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 婚儀当日。
 朝早くから私は尚香様の侍女の方々に囲まれ、化粧から髪型、婚礼衣装を念入りに整えられた。

 姉と顔のそっくりな私も、着飾ればそれなりに見られる姿になる。きっと、姉にそっくりな自分に嫌悪感を抱いてしまうだろうと思っていた私は、鏡に映った自分の顔を見て心の底から驚いた。


「これが……私……?」

「ええ。練師さん。あなたよ」


 とてもそうは思えない。
 私の顔じゃない。
 全くの別人を見ている気分だった。

 化粧を自ら進んで担当して下さった同じ歳の女官が、私の肩に手を置いてどうだと言わんばかりに笑った。


「あなたは以前、姉だった女性と同じ化粧をしていたけれど、あれはあなた達の顔には合っていなかったわ。流行に乗っただけで満足していたのね。あなたの造作に合わせた化粧をすれば、こんなに見違えるのよ」


 元々素材が良いのだから、上手く生かさくちゃ勿体ない。
 弾んだ声で自信満々に言う女官を見上げ、私は口を開いた。

 姉と違う。全然、違う。
 凄く、嬉しかった。
 お礼を言いたかったけれど、声が上手く出せない。何度も出そうとしたけれど、喉に詰まって、目頭も熱くなってきた。

 そんな私に、彼女達は穏やかに微笑んでくれた。

 泣くと化粧が崩れてしまうから泣くのは婚儀が終わってから孫権様だけの前で!
 そう笑顔で私を叱り、婚礼の準備を着々と進めていった。
 彼女達が納得出来るようになるまで長々と続いた微調整にはちょっと焦ったけれど、彼女達に対しそんなのは不要な憂いで、婚儀が始まるまで少し余裕が残った。

 満面の笑みで私を送り出した女官の方々に頭を下げ、途中で合流した黄蓋様達に付き添われ孫権様や尚香様がいらっしゃる謁見の間に向かう。
 私には侍女がいないので、付き添いは黄蓋様と奥様、そして女官長様のみ。

 長い廊下を、時間をかけてゆっくり歩く。
 靴音と衣擦れの音、そして自分の息遣いだけの長い時間、どうしても、罪人の自分が孫権様の妻に相応しいのか、封英さんにをこのままにしていて本当に良いのか、ぐるぐると考えていた。

 それを見透かされたのか、黄蓋様に「無用なことは考えぬように」キツい口調で叱られた。


「婚儀が終わればそれは練師を妻にと望まれた孫権様や、義姉と呼べる時を待ち望んでおられる姫様への侮辱となろう。その下らぬ不安は、孫権様の隣に立つまでじゃ。良いな」

「……は、い」

「練師。お前は孫権様手ずから罰を受けた。それでもう良いのだ」


 肩を叩かれ、奥様からも同意を示すように背中を撫でられた。

 そこで女官長様が、


「こんなに言ってもまだかの家の犯した罪にけじめがつけられないのならば、いっそ一生、死ぬまで妻として孫権様に尽くすことを償いとなさいな」


 厳かな声で、だけど優しい微笑みを浮かべてそう言ってくれた。

 一生、孫権様を支えることで、償いを……。
 それは私にとっては凄く嬉しいこと。


「……良いんでしょうか、それでも」

「でしたら、最低でも三人は子を産みなさいと、条件を足しましょうね」

「え、あ、いえ、それは……も、申し訳ありません。何でもないです」


 笑顔で凄まれて、拒絶も何も出来なくなってしまった。


「では、そのようにしましょう」


 女官長様は一人で決めてしまう。
 助けを求めて黄蓋様を見上げると、真摯な顔で女官長に何度も頷いていて、奥様も似たような様子だった。


「それならばわたくし、第一子が産まれるまでに異論を唱える女官を全て黙らせておきます」

「え……」

「これは頼もしい。是非にお願いしよう。罰を受けるのが好きな練師には、物足りなくなるやもしれぬが」

「え? いえあのっ、私、別に好きな訳では……」

「そうなの? 私はてっきり……趣味かしら、と」


 違います!
 私は奥様の言葉に血の気が引いて首を横に振って否定した。

 けれど、三人が浮かべた穏やかな笑顔に、動きを止める。


「そう。好きでもない罰を求めても、あなたが苦しいだけです」

「あなたが苦しむ姿を孫権様は決して望みません。きっとあなたの苦しみを除けぬことに、あの方もまた苦しまれてしまう」

「儂らが練師にこのように言うのは、我が主、孫権様の為よ。どうか、それを分かって欲しい」

「あ……」


 私には勿体ないくらい、真面目で優しい孫権様。
 黄蓋様達の言う通りかもしれないと思った私は、気付けば深く頷いていた。

 はっとした時にはもう遅く、安堵している三人の顔を見ると何も言えなかった。

 本当に、良いのだろうか。
 もう償わなければと思わなくても……。

 黄蓋様達はこれで話は終わりだと、私の背中を押して少しばかり歩みを速めた。
 話している間に、少し、遅くなっていたようだ。

 予定から大幅に遅れることが無いように進む私達。
 けれど、謁見の間の扉が見えてきた時のこと。

 不意に、すぐ近くの柱の影から飛び出した女性が私へと突進してきた。

 すぐに黄蓋様に庇われたから誰とは分からなかったけれど、もしかすると――――と、思った時には私は声を張り上げていた。


「封英さん!?」


 女性が動きを止める。
 上げた顔は、憔悴しているけれどやはり封英さんだった。
 結わずに流した髪を数本噛んだまま、「どうして私の名前を……」そう呟く。

 その手には、鈍い光を放つ短剣がしっかりと握られていた。

 女官長様が封英さんを怒鳴りつけながら彼女へ手を伸ばしたのを見て、私は咄嗟に叫ぶように言った。


「封英さんは私の侍女になって下さるんです!!」


 咄嗟に出た言葉に、自分でも驚いた。

 四人共、呆気に取られて私を見る。


「あ……え、っと……」

「練師……? あなた、一体何を、」

「どうした!? 何があった!」


 こちらの騒ぎに気付いたのか、謁見の間の扉が乱暴に開き孫権様と周瑜様が飛び出してきた。

 封英さんの姿に気付くと孫権様は青ざめ私のもとへ駆け寄ってくる。
 私の手を引いて口を開けたのに、私は慌てて再び大声を上げた。


「封英さんが私の侍女になってくれると来て下さったんです!!」

「……○○殿?」


 眉根を寄せて私を見下ろす孫権様と、周瑜様。

 ちゃんと考えて話せば良いものを、私は本当に馬鹿だ。
 似たような言葉を繰り返すばかりで、とにかく封英さんが罪に問われることを回避しようと、それで頭が一杯だった。


「待った! 落ち着け! 落ち着けって練師! とにかく状況をよく話せって、な?」

「だ、だからっ、封英さんは私の侍女になって下さるからここに……!!」

「アンタさっきからそればっかりなんだって!」


 後になって思えば、この時私は、状況を説明してしまったら封英さんが罰せられると無意識のうちに拒んでいたのだろう。
 女官長様が収めてくれるまで、私はそんな調子だった。


「とにかく、このままでは婚儀が大幅に押してしまいます! 封英は彼女の侍女に相応しい恰好にさせ次第お連れ致しますから、練師。あなたは落ち着いて先にお行きなさい」

「でも、でも……!」


 女官長様は困ったように笑いつつ、孫権様と周瑜様に目配せする。

 お二人は何かを察したようで頷き返す。

 泣きそうな顔で私を凝視する封英さんを優しく促し、女官長様と黄蓋様達が三人共何処かへ連れて行こうとする。
 私もついていこうとするけれど、孫権様が手を放してくれなかった。


「練師。封英のことは大丈夫だから。今は婚礼に集中しろ、良いな?」

「……はい……」


 孫権様は私をじっと見て、ふと周瑜様に手を挙げて制止を示した。

 周瑜様が渋面を作る。


「孫権」

「少し話を聞くだけだ。……○○殿」


 孫権様が、私を呼ぶ。さっきもそうだったような気がするけれど、私の本名で。


「封英を庇う理由を話してくれないか」

「それは……本当に、」

「○○殿」


 嘘で誤魔化そうとしたのを見透かされた。

 私は視線を落とし、少しの間躊躇った後、封英さんにされたことを話した。その上で憎めなかった理由も、ちゃんと。

 孫権様は黙って聞いていて、私が話し終えると「そうか」と。

 少しの間黙り込んで、孫権様は周瑜様を呼んだ。


「封英が儀に間に合うようにと、伝えてくれ」

「おい、孫権。封英は彼女を……」

「○○殿の侍女となるのならば、彼女と共に儀に参加するのは当然のことだ」

「……そうかよ」


 強い口調で言う孫権様に、周瑜様は呆れていた。
 けれど反対はせず、肩をすくめて孫権様の頭を軽くはたいて黄蓋様達を追いかけていった。

 私は周瑜様の背中を見つめながら、


「あの……」

「婚礼の儀が終わるまでには間に合うだろう」


 孫権様は私の手を持ち上げ、もう片方の手を重ねた。


「行こう。話は、儀が終わった後に」

「は、はい……」


 孫権様に手を引かれ、私は婚礼の儀に臨む。



‡‡‡




 無事に婚儀が終わり、私は寝衣に着替えて新しい部屋に移った。
 昨日まで過ごしていた部屋とはまるで違う。

 それに、身代わりとしてこの城を訪れた時の部屋とも違う。

 一国の主の妻に相応しく整えられた部屋だ。

 分不相応な部屋に圧倒され気後れしてしまった私は、豪華で広い部屋の中を歩き回る。

 婚儀の後に封英さんの件で話をする。孫権様はそう仰った。
 封英さんを私の侍女に――――そのことに変更は無いだろうけれど、勝手なことをしたと怒られてしまうかもしれない。
 周瑜様や黄蓋様、それに封英さんのお父様にも話を通してこちらにいらっしゃる予定だと女官長様に伺ったけれど、婚儀が終わってだいぶ経っているように思う。

 話が長引いているのだろうか。

 扉に寄ってそっと開いて廊下を覗き込んでみると、かつ、かつ、と微かな靴音が聞こえてきた。
 誰かが近くを歩いている。一人か、二人。
 今宵はこの辺りには人払いがされるという話だから、孫権様だろう。

 暫く靴音が聞こえる方角を見つめて、姿が見えると廊下に出た。

 寝衣姿の孫権様と、後ろに続いている女官長様と兵士は私を見て足を止めた。兵士が私から視線を逸らし、女官長様が苦い顔をして溜息をついた。


「孫権様、あの……封英さんは、」

「練師様。それよりもお部屋にお戻り下さいまし。そのような姿で外に出られてはなりません」


 指導者でなくなった女官長様の言葉遣いに寂しさを覚えつつ、私は首を傾げた。
 けれど女官長様が私の身なりを見て、自分が寝衣姿だと思い出す。

 兵士がずっと私を見ないのは、そういうことだったんだろう。


「あっ……す、すみません」

「折角の初夜にお風邪を召されたらどうなさいます。さあ、お部屋へ」


 女官長様に身体を反転させられ、部屋へ押し戻される。
 部屋の中を見渡し、「不備はないようですね」と大きく頷いた女官長様は、孫権様に深々と頭を下げ、隣の部屋に控えているからと兵士を連れて足早に退室した。

 扉を閉める女官長様に私は一礼する。
 女官長様は微笑みを返してくれた。



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