李典はよく、関羽のことを破廉恥だ破廉恥だと言う。

 されど関羽は今までそんなこと誰にも言われたことが無い。
 胸や足の露出を厳しく指摘し、嫁入り前の女が際疾い部分を晒して嘆かわしいだの、育てた奴の神経を疑うだの、ぐちぐち小言を言うのに戸惑ったし、反抗も覚えた。
 彼の小言を聞いているうち、李典の女性の好みが何となく分かってきた。
 多分貞淑《過ぎる》女性なんだろう。
 そんなの、深窓の姫君でなきゃなかなかいないわよ。
 そう文句を返してみて、『いや、世の中の姫君はお前とは天と地程の差があるし』と真顔で返されて拳を握ったこともある。確かにそうだけれども。

 最初こそ色々と腹の立つ敵ではあったが、李典の言動からは夏侯惇達のような蔑視は感じられず、容赦ない言葉も同年代の男友達と口喧嘩をしているみたいで気持ちが軽かった。

 ……だけども。


「……ねえ、李典」


 それ、何?
 関羽は口端をひきつらせ机にこんもりと盛られた大量の書簡を指差した。
 李典はさも当然のように、


「お前が読む書簡だけど?」

「何でこんなに多いの!? しかもわたし、そんなこと全然頼んでいないわ!」

「俺が来る度に話しかけてくる五月蠅いからこっちを読んで過ごしてろ。心配しなくても、そのスッカラカンの頭でも理解出来る簡単な物語ばかりを集めてやった。……俺の母親の書簡だから絶対に汚すなよ」

「な、なん……!」


 そんっなに拒絶しなくたって良いでしょう!? というか、わたしの頭はスッカラカンじゃない! ……頭が良いとも言えないけれど。
 両手に拳を握りきっと李典を睨めつけると、はっ、と馬鹿にした顔で、鼻で一笑される。

 関羽の文句も受け付けず、李典は一本関羽に投げつけた。
 頭に当たって関羽は悲鳴を上げた。力が軽かったから少し痛いだけだったけれど……女に対して失礼なんじゃないか。
 抗議しようと李典を睨むも、彼の顔に今まで無かった軽蔑の色が見えてえっとなった。


「り、李典……?」

「今の、捕まる前なら避けられたんじゃないのか」

「え?」

「鈍ってるな、相当」


 落胆を隠そうともしない低い声に、じくりと胸が痛む。
 李典は関羽の頭を確認し傷がないことを確認するとそのまま部屋の隅に座って自ら持ち込んだ別の書簡を読み始めた。

 関羽は下唇を噛み締めて俯いた。李典に投げられた書簡を手にし、開く。

 そこに書かれていたのは、恋愛ものの物語のようだ。
 とある美しい村娘が戦で敗け傷ついた武将を助けた場面から物語は始まる。
 村娘は名も告げず、顔も隠して離れに匿った武将に尽くした。この時村娘は武将に一目惚れをしたという。けれども身分の差を弁(わきま)えてもおり、自分なりに線引きをして接していた。顔を、目から下を布で覆って隠していたのも、その現れだ。
 そして、その武将の傷も完治して馬を貸し、乞われても素性を教えないまま密やかに武将を送り出すのだが、武将は数年経っても娘のことが忘れられず――――。

 ……。

 ……。

 ……どうしよう。これ、物凄く先が気になるわ。
 元々、こういった娯楽の書物を読んだ経験が無い関羽には、誰かの頭から作り出された恋物語が初めてだった。
 うきうきと弾む胸を自覚し、関羽は文字の羅列を追い始めた。

 それを横目で観察し、李典は呟く。


「単純……」



‡‡‡




 その話は続き物だった。幸い全巻を揃えてくれていたのでもどかしい思いをせずに済んだのだが、読めば読む程先が気になった。

 武将は己の治める領地にてとうとう娘を見つける。偶然ではあったが、よくよく記憶していた声、眼差しだけで分かったのだ。その美しさに、愛しさは募った。
 しかしその時すでに娘は豪商に嫁いでおり、生まれたばかりの息子もいた。
 裕福な家庭で幸せに過ごしているかに思われたのだが、実際はそんな喜ばれた形ではなかった。
 娘の美貌を気に入った豪商が親を謀って多額の借金を背負わせ、そのカタに娘を無理矢理に娶(めと)ったのだ。
 美しい娘を我が物のように誇り、少しでも口答えをすれば暴力を振るう。
 娘は決して幸せではなかったのだった。

 読み進めるうちに、武将に、娘に同情して、視界が滲んでいった。
 武将は一途に娘を愛し妻を娶らず、娘は武将への想いを抱えたまま両親を守る為に愛してもいない男に尽くし――――そして不本意でないにしても自分が腹を痛めて産んだ息子を心から愛し。
 なんて、悲しい定めだろう。
 ぐすっと鼻を啜って次巻を探そうと顔を上げると、李典が酷く気味悪そうにこちらを見ていた。


「そ、そんな顔しなくても良いじゃない……」

「いや、お前不細工をより不細工にして、同情でも引きたいのかと思って」

「違います!! それと、可愛いとか綺麗とか思ったことも無いけど、不細工は失礼でしょう!?」

「それなら露出を控えろよ露出狂」

「この程度で変態扱いしないで! あなたこそムッツリなんじゃない!?」

「好きでもない相手の身体になぞ興味あるかよ。無防備な素肌は自分の夫にだけ晒すべきだと思ってるだけだ。武家の男は主だけじゃなく妻も子供も命を懸けて守るもんだからな」


 しれっと言う李典に、関羽はうっと言葉を詰まらせる。
 何だろう……この人真面目で面倒臭そうだけど、それだけに奥さんになる人を本当に凄く大切にしそう。というかわたしに破廉恥破廉恥言うのに自分の恋愛観はさらりと言ってしまえるのね。
 反論を呑み込み、関羽は不満を感じながらも次巻を読むこととした。

 そこへ、


「……ああ、そうそう。その話だけどな。作者死んで話も途中で終わってるから。最後は分からず終いになってる」

「えええ!? 嘘!」

「お前に嘘ついてどうする。ざまあみろ――――いって!」



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