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……あれから、ずっと周泰に避けられている。幽谷以上に上手く避けられている。
だって、関羽の視界に彼は絶対にいないのだ。
博望坡の戦い直後の失態から関羽は周泰に嫌われてしまったようである。
謝りたいけれどそれも猫族の側では出来ない。きっとあれは他言してはいけない、大事な秘密だったのだ。だからあんなにも彼は怒ってしまったのだ。
罪悪感と慚愧(ざんき)の念に苛まれ、関羽は嘆息する。
と、少し離れた場所で諸葛亮から一睨みを食らってしまった。
反射的に背筋を伸ばし、逃げ出すように廊下に飛び出す。
関羽達猫族は今、新野城に身を置いている。
曹操軍の進撃に備えて襄陽城に避難する準備を進めているのだ。
その中で新野の民も劉備の説得によって共に襄陽へ逃げてくれることとなり、今はその民を先んじて船で逃している最中であった。
この船に、趙雲と、夏侯惇に付け狙われている幽谷も同行させる。
周泰は火の扱いに長けているからと、恒浪牙の提案で張飛と蘇双の手伝いに回った。
着々と整っていく準備。
しかし油断は許されない。相手は、曹操なのだ。逃げる準備が出来たからと言って安心なんて出来ない。
先程諸葛亮と話していた劉備は、緊張に張り詰めた顔をしていた。
わたしも、しっかりしなくちゃ!
自身の頬を叩いて活を入れ、関羽は自分に出来ることは無いかと大股に歩き出した。
‡‡‡
火の手が上がった!
新野城を前に、関羽は固唾を呑んだ。
残った民はもう逃げただろうか。いや、逃げていて欲しい。
もはや一刻の猶予も無い。自分達も早く逃げ出さなければ――――。
船を振り返った関羽は、えっとなった。
船の側に集っていた一人の女性が関羽達のもとへ駆け寄って来るのが見えた。
彼女は関羽に縋りつき、青ざめ、震える声で叫ぶように問うた。
「あ、あの! 三歳ぐらいの、おかっぱの女の子を見ませんでしたか!?」
「人間の女の子ですか?」
女性は大きく頷いた。
城内で子供がはぐれてしまったらしい。
それは彼女だけではなかった。猫族にも男児が一人、何処にも見当たらないと言う。
張飛や蘇双達はまだ城内に残っている。
だが、彼らが偶然見つけてくれるのを待つのも不確かだ。周泰も気付いてくれるか分からない。
それに、この様子では劉備が自ら飛び込んでいきそうだ。
関羽は諸葛亮の無言の牽制を受け悔しげに顔を歪めるしか無い劉備を一瞥し、地を蹴った。
「わたしが捜してくるわ! 皆は先に船に乗っていて!」
「関羽!? 駄目だ、戻って!!」
「劉備様!!」
「諸葛亮、劉備のことお願いね!!」
関羽は振り返らずに、城内に飛び込んだ。
まだ火はさほど広がっていない。火を放った場所さえ避ければ火に巻かれることは無いだろう。子供達も、火は避けている筈。
偃月刀を握り締め、関羽は奥へ奥へと入っていった。
けれど、ふと気配を感じて物影に隠れる。
近くに誰かいる。子供ではない。
顔を少しだけ出して姿を確認した直後、驚きに声が出そうになった。口を手で塞ぎ、再び隠れる。
曹操! もう曹操軍が入ってきていたの!?
見つかる訳にはいかない。
別の道を捜そうと身体の向きを変えようとした――――その瞬間。
子供の大音声の泣き声が響き渡った。
「……子供か?」
しまった!
関羽は青ざめる。
子供が曹操に捕まってしまったら、どうなる?
曹操は見逃すだろうか? 見殺しにするだろうか?
それともその手で――――。
そんなの駄目!
関羽は衝動に任せて飛び出した。
「曹操!」
「! ……関羽か」
偃月刀を構えて曹操の注意を引く。
一刻も早く子供達を助けたい。けれどその前に目の前の奸雄を撃退せねば子供達の安全が確保出来ない。
勝てるか分からない。けれど隙を見つけて曹操を倒さなければ子供達が危ない!
「自分から私のもとに来るか。殊勝なことだな」
曹操が関羽を見、口の端で笑う。それは捕食者の顔だ。ぞっとする。でも負ける訳にはいかない。怖じている場合ではない。
子供達の泣き声は、まだ聞こえている。
落ち着いて、慌てないで、手を抜かずに、油断せずに、好機を作るのよ、関羽。
自身に言い聞かせ、関羽は強く踏み込んだ。
斬り込み、受け止められ弾かれる。すぐさま距離を取って曹操の出方を窺った。
曹操は油断の出来ない男だ。今だって、わざと関羽に先手を許したのだ。それは関羽だって分かった。その余裕が力の差を見せつけられているようで悔しい。
負けてなるものですか!
関羽は曹操が踏み込んだ瞬間地を蹴った。曹操の足下に飛び込み片手で床を突き回転させ背後に回り込み偃月刀を上へ振り上げる。避けられた。
まだ!
立ち上がりつつ持ち替え下へ振り下ろす。避けられる。
今度は曹操が斬りかかる前にまた間合いを取った。
――――されど。
「え……?」
不意に、子供達の泣き声が止んだのだ。
そちらに一瞬意識を向けてしまった関羽は、はっと曹操を見やるも遅く。
ガキッ。
「うぅ!」
曹操の重い縦一閃をぎりぎり偃月刀で受け止めた。圧に負け片膝をついてしまう。
曹操がいよいよ笑みを濃くする。
己を叱咤し、関羽は雄叫びを上げて押し返す。
曹操が離れたのを見て構え直した。
曹操はなぶるように愉しげな眼差しを関羽へ向けた。「逃がさぬ」その言葉と共に関羽に肉迫し――――。
「待て」
「え? きゃ……っ!?」
「何!?」
それは一瞬のこと。
突如として曹操と関羽の間に炎の帯が横切る。
驚いて後ろに後退した関羽は、体勢を崩してよろめいたのを背後にあった物にぶつかって転ばずに済んだ。
……あら?
でもここに物なんてあったかしら。
それに温かいし、少し柔らかいわ。
偃月刀を握り締めて見上げると、炎と同じ色をした髪。
関羽は瞠目した。
「周泰……!」
周泰だけではない。
彼の肩の上には二人の子供が左右に座っていたのだ。片方は人間の女の子、もう片方は猫族の男の子だ。
「良かった……! 無事だったのね!」
「何故ここに」
「その子達を捜していたのよ。周泰が見つけてくれていたのね……」
周泰は暫し無言で炎の帯に阻まれている曹操を見つめ子供達を関羽に抱えさせた。
「待っていろ。少し痛めつけた方が良さそうだ」
関羽の肩をそっと優しく押し、彼は曹操へ向き直った。
右手を薙ぐと炎の帯は揺らめき、衣のようにうねりながら右手に集結する。そして細長く延び、両端で大小の歪(いびつ)な形を作り上げた。
炎で出来た、長柄の武器だ。
確かめるように薙いだ瞬間に赤い炎はさめざめとした蒼へと変色する。
関羽はそれを見、薄く口を開いた。
「綺麗……」
その場に似つかわしくない、感嘆の呟きが漏れてしまった。
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