諸葛亮
襄陽城から兄が戻ってきた。
かと思えば、すぐに旅立つから用意しろと言われ、理由も分からぬままに支度をさせられた。
諸葛亮は、幽谷の頭を頭巾で耳ごと多い隠し、ズレてしまわないように眼帯を頭巾の上から付けさせた。
徹底的に幽谷の正体を隠そうとする彼は、いやに嬉しそうだった。表面でこそ平素のままだったが、幽谷には分かった。
襄陽城に向かう道程で、ようやっと訳を聞かされた。
猫族の長に使えることになり、以後幽谷も共に暮らすことになる。幽谷の正体は長にはすでに伝えてあり、馴染んでから他の猫族にも明かすとのことだった。
……仕えたいと思える人物に出会えたのだ。
だがそれは同時に、これから共に過ごす時間が減ることを意味している。
血が繋がらずとも妹と世話を焼いてもらっている幽谷にとって、彼が喜んでいるのが嬉しいと思う反面、寂しくもあった。
猫族とは、襄陽城で対面させられた。
妹だと猫族の長の前に押し出され、言葉少なに自己紹介する。
それに、白銀の髪を持つ猫族の少年は不快に思うことも無く、幼い無邪気さで自己紹介を返した。劉備、と言う名だった。
劉備の側にいる少女も、穏やかな笑みを浮かべて自己紹介をした。こちらは関羽だ。
目を合わせずに短い挨拶を返して、幽谷はすぐに諸葛亮の後ろに戻った。
諸葛亮やたまに来る劉表からの使者以外の人物を目にするのは初めてだ。それも、諸葛亮が話していた、彼の恩人の一族であるという猫族。
兄の為にも失礼な真似は出来ない――――そう思うと、どう接すれば良いのか分からなくなった。
「あら……人見知りなのね」
「ああ。劉備様。私の妹も連れて参ります。よろしいですか」
「うん。いいよ。家族いっしょがいいもんね」
劉備はとても幼い。長と呼ぶには剰(あま)りに未熟に思えた。
この関羽が、彼の補佐役なのかもしれない。……と言うことは、この二人は特に接し方に気を付けなければならない相手ということ。
猫族に慣れるまでは、あまり近付かずにおいた方が無難か。
諸葛亮の後ろに隠れながら、自分なりにそう考えた。
‡‡‡
目の前には、知らない男性と少年達が立っている。その誰もが猫族の中にいた人物だと認識してはいたが、まだ名乗り合ってもいなければ言葉すら交わしてもいない相手だった。
幽谷は一歩後退した。
劉備が転んで怪我をしたからと、諸葛亮に頼まれ荷物から軟膏を取って戻ってくる筈だったのだが、じゃれついてきた狼に遊びで持ち去られ、慌てて追いかけた。
森の奥深くまで入ってようやっと取り返して戻ろうとしたのだけれど、狼を追いかけるのに夢中で戻り方が分からなくなってしまったのだった。
鳥や鼠達に訊ねて何とか戻っていたところ、彼らが前に現れた。
諸葛亮のことで、猫族には未だ納得していない者も沢山いた。
彼らもその中に含まれているのかもしれない。
苦情でも言われるのかと、警戒心から身を堅くすると、男性が幽谷の前に片膝をついた。
「大丈夫だったか?」
「……は、」
「先程、狼に何かを奪われたのだろう? 怪我は無かったか」
「……」
まさか、そんなことを訊かれるとは思わず、幽谷は呆けた。何と返せば良いのか分からなくなり、取り敢えず頷いておく。
男性は口角を弛めて幽谷の頭に手を伸ばした。反射的に避けると、驚かれた。
「ああ、すまない。怖がらせてしまったか」
「その子、関羽の話じゃ、かなりの人見知りなんだってさ」
「そうか」
くすんだ銀髪の少年が後ろから幽谷に笑いかける。反応に困った幽谷が無表情でいると困ったように眦が下がった。
「うーん……やっぱ笑いかけても駄目か」
「人見知りなら、これから時間をかけて俺達に慣れていくしか無いな」
男性は暫し考え込んだ。それから、幽谷を見、片手を差し出してくる。
大きな手を見下ろしていると、
「俺は趙雲。今は猫族と行動を共にしている。もし何かあったら、遠慮無く頼ってくれて良い。今はまだ、難しいかもしれないがな」
「……幽谷、と申します」
「幽谷。これからよろしく頼む」
これは、握手なのだろうか。
恐る恐る手を伸ばすと、ぎゅっと握り締められる。幽谷の手などすっぽり隠れてしまう程に大きな手だ。
その力強さに困惑している幽谷を察してか、すぐに放してくれた。
側にいた少年達も、ついでとばかりにそれぞれ名乗った。銀髪の少年が関定、その後ろにいる静かそうな少年が張蘇双、その隣にいる快活そうな少年が張飛……らしい。
それぞれに会釈して、幽谷は戻ろうと彼らの脇を通過しようとした。
けども、「ちょい待ち」と張飛に腕を捕まれる。
「オレらも帰るし。道分かんないだろ?」
動物達に訊けば分かるのだけど……猫族の前ではあまり能力を晒すなと諸葛亮から言われている。
ここは素直に頷いておいた。
「うし。んじゃあ、戻るか。あ、姉貴にはオレから言っとくから」
肩を軽く叩かれ、張飛と並んで歩き出す。
その後ろから関定と蘇双の会話が聞こえた。
「関羽も本当お人好しだよね。あの得体の知れない人間の妹なんか、放っておけば良いのに。それに、頭を異様に隠してるし……ボクは下手に関わりたくない」
「とか言いつつ、来てんじゃん」
「それは関羽が五月蠅いから。どうして初対面であそこまでなれるのか理解出来ない」
「だってそれが関羽だもん」
こちらを配慮して小声だが、森は静かだ。はっきりと聞こえている。
張飛もそれは同じで、「あんま気にしなくて良いぜ」と耳打ちされた。
それに、幽谷は声は潜ませず、淡泊に答えた。
「……大丈夫です。当然の反応なので、予想は出来ていました」
やっぱり、あまり猫族と関わらない方が良いのかもしれない。
自分の見てくれも怪しまれている。……いや、諸葛亮以上に怪しまれている。
諸葛亮の為にも、より一層目立たないようにしていないといけない。
幽谷はこっそりと、決意を固めた。
苦々しい顔で張飛が見下ろしているのも気付かずに。
‡‡‡
「おーい、姉貴ー」
「あっ、張飛! 幽谷見つかったのね!」
駆け寄ってきた関羽を避け、幽谷は諸葛亮のもとへ行く。抱きつくように寄り添うと頭を撫でられた。
「また動物にじゃれつかれたらしいな」
「はい」
「怪我は無かったか。狼ならじゃれつかれて噛まれることもあっただろう」
「大丈夫です」
諸葛亮は目を細めた。
幽谷を見下ろし、やおら嘆息。幽谷が狼から取り返した軟膏を取り上げた。
「あ……」
「後で、その左腕見せてもらうぞ」
「……」
「幽谷」
「……はい」
「諸葛亮、幽谷怪我をしているの? ――――って、そ、そんなに睨まなくても良いじゃない!」
近付いてきた関羽から逃げるように諸葛亮の影に隠れた。
諸葛亮は軟膏を関羽に手渡し、野良犬を追い払うかのように片手を上下に振った。
関羽がむっとしても、涼しい顔で黙殺である。
「早く劉備様のもとへ持って行け」
「わ、分かってるわよ! でもちょっとくらい、幽谷の心配をさせてくれたって……って、だから睨まないでってば!」
「行くぞ、幽谷」
「あ、はい……失礼します」
諸葛亮に右腕を引かれる。
一応、関羽に会釈して諸葛亮について行った。
「怪我したなら、隠さずに言え。ずっと言っていることだろう」
「……すみません」
「謝るくらいなら、ちゃんと言え」
「はい……」
肩を落とすと、また頭を撫でられた。
●○●
趙雲と恋愛フラグ立てられないかと考えて、
『いや、これ時代的には良くてもこっちからすればロリコン疑惑生じるかもしれん』
ということで結局立てず終いです。
いや、それ以前にお兄さんが許すかね……。
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