○○はそんな劉備を振り返らずに、次は両足を切断しながら、


『劉備様。隠れ里にお帰り下さい。これは悪夢。現実じゃありません。こんな生き物もこの地には存在していなかった。だから劉備様は何にもされていないんですよ』


 普段の彼女からは想像も出来ない程鋭く、しかし優しく叱り付けるような静かな声をかけた。

 それが、精神が極限状態だった劉備にとって後押しになった。
 切断した両足を大泣きしながら許しを乞う人間に見せつけて放り捨てる○○に背を向け、ふらふらとした足取りで里に戻った。幸い大きな怪我は無く、猫族は皆森で一人で遊んでいる中で転んでしまったと思ってくれた。
 その時にはもう、劉備は身に起こったことは忘れていた。

 あの後、○○は人間を拷問の果てに殺したのだろう。

 たまにふらりと行方をくらまし血まみれで戻ってきたのは、獣を弔ってきたのではなく、そういうことだったのだ。
 ○○は、猫族の為に密かに手を汚し続けていたのだ。

 その結果が人間の言葉にも表れていた。


『この辺には人を喰う化け物がいるって村の人間が怖がってたが、何だ。女じゃなくて十三支のガキじゃねえか』


 人を喰う化け物とは、十中八九○○のこと。
 彼女の凶行が人間をあの地から遠ざけていたのだった。

 あの時耳にした○○のしっかりした声は、きっと彼女の本来の姿の片鱗だ。
 敢えてあのような飄々として不気味な態度を演じているのだ。
 劉備はそう感じた。

 この事実を知っているのは、恐らくは自分と世平のみ。

 偃月の夜、関羽の腕の中を抜け出して○○のもとを訪れた劉備に、○○は軽く驚いただけだった。『そっちだと何か天才児っぽい』などと冗談とも本心とも取れない言葉をかけて、劉備に向き合った。
 自分のことをかいつまんで説明した後に助けてくれたことを感謝し、謝ろうとしたのを○○は遮り、


『勿体ないことしてるって気付きませんか、劉備様』

『え……?』

『今なら姉さんのおっぱい触り放題ですよ』

『なっ!?』

『姉さんの乳はですね、豊満って訳じゃないんですけど……あ、だからって小さいんじゃないですよ。私よりも大きいし、形と感触が凄く良いんですよー。二の腕掴んでみて下さい。似たような感触なんで。いや、今のうちに触ったら良いですよ。どうせ姉さん、起きませんから。劉備様も男の子なんだからおっぱい好きでしょ』

『……! ○○、何てことを!』

『あっはっはー。真っ白子猫が真っ赤っかー』



 下品な話題で煙に巻かれ、男なら一度は女の乳を触って来いと無理矢理に家に戻された。
 それ以降何度か出直すも、一度とて謝罪させてもらえたことは無い。○○に必要無いとはっきり告げられて、劉備は断念した。

 多分、○○は関羽達が思う以上に猫族を好いてくれているし、大事に思ってくれている。
 劉備はそう信じたかった。そして、そうさせていることに胸を痛める。

 猫族を守りたい劉備は、この選択を取ることで○○に安息をもたらしたかった。それが恩返しであり、償いだと思うから。


「行こう。○○」

「お供致しまーす」


 へらへらと、彼女は頷く。



 そしてこの日、劉備は伏龍を得るのである。



‡‡‡




 博望坡に住み着いてから、関羽は毎日片時も○○を側から離そうとしなかった。

 襄陽を離れたことで劉表との接触は無くなって一安心と思いきや、新たな問題に気付いてしまったのである。

 諸葛亮が猫族の軍師となり、猫族と行動を共にするようになった。
 その彼に○○が自分から接触しているのだ。それも頻繁に。
 しかも、劉表が猫族に新野を与えた、その善意に隠れた意図を察していた○○の洞察力に諸葛亮も一目置いているらしい。諸葛亮の方から話しかけることも屡々(しばしば)見受けられる。

 ここに至って、関羽は悟った。
 ○○が諸葛亮と視線を交わした瞬間瞳に宿った熱の正体を。

 本来なら姉として喜ぶべきところを、相手が相手だけに関羽は全く喜べなかった。

 よりにもよって諸葛亮だなんて!

 関羽は諸葛亮に対して良い印象を抱いていない。
 何人も寄せつけない冷たい視線やこちらを下に見た高圧的な態度はこちらも反発を抱いてしまうし、曹操軍が攻め寄せる可能性を猫族に話さぬよう命令してきたことにも納得出来ていない。

 だから、諸葛亮のこの命令に○○が賛同したのが物凄く不満だった。

 いや、もしかすると彼女が諸葛亮に抱いた感情が無条件で肯定させているのかもしれない。そんなのは○○らしくない。

 言うまでもなく○○に恋愛経験は無い。興味も無かった。それ故に、きっと自分の心情を分かっていない。分からずに正常な判断が乱されているのだとすれば。


――――お姉ちゃんがしっかりしないと!


 と、奮起した訳である。
 そこに手がかかる最愛の妹を、会ったばかりで印象最悪の男に盗られることへの嫌悪感(もやもや)が無いとは言えない。
 気付いた時点ですでに○○の叶わぬ片想いで終わると決めつけているのも、そんな姉心が大きく作用しているのかもしれない。

 とにかく関羽は隙あらばふらっと行方をくらます妹から一時も目を離さず、諸葛亮からの接触も徹底的に遮断した。
 張飛も無理矢理に手伝わせた。まあ、無理矢理にと言っても、彼も事情を知らぬが故に劉表に兵を貰った諸葛亮を警戒しており、○○が諸葛亮に近くなるのを危ぶんでいたのですんなり了承してくれた。

 けれども。


「張飛! ○○見なかった!?」

「○○? さっきまで姉貴と一緒にいなかったっけ?」

「ちょっと目を離した隙に何処かに行っちゃったのよ!」


 こうなることも少なくない。
 ○○の方が上手であった。

 大わらわで村中を捜して回る関羽について行きながら、張飛はちらりと側の建物の影に目配せした。

 影に隠れるように、○○が立っている。
 彼女は片手を振りながら、目を細めて微笑んだ。



‡‡‡




 ○○は関羽と張飛の後ろ姿を見送り、見えなくなってから影から出た。

 関羽は知らないが、実は張飛が関羽に協力しているのは○○がそうするように頼んだからだ。
 張飛には曹操軍侵攻の可能性については話さず、諸葛亮と劉表に疑念があるので自分が側で監視しておくから姉を手伝うフリをして妨害してくれと頼んだ。

 ある時から○○に親しく接してくるようになった張飛。
 幽州の隠れ里でやっていたことを彼に見られたのだと○○は分かっていた。
 ○○が危険と定めた範囲内に侵入してきた人間を無残に殺し、その遺体を何かが喰らったように細工して人々の目に触れるよう街道付近に捨てていた。情報操作もした。
 結果、付近の村々ではその辺りに人を喰らう化け物がいると噂になり、街道を通る者はいなくなった。

 一度だけ、殺しているのを見られたことがある。
 すぐに逃げられてしまったので誰であったか確認することは出来なかったが、張飛で間違いない。警戒して遺体をそのままにひっそりと隠れ里へ戻り服を着替えて朝からいたように振る舞っていたが、張飛の様子が明らかにおかしかった。

 普通なら恐れて他の者に話し○○を追放する流れになるところ、張飛はよりにもよって○○の行動の意図を知る世平に相談し、聞かされたたらしい。
 数日経つとやや恐怖心を引きずってはいたものの、やたらと絡んで来るようになっていた。
 猫族に馴染んで欲しいと願っていた姉が大袈裟に喜んで歓迎したので、拒否しようが無かった。

 特に世平が死んでから、張飛は良く○○の様子を気にするようになっているので、どうにも動きにくい。
 何を思ってか、○○に直接問い質しに、或いは止めるように言いに来たことが無いのがせめてもの救いだ。

 それ以上親しくなることは無くずるずると今に至り、いっそ都合よく利用してしまえと開き直っていたりする。

 関羽の目を逃れた○○が大股に歩く先は、諸葛亮の家。
 そこには劉備もいる。


「劉備様ー、ここですかー。ここですねー」

「あ、○○! 今日も来たねー」

「今日も来ましたよー」


 にこにことへらへらが揃い、何とも柔らかい空気を作り出す。

 諸葛亮は涼しい顔で木簡を仕舞い、


「今日も私の監視に精が出るな」

「えー、何のことですかー?」


 にへら笑いを向け、○○は小首を傾けて見せる。

 諸葛亮は鼻を鳴らした。


「安心しろ。自分の言葉を覆すことはしない。お前に殺されることにはならんよ」

「だから、何のことですか? 私、そんなつもりじゃないんですけどー」

「……その道化は、いつからだ?」


 また、この質問か。
 ○○は口角を更に吊り上げる。何も言わぬ。

 諸葛亮は目を細めて関羽と同じ環境で育っていながらまるで真逆の妹を見つめ、双眸に怜悧な光を走らせた。
 だが、それだけだ。

 ○○は諸葛亮から視線を外し、劉備に向けた。

 途端、劉備は嬉々として諸葛亮に教わった知識を○○に誇らしげに披露する。

 それにやや大袈裟に感心しつつ、○○は諸葛亮の動向を警戒する。
 そうすべきであると、心臓が激しい動悸を警鐘として訴えてくる。

 襄陽城でこの男と目が合った瞬間○○の心臓が大きく跳ね上がった。それに驚いたのもつかの間、体温が急速に上昇して行った。
 今までそんなことは一度も無かったから、ほんの少し戸惑ったが、すぐに自分なりに解釈した。

 きっと、これは警鐘だ。
 この男は曹操達よりも危険なのだと、意識の深いところで警戒を促しているのだ。
 自身が初対面の人間に抱くものとすれば、それ以外に有り得ない。
 ○○は常に相手を猫族の敵か味方かで判断して動いてきた。
 だからこれは、最上級の危機感なのだ。

 諸葛亮相手に油断してはならない。
 劉備の意向は汲むが、いざとなったら猫族の為にこいつを殺す。

 それが自分に出来る猫族への恩返しなのだから。

 分かってるわ。
 絶対に、油断なんてしない。
 私が何をしてでも猫族を守ってみせる。
 騒がしい心臓に向けて心の中で語りかけた。



○●○

 ネタを提供していただきましてありがとうございました!
 二ついただいたうちの片方です。

 関羽が少々シスコン気味になっているのは、夢主が夢主だから仕方がありません。本当はもっと女の子らしいんですけどね。
 夢主が敢えて猫族にも気味悪がられるようにしているのは、自分がいつか猫族を出て行くという選択肢も頭の中にあるからです。如何なる形で猫族を抜けることになっても、彼らが後悔などすることが無いように、子供の頃から徹底していました。なので張飛の件はかなりの痛手でした。

 関羽が思い込みでちょっと暴走しかけていると思いきや、実は事態をちゃんと把握しているのは関羽だけと言う……そこはほんの少しは微笑ましいところでしょうか。



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