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「誘ってきたのは○○だが、それは夏侯惇達とお前達の乱闘で折られた俺の剣を、あいつが買って返してくれるからだ。そのことは前以て相談されていただろう。お前達の目の前で」


 呆れながら言うのに、関定と蘇双、そして張飛はばつが悪そうに顔を歪め視線を逸らした。


「あ……あー……そう言えば、そんなこともあったようなー……」

「……忘れてた」


 また、世平の溜息。


「わ、悪い……」

「まあ、○○はこの程度で気分を害す奴じゃねえ。が、今度、お前らからしっかり謝っておけよ」

「「「はい……」」」


 四人揃って、世平に頭を下げる。

 世平は、苦笑を浮かべ最後は全員の頭を軽くはたくに留めた。
 悄然(しょうぜん)とする彼らから視線を外し、いまや小指の先程にも小さくなった○○の後ろ姿へと向けた。

 世平にとって、この機は有り難かった。
 ずっと胸中にくすぶる疑問を払拭出来る絶好の機会だと思った。

 何故、○○は猫族に親しく接するのか。
 単に偏見が無い、柔軟な思考を重んじる、などと言われてもこちらは納得がいかぬ程、彼女は猫族に寄り添う。彼女の性格が性格だ、何か裏があると勘ぐってもいた。
 この疑問を、世平は道すがらそのまま○○にぶつけた。○○相手に遠回しにする意味も必要も無い。

 ○○は、意外とさらりと答えた。
 その時のことを、世平は思い返す。



‡‡‡




「あたしが、どうして猫族贔屓なのかって? そりゃあ、哀れな混血の子供を知ってるからだろうねえ」


 あっけらかんと答えた○○は、肩をすくめて意地悪げに口角をつり上げて見せた。

 世平は思いの外簡単に得られた回答に軽く肩透かしを食らった心地だったが、彼女の答えに引っかかるものがあった。


「哀れな混血の子供……? 関羽の他にも混血がいるのか?」

「ああ。いるよ。ただ、事情が事情だから教えられないがね。……まあ、他にも、夏侯惇達の視野拡大の為っていうのもあるけど」

「それは、お前が頻繁に夏侯惇達に言っていたから、俺達も耳にしている」


 夏侯惇と夏侯淵は頭が堅すぎる。視野が狭すぎる。
 彼女はよくそんな愚痴を言う。
 自らが猫族に接していれば弟子達も絡む。そして接触の果てに師の望む成長をしてくれれば――――と、○○は求めているのだ。

 師匠として、弟子の将来を見据えて指導する。当たり前のことだが、これが難しい。
 師匠も人、弟子も人。思うように事が進まない。

 夏侯惇と夏侯淵が、望むような成長を遂げるのは、世平の目からも遠い未来だ。永い時をかけて人間社会に刷り込まれた偏見は、そう簡単に拭い去れやしない。


「諦めたらどうだ。猫族に対する認識は、そう簡単には消えないんだぞ。それに――――」


 ○○は片手を挙げて制した。


「だからこそだ。だからこそ、あいつらは柔軟に、視野を広くして世を生きなければならない。家臣は皆、同じ方向を向いていてはいけない。それぞれありとあらゆる方向を見渡し、どんな情報も受け入れ正しく精査する。そして同時に、主と同じ方向も向いてはいけない。主の過ちは家臣が咎めなければならん。ただただ付き従うだけならそれは忠義ではなく妄信。二人が操ちゃんの家臣として乱世を生きていく上で、この違いは確実に未来を分ける重要な選択肢となるだろう」

「だがその時はお前が正してやれば良いだろう。長い目で見てやった方が……」

「あたしが死なないとどうして断言出来る? 病で死ぬかもしれない、戦場で討たれるかもしれない、……操ちゃんや弟子に首を斬られるかもしれない」


 最後は一際低い声で告げられた。

 世平が顔色を変えるのに、はっと鼻で笑う。


「この乱世、何が起こるか分からない。なら、何が起こっても不思議じゃあないのさ。あたしが曹操の生き方に異を唱えて殺される、そんな未来も、有り得ない話じゃないだろう?」

「お前は……」


 ○○は、にやりと笑った。


「こちとら、この道行く為に色んな宝を自分の手で壊してきたんだ。あたしが選んだ道が間違っていないと彼らに証明する為にも、命を懸けて徹底的に操ちゃんの覇道の為に生きていく所存さ――――と」


 ぼぎり。
 そこで彼女は拳を鳴らし手足を止める。

 その動作で、世平は察した。
 そろそろ後ろの団体の相手をするようだ。
 溜息をつき、身を翻して駆け出す○○を見送る。


「なぁにこそこそやっとんじゃ馬鹿弟子共がああぁぁぁっ!!」


 ○○の怒号が、夏侯惇達の声を打ち消した。

 世平は後頭部を掻き、その脇で怯む甥達へ近付いた。



‡‡‡




 起きた夏侯惇達は、まず全身の痛みよりも全身に感じる冷たい殺気に硬直した。
 恐ろしくてその殺気を辿れない。殺気の主が誰であるか分かるが故に、現実から目を背きたい心境であった。

 しかし、ここで彼女を見なければそれもそれで恐ろしいことになる。

 どちらがましか……などと、考えるまでもないこと。
 夏侯惇は夏侯淵と顔を見合わせ意を決して同時に首を巡らせた。

 直後、更に殺気が増した。
 冷たいだけではない。これはもはや凶器だ。常人であれば確実に殺せる無情な程鋭利な殺気であった。

 夏侯惇は乾ききった口を動かし、


「○○様……」


 やっとのこと、師の名を呼んだ。

 ○○はそこで一旦は殺気を収めた。
 が、代わりに浮かんだ微笑みは、身の毛も弥立(よだ)つ程におどろしい。


「いっつもさぁ……あたし言ってるよねえ。何事も偏った見方をするなってよぉ」

「しかし○○様! 十三支など――――」

「何の為にあたしがあんたらに言っていると思う? あんたらの将来の為だ。そんな風に常識に囚われたままだから塵同然に弱いんだといい加減自覚しろ馬鹿弟子共」


 溜息をつき、うなだれる弟子を見下ろす。
 されどもふと、「良いことを思い付いた」と口角をつり上げた。その笑みたるや、曹操すら退くであろう悪意の極み。


「分かった。じゃあ、二人に特別訓練を行ってやる」

「! ほ、本当ですか!」


 顔を上げた夏侯惇は、次の瞬間血の気が失せた。
 夏侯淵も、やや遅れて同様の反応を見せた。


「……○○様。何なんですか、その笑顔は」

「ん? だから、良い訓練を思い付いたから、二人が喜ぶだろうと思うとお姉さん、もう嬉しくて嬉しくて」

「いや、そんな顔してな」

「あ゛?」

「何でもありません」


 ○○の一瞬の睨みに、夏侯淵は口を噤まざるを得ない。

 萎縮する弟子達に満面の笑みを浮かべながら、○○は告げた。


「明日から十日、女装して猫族の誰かと行動しろ。些細でも諍いを起こしたら猫族の陣屋から操ちゃんの屋敷までを百五十往復、猫族を侮蔑する発言をしたら腕立て背筋素振り各三千回。それ以外に猫族の迷惑になるようなことがあれば腕立て背筋素振り各五千回。監視と報告は関羽、張飛、関定、蘇双に任せることにする。分かったか? 分かったな」

「「……」」


 師匠の決定に弟子に拒否権は無い。
 そして師匠は決めた罰は必ずやる。
 いつもそうだ。
 分かり切っている。

 分かり切っているが――――。


「……○○様、何とぞ」

「却下。夏侯惇、弟子が師匠に口答えか?」

「いえ。申し訳ありません」

「兄者……!」

「おっと、何だ。夏侯淵も何か言いたそうだなぁ……?」

「い、いえ! 何でもありませんっ!」


 「それで良し」○○は手を叩いた。


「じゃあ、女官を集めて服や髪型を決めておかないと。いやぁ、楽しみ楽しみ。ああそうだ、夏侯惇んとこのあの絵が上手い家臣、あいつも呼べよ。描かせて操ちゃんに見せるから」

「な……っ!」

「そ、それだけは!」


 青ざめ必死に許しを乞うも○○に聞く耳は無し。

 心底愉(たの)しそうな笑顔で片手を振り、早足で立ち去っていく。

 そこで初めて、ここが○○の部屋だと言うことに二人は気が付いた。
 が、そんなこと、もう、どうでも良い……。

 夏侯惇と夏侯淵は、頭を抱え長い長い嘆息をした。



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