恒浪牙は、長く関羽の側を離れないようにしながら、城内の構造、警備の手薄な箇所を調べていった。
 長く歩き回らなければ確認できないことは関羽の散歩を名目に、あたかも関羽が気分に任せて歩いている風を装って解決した。

 監視の任を与えられている李典は、そこにいない。
 関羽が李典に惹かれている現状を危険視した恒浪牙が彼と関羽の接触を徹底して避けているのだった。
 無論責任感の強い李典が放っておく筈もなく、恒浪牙が何かを企んでいると察し躍起になって二人の言動を探ろうとする。

 何度か捕まったものの、そこは途方も無く永い時を生きた恒浪牙。
 にこやかに誤魔化し李典からの追求をかわしてしまう。
 李典から報告を受けた曹操に呼び出されたことがあった。その時も、天仙はにこやかに関羽の部屋を出てとてもすっきりとした顔で帰ってきた。結果を訊ねると『ああ、大丈夫ですよ〜』といつもの笑顔でかわされた。

 李典が曹操に報告したことで、恒浪牙の行動に注意を払う者も増えた。
 何処へ行くにも誰かが自分達の行動が監視される――――などと不安に思ったのはつかの間のこと。

 恒浪牙は一体いつ作ったのか、関羽と恒浪牙それぞれの体格に合わせた土人形を二体用意して、それに時間をかけて術を重ねがけし、本物そっくりに仕上げてしまったのだ。

 それが今、関羽の目の前に座している。
 まじまじと自分と瓜二つの土人形を凝視し、関羽は驚嘆の声を漏らした。


「凄い……これ、本当に土人形なんですよね?」

「ええ」


 恐る恐る頬に触れると、とても《土》人形とは思えない肉の弾力と、生き物らしい温度がある。
 試しに自分の頬をつつきながら土人形の頬をつついてみる。
 ……わたしよりも人形の方が柔らかいし、なめらかな感触をしてる。
 偽物の自分に微妙な敗北感を感じ、関羽は土人形から離れる。
 わたしでこの完成度なのだから、本人の土人形は確認するまでもない。


「どうやって造ってるんですか?」


 駄目元で質問する。

 恒浪牙はにこやかに、


「土人形と、私達に良く似た体格の殺したての身体を術で上手〜く融合させて、」

「嘘ですよね!」

「ええ、嘘です」


 関羽は肩を落とした。

 恒浪牙は笑声を漏らし、それぞれの土人形を自然な様子に見えるように移動させた。
 関羽の人形は寝台に腰掛けさせ、その前に椅子を置き、恒浪牙の人形を。


「結界を抜ける人間が部屋に入ってきても、この土人形には私達の言動を記憶させていますので、自動で会話が出来るようにしています」

「……恒浪牙さんって、本当に何でも出来ますよね」

「色々と考える時間が多すぎて、使い道の無い術を無駄に編み出してしまいましてねぇ」


 肩をすくめる天仙は、悲しげで苦々しい笑みを関羽へと向けた。
 すぐにいつもの笑顔に戻ると、


「では、幻術をかけて、行きましょうか」


 誰の目にも映らない散策へ、関羽を誘うのだった。



‡‡‡




 脱出計画の下調べを兼ねた散策を始めて暫く。
 城内、わけても正門の方角が俄に騒がしくなった。

 恒浪牙が足を止めてばたばたと横を走り抜けていく兵士を怪訝そうに見送るのを関羽は見上げ、


「何かあったんでしょうか」

「そのようです。仕方がありませんね。部屋に戻って様子を見ましょうか」

「はい」


 少し急ぎ足になって部屋に戻る。

 恒浪牙が土人形を手早く片付け、外の様子を窓から見守る。
 慌ただしく回廊を走り抜けていく人間の中に、夏侯惇らも混ざっていたのには驚いた。

 寝台に腰掛けている関羽の耳にも、


「捜せ!」

「まだ見つからないのか!」

「何処かに隠れている可能性が……」


 などの声が届く。
 どれもおおわらわで、焦っている。
 要人が行方不明になっているようだ。

 だがある時、


「李典を急いで呼び戻せ!」

「え、李典?」


 それは夏侯淵の言葉であった。

 曹操軍が捜しているのは李典の関係者……。
 頭にふっと浮かんだのは、手紙を見て表情を和らげた李典。
 まさか……胸がざわめいた。

 その時だ。

 扉が何の声がけも無く少しだけ開き、狭い隙間から細い身体が滑り込んだ。


「え?」

「は?」


 関羽と恒浪牙はぎょっとして顔を見合わせ、こちらの声に驚いて身体を反転させた、関羽よりも小柄な少女を見て仰天した。


「り、李典!?」


 頓狂な声を張り上げ、すぐに否定する。
 李典にしては体格が小さい。
 けど……この子の顔、李典そっくりだわ、
 李典を女性にして、小柄にした――――まさにそんな容姿の可憐な姫君である。
 ああでも、李典に比べると髪が柔らかくて、ふんわりとしているわ。

 微々たる違いはあるものの、双子だと言っても間違いと誰も気付かないであろう程に良く似ている。

 恒浪牙に視線をやると、彼も彼でぽかんと口を開けて少女を凝視している。彼にしては珍しい間の抜けた表情だ。


「恒浪牙さん?」


 訝った関羽が呼ぶとはっと我に返って、関羽の頭を見て固まっている少女に歩み寄り、


「こんにちは。私は医者の恒浪牙と申します。あなたはこの城ではお見かけしたことがありませんが、どちら様でしょう?」

「あ……っ」


 少女は青ざめて慌てて頭を下げた。


「も、申し訳ございません! 私てっきり空き部屋だと思って……あ、私、李宮綺(りくうき)と申します」


 恒浪牙の目が丸く見開かれる。
 「りくう……」震える声で呟いた。

 宮綺が首を傾げると、取り繕うようなぎこちない笑みを浮かべて、関羽のことも紹介する。


「李、ということは、李典殿のお身内でしょうか」

「はい。曹操様にお仕えしております李典はいとこです」

「いとこ……そうですか」


 はい、と宮綺は目元を和ませて頷いた。
 宮綺の笑顔は、まるでたんぽぽの綿毛だ。暖かな空の下、ふわりと宙を舞うように柔らかな笑顔だ。

 こちらもつられて破顔しそうになって、慌てて口を押さえる。
 李典の身内なら、猫族の、十三支のことは良く思っていないだろう。
 十三支に笑いかけられて深いに不快にさせないよう、関羽は俯き表情が見えないように勤めた。

 しかし、宮綺の反応は関羽の予想に反し、


「あら……そこの方、ご気分が優れませんの?」


 とことこ小走りに近寄り、顔を覗き込んでくる。

 思わぬ反応に関羽は驚き戸惑った。


「え、あの……」

「そう言えばお医者様がいらっしゃいますし……私、本当に間が悪かったのですね。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

「ああ、大丈夫ですよ。関羽さんは、あなたが不快に思わぬように気を遣っておられたのです」

「不快? 何故ですの?」

「おや、十三支に対して偏見をお持ちでない?」

「十三支? ……ああ、なるほど……関羽様は十三支の方なのですね」


 その時。
 宮綺の目がきらりと煌めいた。
 決して嫌な光ではないが、格好の獲物を捉えた未熟な肉食獣を彷彿とさせる鋭さだ。

 そんな目に間近から射抜かれて関羽もたじろぐ。


「あ、あの……?」

「恒浪牙様。もし関羽様の体調がよろしければ、私、十三支の関羽様に 是 非 と も お訊きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


 『是非とも』にいやに力を込める宮綺に、恒浪牙は困惑を強めた。


「え? ああ、まあ……体調は悪くないので、構いませんが」


 恒浪牙が承諾するを視認し目が据わる宮綺。

 関羽は、雰囲気が変わった姫君にほんの僅かな恐怖を抱いた。
 どうして宮綺がこの城に来ているのか、外の騒ぎは宮綺に関係があるのか、もしかして先日李典に手紙を送ったのは宮綺ではないのか――――。
 胸やら頭やらぐるぐる回る様々な問いをぶつけたいが、宮綺の様子に怖じ気付いて咽から一文字も出てこない。

 宮綺が寝台に乗り上がり正座するのに、関羽も向かい合って正座し背筋を伸ばす。


「では関羽様、失礼致します」

「は、はい……」


 な、何?
 何を訊かれるの?
 怖々と表情を窺う関羽へ、宮綺はたっぷりと沈黙を置いて、ゆっくりと口を開く――――。



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