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「いいいいいえ、すみません! 海の色は大好きです! 好きですみません!」

「ぼくもね、青色はすきだよ。○○の色だもん」


 ○○は固まった。


「わ、私の色……?」

「うん。○○はねぇ、青色なの!」


 劉備は無邪気に断言した。

 ○○は感動のあまり涙を滲ませ、即座に世平に宥められた。
 しかし、


「趙雲といっしょの青色!」


 趙雲を指差して言うのだ。


「俺と同じ色か……それは光栄だな」


 趙雲は笑み、とても嬉しそうに言う。
 ○○は、何だか気まずい。
 彼は布を見ると、店主を呼んで何かを話し始めた。
 店主は顔を赤らめながらも不服そうに何かを言ったが、趙雲が打って変わって真顔で何かを言うと青ざめて一礼し、俯いた。

 それから何かのやりとりを終えた後、店主は急いで劉備の気に入った布を持って奥へ退がり、持ちやすい大きさに綺麗に折り畳んで趙雲に手渡した。

 趙雲は笑顔で受け取り、戻ってくる。
 そして○○に手渡そうとして、正面に立った瞬間に逃げそうになったのでやむなく世平に渡した。


「劉備殿が折角選んでくれたんだ、この布で○○の服を作ってくれ」

「すみませんそれ高い布では」

「そうか。そいつは関羽が喜ぶ。○○に服をあげたいってずっと言っていたんだ」


 ○○の言葉を遮り世平は頷く。


「○○は……関羽が喜ぶのを見て泣いて謝って喜ぶだろうな」

「少しでも喜んでくれるなら、それで構わない」


 趙雲は○○に笑いかける。
 ○○は劉備の後ろに隠れて申し訳なさそうに頭を下げた。


「近くに美味い飯店がある。そこで一旦食事を摂ろう。金も俺が持つから心配しなくて良い」

「悪いな」

「いや、俺がしたいことに付き合ってもらっているのだから、気にする必要は無い」



‡‡‡




 趙雲の案内した飯店は、美味いと言う割には人が少なかった。
 老夫婦がひっそり営んでいる飯店のようで、周辺の住民のみが常連の、知る人ぞ知る隠れた名店なのだそうだ。

 今まで雑踏の中耐えていた○○を気遣って、人の少ない店を選んでくれた趙雲に、世平は感謝した。



「悪いな、趙雲」

「いや。ここの店主夫婦は客に対して偏見が無い。猫族について前以て確認してあるから、気兼ね無くくつろいでくれ」

「ああ。助かるよ」


 劉備が○○の手を引いて店の隅の席の壁際に座らせる。その隣に自分も腰掛けた。
 ○○の前に世平、劉備の前に趙雲が遅れて座る。


「○○はぼくとはんぶんこだよ」

「分かった。では、俺の気に入っている料理を三人分頼もう」

「ああ」


 注文を聞きに来た老妻に親しげに世間話を挟んで同じ料理を三人分頼む。
 老妻は劉備を見、ふんわりと微笑んで奥へ入っていった。

 周りの客も、こちらの存在を気にせず、それぞれ料理に舌鼓を打っている。

 やがて料理が出来上がると、店主が料理を運んできた。
 彼もまた、劉備を見て優しく笑いかけた。偏見が無いというこの夫婦、子供に優しいようだ。

 趙雲に言われて○○と劉備の間に料理を置き、取り分けられるように小皿を置いてくれた。

 気遣いを有り難く思いつつ、恥ずかしくて他人の顔すらまともに見られない○○は元気にお礼を言う劉備の隣でぺこぺこ頭を下げた。


「じゃあ、ごゆっくり」

「ああ。さあ、食べようか」


 趙雲は笑顔で三人を促した。

 趙雲の言う通り、料理は絶品だった。
 唯一気になった点と言えば、劉備も○○も、我慢は出来たがほんの少しだけ辛く思えたことくらいだ。だが劉備はそれでもこの料理が気に入ったようで、いつもより喜々として食べていた。
 辛さについては、夫婦も気にしてくれていた。精算の際に老妻に問われ劉備が正直に話すと、『今度来てくれた時には、特別に甘めに調理してあげようね』と言ってくれた。
 結局飯店を出るまで他の客にも絡まれることも無く、あそこまで差別しない人間も珍しいと、世平も驚嘆していた。

 その後は、色んな店を覗いて回り、その中で趙雲が劉備に菓子を買い与えた。○○にも買ってくれたが、世平経由で受け取った。

 そして、日が傾いて蒼野に帰ろうという時になり、問題は起こった。


「っ! 劉備様!」


 ○○は突然劉備を抱き締めた。
 直後、こめかみに痛みが走る。


「○○!」

「十三支は出てけ 十三支は出てけ!」

「汚らわしい化け物! 趙雲様から離れろーっ!!」

「……!」


 子供達だ。
 大勢の子供達が拳大の石を劉備に投げつけたのだ。
 世平にも投げているが、全て避けられている。

 周りの大人達は誰も止めようとしない。白い目をこちらに向けている。
 まるで悪いのはこちらであって、自分達が正しいのだと言わんばかりだ。

 ……恐ろしい。
 なんて、恐ろしい。
 ○○は涙を浮かべながらも、劉備を抱き締めて決して放さなかった。こめかみから血が垂れているような感覚があるけれど、構ってはいられない。石は未だ劉備の身体を狙って○○の身体を何度も何度も殴りつけている。私が劉備様を守らなければ――――その一心であった。

 と、石の飛礫(つぶて)が止んだ。

 顔を上げた瞬間、


「止めるんだ!!」


 趙雲が、一喝した。
 辺りがしんと静まり返り、子供達も鼻白んで一歩後退した。


「ちょ、趙雲様……だって、十三支は、」

「彼らは俺の客人だ。子供のやったこととしても、彼らに対してこの無礼は目に余る。子供達を止めもしない者達とてそうだ。猫族のことを任された俺や、受け入れることをお決めになった公孫賛様のお顔に泥を塗るつもりか」


 公孫賛の名前が出されると、周りの大人が青ざめた。


「そ、そのようなことは決して……でも、十三支なんですよ?」

「十三支ではない。彼らは猫族だ。彼らと触れ合えば俺達と何ら変わらないことなどすぐに分かる。自ら知ろうとせずに外聞だけを頼りに判断するなど、軽率だとは思わないか」

「それは……ですけど、十三支だし……」

「だって……なあ……?」


 人間達は趙雲の言葉でも納得しない。受け入れない。
 もう、十三支という概念はこびり付いて、当たり前の常識となり、離れないのだ。

 違うのに。
 猫族の方々は、とっても優しい人達なのに!
 たまらず、○○は立ち上がった。


「猫族は方々は!! すみません!!」

「!? な、何だよ……いきなり、」

「すみません! 猫族の方々は、皆さんすっごく良い人なんです!! 私みたいな最下層の最下位な生ゴミ級の穀潰しを拾って下さって良くして下さってます!! 本当に良い人達で! 今までも今も穢れなんて微塵も感じられません!! 汚くありません!! すみません!! 生きててすみません!!」

「ど、どうして謝ってるの、あの子……?」


 口を開けば謝罪は必ず付けてしまう○○の癖に周りは困惑の色を濃くする。

 ○○は肩で息をしながら、隻眼からぶわっと涙を溢れさせ大声を上げて泣き出した。それがまた周囲を困らせるのである。

 世平が慌てて宥めるも、劉備も○○のこめかみの傷に驚き不安がって、泣き声につられてとうとう一緒になって泣き始めてしまう。
 隻眼の美女と猫族の子供が一緒になって大泣きするのに、石を投げつけた子供達も戸惑い顔を見合わせた。


「趙雲、こうなるとすぐには落ち着かねえ。幸い○○のこめかみも、血が止まりかけているようだし、これ以上周りに迷惑をかけない為にも帰ろう」

「……すまない」

「いや。謝るべきはこっちだ。公孫賛様にも迷惑をかけちまったな」

「それは気にしなくて良い。俺も公孫賛様も猫族の力になりたいんだ」


 世平は苦笑し、劉備と○○を宥めながら手を引いて、周囲の人間に頭を下げ街の外へと出た。

 蒼野に帰る頃には、二人共落ち着いてはいたが、○○は己の失態と醜態に平謝りが止まらなかった。


「ず、ずびばぜん……ずびばぜん……」

「うわー……未だかつて無いひっどい顔……」

「こりゃ年頃の女の子がする顔じゃねえよなー……○○は人間じゃねえけど」

「おおおびぐるじいぼのをずびばぜんんんんん!!」

「だー!! 何言ってるか分かんねーし! 取り敢えずもう謝んなくて良いから落ち着け!!」


 張飛に怒鳴られ宥められ、○○はしゃくり上げながら何とか謝罪を止める。
 周りは皆苦笑し、早く怪我の手当てをと座らせる。今はまだ気が逸れているがいつ羞恥で逃げ出すか分からない。
 ○○の性質をよくよく心得た猫族の女達はてきぱきと○○の傷の手当てを急ぐ。ただ、服に隠れた部分の怪我は、逸れている羞恥心を刺激してしまいかねないので、保護者の白虎に薬を持たせて本人に処置をさせる他無いだろう。関羽がいれば、彼女に任せられたのだが。


「○○。虎が迎えに来てるぜー」

「あ……ひゃい……今行きまず……」

「○○殿」


 趙雲が、一定の距離を開けて、申し訳なさそうに頭を下げた。


「すまなかった。関羽の不在で気が鬱(ふさ)いでいる○○の気晴らしになればと誘ったのだが……逆に不快を与えるばかりか怪我をさせてしまった。劉備殿や世平殿にも、辛い思いを」

「俺達のことは気にしなくて良い。帰りまでは、劉備様も○○も楽しんでいたからな。趙雲には二人に色んな物を買ってもらってこっちが申し訳ないくらいだ」

「しかし……長を危険に晒し、女性の顔に傷を作るなど……本当にすまなかった」


 もう一度、彼は頭を下げた。

 世平は苦笑する。
 ○○の身体に傷痕が残ることは無い。妖という特殊な身体だからだろうが、それを言ったところで傷を付けてしまった事実を趙雲は気にするだろう。

 表情を曇らせた趙雲に、ふと、劉備が歩み寄った。袖をくんと引き、


「……趙雲。もうぼくたち、おじいちゃんたちのお店に行けないの?」


 そう、不安そうに問いかけた。
 劉備は余程あの老夫婦の料理が気に入ったようだ。強い蔑視を受けたことよりも、あの料理を食べられないことを気にしていた。

 趙雲は、一瞬軽く瞠目し、


「……いや、次は、何事も無く行けるよう今回以上に配慮しよう。あの料理が食べたくなった時は遠慮無く言ってくれ」

「ほんと! 行って良いって、○○!」


 喜色満面の劉備に、○○はつられて、ぎこちなく笑う。心の中ではあの雑踏の中を歩きたくないと思っている筈だ。


「……すみません、そうですね。あのお料理はとても美味しかったです、し……すみません」

「だから、関羽といっしょに行けるようにがんばろうね!」

「! ……関羽、様と……っ」


 ○○はつかの間固まったが、もう一度関羽の名を呟き、先程とは打って変わって両手に拳を握って劉備に迫った。