関定
襄陽を後にし、新しい土地新野へ向かう道途にて。
周泰と会話している幽谷を遠目に見ながら、関定は呟いた。
「ずっと前から思ってたけど……デカいよな」
「……は?」
側を流れる川を泳ぐ魚影を目で追っていた蘇双は、怪訝そうな顔で関定を振り返る。彼の視線の先を追うが、幽谷と周泰が話しているだけだ。何がデカいのか、皆目分からない。
「いきなり何言ってんの、関定。デカいって、何が」
「いや、幽谷のあれ」
「あれ? ……、」
……。
……。
……。
……うわ。
「うん、予想してたけどさ……その蔑むような目は止めてくれよ、蘇双」
「関定、幽谷のことそういう目で見てたんだ。汚らわしい。同類と思われたくないから近付かないで」
「仕方ねえだろ! オレ達思春期なんだから!」
「達って言うな」
蘇双は汚い物を見るような蔑視を向け、関定から距離を取る。
それでも関定は堂々として男なら仕方がないと断じた。
思春期は性に敏感だ。故に幽谷のそれ――――胸に目が行ってしまうのも当然のことだろう。
けれども曹操のもとから逃れ、長い旅路を経てようやっと安住の地に落ち着けるかというこの状況で、よくもまあそんなことが言ってられるものだ。
軽蔑する蘇双と、何が悪いと開き直る関定に、たまたま近くにいた関羽が不思議そうに声をかけた。
「どうしたの? 二人共」
「あ、関羽。関定には今後一切近付かない方が良いよ」
「え? どういうこと?」
「待て言うな! 関羽に言ったら殺される!」
「幽谷の胸のこと、さっきからそればっかり言ってる。この馬鹿」
関羽は幽谷を見、関定を蔑むように見た。関定の視線を遮るように間に立ち、体術の構えを取った。
これに、さしもの関定も開き直れずに即座に両手を挙げ降参の意を示した。関羽にバレたくないのなら、ずっと黙っておけば良いだろうに……。
関羽は幽谷をもう一度振り返り、自然と自分の胸を見下ろした。
……いや、比べるのは止めておこう。
「……関羽」
関羽の心中を見透かしたように、蘇双が呆れた声を出す。
「関定と同類になるよ」
「ち、違うわよ!」
即座に否定する。
蘇双は溜息をついた。
「関羽は関羽、幽谷は幽谷。身体に目が行くのはこの馬鹿だけだから。気にしないで良いよ」
「……え、わたし、遠回しに慰められてない?」
「自意識過剰。別に胸の大きさに拘(こだわ)ってる訳じゃないでしょ。関羽も、幽谷も。っていうか、こいつ以外は」
「そ、そうよね……」
……何かしら、この虚しい気持ち。
蘇双がわたしよりもずっと年上に見えてしまうのは錯覚よね。きっと。
そう思うことにした。
だが、取り敢えず――――。
「ぎゃああぁぁぁ!!」
関定は殴っておく。
水月に正確に拳打を叩き込み、関定を撃沈させた関羽は、ほうっと吐息を漏らし構えを解いた。
「曹操軍から逃げられたからって、弛み過ぎよ、関定」
「ぐ、ぐおぉぉ……!!」
「胸の内に留めておけば良かったのに」
うずくまる関定を冷たく見下ろし、蘇双は関羽を見やる。
すると更に、そこに間延びした声がかかる。
「おやぁ、関定さん。どうしました。潰された蛙のような聞くに耐えない醜い声を出されて」
恒浪牙である。
のんびりと鷹揚に、しかしじんわりと効く毒を吐いて、関定の側に片膝をつく。
それに、蘇双が端的に、
「幽谷と関羽に性的嫌がらせをして撃沈された」
「ああ、自業自得ですね。良かった。無駄なことに薬を浪費するところでした」
恒浪牙はにこやかに安堵し、腰を上げた。
「でもまあ、異性に興味を持つのは思春期では当然の心の動きですから、関羽さんもお気になさらず。男性はこうやって大人になっていくものですからね。急所を狙って反撃することで大目に見てやって下さい」
「はい。今度言ったら首を狙います」
「ええ。そうなさい。ただし殺さぬ程度に」
「分かってます」
「……途中からからかってるだろ」
蘇双が指摘する。
言い当てられて恒浪牙は肩をすくめた。
「おや、バレました? 関羽さんは付き合って下さいましたけど」
「冗談だったんですか?」
「え?」
「えっ?」
関羽と顔を見合わせ、恒浪牙は後頭部を掻いた。両手を顔の横辺りまで挙げ、蘇双を見た。
「どうやら、擦れ違っていたみたいです。では、本気にしましょう」
「本気にしちゃうんだ」
「まあ、異性やその身体に興味を持つのは悪いことでないとは言え、堂々と口にしたら駄目なことですしねえ」
恒浪牙は関定を見下ろし、はははと笑う。
ようやっと立ち上がるまでに回復した関定は、腹を押さえながら涙目だ。だが、自業自得。誰もがそう思った。
「性的嫌がらせって……! そんな大層なもんじゃない!」
「いや、十分嫌がらせになってたよ。ねえ、関羽」
「関定。またわたしの前で言ったら承知しないから。幽谷の前で言ったらもっと容赦しないわ」
「口は災いの元――――とは、よく言ったものですね」
しみじみと言う。
恒浪牙は関羽の頭をそっと撫で、幽谷達に歩み寄った。
周泰に何かを言って、関定を指差す。
彼が頷いてこちらに歩いてくるのに、関定はざっと青ざめた。逃げようとするのを示し合わせてもないのに関羽と蘇双が肩を掴んで引き留める。
無表情の周泰は大股に歩み寄り、数歩手前で立ち止まった。
「関定殿」
「はいっ、すいません!! もう言いません!!」
「……は?」
慌てふためき平謝りする関定に、周泰は困惑したように隻眼を揺らす。
蘇双が訊ねると、関定が自分に用があると、恒浪牙に聞いたからこちらに来ただけらしかった。
恒浪牙からの、ちょっとしたお仕置きと言ったところだろうか。
おかしそうにこちらを見てくる恒浪牙に、関羽は苦笑を禁じ得なかった。
「周泰。関定じゃなくてわたしなの。少し最後尾の様子を確認したくて。一緒に来てくれないかしら」
「承知した」
少しだけ不思議そうに了承し、周泰は恒浪牙から蘇双達へ順に拱手した。
幽谷は、関羽に気付いて恒浪牙の影に隠れていた。
●○●
襄陽城から新野に向かうまでの話です。
書きたかったけど書けなかったネタを番外編として。
馬鹿馬鹿しい話を書いたつもりがただの関定が可愛そうな話に……。(^^;
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