劉備





 おれは、生まれつき心臓を患っていた。
 繰り返される入退院。身体の中の異物感。

 先が短い人生は、何とも孤独なものだった。
 友人? 一年の大半を病院で過ごしていたおれにそんな御大層なものがいる訳ないじゃないか。おれの机に菊の花を置く奴しかいなかったよ。

 高校まで生きてきて、卒業までにぽっくり逝ったおれ。

――――もしも、だ。
 もしもおれがあっちじゃなくて《こっち》の人間で、《こいつ》と会うことが出来ていたのだったら。
 長く生きられなくても、きっと死んだ時よりも、幾らか気分は変わっていたんだろう。


「□□?」


 □□と言う名も、《こいつ》がくれた新しい名前だ。
 《こいつ》は劉備。真っ白な頭から猫の耳を生やしたあどけない少年だ。唯一、おれが見えている。

 《こっち》に来た時最初に出会ってからは、特に行く宛も無いので一緒にいる。


「……どうした、劉備」

「関羽たち、大丈夫かなぁ」


 劉備はとても優しい子供だ。
 こんな状況でも、彼は自分の仲間の心配をする。

 今、おれ達は曹操に誘拐されている。護衛として蘇双がいてくれたのだけど、大量の兵士に牽制されて為す術も無かった。
 何処に連れていかれるか分からないのにと、おれは彼の優しさに苦く笑い、そっと頭を撫でた。一応、霊体でも微かな感触はあるらしい。張飛をそれで脅かしたりしたっけか。


「大丈夫だろ。あいつらは、おれと違って強いし。きっとお前のこともすぐに迎えに来てくれるさ」


 強い関羽達と違って、おれは何も出来ない。触れたところで相手を驚かせるくらいしか出来ないし。しかもそんなことをしたら劉備が化け物扱いだ。
 おれは、初めての友人の、何の力にもなれない。

 ただ、側にいることしか。


「□□? どうしたの? お腹痛いの?」

「ん……いんや。関羽達怒ってるんだろうなあって思ってさ。衝突しないと良いんだけど……」


 ……。

 ……。

 無理ですね。

 関羽はともかく、張飛がな。あいつは血気盛んだからー。


「……ま、そんときゃそん時か」


 大丈夫だろ……多分。
 いざとなればおれが――――何も出来ませんね、はい。


「□□、大丈夫だよ。関羽たち、ぜったいに来るもん」

「……だな」


 頭を撫でると、彼はふわりとまるで真綿のように笑んだ。



‡‡‡




 劉備は人質になった。

 曹操にハナから猫族を手放すつもりはなかった訳で。劉備は猫族を拘束する鎖な訳で。
 人間の勝手に猫族巻き込むなってんだ。……なんて主張したところで聞かれはしないんだがな。

 劉備は曹操の屋敷に軟禁された。せめてもの幸いと言えば、関羽達が頻繁に来てくれることか。おれがいても甘やかせてやることは出来ないから、劉備もずっと安心出来る筈だ。


「ねえねえ□□! これ関羽! でね、こっちが張飛と、蘇双と、世平!」

「どれどれ……おー、似てるじゃん。さすが劉備。いつも一緒にいる奴らなだけあって、しっかり特徴捉えてるんだな」


 素直な感想を述べると、劉備は嬉しそうにはにかんだ。

 可愛らしい笑顔におれも表情がだらしなく弛む。
 おれは一人っ子で、こっそりと兄弟に憧れていた。だからこの、年下の友人はたまに弟のような気がして、正直それが嬉しかったりするのだ。


「今度は、□□をかくね!」

「おう。格好良く描いてくれよ」

「わかった!」


 張り切り出した劉備の頭を撫でたまさにその時だ。


「……誰と話している?」


 怪訝そうに顔をしかめた曹操コノヤローが扉を開けて部屋に入ってきやがった。
 今までは彼が来る時はそんなに大きく話してはいなかったし、かれがいる間はおれは黙って暫く喋らないのだけれど、今日は話し声まで聞こえてしまったらしい。
 おれは目を細めて曹操を睨み付けた。

 だが曹操がおれに気付く筈もなくて。
 部屋の中を見渡しながらおれの横を通過して劉備の前に立った。

 劉備が今まで描いていた紙を見下ろし、「絵を描いていたのか」と。

 劉備は大きく頷いて、


「次はね、□□をかくの!」
「……□□? 猫族の者か?」

「ううん。□□はゆうれいなの。いっつも、ぼくと一緒にいてくれるんだよ! ねー!」


 曹操の歪んだ顔も知らず、劉備はおれに笑いかけた。

 おれも笑い返して大きく頷いて見せた。

 曹操にはこれが劉備が何も無い虚空に話しかけていると見えているのだろう。
 難しい顔をしてぼそりと呟いた。


「……気が触れたか?」

「きがふれた?」

「……頭がおかしくなったのか」


 劉備はぷうっと頬を膨らませた。


「ぼくおかしくないよ!」

「そうか。……そう願いたいものだがな」


 ああ、こいつもだ。
 おれの所為で劉備が頭のおかしい奴みたいに言われている。
 だが、おれが否定しても無駄だ。おれの声は彼には届かない。

 それでも違うと言えば劉備が伝えてくれるが、それも彼の妄想だと思われているみたいで。


「……近々、散歩でもしてもらえ」


 半ば投げやりに言い放ち、曹操は部屋を出て行ってしまった。劉備の《妄想》に付き合うのが面倒になったんだろう。一生来るなっての。

 曹操の背中に舌を突き出して、おれはけっと漏らした。


「劉備を変人扱いしくさってあの野郎……」

「……もん」

「劉備?」

「□□は、ちゃんといるもんっ」


 ぶわっと金の瞳に涙が浮かぶ。
 おれは沈黙してしまった。

 こんな姿を見るのは随分と久し振りだ。
 猫族でも、当然おれのことは認識されなかった。
 何度も何度も言って、その度に否定されるものだから、こんな風に泣き出したんだっけ。


「おれは良いんだって。もう死んでるんだしさ。おれの姿はお前以外に見えないんだ」


 あの時と同じように、おれは劉備を宥めて頭を撫でてやる。

 しかし、この時ばかりは劉備は筆を持って紙に絵を描きだした。
 乱雑な線は人の顔を作っていく。

 何事かと見守っていれば、同じ顔を幾つも幾つも、紙一杯に描いていく。ちょっと、怖い。


「り、劉備君? それ誰よ」

「□□!」

「あ、おれなのね」


 おれってこんな顔なんだ。
 こっちに来てから随分と見ていなかったから、見覚えが無いわ。
 こんな顔だったのかーと、紙を見下ろしていると、彼は新しい紙を出してそこにもまた沢山のおれの顔を描くのだ。


「いっぱいかくの。□□をいっぱいかいて、みんなに見せる! そしたら、みんなわかってくれるよ」

「……」


 言葉を失った。

 沈黙したおれを余所に、劉備は紙を染めていく。

 おれは劉備の小さな手を眺めながら、ふっと目を伏せて劉備の肩に手を載せた。


「……ありがとな」


 ……《こっち》に来て、おれは本当に良かったのかもしれない。
 劉備を見守りながら、おれは口角を弛めた。



●○●

 最初は関羽相手の恋愛ものでした。
 でも需要無いかなーと思って劉備の友情へチェンジ。
 こっちもこっちで需要無いような気もしますが。(^_^;)



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