紫苑様





 私は奴隷。
 人から人へ、売り買いされるだけの《物》でしかない。
 何人の子供を孕み、産み落とし、目の前で殺されただろう。
 殺される度、無駄な怒りが私を苛(さいな)んだ。私を犯した好きでもない男との間に出来た子供達だ。でも彼らに罪は無い。だのに私のもとに生まれてしまったが為に、生まれてすぐに散らされてしまうという不幸な目に遭わせてしまった。

 別の母親のもとに生まれていたならば、幸せになっていたでしょうに。
 小さな小さな冷たい身体を見ながら私は涙する。何度殺されても、涙が出ないことなんて無い。父親なんて要らない、私だけの子供達。

 誰か、優しい男の人と子供を作って、幸せに日々を送る――――そんな未来を夢見たことがある。
 奴隷の身分には、叶えられる筈のない未来。
 だけど、夢見るだけなら罪にはならない。
 奴隷だって人間だから。女だから。人を愛せる心を持っているから。
 夢を見たって、良いでしょう?

 それだけが、私の心の支えだったの。
 誰にも侵さない、私にとっての小さな夢。

 叶えられなくたって良いの。
 夢に浸っている間だけは、幸せだから。
 ずっと、ずっと、そう思っていた。
 それだけが、私の支えだった。

 それを変えてくれたのは――――いや、新しい私の支えになってくれたのは、彼だった。
 私よりも年下の、猫の耳を持った黒髪黒目の少年――――曹操。
 奴隷として何度目かに買われたのは、曹嵩という、偉そうな男だった。彼は私を曹操の世話役につけた。それ以外、曹操の傍には何もいなかった。彼に与えられた《家》も剰(あま)りに狭く、粗雑で、不潔だった。

 どうして自分の子供である曹操をぞんざいな造りの家屋に閉じ込め、私如きを世話役につけるのか。
 その理由は、問うまでもなく理解した。

 彼は猫の耳を持っている。
 それは、金眼の子孫の一族――――十三支の証。
 曹操はその混血だった。
 だから身分の無いに等しい私をつけ、人目を避けた場所に監禁したのだ。

 十三支はとかく疎まれる。私も、人間に嫌悪感のままに蹂躙された十三支の女子供を見たことがある。でも、私だって同じなのよね。私だって、奴隷と言うだけで同じ人間に思われていないのだから。

 混血だから、十三支だから。
 そんな偏見は無かった。むしろ人外同士、馴れ合うのも良いかもしれないとすら、思っていた。環境の悪さを除けば、食料も衣服も貰える今の生活はなかなかに恵まれていたもの。私としては、有り難い買い取り先だった。

 曹操は最初こそ私に対しても無反応だったものの、季節が二回巡った頃になると、表情を見せてくれるようになった。私にも名前をくれた。

 彼が私を認識する為の名前《○○》。
 誰もくれなかった私を表す名前を貰えたことに、私が喜ばない訳がなかった。
 彼は私がとても喜んだのを見て、ほんの少しだけ笑ってくれた。まだぎこちなかったけれど、それでも笑ってくれた。それも、凄く嬉しかった。

 曹操が耳を斬り落とすのも、見届けた。見届けて欲しいと言われたから。
 彼が十三支を切り捨て、人間として生きていくことを決めた彼は、曹嵩に対する憎悪だけを糧に知識を吸収し、武勇を極め、曹嵩を唸らせる程の男となった。

 彼が天下を取れるやもしれぬと踏んだ曹嵩は、掌を返したように態度を変えた。曹操が自分を裏切らぬよう彼にとっての甘い蜜を与え始めた。曹操には、そんなもの通用しないと言うのに。

 奴隷の私なども、分不相応だからと別の、曹家と繋がりのある家の姫を仕えさせようとした。
 だけど彼は頑なに私を手放さない。昔から一緒にいるのが当たり前だった私達は、常に共に行動した。部屋も同じなら寝台も同じ。
 曹操は、徐々に増やしていった部下達全てに私が奴隷であることを教えなかった。自分の世話は全て○○がやると、それだけ。

 その身分から、曹操に害意ある他者と通じる心配の無い、口の堅い何処ぞの姫一人に、身の回りの世話をさせているのだと認識されているんだと思う。それも、誰よりも曹操に信頼されている女だと。
 実際は奴隷なのに、私よりもうんと身分の高い人達に丁寧な扱いを受けるのは複雑な気持ちだった。

 でも、それ以上に気まずいのは――――。


 最近の曹操の視線。


 視線がやけに鋭く、熱い。
 私が目の前で着替えをするなんて昔からだった筈なのに、舐め回すように凝視してくるし、暇さえあれば私を抱き寄せたりしてやたらと甘えてくる。
 最初は、忙しいから溜まっているのだと思った。昔から、知識の薄い性処理の手伝いもしていたから、そうなんだろう、と。
 けれど、彼は私の身体を求めてくるようなことはしなかった。昔は訳も分からない欲情に戸惑っていたのを、私が治めてあげていたのに、今は私以外の方が良いのかもしれない。
 ならば他の女性を手配してあげようか。夏侯淵に聞けば、見目の良い女性の一人や二人、用意出来るかもしれない。

 そう思って好みを訊ねたところ――――何故か私は押し倒されている。


「あの……曹操?」

「……何だ」


 何だ、じゃないよ。
 私は両手を寝台に縫いつけられた状態で、天蓋の背景に私の視界に収まる曹操を見上げた。


「どうしたの? もしかして自分の女性の好みが分からないの?」

「それを訊いてどうする」

「性処理用に用意してあげるの。最近あなた、私を性処理に使わなくなったでしょう? 年齢的にもそういうのが嫌になったのかなって。ほら、私達親子みたいな関係なのだし」

「……」


 ぐぐっ。
 眉間に皺が寄る。
 違ったのだろうかと首を傾けると、不意に彼の顔が落ちてきた。
 口が私の口に触れそうになったのを顔を背けて回避する。


「こらこら、曹操。そういうことは好きな人としなさいと言ったでしょう?」


 今度は舌打ちだ。
 一体、何なのかしら。もしかして大人になって反抗期? 子供の頃無かったから今頃来たのだろうか。それはそれで良かったような……。
 曹操は私の両手を放すと私の顎を掴んで上を向けさせ、口に噛みついた。驚いた瞬間ねろりと口腔に入り込んできた。
 舌だ。私の上顎を撫で、私の舌を絡め取る。
 奴隷の頃に何度もやった行為だ。けど背筋がぞくぞくとした。

 曹操が私の胸を服の上から掴んだのに、咄嗟に手を掴んで止めると、曹操はその手を振り払って襟を開いた。


「ん……ぷはっ、ちょ……っと! 曹操……私は、」

「○○。お前は私の女だろう」

「女じゃなくて、世話役です」


 奴隷の私は曹操の女にはなれません。
 頭を撫でて宥めるけれど、曹操は手を止めはしなかった。
 前は私が自分から動いてあげていた筈が、今は曹操が私の身体を開いていく。しかもその手つきは急いでいるけれど乱暴ではない。奴隷の頃にぼろぼろにされた私の身体を労(いたわ)って、肌を傷つけずに、丁寧に、早急に布を剥いでいく。

 まるで情の通う行為みたいで、私は戸惑った。
 私は曹操の女にはなれない。それは彼にも昔から分かっていたことなに、これは一体どうしたことか。


「そ、曹操……! 自分が何をやっているか分かって……」

「愛した女を抱いている。それだけだ」

「愛したって……ちょっと! 人の話聞いていたでしょう?」

「ここでお前の身分を知る者はいない。幾らでも捏造(ねつぞう)出来よう」

「捏造って……駄目よ、そんなの。私は奴隷なの。それは何をしても変わらないわ。身体を見れば分かるもの」


 幾つも幾つも重なって残る古傷は、今でもくっきりと見て取れる。
 すっかり剥かれた身体を見下ろし私は目を細めた。

 だが、曹操はしれっと言うのだ。


「見るのは後にも先にも私だけ。それともお前は私以外の誰かに抱かれるつもりか?」

「それはごめんだけど……って、先に進まない!」


 頭に手刀を落とす。
 曹操は私を見下ろし、身体を落とした。密着して顔を寄せてくる。内腿を撫で肌を引っかいた。それにも何故か敏感に反応してしまう。息を震わせ背を仰け反らせると、咽を舌で撫でられた。


「永遠に、傍にいてくれるのだろう。○○」


 ……ああ、そう言えば。
 そんな約束もしてたっけ。
 いやでも、それはこんな関係じゃなくって、親子みたいな関係を続けようね、みたいな感じだったんだけどな。


「もう、曹操ったらっ」

「○○」

「ぅん……っ!?」


 また、深々とした口付け。

 これは存外な事態だ。
 曹操が私を女として見る日が来るなんて。
 今までお互い裸を見ても何も反応しなかったのに、どうして、今更こんなことに……?


「愛している」


 耳元で囁かれ、私は身を堅くした。


「え……あ、……?」


 何だろう……身体が熱い。というか、物凄く恥ずかしい。恥ずかしいし混乱する。



 何故、何で、どうして――――私、喜んでるの。



 愛してる。
 その言葉を聞いた瞬間浮き立つような感覚に襲われた。これは歓喜だ。
 曹操に囁かれて、喜んでいる自分がいるのに困惑は増幅する。

 これじゃあ、まるで――――私も彼に気があるみたいじゃないか。
 まさか、そんな馬鹿な。


「曹、操……」

「何処にも行くな。お前だけは。私の全てを知るお前だけは、永遠に私の傍に」


 逃げても、必ず捕まえる。
 甘ったるく囁かれた。

 止めて、と言おうとした口はまた塞がれてしまう。

 何故だ。身体が、頭が、段々と痺れていく。
 痺れは身体から自由を奪い、曹操の愛撫を受け入れてしまう。

 逃げられない。
 そう思った時、曹操は再び囁くのだ。


「愛している。私の○○」


 私もなのだろうか。
 私も彼のことを愛しているから、喜んでいるのだろうか。

 でも、いつから? どうして?
 だって私は曹操の世話役だって、年上だから母親みたく思っていたのに。
 いつから、彼からの愛情を喜ぶようになってしまったの。

 分からない。
 分からない。

 分からないのに――――曹操は考える暇をくれない。
 考えさせまいとしているのかもしれない。私が理性で考える前に、誤魔化してしまいたいのかもしれない。

 嗚呼……動けない。
 彼の言葉に身体が痺れて動けない。
 駄目なのに。

 思考が、止まる。



 訴える理性は、彼の情欲に流された。



⇒後書き+レス

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