柚月様





 生まれた時から、あたしには《フツウ》なんて無かった。


 あたしはただ、愛おしい人を××したいだけ。


 ××したいだけ。


 その為なら出来るのよ。
 ……ああ、いいえ。出来るんじゃない。そんな躊躇いを臭わせるような言葉遣い、間違っているわね。
 あたしにとってはそれが《当たり前》なのよね。

 あたしに、一般の《フツウ》と《アタリマエ》は存在しない。
 あたしの《普通》と《当たり前》は、全く違うもの。

 あたしは《普通》だけど《フツウ》じゃない。
 あたしのすることは《当たり前》だけど《アタリマエ》じゃない。

 でもそれが何だと言うの?

 違うなんて、どうでも良いのよ。
 あたしはあたし。
 あたしのしたいようにすれば良いのだから。
 最初から《フツウ》を気にすることなんて無かったのよ。

 あたしは、あたし。
 あたしにとっての《普通》でいれば良いのよ。
 あたしにとっての《当たり前》をすれば良いのよ。


 だから――――あたしの愛しいあなた。


「……○○、何故だ」

「……」


 あたしと××し合いましょう?


 この、またとない甘美な時に。
 一度きりの、最上の表現をし合いましょう。


「ねえ、アルフレート殿下?」



‡‡‡




 一つの村が無くなった。
 大規模な盗賊団に襲われ全滅した。
 生き残りは少女一人だけ。
 無惨に殺された村人と山賊の中の亡骸の中でぽつねんと無表情に佇む少女は、ベルントによって保護され、彼と妻コルネリアの養女となった。

 少女は、何も知らないと語った。両親を殺されて、目の前が真っ赤になって――――気付いたらあそこに立っていて、知らない人達が現れたと、事の次第を聴取した者に答えた。

 誰もその言葉に同情した。哀れな子供だと、彼女の心の傷を気遣って、次第にその出来事のことは誰の口からも語られなくなった。

 少女がそのように《した》のだ。

 その影には誰も知らない真実がある。少女が頑なに語らなかった惨たらしい事実。

 それは、その少女が――――あたしが。


「村人を全員殺した直後に現れた盗賊団も皆殺しにしたって?」


 あたしは嗤(わら)いながら、目の前の男に問いかける。

 金髪のその男は整い過ぎた顔に渋面を作り、目を細めた。

 テーブルに置かれたその手にの下には短剣があった。鞘に収められてはいるけれど、あたしの行動によってはその破魔の力を持つ銀の刃をあたしに突き立てるだろう。

 それが面白くて面白くて――――心が沸き立つ。


「お前は、危険すぎる」

「そう」

「何故そのように凶悪な愛し方しか出来ない?」

「分からないわ。あたしはただ《普通》に《当たり前》のことをしているだけだもの」


 男は沈黙する。
 あたしを憐れむような色に、あたしは首を傾けた。


「お前はいつかベルント達を殺すだろう」


 お前が、人を好きになれない女であったなら良かった。
 男は吐息混じりに惜しむ。


「お前は異常だ。人間の皮を被った悪魔だ」

「あら、そうなのね。だからあなた達とあたしの常識は違うのね」

「正直を言えば、今すぐにでもお前を殺したい。ベルントやコルネリアを殺される前に」

「そう」


 けれど、彼には出来ない。
 何故なら。


 彼に殺されることに、抵抗心を持っていないから。


「愛(コロ)してくれるのね、ありがとう。でもね、あたしはあなたのことは愛おしくはないの。だからあたしはあなたを愛せないわ。無抵抗のあたしを殺したら、きっとお父様はお怒りになるでしょうね。お母様も、きっとショックで身体が弱って死んでしまうかも。二人共、あたしのことを大事にしてくれているから」


 それが嬉しい。
 だからいつかあたしも返さないと。
 この身に受けた愛情の分、愛してあげないと。
 血は繋がっていないけど、あたしを子供として優しく大切にしてくれる、心から愛おしい両親だから。

 それが、あたしにとっては《当たり前》。

 でも、目の前の男にとっては《アタリマエ》じゃない。あたしは《フツウ》じゃない。


「ああ、ごめんなさい。あたし、これからお父様と一緒に街を回るの。お母様の誕生日プレゼントを買おうって」

「……」


 男の苦虫を噛み潰した顔に、あたしは笑いがこみ上げる。
 あたしが恐ろしくて、憎らしくて、可哀想って顔をしてる。色んなものが混ざると不思議な表情になるのね。
 あたしはドレスを摘んで深々と頭を下げた。


「それではご機嫌よう、バルタザール陛下」


 あたしは彼の言葉を待たずに部屋を出て、ふと右に視線をやった。
 そこには、たまたま通りかかったのだろう、あたしと同じくらいの少年が立っている。灰色の髪をしたその少年は、驚いた様子でぱちくりと大きな目を瞬かせていた。
 確かこの子……アンゲリカ様と陛下の二人目の子供だったかしら。

 あたしは、彼ににっこりと笑いかけた。

 すると彼は一瞬にして顔を真っ赤にして、頭を下げてきびすを返した。ぱたぱたと逃げるように走り去る。

 初な子ね。
 あたしは声を立てて笑い、彼とは別方向へと歩いた。



――――それが、あたしと愛しい彼の最初の出会い。



‡‡‡




 目の前で愕然とするアルフレート殿下を前に、あたしはぞくぞくが止まらなかった。
 今から、この愛おしい人を愛(コロ)せる――――それだけで絶頂出来そうなくらい、強く熱い快感が全身を駆け巡る。

 彼は私に愛情を向けてくれた。異性として、あたしを女として、大事にしてくれた。
 それは今まであたしが受けてきたどの愛情とは違って、もっと熱くてもっと激しくて、もっともっと甘やかな、とろけてしまいそうな気持ち良い愛情だった。
 素敵な愛情を向けてくれる彼を、あたしも同じくらい愛おしく思った。


 だから、あたしも返さなくてはいけないの。


 愛おしい異性を愛す。そんなの、生まれて初めてだわ。
 こんなにも甘美な愛情を胸にたぎらせてアルフレート殿下と愛し合うなんて……きっと、本当の両親を愛した時よりも、あたしを可愛がってくれたお爺さんを愛した時よりも、沢山遊んだ近所の子供達を愛した時よりも、もっともっと幸せなんだわ。

 あたしは激情をぶつけるように、得物を持ってアルフレート殿下に肉迫した。

 でも、彼はあたしを愛そうとはしてくれなかった。抱き留めて、あたしの手から得物を取り上げたのだ。ああ、あたしの剣が。どうしましょう、これじゃあこの人を愛せないわ。


「○○、お前は……」


 背伸びして、口付ける。

 不意を突かれた形になったアルフレート殿下は顔を赤らめた。昔と変わらず、初々しい人。


「好きよ。あなたが大好き。だからね、愛すの」

「殺す、だと……」

「本当のお父さんもお母さんも、隣のお爺さんも近所の友達も、皆好きだから愛したの。お母様も愛したかったけれど、出来なかった。その前に、死んじゃったの。だからあたしの愛情をあの人には示せなかった」


 殺す、ころす、コロす、愛す。
 殺めることがあたしの最上級の愛の示し方なの。
 とっても素敵なことなのよ。

 首に手を回して密着して、あたしはアルフレート殿下に囁いた。


「ねえ、愛し合いましょう?」

「……違う」

「?」

「違う。そんな方法は、愛情ではない」

「それはあなたが《フツウ》だからだわ。あたしの《普通》と一般の《フツウ》は違うからあなたもそう言うのよ」


 アルフレート殿下は顔を歪めた。
 ああ、バルタザール陛下と良く似た表情だわ。だけどそこに憎しみが無い。憎しみが無くて……憐れみが強い。
 アルフレート殿下はあたしの肩を掴んで離した。


「○○……ここから去ってくれ。オレは、○○を殺せない」

「そう、残念ね。あなたは、あたしの愛を拒むのね。寂しいわ」

「そうじゃない。オレは、」


 あたしはアルフレート殿下から離れ、肩をすくめた。


「酷い人。こんなにも好きなのに。こんなに燃えたぎる感情は初めてなのに。あなたはあたしに愛させてはくれないのね。あたしが《フツウ》じゃないから。異常だから」


 じゃあ、あたしはどうすれば良いの?
 それ以外にどうあなたに愛を示せば良いの?
 あたしにあなた達の《アタリマエ》は出来ないわ。
 あたしはあなた達の《フツウ》の中にいないんだもの。
 問いかけるあたしに、アルフレート殿下は泣きそうな顔だ。ねえ、どうしてそんな顔をするの? バルタザール陛下も、あなたも。どうして、《普通》のあたしにそんな顔を向けるの?


「○○……」

「――――ああ、そうか」


『正直を言えば、今すぐにでもお前を殺したい』


 脳裏に反響するバルタザール陛下の声。
 彼があたしを愛したがった――――いいえ、殺したがったのは、あたしが《フツウ》じゃないから。
 この世界で、《普通》はあたし一人。他は皆、《フツウ》。枠組みの外。異世界の住人。異端の存在。

 ……そうか、そうなのね。

 あたしは、そうするべきなのね。


「あたしは死なないといけないのね」

「何を言って……」


 あなた達の《フツウ》の中にいないから。
 あたしの愛し方は《アタリマエ》じゃないから。
 あたしはそれを理解出来ないから。

 あたしは、死ぬしか無いのね。

 でも、あたしは愛されたい。
 大事な人に愛されたい。


「じゃあ、あたしがあたしを愛しましょう」


 アルフレート殿下は青ざめた。あたしの方へ手を伸ばすのを、ひらりとかわす。

 大好きな人達に貰った愛で育った今のあたしを、あたしが愛す。
 ああ、それって素敵なこと。
 これならお母様も愛を示すことになるじゃない。

 どうして気付かなかったんだろう。

 これ、名案だわ。

 あたしは笑う。笑って、アルフレート殿下に一礼した。


「それなら、あなたがあたしを愛してくれなくても済むのね。ありがとう、あなたのお陰で良いことに気付けたわ。大好きよ」

「待て! ○○ッ、何を言っているのか分かっているのか!?」

「ええ! とっても素敵なことでしょう! ああでも、あなたは違うものね。理解出来ないのも仕方がないこと」


 これがどんなに素晴らしいことか、分かるのはあたしだけだわ。
 アルフレート殿下と共有出来たら良かったのに、あなたはあたしと同じじゃない。バルタザール陛下と同じ《フツウ》の人。

 だから、あなたはあたしを愛してはくれなかった。


「アルフレート殿下。あたしはあたしを愛すことで、あなたへのこの恋情を示しましょう」


 にっこりと笑い、あたしは懐から短剣を取り出した。幼い頃お父様に護身用に持たされた物だ。

 アルフレート殿下が奪おうと飛びかかるのを避けながら、あたしは鞘を抜く。


「止めてくれ!!」


 アルフレート殿下が叫んだ。

 あたしは笑いながら、切っ先を咽に向け――――。


「○○!!」


――――大好きよ、愛おしいあなた。



⇒後書き+レス

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