紗羅様
元同僚から、手紙が届いた。
典薬寮でいつも一緒に仕事をこなしていた同じ年の少年からの、求婚の歌だった。
唐突なことで伯母も私も酷く驚いた。どうして、何で、何故――――疑問がぐるぐると脳内を巡って心を掻き乱す。
彼は私にとって頼れる親友だった。
でも、その歌の内容から、私のことを女と分かっていて気付かないフリをしながら、ずっと私が好きだったそう。
すっと、そんな目で見られていたことが何よりも衝撃的で、それでもあくまで親友として、男同士として接してくれていた優しさが嬉しくもあった。
多分、この手紙を贈るに当たって彼自身色々と悩んだのだと思う。親友の立場を壊してしまうかもしれないし、彼の場合行動することで私も悩んで気を遣わせてしまうと思った筈だ。短い付き合いだったが、悶々と考えて悩む姿が簡単に思い浮かぶ。
だからこそ、私は返事で断るべきか、無視をして伯母で止められたのだと思わせるべきか――――物凄く悩んだ。
お互い色々と助け合って典薬寮で働いた親友だから、傷つけたくもなければぞんざいなこともしたくない。
どうすれば親友を傷つけないか、正しい方法は何か。
伯母にも相談して、私はずっと悩んだ。悩みっ放しだった。
伯母だけじゃなく彩雪さんにも相談したかったけれど、最近入ったばかりの彼女はまだ仕事に慣れてはいない。早く馴染もうと頑張っている彼女の邪魔にはなれなかった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう――――。
そんなことを四六時中考え込んでいたから、意識が散漫になってしまった。
仕事寮の常仕にまで、影響が出る始末。
色んな人に迷惑と心配をかけてしまったけれど、こればかりはさすがに男性に相談する訳にはいかなくて、ただの体調不良のようだとしか答えられなかったのが、非常に申し訳なかった。
「……はあ」
仕事寮からの帰り道。
私は一人とぼとぼと帰路を辿っていた。
今日もまた、失敗をしてライコウ様に怒られた。いや、怒ったというよりも本気で心配されていたように思う。心配故の厳しい言葉に、焦りは増していく一方だ。
早く解決させないと仕事寮にも親友にも迷惑だろう。
私の好きな人は別の人。でもそれは手の届かない人。
だけどだからと言って親友と結婚するのは間違い。あいつは悩んで求婚をしたのだ。私がそれをぞんざいに扱って良い筈がない。
そもそも、私は結婚する気が無い。現状で満足している。
元々私が男装してまで出仕したかったのは、恩人――――和泉様を捜したかったからだ。
名前も何処の貴族かも分からなかったけれど、貴族の子供なのだから出仕すれば何処かで見かけるかもしれないと伯母が提案してくれて、伯父にも手伝ってもらったのだ。……まさか、それが皇太子様だったとは、全く思ってなかったのだけれど。
仕事寮にいれば和泉様の側にいられるし、帝になられて仕事寮が無くなったとしても、元いた典薬寮に戻してくれるだろう。
大内裏と内裏――――それなりに近いじゃないか。
それにたまに目にする機会もあるだろう。それだけで、十分幸せだ。
そんな訳で現状で満足している私に、結婚する気は更々無かった。
問題なのは、どう断るかってだけで。
……ああ、そう言えばこの辺にあいつの邸あったよね。
「面合わせて断るか……」
「何を?」
「いや、だから求婚――――」
……。
……。
……。
いま、わたし、だれとかいわしてました?
私は口端をひきつらせた。聞き覚えがあったななんて思ってない。思いたくない。
ぎこちなく振り返ると、そこには緑――――と黄色。
ひぃ、なんて悲鳴が聞こえたのは仕方がないと思う。
「い、いぃい和泉様……」
「さっき振り」
「……は、はは、は」
聞きたくない人に聞かれました、はい。
和泉様は苦笑を浮かべていた。
困ったようなそれに、私は気まずさから視線を逸らす。
「○○。俺で良かったら、相談、乗ろうか?」
「……いえ……良いです」
「まあそう言わずに。君の伯母様とも相談したけれど答えは出ていないんだろう?」
図星を指された。
うう、と胸を押さえて俯くと、そっと頭を撫でられた。
「断り方に困るくらいだから、もしかして同僚とか、幼馴染みとか、親しい人?」
黙っていると、顔を覗き込まれた。
優しく話しかけられ、促される。
「典薬寮でいつも一緒に仕事をしていた親友です」
「そっか……それは、○○がこんなに悩む訳だ」
最悪だ。
こんなところで、和泉様にバレるなんて。
不運を嘆いていると、「ごめんね」と謝罪。
「心配だったから追いかけて来たんだけど……まさか結婚の悩みだったとはね。俺達に言えない筈だ」
「……申し訳ございません」
「いやいや……こっちも無神経でごめん。でも、親友ならちゃんと思ったことをはっきり言った方が良いと思うよ。彼とは、そう言う関係だったんだろう? なら、君なりにちゃんと返事をしてあげるべきじゃないかな。これで距離を置いて溝が出来ちゃったら、そっちが辛いだろう?」
和泉様にまた頭を撫でられ、私は小さく頷いた。
彼は笑って、私の身体を反転させた。
「ほら、行ってらっしゃい」
「え? ……あ、」
目の前を横切る小路。
そこを浮かない顔で歩いていくのは、親友だ。やっぱりこの辺りに邸があるのだ。
和泉様を振り返ると、彼は笑顔を浮かべて背中を押してくる。
私は築地に隠れてしまった親友を見、深呼吸を一つ。
「行ってきます」
「うん」
腹に力を込めて駆け出した。
‡‡‡
脱力した身体で戻ってくると、和泉様は待ってくれていた。
「お疲れ様」声をかけてくれてみたび頭を撫でてくれた。
「どうだった」
「……あ、いや……何かすんなりでした」
こっちが拍子抜けするくらいに。
親友は、こっちが色々言葉を考えて断ったというのに、初めから分かっていたみたいな反応だった。むしろ私が返事を面と向かってして、関係はそのままでいたい言ったことに、安堵していた。
壊す覚悟をしていたけれど、歌を贈って日が経つにつれ私を傷つけて関係が壊れてしまうことが段々と怖くなっていたらしい。
だから、はっきり断りに来た上に関係を壊さずに済まそうとしてくれた私に感謝していた。
嗚呼、良かった。間違わなくて良かった。
私も安堵した。
和泉様に背を押されて、行動して良かったと思う。
それを言うと、彼も安堵してくれた。……私以上のように思えたのが、不思議ではあったけれど。
「ありがとうございます。和泉様」
「どういたしまして」
頭を下げると和泉様は片目を瞑った。
「……けど、どうしてあいつが私の親友だって分かったんですか?」
「ああ……これはたまたまなんだけどね。昨日、依頼で典薬寮に言った時に○○と同じような状態の人がいてね。それが彼。君を追いかけてる時にすれ違った時も物凄く雰囲気が君と似てたから、もしかしたら関係あるかもって、間違ってなくて良かったよ」
「ああ、そういうことですか……」
そう言えば私達先輩から似た者同士と言われていたような……。
そこまで似ますか、私達。
私は苦笑し、もう一度頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「いえいえ。じゃあ、帰ろうか。折角だから送るよ」
「え? いえいえ。それには及びません。和泉様の手を煩わせる訳には」
「良いから。俺が○○と一緒にいたいんだし」
「……」
……いや、違う違う。
そう言う意味じゃない。
跳ね上がった心臓を落ち着かせようと、私は自分に言い聞かせる。
けれど手を握られ、また心臓が跳ねる。
「じゃあ、行こう――――」
――――と、一歩踏み出した直後だ。
遠くで和泉様を呼ぶライコウ様の声が聞こえた。
……。
「和泉様」
「あれ……もうバレちゃったか」
ライコウ様に言ってなかったんですね。
咎めるように睨むと、和泉様は楽しげに笑って――――。
「逃げようか」
「ちょ……!? ひゃっ!」
私の腕を引いて、駆け出した。
かと思えば物影に隠れて抱き締められる。
全身の熱が急上昇したのは、言うまでもない。
「和泉様……っ」
「いやぁ、駆け落ちしてるみたいだね、俺達」
「かっ、駆け落ちって……」
嬉しそうに見えるのは、気の所為か。
私は溜息をつく。
けれど……正直を言えば、私自身この状況が嬉しくない訳でもなくて。
もうちょっとこのままでいたいかも――――そう思ってしまって、心の中でライコウ様に謝罪した。
この後ライコウ様に見つかって、小路を追いかけ回されたのは言うまでもない。
⇒後書き+レス
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