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樊城(はんじょう)に到着してすぐ恒浪牙は諸葛亮に頼まれ襄陽城へ発った。襄陽城の現在の様子を確かめる為だ。
先んじて幽谷が鳥に襄陽城の様子を探らせた結果、その時すでに襄陽を大勢の人間達が包囲していたという。
鳥に、どの勢力か判断がつく訳もなく、恒浪牙が確認をする運びとなったのだった。だが、その情報だけもたらされただけでも慎重な行動が出来る。
猫族の皆で話し合いの場が持たれ、それから民も連れていくと言う話に落ち着いた彼らは、ひとまずは樊城にて恒浪牙を待つこととなる。
恒浪牙なら、滅多なことにはならない。本人は一日で戻ると笑顔で言っていたが、如何に天仙と言えども襄陽と往復で一日など有り得ぬ。どんなに少なく見積もってもそんな数字は出ない。
だが、周泰は諸葛亮に一日のうちに済ませるべきことを問うていた。周泰だけではない。幽谷も恒浪牙の言葉を信じているようだ。関定達は呆れていたけれど、劉備も恒浪牙殿なら……と思ってはいるらしい。
さすがに、関羽とて一日で帰ってくるとは思わない。
けれども周泰は諸葛亮に受けた指示通り、一日のうちにすべき最低限のことをしようと、疲れた身体で働き始めた。幽谷は別の持ち場を任せられ、趙雲が手伝うこととなった。周泰は一人で良いと手助けを断ったらしい。
まだ万全にまで回復していないだろうに────周泰を案じた関羽は、彼の持ち場をこっそりと訪れた。
彼はこの城に保管された物資の確認と運び出しを担っていた。
さほど多くは保管されていないのかもしれないが、周泰の身体能力が高いと言ったって、一人でそんな重労働、疲れた身体の負担になるではないか。
「……周泰、いる?」
「……」
棚を物色していた周泰は手を止め関羽を振り返る。
関羽は周泰の隣に並び、周泰よりも背の高い棚を見上げた。
中に何が入っているのか、木箱がずらりと並べられている。
古びた棚だ。老朽化でちょっとの刺激で壊れてしまいそうな危うさがある。板など撓(たわ)んで今にも折れてしまいそうだ。
目の前の木箱を隙間から覗き込むと、どうやら天幕のようだ。しかも今自分達が持ち歩いている物よりは幾らか新しい。
「もしかしてこの棚は、全部天幕が?」
「そうらしい」
「じゃあ、全部持って行けば……」
「いや」
全てはむしろ負担になる。
周泰は言い切り、上の段から木箱を抜いた。床に置き、中身を確認する。
「ややもすれば長期の旅をせねばならぬ。重き物は、多くは持ち運ばぬが良い」
「長期の……でも、まだそうと決まった訳ではないでしょう?」
「……あまり、楽観視はせぬことだ。お前達は、俺よりも曹操の狡猾さを知っている筈だ」
関羽は口を噤んだ。
幽谷からの報告を聞いた時、確実に曹操だろうと思いはした。曹操が自分達の逃げ道を塞ぐ為に先んじて襄陽城を落としたのだと。
されど明確な情報でないことを理由に、関羽は恩を受けた劉表の生存を願っていた。楽観的に捉えようとしていた。
最初から、曹操だと分かり切っていたのに。
「でもそれじゃあ、劉表様は……」
「この戦乱の世では当たり前のことだ。いつ誰が死ぬのかは、誰にも分からぬ。明日はお前達の長かも知れぬぞ。守りたいのなら、最悪の状況からも目を逸らさぬことだ」
「……そう、ね」
曹操は、猫族を取り返す為ならどんなことでもするだろう。こちらが逃げても無駄であると、心も攻めてくる。今もそう。
諦めて戻ってくるように、し向けている。
「ごめんなさい。周泰」
「……戻れ。今から疲労を背負っては、戦うべき時満足に動けぬ」
「それはあなたの方だわ。あの姿になって身体が怠かったのでしょう? まだ無理をしてはいけないわ。わたしも手伝うから……二人でやればそれだけ時間が短縮出来るわ」
足下に置かれた木箱を持ち上げて倉庫の外に運び出す。重いが、一番休まなければいけない周泰一人に任せてはいけない。
再び周泰のもとに戻ると、彼は無言でじっと関羽を見下ろしてきた。何となく咎められているような気にはなったが、無視をした。どのくらい運ぶつもりなのかを問いながら上段の木箱を取り出そうと両手を伸ばせば周泰が細く吐息を漏らして関羽の両手を降ろさせて木箱を取り出した。
「ひとまずは、子供と老人が休めるだけの数を確保する廊下に運び出しておけば、後は兵士に頼むとの、諸葛亮殿のご指示だ。天幕を確保した後は武器庫へ」
「分かったわ。じゃあ、わたしが外へ運び出すから下に置いてちょうだい」
今度は分かりやすく呆れた視線を向けられた。だが、やはり黙殺。
関羽は木箱を運び出し、小走りに戻った。
それがいけなかった。
「!」
「きゃ!!」
不意に、足下を鼠が走り抜ける。
それを咄嗟に避けようと跳躍した関羽は誤って足を挫き、周泰の方へ倒れ込んだ。ぐぎりと嫌な感触がして、痛みが走った。
周泰は無言で抱き留める。
「……」
「……ご、ごめんなさい、周泰」
「問題は無い」
周泰は身を屈め、関羽を抱き上げる。悲鳴を上げるのに一瞬だけ不思議そうな顔をして、近くの、腰程の高さの棚に座らせた。足を取り、靴を脱がせる。
「あ、あの、周泰……」
「骨が鳴った」
足首を押さえて反応を確かめてくる周泰に、関羽は全身の熱が上昇していくのが分かった。
わたしの足に周泰が触れている。
ただ心配してくれてるだけなんだけど、……お、落ち着かない……。
恥ずかしい。
「……いたっ」
「……」
強めに押さえられ、痛みに悲鳴を上げた。
周泰は関羽を見上げ、痛みを訴えた場所を両手で包んだ。
すると、その中から光が漏れてくる。
えっと覗き込んだのと、痛みが急速に失せていったのはほぼ同時だった。
「あ……」
周泰は手を離し、靴を履かせる。
両脇の下に手を差し込み持ち上げて、そっと下に降ろした。
関羽は挫いた足を捻ってみたりして確かめた。
「……痛くない……?」
周泰を仰げば彼はもう背を向けて棚の前に戻っていた。
慌てて駆け寄ると、「走るな」と短く注意される。
「ご、ごめんなさい。でも、今……」
「仙術だと思えば良い」
「あ、仙術……」
凰だものね。
恒浪牙と似たようなことが出来てもおかしくない。
納得し、関羽は周泰に謝辞をかけた。
「ありがとう。それと、ごめんなさい、周泰」
「構わぬ」
「でも重かったでしょう? 凰の時もそうだったけど……」
周泰は少しだけ思い出す素振りをして、単調に返した。
「木箱よりは重いが、抱えられない程ではない」
「……あ、そ、そうだったの……」
周泰は、ただ事実を述べただけだ。
けれど彼の口からそう言われると、少しだけ凹(へこ)んだ。
……もう少し、痩せようかしら。
木箱を降ろす周泰の背中を見つめながら、年頃の女らしく、そんなことを思った。
それ以降、彼女が周泰の肉体労働の手伝いに躍起になったのは、言うまでもない。
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