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 思ったよりも広大な山頂には幾つもの墓標が立っていた。関羽の身体が隠れてしまうくらいに大きな石に、下に眠る者達の名前が刻み込まれている。
 整然と並んだ墓は数えきれず、崖先に近付くにつれ雨風による風化が酷い。どうやら奥の方が古いようだ。

 こんなに……狐狸一族の人達の墓があるなんて。
 関羽には想像出来ない途方もない年月を生きてきた神の一族。
 彼らの墓標に囲まれ、関羽は彼らが自分と同じく『生きている』のだと強く実感した。
 生きているのだからいつか死ぬのは当たり前だ。それが世界の理なのだから。
 それはきっと、甘寧だって、恒浪牙だって、いつかは滅びるかもしれないのだ。
 そう言えば、と。関羽は思い出す。
 辛いつらい記憶。世平が死んでしまったあの夜、幽谷が彼の遺体を焼いて骨を猫族のもとに連れて帰って来てくれた時のこと――――。
 狐狸一族の弔いなのだと、恒浪牙が教えてくれた。
 彼らの骨の一部を、今を生きている狐狸一族は持っているのだろう。さすがに全ての狐狸一族ではなく、特に親しかった兄弟が。

 そこでふと、関羽は違和感を感じた。

 だが違和感の正体ははっきりとせず、咽につっかえるものを気の所為だと無理矢理に嚥下し意識の外へ追いやった。
 違和感を塗り潰すように、関羽は蒋欽の後ろを歩きながら周囲を見渡す。
 見渡す限り狐狸一族の墓標。地の下で眠る彼らを守るように、慰めるように、色とりどりの可憐な花が地面を埋め尽くしている。
 甘寧が一人でしかこの場所を訪れないのは、きっと誰にも邪魔されずにここに眠る息子達を想っていたいからかもしれない。
 胸に切ない痛みを感じながら、死した狐狸一族達へ思いを馳せた。

 風が関羽の頬を撫で、髪をもてあそんで悪戯する。
 と、猫の耳をぴくりと震わせた。


「……?」


 風に混じって誰かの声が聞こえた。
 何処から運ばれて来たのか、とぎれとぎれに掠れたその声は小さな子供のように高く、歌っているようだった。
 無邪気で、可愛らしい……自分も一緒に混ざって歌いたくなるようなうきうきとしている歌だ。

 不思議だ。歌詞がはっきりと聞き取れる訳でもないのに、関羽の脳裏には野をかけ花を愛でる猫族の子供達の様が鮮明に浮かぶ。


 つきのはごろも ひのかんざし
 くものかんむり はなのくつ――――


 もっと近くで聞きたい。
 そんな好奇心がむくむくと膨れ上がり、知らぬうちに関羽の足は止まっていた。

 本人もそれに気付かず、意識は完全に無邪気な歌に向いていた。

 関羽の意識を呼び戻したのは、


「関羽。どうした」


 蒋欽の心配そうな声だった。

 はっと関羽は背筋を伸ばし蒋欽を見上げる。


「ご、ごめんなさい。風に乗って、歌が聞こえたものだから気になってつい」


 蒋欽は首を傾げた。
 大男だが、屈託のない彼がきょとんとしていると、親しみやすい愛嬌がある。


「歌……? はて、弟達が歌っておるのだろうか……」


 関羽と違い、人間と同じ場所に生えた狐の耳を指で引っ張って周りをぐるりと見渡して耳を澄ませる蒋欽。
 唇を曲げてもう一度首を傾けた。


「聞こえぬなあ……」


 関羽も耳をそばだたせて、あっと声を上げた。


「……本当。もう聞こえなくなっちゃったわ」


 もっと聞いていたかったのに。残念だわ。
 それくらい、あの子供の歌声は心地好く、関羽の胸を擽(くすぐ)った。


「つきのはごろも ひのかんざし
 くものかんむり はなのくつ……」

「……それは、」

「あ、聞こえたのはこの部分だけなんです」


 名残惜しくて口ずさむと蒋欽がさっと顔色を変えた。

 蒋欽も何処か強張った顔で歌詞を繰り返す。


「つきのはごろも ひのかんざし
 くものかんむり はなのくつ……」


 そして、


「かすみがだにの きつねのこ
 かおりまとって まいおどる
 やんややんやと はやすとり
 われもわれもと はねるむし

 かすみがだにの はなばたけ
 ねむるきつねは ははのうで
 ねむりめ とざさば ゆめうつつ
 こちょうとまうか はなとわらうか

 つきのはごろも ひのかんざし
 くさはなのくつ くものかんむり
 いとしきははに にあうもの
 いとしきおばに にあうもの
 いとしきおじに にあうもの
 いとしきそふに にあうもの」


 歌い出す。
 それは、関羽が聞き拾った歌と同じものだ。

 関羽が目を輝かせて問い掛けた。


「それが、歌詞なんですか?」


 蒋欽は関羽を一瞥し、墓を見渡した。

 その仕種で察した関羽は口を閉じ、蒋欽をじっと見つめた。


「全てではないが……昔、小さな友に教わった歌だ。一人で考えたそうだ」

「一人で……」


 蒋欽は関羽に微笑みかけると、先を歩いている孫権を視線で示し、関羽の背を軽く押して歩き出した。

 関羽は頷き、彼に従う。
 聞こえてきた歌を作った子は、関羽の察した通りならば周りの墓のいずれかの下に眠っているのだろう。
 風が運んできたのは、何処の、誰の歌声だったのか。
 関羽には分からなかった。

 が、願望としては蒋欽の『小さな友』であって欲しいと思う。

 だって蒋欽の微笑みがあまりにも寂しそうだったから。
 快活な笑みでこちらの心も晴れやかにしてくれる彼のそんな表情は、見ていて胸が締め付けられた。


「関羽。あそこに」

「え? ……あ、」


 蒋欽の言葉に思考を中断させられ、関羽は彼に促されるまま前を向いた。
 そして、一瞬息を止める。

 そこは、北に突き出した崖の先だった。
 川を眼下に見下ろすそこには一つの墓があり、その前に二つの人影があった。
 片方は墓の横に座り、片方は墓を挟んで立っている。

 立っている方は孫権だ。

 ならば当然座っている方は、


「……周泰」


 である。

 関羽は足を止めた。
 それ程時間が経っている訳でもないが、懐かしいと思えるくらいに恋い焦がれていた周泰の背中は以前よりも小さく見える。

 蒋欽が、そっと弟に声をかけた。


「周泰。身体の調子はどうだ」

「……」


 周泰が、ゆっくりと振り返った。
 無表情だけれど、疲弊した弱々しさを感じて関羽は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。

 蒋欽の側を離れ、ゆっくりと周泰に歩み寄る。

 周泰の色違いの前が僅かに見開かれた。
 腰を上げようとするのを制したのは長兄。


「もうあれは眠っておるのだろう。ただ話すくらい、どうということもあるまいて」

「……しかし……」


 蒋欽は関羽の背を押して、孫権と周泰の間に関羽を座らせた。


「蒋欽さん」

「儂は、村に戻る。二人の泊まる部屋を用意しなくてはならぬからな」


 関羽は目を丸くする。


「え? 泊まる?」

「孫権様は、こちらに来る時にはいつもそうなさる。こちらの食事が口に合うかは分からぬが、不味くはないはずだ」


 関羽の頭を撫で、渋面を作る周泰の肩を叩いて宥め、蒋欽は大股に元来た道を戻っていった。

 大柄な彼を見送る関羽を励ますように、風が優しく頭部を撫でていった。

 周泰へ顔を向けると、彼もまた、関羽をじっと見つめている。
 視線が交差した瞬間爆発に飲み込まれたかのように体温が一気に上昇するが、すぐにさっと冷めた。

 顔こそ無表情だが、色違いの瞳の奥には戸惑いが不安定に揺らめいていた。


「あの……周泰」


 たどたどしく呼びかけると、周泰は逃げるように、視線を墓へ戻してしまった。

 その瞬間、関羽には自分よりも大きな身体の周泰が何かに怯える子供に見えて、思わず彼の手を握り締めた。



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