周泰は、当然のことをしたまでであると言って劉備の感謝の言葉を受け取らなかった。

 狐狸一族の長からの命令で、彼らは猫族の護衛を担っている。今回のことも、彼にとっては命令通りに動いただけだったのだ。
 そう思うと、関羽は少しだけ胸が痛んだ。命令が無ければ関羽を助けは来なかったし、それ以前に猫族のもとに現れもしなかった。それが、とても寂しく思えた。きっと一緒に行動しているうちに彼らも家族の一員であるという認識が芽生えていたのだ。
 それなのに自分達と意距離を開けられているようで、一方通行の親しみであるように思えてしまう。

 彼は無表情だから自己解釈では悪い方向に考えた。
 命令だけでも、それは狐狸一族が猫族に好意的だからだ。でなければ狐狸一族の長が周泰と幽谷を向かわせる筈がない。
 ほんの少しだけでも親しみを持ってくれてはいるだろう。そう思い直しても自信が無い。

 ひとまず周泰と関羽は船内で休むこととなり、外のことは猫族や恒浪牙達に任せた。

 二人、船内で沈黙したままだ。
 正直気まずい。

 周泰が無口で自分から話すことはほとんど無いと分かっているのに、この二人きりの空間では落ち着かなかった。彼が身動ぎするだけで心臓が跳ね上がる。
 でも……同時に二人だけで共有するこの空間がちょっとだけ嬉しくもあって。
 側にいるだけでも胸が熱くて、それが気持ちが良くて、落ち着けて……だけどやっぱり恥ずかしくて。

 周泰の笑顔を見てから、自分はおかしくなっていたように思う。

 自分達にはほとんど表情を動かすことの無い周泰が見せた、たった二度の笑顔を思い出すだけで心臓が膨れ上がるような心地になる。
 また、あの笑顔がみたいと思っている自分がいる。
 いいえ、それだけじゃないわ。
 今、二人きりになって、わたしだけの周泰が見れないかって、思ってもいる。
 それを、きっと独占欲というのだろう。邪に染まった劉備程強くはない、ささやかな願望だ。
 それだけ見れば十分だと思う自分と、それだけでは足りないともっともっとと求める自分との葛藤が胸を締め付ける。

 嫌だわ……これじゃわたし、まるで――――周泰に恋をしているみたいじゃない。

 まさか、本当に……?
 わたしが周泰のことを?
 幾ら何でも突然すぎない?
 胸を押さえて一人首を傾げて熟考していると、ふと周泰がこちらを向いた。視線に気付いて身体が一気に緊張する。

 周泰は無言で関羽を見つめている。
 それはよくあることだった。
 だのに全身が燃えるような熱に緊張も狼狽へと変わり、関羽はそれを誤魔化すように声を発したが、裏返ってしまった。


「っ、な、何? 周泰……わたしの顔に、何か、ついてる?」

「……顔が赤い」


 周泰は腰を上げ、こちらに近付いてくる。
 悲鳴が上がりそうになった口を慌てて塞いだ。さすがに、それはとても失礼だ。

 必死に自我を抑え込む関羽に気付かず、周泰は手を伸ばして関羽の額に手を当てた。暫し押さえ、今度は首筋。
 眉根を寄せた彼は関羽から離れ、船外へ出ようとした。


「あっ、ど、何処に行くの?」

「恒浪牙殿を呼んでくる。熱がある」

「熱?」


 一瞬、彼の科白の意味が分からなかった。
 だが周泰がきょとんとしてこちらを振り返った瞬間に正しく理解した。青ざめた。


「い、良いの! これは大丈夫だから、恒浪牙さんは呼ばなくて良いわっ。い、いえ、お願いだから呼ばないで!!」


 恒浪牙さんなんて呼んだら絶対に笑われてしまうわ!
 だって、今わたしの身体が熱いのは……。


「わたしは大丈夫だから。周泰。今はちゃんと身体を休めましょう?」


 わたしが、周泰のこと異性として意識しているのかもしれないから……。

 けれど、まだそうと決まった訳ではない。

 わたしが自覚していないだけで別に原因があるのかもしれないじゃない――――そう考えるも、頭の何処かでは肯定しかけている自分がいた。いや、すでについさっきまで肯定しかけていたではないか。

 関羽とて年頃の娘だ。恋愛に関して憧れは持ち合わせている。
 されどもいざ自分がそうなってしまうと、どうしたら良いか分からなくなってしまう。今この状況で挙動不審になってしまったら、今度こそ周泰は恒浪牙を呼びに行くだろう。関羽の身体を案じて。
 それは、とても恥ずかしい。恒浪牙にも呆れられて笑われてしまう。それだけは……!

 周泰を宥め、元いた位置に座らせる。怪訝そうだったが、関羽が強めに言うのに渋々従ってくれた。……これで、ひとまずは安心だ。

 胸を撫で下ろし、関羽も腰を下ろす。
 落ち着いて、わたし――――自身に言い聞かせ、努(つと)めて平静を保つ。


「……四凶がいるのは落ち着かないか」

「え?」


 関羽は周泰を見、片目を押さえる彼に困惑した。


「そんなことは無いわ。あなたの前に幽谷の目も見ていたけれど、まさかあなたも四凶――――いえ、四霊だったわね。幽谷と同じ四霊だって思わなかったわ。まして四霊が恒浪牙さんの奥さんが生み出した、凄い存在だったなんて」

「……」


 周泰は、やや疑わしげだ。色違いの双眸には警戒心が微かに滲んでいる。

 ああ、今度はわたしが四凶だから気まずく思っていると思ってしまったのね。
 北の地は四凶だと差別意識が強い。それを分かっていて、二人は眼帯で片目を隠していたのだ。
 それなのに関羽や、子供達を助ける為に、自らあの神々しい姿になってくれた。

 そんな彼を、どうして今更四凶だと蔑めようか。

 周泰に申し訳なく思いながら、関羽は自ら周泰に近付いた。勿論、大丈夫と自身に言い聞かせながらだ。
 周泰に一言謝って手を剥がし、顔に両手を添えて色違いの目を覗き込んだ。


「あなたは四霊だってバレてでも、わたし達を助けてくれようとしたでしょう。感謝をしても、怖がることは絶対に無いわ。わたしも、あの子達も。他の皆だってちょっと驚いているだけよ。だから、あなたも幽谷も大丈夫。安心して」


 笑いかけると、周泰は眩しそうに目を細めた。
 関羽の両手を剥がし、片手で握り締め、額に押し当てる。まるで拝まれているような仕種に、ちょっとだけたじろいだ。
 しかし、


「……ご温情、感謝する」


 堅苦しく告げられた謝辞に、思わず口も綻ぶ。
 彼の安堵が声から伝わる。

 彼の姿に、恥ずかしさや気まずさが、さっきまでが嘘のように無くなった。それよりも、今は四凶だの四霊だのと怖がらずに彼の側にいてやるべきだと強く思う。


 彼が生まれながら狐狸一族にいたのかは分からない。
 彼がどんな人生を送ってきたのかも分からない。
 けれどもし、四霊、四凶と差別を受けてきた記憶があるのなら。
 今は少しでも、安心してもらいたかった。

 関羽は周泰の隣に座り、顔を覗き込んだ。


「周泰、あなた身体は大丈夫なの? まるで違う姿になって、負担は無かったの?」

「……少々気怠いだけだ。休めばすぐに収まる」

「そう、良かった」


 笑いかけると、周泰は一瞬だけ微笑んだ――――ように見えた。

 それにどきりと胸が高鳴るのは、肯定しろと自分自身に言われているのかもしれない。



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