「……」

「やあ、こんにちは」

「あっ、り、李典! 違うのよこれは、」


バタンッ。


 ……見なかったことには……出来ないか。
 李典は眉間を押さえて長々と嘆息した。


「何で俺がこんなに心労を負わなきゃいけないんだよ……」


 苦労はあいつだけで良いってのに……。



‡‡‡




「――――と、言う訳で、夏侯惇殿の言っていた薬売りっぽい男がしれっと十三支の部屋にいたんですが。曹操が招いた訳ではありませんよね」


 取り敢えず、曹操に報告することとした。
 薬売り――――恒浪牙のことは、夏侯惇から聞いていた。身形(みなり)も話の中にあった為、すぐに彼だと分かった。……決め手は誰よりも胡散臭い笑みだったが。
 彼が一筋縄ではいかない人物であることも聞いているから、曹操に指示を仰いだ。

――――の、だが。

 曹操はそれを聞いた瞬間李典を押し退け部屋を飛び出した。

 向かう先は関羽の部屋だ。
 李典は関羽がまた取り乱すからと急ぎ彼を追いかけた。


「曹操様!! 今十三支に遭遇したら、また発狂しかねませんよ!」


 そういうと、一瞬だけ曹操の動きが止まった。

 けれども関羽を薬売りに連れ出されるかと思ったのか、曹操は関羽の部屋へと急行する。

 そして、関羽の部屋の扉が見えてきた時――――。


 轟風が李典の右を駆け抜けた。


 何事かと足を止めれば目の前に曹操の姿が無い。
 薬売りの奇術か何かと双剣を抜けば、後ろから主の呻き声。
 振り向いた先に、彼は倒れていた。


「曹操様!?」


 李典は舌打ちして部屋に飛び込んだ。


「薬売り!! 曹操様に一体何を――――」


 固。


「きゃああぁぁぁ!!」

「うわああぁぁぁ!!」


 バタンッ。
 李典は扉を叩きつけるように閉じた。
 顔を真っ赤にして扉越しに怒鳴りつける。


「何で裸なんだよこの卑猥女!!」

『卑猥女って何よ!? 診察中にあなたがいきなり入ってきたんでしょう!?』

「うぐ……っ!!」

『この変態!!』

「お前にだけは言われたくない!!」

『何ですって!?』

『ああはいはい診察の途中ですからねー静かにしやがれ間近で叫びやがって耳がイカレちまうだろうがクソガキ共が』

「『……』」


 穏やかに窘められたかと思いきやドスの利いた声で言われ、李典は青ざめて沈黙した。恐らくは関羽も同じ様子だろう。
 李典は呻き、ひとまず双剣を鞘に戻して、何故か茫然とする曹操に駆け寄った。


「……大丈夫ですか、曹操様」

「李典……お前は何故あの部屋に近付けた?」


 信じられないとでも言わんばかりに曹操は問う。

 李典は目を瞠った。


「は……?」


 あの部屋に近付けるのは……普通のことではないのか。
 曹操の問いの意味を理解出来なかった李典は怪訝に眉根を寄せて関羽の部屋を振り返った。

 把握していない部下に、曹操は忌々しそうに「あの仙人の仕業か……」と独白する。

 仙人とは、恒浪牙のことだ。
 夏侯惇からそのように聞いている。だからこそ、あの男の仕業ではないかとあの部屋に飛び込んだのだ。その後のことは、想定外であったが。

 曹操を助け起こすと、それを見計らったように部屋から恒浪牙が現れた。
 彼は二人の前に立つと、ゆったりとした所作で拱手した。やや首を傾けてやんわりと微笑む。


「結界を張ったのですよ。関羽さんの拒絶する心に反応するものを。曹操殿、あなたはその結界に弾かれたのです。関羽さんの拒絶の強さそのものの力でね」

「何を勝手なことを……」

「良いじゃないですか。多分曹操軍の中であなただけですよ、結界の中に入れるの。随分と懐かれてらっしゃるようで。いやはや、関羽さんの精神が思ったよりも健康で有り難かったですよ〜」


 李典は嫌悪を顔にはっきりと出した。


「懐かれたくない、あんな女に……!」

「ただ太腿と谷間がちらーっと見えてるだけじゃないですか」

「それだけでも十分問題だろう!」


 断じて片方の剣を抜き、恒浪牙に突きつける。

 恒浪牙は一歩後退して両手を挙げた。苦笑して、肩をすくめた。


「……とまあ、そういうことですから、曹操殿。関羽殿に近付かれないことを強くお勧め致しますよ。あなたがこれ以上傷つかない為にもね」


 李典の肩を叩き、恒浪牙は再び部屋に戻った。その後ろ姿に隙はまるで無く、見てくれ、態度との差がむしろ危うく感じられた。
 ……まさかとは思うが、彼はこのまま関羽の部屋で寝泊まりするつもりなのだろうか。
 嗚呼、面倒なことになりそうだ。

 曹操の様子を窺いながら、恐る恐る指示を仰いだ。


「曹操様、どうしますか」

「……お前に任せる」

「え? うわっ」


 肩を強く押され、冷たく放される。
 しかしよろめいたのは李典ではなく曹操だ。
 身体を支えようと駆け寄れば、それを拒絶するように冷たく鋭く睨まれてしまう。

 ……俺が、とばっちりを受けるのか。
 勘弁してくれ……。
 李典の助けを拒み、一人ふらふらと私室に戻っていく主を見送りながら、李典は暗鬱とした心持ちでその場に屈み込んだ。

 関羽の所為で自分の曹操軍での地位が危うくなっているように思うのは、気の所為だと信じたい。
 これで明日夏侯惇達から一斉に無視でもされたら――――考えるだけでも心労が半端なく、胃が重たい。


「俺、クビかも……」


 それなりの地位までは出世したかったんだけどな……。
 ぼやき、また嘆息をする。

 髪を掻き上げようと手をこめかみにやると、袖に何か異物が入り込んでいるのに気付いた。眉根を寄せて袖の中からそれらしきものを取り出すと、折り畳まれた紙だ。何か、文字が書かれているようだ。
 中を開けばそれは手紙だった。流麗な文字で、李典への求めが書かれてある。

 それを読むうち、胸の奥から主張してくる者が在った。
 その声は、求めに応じろと李典に指示を出す。
 李典は、それをすぐに受け入れた。
 腰を上げ、手紙を懐に入れる。


「じゃあ、あんたに代われば良いんだな」


 そう確認する。

 が、彼の周りには、誰もいなかった。



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