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「兄さん!」
「○○。はしたない声を出すな」
諸葛亮がいた。
五月蝿そうに顔を歪めながら妹を手招きし、隣に座らせる。
○○の正面に、もう一人が座っている。
○○と歳が近そうだ。物静かで表情も凪いでいる。
ということは、この人が孫権さん……?
諸葛亮に視線をやると、彼の向かいに座った周瑜が、
「こいつが孫権。未来の旦那様候補だ」
孫権の肩を叩いてこちらへ笑いかける。
周瑜に視線で合図され、孫権は○○を真っ直ぐに見据えた。
どきり、と心臓が跳ねた。
驚いたのかもしれない。
あまり表情が動く人物ではないようだが、佇まいだけでも誠実さが窺えて印象は悪くない。
「私は、孫堅の次男孫権と申します。急な呼出しにもかかわらずご足労いただき、心から感謝致します」
抑揚に欠けてはいるが、人間味が感じられない訳ではない。
深々と頭を下げてくる孫権にこちらも頭を下げ返す。
心臓が早鐘を打っている。
珍しい。あたしが緊張してる。
どんな舞台でもどんな役でも緊張なんてしたこと無かったのに。
「え、あ、あたし……じゃない、私は○○と申します。ええと、御社には兄がお世話になっているようで……」
何故か、声が上擦っている。
諸葛亮も眉根を寄せて○○の様子を窺っている。
おっかしいなぁ……。
こんな高級料亭なんて初めてだから、慣れない雰囲気に戸惑っているんかな。
心の中で首を傾げた。
孫権はそんな○○をじっと見ている。
「……気分が優れないのなら別の機会に、」
「え? いやいや、体調は朝から良すぎるくらいなんで平気っス。……あ、やっべ」
横から鋭い視線が突き刺さる。
○○は諸葛亮に小さく謝罪して、笑って誤魔化した。
周瑜が小さく噴き出した。
「こいつにはオマエの素のことはもう話してあるから気にすんなって。ここにはオレ達以外にいないし、婚約を結ぶかもしれないんならお互い素の姿を見た方が孫権にとっても○○にとっても良い」
「こいつはそれ以前の問題で、」
「諸葛亮殿。私は構わない。どうか気を楽にしてくれ」
孫権が言うのに、諸葛亮は承服しかねるような、申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
○○はほっとするかと思いきや、緊張は少しも緩和されなかった。
むしろ、もっと普段の姿を出しにくくなった。
居心地が物凄く悪い。
何でなんだろう……。
「○○?」
小声で呼ばれる。
「はえ? ……あっ、いや、何かこういう場所って慣れない所為かどうも落ち着かなくてさ」
「……どうした? お前らしくない」
「うん。あたしらしくなくてあたし自身戸惑ってる。どうしよう、何か無性に孫権さんの前で素でいるのが何か申し訳なくなってきてるんだけど」
兄に顔を寄せて頼ってみると、諸葛亮は瞠目して○○の顔を凝視してきた。
「顔が赤い」
「え。嘘。風邪?」
「……」
諸葛亮は○○の顔を見つめながら思案すること暫し、
「まさか……」
物凄く意外そうに呟いた。
「え、何? 何? やっぱり風邪?」
「……いや、まだ分からないか」
「えええええ何ソレ。何スかソレ。ちょいと、あんちゃん」
「二人共、コソコソ話をし過ぎだろ」
周瑜が苦笑混じりに割って入る。
諸葛亮はすぐに謝罪し、○○も兄に倣(なら)った。
と、襖が開く。
女将がふんわりと微笑んで料理を持ってきたと告げた。
孫権が頷くのを確認して、次々と色とりどりの料理が目の前に並べられる。
その美麗さに目を奪われ○○は感嘆の声を上げた。
「綺麗……これが高級料亭の真髄」
「○○。そんな科白を言わせる程、私はお前に不自由な生活をさせていたか?」
「いや、平均的な生活水準の上を行ってると思う。けどさ、こんな神懸かった料理なんて、上流の人達じゃなきゃ滅多に食べられないっしょ」
「うちは、舌も目も楽しめるお料理を、可能な限りお安く提供することを理念にしておりますわ。ですからもしもお気に召していただけましたら、是非今後ともご贔屓に」
襖を閉めようとしていた女将が人当たりの良い微笑みでさりげなく口を挟む。
○○は口を閉じ、気まずさから軽く頭を下げた。
女将は一礼して、襖を閉めた。
‡‡‡
どうしてこうなった。
料亭自慢の庭園を、○○は孫権と共に歩いていた。
料理に舌鼓を打っていると、突然会社から周瑜に電話がかかってきた。プロジェクトで問題が生じたらしい。
諸葛亮の会社も協力しているようで、○○と孫権を残し、席を外してしまった。
原因不明の気まずさ極まる○○へ、孫権は外に出ようと提案した。
外に出ればこの気まずさも軽減されるかもしれないし、拒絶する理由も無いので了承した。
が、そんなことは全く無かった。
何でだ。
何でさっきより気まずいんだ!
しかも二人並んで歩き出してから心臓がいやに早鐘を打つ。
頭を抱えたくなった。
様々な柄の鯉が泳ぐ小池も、綺麗に剪定された植木も、ライトアップされているのに眺める気になれない。
「……あの小池」
「は、はい」
「錦鯉のどれか、桜の花のような模様があるらしい」
「え、マジで!」
何ソレ面白い。
○○は小池に駆け寄り縁にしゃがみ込んで水面を見下ろした。
餌をくれると勘違いした鯉達が一斉に集まってくる。
側に孫権が立った。
「錦鯉は、ええと、一、二、三……七匹ッスね!」
一匹一匹じっくり観察する。
しかし、なかなか見つからない。他の鯉もいるし、餌を求めて泳ぐ彼らをすぐに見失ってしまう。
「な、難易度高い……」
思わず漏らすと、孫権もしゃがみ込み池を覗き込んだ。
ややあって、孫権が手を伸ばした。驚いてちょっとびくっとしてしまった。
「そこに……」
「え?」
指差す手に顔を寄せ指の向く先へ目を凝らすと、金色の鯉にぶつかって方向転換した錦鯉の頭に、桜のような赤い模様があった。
「うわっ、本当だ! 本当に桜の花がある!」
思っていたよりもリアルな形だ。
身を乗り出してよく見ようとすると、胸の前に横から手が伸びてきて○○は動きを止めた。
「それ以上身を乗り出しては危険だ。落ちてしまっては風邪を引いてしまう」
「あ、はい……」
身を引くと、孫権は頷き立ち上がる。
その時だ、一匹の鯉が跳ね水飛沫が○○の顔にかかる。
「わっ」
「!」
びっくりした衝撃で立ち上がった○○に孫権がポケットをまさぐって手を伸ばす。
ハンカチでそっと○○の濡れた頬を拭った。
手でざっと拭うつもりだった○○は肌触りの良いハンカチの感触に驚き、戸惑った。
これまで数多の役を見事に演じてきた演劇部部長の○○。
数え切れない仮面を瞬時に用意できる彼女は、入部してから三年間、たった一つの役だけは脚本担当から一度も与えられなかった。こなせると分かっていても、演じさせてくれなかった。
ヒロインの役を。
理由は一つ。○○の見た目と普段の姿が、ヒロインに合わないからだ。
男勝りな彼女に、騎士に守られる姫君の役は似合わない。
快活な彼女に、叶わぬ恋に涙する乙女の役は似合わない。
逞しい彼女には、剣と盾を持って猛進する戦女神こそが相応しい。
がさつな彼女には、山賊を束ねる横暴な女傑こそが相応しい。
高校生活の中でも、女らしく扱われたことは無かった。
だからこんな風に異性に優しく気遣われるのは慣れていない。
「あ、あー……すいません。高そうなハンカチなのに汚してしまって」
「構わない」
孫権はさりげなく池から○○を離し、守るように間に入った。
その気遣いも女性として扱われているように思えて……恥ずかしい。
物凄くドキドキしてしまう。舞台袖で出番を待っている時の、胸を膨らませる期待感とは違う。
恥ずかしさと興味と困惑が入り混じった、とてもいたたまれない気持ちだ。でも、不思議と心地よさも感じている。ちっとも嫌じゃない。
「少し冷えてきた……周瑜達の話ももう終わっただろう」
部屋に戻ろうと、そっと背中を押され、歩き出す。
一旦気付いてしまうと、孫権の自分に対する気遣いが端々に見て取れた。ややぎこちないのは、多分こういうことに彼も慣れていないからだろう。
部屋に上がろうとすると孫権が先行して○○に手を差し出す。
ちょっと逡巡して手を重ねて畳を踏み締めた。
席に戻ってすぐに周瑜達が戻ってきた。表情は芳しくない。
「悪い。ちょっとうちの方でトラブルがあって、すぐに社に戻らないといけなくなった」
「……そうか」
申し訳なさそうな周瑜に孫権は頷き、○○と諸葛亮に頭を下げた。
「呼び出したこちらの都合で申し訳ないのですが、」
「いえ。構いません。こちらこそ、お忙しい中○○の意思を慮(おもんぱか)ってこの場を用意して下さったこと、心から感謝しております」
「○○。……あなたさえよろしければ、また後日」
「あぇ、あっ、は、はい。是非!」
反射的にそう返し、自分の発言に驚いた。俯いた顔に急速に熱が集まっていく。
「周瑜。会計は?」
「後日支払いに来ると女将に言ってある。孫権。本当に悪かった」
「いや。今回無理を言ったのは私だ。父にも私から言っておく。周瑜は何も気にしなくて良い」
孫権はもう一度○○に頭を下げて謝罪し、足早に部屋を出て行った。
ややあって、
「……私達も帰ろう」
「……」
「○○?」
「あっ、うん! 帰る。帰りやしょう」
はっとして我に返り、狼狽えながら返答する。
諸葛亮は目を細めて○○を見つめた。
「……まさかとは思うが、孫権殿に惹かれたのか?」
「ひかっ!?」
ぱんっと両手で頬を挟む。熱い。
「うっそん!」
「……お前にそういう感情があるとは思わなかったな」
「あたしもびっくりだよ。……え、本当? マジ?」
「私に訊かれても困る。それはお前にしか分からないことだ」
まあ、確かに……そりゃそうだ。
○○は深呼吸をして、
「どうしよう……これじゃあ、あのクソジジイの思う壷じゃね?」
「いや、孫堅殿ならば彼の思うように動きはすまい。思惑には当然気付いている筈だ。その上で、息子の意思に任せているのだろう。だからお前も祖父のことなど気にせずに自分の意思で決めれば良い」
「……そうだと良いけど……」
諸葛亮は肩をすくめて○○の頭を撫でた。
「まだ時間はある。孫権殿も無理に話を進めるつもりがないことはお前も分かっただろう。ゆっくり考えていけば良い」
○○は目を伏せ、机に突っ伏した。
諸葛亮は苦笑しつつ、ちょっと物珍しげに妹を見下ろしていた。
○●○
ネタ消化作品二つ目です。
無性に書きたくなった現パロで使わせていただきました。結婚どころかまだ婚約もしていない状態になってしまいましたが、全てが丸ーく収まるほのぼのーな恋愛になる、と良いなーと。
こういう夢主は書いてて楽しいです、凄く。
今回ネタを二つも提供して下さった方、本当にありがとうございました!
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