然と、寝台を見下ろしているしか無かった。


「……○○」


 お前と出会わなければ良かった。



‡‡‡




「嗚呼、やっと言ってくれたね。○○」


 わざわざ死体から別の身体に魂を移した甲斐があった。
 神は平和な村を見下ろし、微笑んだ。

 ○○は、とっくの昔に自害していた。曹操から貰い受けた匕首で胸を貫いて。

 だが彼女を慈しんだ神はそれで終わらせなかった。
 命絶える間際、魂を○○そっくりの人形に移し替え、苦行の日々を過ごさせた。
 更に苦しめることに胸が痛まなかった訳ではないが……それよりも彼女がこのまま死んであの二人が幸せになるなど、神には赦しがたかったのだ。

 しかし神と言えども伴侶から非道な扱いを受けた《神の娘》が伴侶を憎み復讐を望まなければ、神は何も出来ない。

 だから曹操でも関羽でも良い、○○が憎み、滅びを望むように仕向ける必要があった。

 神は、村の住人全てを我が子のように愛している。
 可愛い我が子を不幸たらしめた存在をのうのうと生かしておく訳が無い。

 それに、曹操があの谷に迷い込んできたのは神の結界が緩んでいたことに気付かなかった所為だ。責任は自分にもある。
 己の不備の為に○○への償いの意図も含まれていた。


「帰ろう……大丈夫。谷に帰れば新しい命を吹き込んであげるよ。今度こそ、あの穏やかな村で、幸せにおなり。罪の無い赤子と共に」


 神は結界をかけ直す。このような悲劇が起きないように、何重にも、何重にも。



‡‡‡




 神の娘は愛する将軍様に裏切られ、心をこわしてしまいました。
 将軍様は違う女性に心をうばわれ神の娘にそれはそれはひどい仕打ちをしたのです。
 神の娘は失意のうちに自ら命を絶ってしまいました。
 当然、将軍様には罰が当たります。
 まず将軍様が愛してしまった女性が突然死んでしまいます。
 それから、彼に従う者達が。
 そして最後に、将軍様が死んでしまいました。
 神の娘は誰に弔われることもありませんでしたが、憐れんだ神様が故郷へ連れ帰ると、不思議なことに息を吹き返し、前のように穏やかな暮らしに戻ることが出来ました。
 きっと、それからは幸せに暮らしたことでしょう。
 いつくしみ、愛してくれる優しい人々に囲まれて。




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 ネタを見てこの話を思い付く自分の精神ちょっとヤバいかもと思いました。
 これ書いていて、自分かなり病んでるなと思いました。
 悪い方向に凄いものを書いてしまった気がします。多分夢小説では滅多に無いパターンなのではないかと。

 ネタを提供していただき、本当にありがとうございました。


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