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「よぉ、貪着」


 ふわふわの九本の尻尾を揺らし、半獣半人の少女は口角をつり上げる。

 赫蘭が、ほっとした顔で「甘寧様ぁ……」涙混じりの声を漏らした。

 甘寧と呼ばれた少女は赫蘭の頭を撫で、打って変わってこちらを酷く警戒している貪着へ不敵な笑みを向ける。


「久し振りの《外》に出た気分はどうだ。貪着」


 それはそれは清々しい気分だろう?
 親しき友人を相手にしているように、軽やかに弾む声音。

 しかしこの親しげな問いに、貪着は忌々しそうにぎりりと歯軋りし、獰猛な獣のように唸る。
 身を低くし、今にも躍り掛からんばかりの重厚な殺気を放つ。蝙蝠の翼を形成する黒炎も膨れ上がった。
 主の心情に危機感を抱いたか、彼の身体を這う無数の蟲の動きがそれまでよりも活発にせわしなくなり、キィキィと微かに金属同士が擦れるような、耳障りな声をそれぞれが上げ、合唱するのだ。

 周泰の姿なのに、心の底からぞっとずるような様である。

 甘寧は曹操をちらりと一瞥すると、片手を上下に振って立ち去るように指示した。
 突如現れて野良犬扱いの甘寧へ、彼を守る兵士が武器を握り直し襲いかかろうとするも、曹操はそれを視線で制する。

 曹操は、人に近くも人ならざる闖入者が何者か考えるよりもまず貪着を警戒すべきと判断したようだ。それは関羽も賢明だと思う。


「片方がいつまでも黙りじゃあ会話は成り立たねえぜ。折角周泰と交代出来たんだ、オレと楽しく話をしようじゃねえか」


 甘寧の声はからから笑う。

 刹那、貪着の色違いの瞳に思わぬ色がよぎったのに関羽は気付いた。
 あっと声を漏らすと甘寧が肩越しに振り返る。

 空よりも澄んだ色の穏やかに凪いだ瞳に何故か気圧され、関羽は口を閉じた。

 甘寧は視線を貪着へ戻した。


「……お前と話をして何になる? 我の得にならないだろう」

「果たしてそうかな? 意外な結末になるかもしれない」

「いいや、お前は我に決まったことをする。お前はその火の鳥と同じだからな」

「おかしなことを言う奴だ。この世に同じ存在はいないものだよ。似ているなんてことはあるだろうがな」

「そういうことを言ってるんじゃない!」

「じゃあどういうことを言ってるんだ? お前は周泰の中にいるくせに頭が悪いから、伝えたいことが上手く言葉に出来ていない」


 だからさっぱり分からないと言わんばかりに首を傾ける。

 貪着は白い歯を剥いて唸った。犬歯が、異様に伸びている。

 蟲が一層騒ぎ出す。
 脹ら脛を這っていた蟲が地面に降り、貪着の周囲をぐるぐる回り出した。


「おいおい。お前は本当に子供だなあ。その頭の足りなさが一周どころか三周回って可愛く思えるよ」


 おぞましい姿の貪着を、甘寧はどんどん挑発する。

 このまま止めなくても良いのだろうか……不安になって赫蘭を見下ろすが、真摯な顔して甘寧の背をじいと見つめている。
 甘寧に対する信頼が、そこにある。

 ほ、本当に任せていて良いの……?
 関羽は眉尻を下げて赫蘭と甘寧を見比べた。


「ところで、そこの《餌》はさぞ美味かっただろう?」


 小さな手が指差したのは貪着の足下に伏す劉備。彼の身体も、ぐるぐる回る蟲の通り道となっていた。

 一族の長でもあり大事な幼馴染みを、さも今思い出した風に『餌』呼ばわりされて、関羽は思わず顔をしかめた。

 貪着は、唸るばかりで答えない。


「あの金眼の呪いは、今までお前が喰らってきた小さな穢れとは比べものにはならない程濃厚で、強烈な味だっただろう? あーあ……忘れられなくなっちまったなぁ。他の雑魚じゃ満足出来なくなっちまったなぁ」


 可哀想に。
 溜息を付いた瞬間――――黒炎が甘寧の足下から噴き上がった。


 だが。


 黒炎はすぐに霧散する。
 おどろしき邪炎に包まれていた甘寧はしかし、何事も無かったかのように笑顔のまま。
 笑顔のまま、指を鳴らした。

 途端に貪着の顔色が変わった。
 背を向けるも遅く、彼の足下から真っ赤な炎が噴き出し身体を呑み込む。


「あ――――あ゛あアぁァァぁっ」


 火達磨から断末魔が上がった。
 もんどり打って地面を転がり、黒炎すら呑み込んだ炎に包まれた身体を折り曲げ足をバタつかせる。

 関羽はぎょっとして色を失った。
 周泰が死んでしま――――。


「いたっ!?」


 不意に赫蘭が関羽の手の甲を抓(つね)り上げた。


「な、何を……」

「馬鹿ね。狐狸一族(フーリ)の長ともあろうお方が自分の息子を殺す筈がないでしょう」

「え?」


 今、聞き覚えのある言葉が聞こえてきた気がした。

 嘘でしょう?
 だって目の前に立っているのは私よりも華奢で、年下の女の子。
 確かに、耳や沢山の尻尾は狐の物に似ている。

 本当にこの人が、


「……『狐狸一族の長』――――」


――――だというのだろうか?
 茫然と繰り返すと、甘寧が肩越しに振り返る。空の色をした瞳がすっと細まり、口角がつり上がった。肩をすくめて貪着に視線を戻した。

 そして、彼へゆっくりと歩み寄る。

 身体が燃える苦痛の中でも、怨敵の気配は察知出来たらしい貪着は両手を闇雲に振り回して甘寧を近付けまいとする。

 甘寧は、それを子供の癇癪を見るような、とても邪を見ているとは到底思えない穏やかな眼差しで見下ろし、何事か呟いた。

 刹那、貪着の動きが止まる。
 両手が地面に落ち、彼は完全に沈黙する。
 すると炎は、ゆっくりと沈静化していくのだ。

 焦げた身体が徐々に露わになり、関羽は全身が冷えた。

 しかし赫蘭は安堵したように微笑んでいる。

 甘寧は穏やかな表情のまま、貪着――――否、周泰の身体へ手を伸ばす。

 そうして、「曹操」静観していた呼ぶ。


「いい加減、立ち去れ。すでにお前の軍はオレの息子達に掻き回されて大混乱だろうよ」

「何……?」

「殺さぬようにとは言ったが、二度と武器を握れない身体にはして良いと言ってある」


 焼け焦げた頭部を優しく撫でていると、周泰が身動ぎする。
 徐(おもむろ)に、身体を起こす。


「う゛、ぅ……っ」

「周泰。今は寝ておけ」


 甘寧が優しく声をかけると、周泰は大人しく身体を倒す。

 生きている……のだろうか。
 本当に?
 近付いて確かめたいけれど、腕の中には尚もぐったりとしている赫蘭がいる。

 甘寧は立ち上がり、曹操を振り返った。

 ぶわ、とふわふわの尾が広がる。
 ゆらゆら揺らめく真っ赤な尻尾は、九本あった。


「三度目は無い。立ち去りな、曹操」


 悠然と立つ狐狸一族の長は、今度は、冷ややかな笑みを浮かべる。



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