賈栩


※異世界パロ



 何にも興味が無い、良心も無い彼だから、幽谷を縛り付ける因習を躊躇わず壊せたのだろう。

 彼に腕を引かれて百年振りに出た外は、とても眩しかった。
 目を容赦無く突き刺してくる日光から逃げるように俯いた幽谷に、彼は構わず前へと進んだ。

 幽谷が永年閉じ込められていた社は、村の北側にある山の中腹に建てられていた。鬱蒼と生い茂る木々に埋もれ僅かな木漏れ日のみが明かりだった狭い社の中で、自分はずっと独り、座っていたのだ。

 それが彼がーーーー賈栩という村の青年が、幽谷に接触してから変わった。

 目が慣れてきて百年の住処を改めて振り返るが、すでに蔦だらけの木々の太い幹で隠れて見えなくなっていた。

 賈栩は歩みの遅くなった幽谷を注意するように、彼の腕が幽谷の手を一度強く引いた。
 その際一歩前に出した足の爪先が地表に浮き出た木の根にぶつかり、彼の身体へ倒れ込んでしまった。
 少しよろめいたものの、彼は受け止めてくれた。


「あ……すみません」

「……いや、」


 賈栩は幽谷をじっと見下ろし、不意に頬に手を添えた。幽谷の色違いの瞳を覗き込む。
 彼の双眼は恐ろしい程に凪いでいる。彼の瞳の中はまるでうろのようで、人が備えて当たり前の感情が少しも感じられない。

 最初こそ、本当に人間なのか疑い恐れた幽谷も、今ではこの瞳に慣れてしまった。
 いや、むしろーーーー。


「賈栩、殿……」


 名を呟いた自分の声は、驚く程上擦り、思いがけない熱と甘さを帯びていた。媚びているような響きを含んだ己の声に羞恥心が胸中に芽生え、身体が震えた。

 賈栩はふ、と笑った。
 滅多に見られない、微かながら彼の感情が宿った微笑みだ。

 どくりと心臓が跳ね上がり、忙しなく早鐘を打ち始める。
 自分がこんな感情を抱けたとは、賈栩に出会うまで考えもしなかった。
 こんな風に人間のように過ごせると、全く思ってなかった。

 嘗てこの大地に存在し、今はその血が途絶えた神の一族と同じ特徴を持っているからと言う理由で辺境から無理矢理に連れてこられた。不可思議な術で身体の成長を止められ、百年も社に閉じ込められてしまった。

 賈栩が社にやって来なければ、私はあと何年……いや、何百年あの社で座り続けていたんだろう。
 この甘くてふわふわとした感情を知らずに。
 この手を握る些細なことがこんなにも幸せなのだと知らずに。

 賈栩と見つめ合っているのが恥ずかしくて俯いてしまうと、顎に指を添えられそっと持ち上げられる。

 彼の顔が迫り、唇に温かく湿った柔らかいものがそっと触れた。

 自然と瞼が落ちる。身体から力が抜けた。
 賈栩の腕が背中に周り、幽谷は彼の胸に身を委ねた。

 人らしい感情を持たないと自ら語る賈栩。その通り普段の彼は胡散臭い笑みを張り付け、相手に恐れられない程度に人らしい会話を心がけていると分かる。
 だのに、幽谷にはそれが無い。優しく接し、こうして恋人がするような行為をする。

 優しく触れるだけだった口付けが深くなる。僅かに離れた瞬間、幽谷の唇が微かに開いたのへ、舌が潜り込んできた。上顎を撫で歯列を辿り、引っ込んだ舌を強引に絡めとる。
 背中に回った手が、つつつと背筋を指で上へ辿る。ぞくぞくとした。


「っ、ン……」


 鼻に抜けるような高く媚びるような声が出てしまう。

 賈栩の両手が幽谷の身体を離れ幽谷の顔を挟んだ。やや乱暴に木の幹に幽谷を押し付けた。

 幽谷は賈栩の首に腕を回した。しがみつかなければ、いつ足が崩れてもおかしくない。

 甘い感覚に酔い、思考が麻痺し始めて、賈栩が離れる。
 涼しい顔の賈栩に対し、幽谷は蕩けた表情で賈栩に寄りかかる。

 その様を見下ろす賈栩の双眼に、静かな熱が灯る。
 幽谷は気付かない。

 賈栩は幽谷の頭を撫で、彼女を離した。

 少しよろめいたものの、自分で体勢を立て直す。


「村人が来るかもしれない。誰かが来る前に、村から離れよう」

「はい」


 差し出された手を幽谷は握る。
 しっかりと握り返す自分よりも大きい手の感触に、幽谷は胸が熱くなった。

 もうすぐ自由になる。
 もうすぐ私は、人間に戻れる。
 気分が昂揚しているのは、嘗て奪われた時を取り戻したからもあるし、誰に憚ることなく賈栩と二人でいられるから。

 賈栩が歩き出す。
 山をぐるりと回って村と反対の方角へ下山するのだ。

 獣人に友好的な町村は少なくない。が、賈栩の話では近くに二つ程あるらしい。まずはその一つを目指し、これからのことを決めると言う。
 この大陸を出ることになるかもしれないとも彼は言った。

 何処に行こうが幽谷は構わなかった。
 百年も経てば故郷がどうなっているかも分からない。もし残っていたとしても、もう幽谷を知る者は一人もいない。
 だから、賈栩と一緒にいられるならば、何処でも良かった。


「賈栩殿」

「……ん?」

「ありがとうございます。私を、連れ出してくれて」


 何処であろうと、私はあなたについて行きます。
 胸の内に秘めた熱を込めて言うと、賈栩は幽谷を肩越しに振り返り、ふ、と口角を僅かにつり上げた。


「さあ、幽谷」

「はい」


 幽谷は、大きく頷いた。



 彼女は、気付かなかった。
 山頂から村へ吹き下ろす強風故に、その臭いが幽谷の鼻に届くことは無く。



 彼女が村からの焦げた臭いを察知することは、ついぞ無かった。



‡‡‡




 最初に因習を壊したのは、賈栩ではない。

 幽谷を用無しと始末を決めた村長……彼の伯父であった。

 村では年に一度、社の前で生娘の首を落として生け贄とし、豊作を祈願していた。
 が、ここ三年凶作が続いており、生け贄の数を増やしても日照りや長雨による近くの川の氾濫が頻発、いよいよ生活が立ち行かなくなったことで、村は神の役割を全うしない幽谷を見限ったのだった。

 そもそも彼女は神でも神の一族でもない、ただの獣人だと言うのに、なんと身勝手なこと。
 珍しく抱いた興味から幽谷と接触する前の賈栩であったなら、無関心に流していただろう。

 けども、その頃すでに社に奉られた幽谷に並ならぬ感情を抱き、持て余していた賈栩は、すぐに動いた。

 説得という言葉は頭に浮かばず、それよりも手っ取り早く確実な方法を彼は取った。


 村そのものの消却である。


 深夜の闇に紛れて共用の井戸に無味無臭の猛毒を仕込むのは、さほど難しくなかった。

 翌朝、村人は皆何の疑いも無く井戸の水を汲んだ。そのまま飲み、或いは僅かな麦を煮て食した。

 そして、正午になる前に皆ばたばた倒れて息絶えた。
 この地域にのみ自生する花の球根から採取出来る毒の効果が、予想を遥かに越えて強かったようだ。
 運良く生き残った者達もいたが、この異常事態に狼狽し冷静さを欠いていた為、賈栩でも不意打ちは容易かった。

 動ける者のいなくなったところで、村全体に火をつけた。

 村人は全て炎の中。
 一人一人村長が管理する名簿と照らし合わせて確認している。

 幽谷は、何も知らぬ。
 賈栩も教える気は毛頭無い。
 知ってどうにかなるような価値のある情報ではないから。知るだけ無駄なことだ。

 今まで何に対しても無関心だった賈栩。
 普通の村に生まれ、まともな両親に育てられながら人の感情と言うものを全く理解しない賈栩。
 そんな彼が、生まれて初めて一人の女に執着した結果、彼は故郷を躊躇い無く壊した。

 そこに罪悪感は全く無かった。
 抱く理由が、彼には無かった。



 今、彼の頭にあるのは、これから幽谷と共に在る為に何をするべきか、それだけだ。



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 スマホの機種変に際して、新しいQRコードリーダーの性能を確認する為に、小ネタにも載せなかったネタを書いたものです。
 なので山なしおオチなし特に深い設定も無しです。



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