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地獄のような夢を見た。
いや、これは夢ではない。
現実だ。
由々しき事態である。
現実で、憧れの師匠が十三支の男と隣り合って街中を歩いているのである!
その仲睦まじい様子に足下が崩れていくかのような絶望を味わわされた。
偶然目撃してしまった夏侯淵は、即座に夏侯惇にもとへ走った。
夏侯惇は、師匠が常々十三支に偏見を持っていないことで頭を悩ませていたが故、夏侯淵程の動揺は見せなかったが、二人のことが決して気にならない訳ではない。
すぐに職務を放棄して市街に駆け出した。
敬愛する主、○○はすぐに見つかった。未だ、十三支の男――――張世平と並んで店を回っている。
何ということだ!
二人は見た瞬間に間に入って中断させようとした。
が、しかし。
「ちょぉっと待った!!」
「ぐっ!?」
誰かが、夏侯淵の襟首を掴んで引き止めたのである。
勢いそのままに首が絞まり、夏侯淵は一瞬意識が飛んだ。解放されて崩れ落ちたのを夏侯惇に支えられた。
夏侯惇は夏侯淵を引き止めた人物を眼光鋭く睨めつけ、唸るような声を上げた。
「十三支……まさかあれは貴様らの差し金か!?」
夏侯淵を襟首を掴んだのは張飛。
その後ろには関定、蘇双、そして何やら申し訳なさそうな関羽がいる。
関定が何かを言おうとしたのを遮り、関羽が取りなすように説明した。
「ち、違うのよ。二人共。わたし達も張飛が見かけて、ついさっきここに来たの。○○のことだから大きな問題にはならないと思ったんだけど……」
「いよいよ世平に春到来! かもしんないのに、オレ達が覗か――――応援しないなんて有り得ないだろ!!」
「今まで関羽や劉備様の為にばかり気を配ってきた人だからね。手遅れにならないうちに」
「皆が、こんな調子で……わ、わたしはそんなのじゃないって言ったのよ。でもどうしても見届けに行くって聞かなくて……」
もし夏侯惇達が居合わせたら衝突してしまうのではないか。関羽はそれが心配で関定達についてきたらしい。
関羽は二人がどうして街の中を並んで歩いているのか、関定達のような都合の良い自分勝手な妄想をしてはいない様子である。
だが、そんなことは関係ない。
どのような理由があろうと十三支と師が共にいて良い訳がないのである。毎度口を酸っぱくして諫めているというのに、○○はちっとも聞き届けてくれない。
問題が極まって十三支に加わるなんてことになれば――――嗚呼、想像したくもない。
嫌な未来が頭に浮かびかけて、夏侯惇はゆるりとかぶりを振った。
「ともかく。貴様ら如き賤(しず)の種族が我らが師――――いや、人間と対等であるなどと思い上がるな。俺達は認めない」
「……んだとぉ? ○○のあれこれを勝手に決め付けんじゃねーよ。そっちだって思い上がるなとか頭が堅いとかって○○にいっつも拳固食らってるじゃんか!」
「しかもこの間は女装させられてたよね。良い年した男のくせに」
嫌な記憶を冷たい顔で呼び起こされた。
夏侯淵は顔を真っ赤にした。
「ぐ……っう、う五月蠅い!! それは○○様がオレ達の精神を鍛える為に……!」
「いや、違うって言ってたけど。なあ、張飛」
「そろそろ本気であいつら破門するべきかって悩んでたけど。なあ、蘇双」
「頭が堅すぎて広い見方もろくに出来やしないのが、嫌なんだってさ」
「な……っ」
わざと抑揚を消し、流れるように代わる代わる放たれた猫族の言葉に、頭に岩をぶつけられたかのような衝撃を受けた。
夏侯惇は青ざめ、無意識に剣の柄に手をやった。
それに張飛が反応。体術の構えを取り闘気を漲(みなぎ)らせる。
一気に緊迫する空気に関羽は慌てて間に入り街中を指差した。
「ほ、ほら! こんなことをしている間にも二人が行っちゃうでしょう!」
二人が丁度角を曲がるところであった。
○○の横顔は、いつになく和んだ笑みで、夏侯惇達もあまり目にする機会の無い類の表情であった。
全身が、冷えていく。
まさか、本当に……!?
「○○様……!!」
「ね? 早く行かないと見失ってしまうわ!」
「大丈夫、オレ達がしっかり見守っとく!」
「そっちは勝手にやってれば」
「え? あっ、こら、待ちなさい! 二人に気付かれたら怒られるわよ!」
先に駆け出した関定と蘇双を、関羽が慌てて追いかける。関羽だけは、何とか事態を荒立てないように必死の体である。
遅れて張飛も身を翻して追いかける。
完全に後れを取った夏侯惇達も、狼狽(うろた)えながらも追いかける。
角を曲がったばかりの二人は、雑踏に紛れて所在が分からなくなってしまった。
悔しがる関定に、関羽は「やっぱりそっとしておいた方が良いんじゃないかしら」と。
しかし、関定は首を縦に振らない。
「関羽だって世平が嫁を取ったら嬉しいだろ!? 特に○○と関羽は仲良いんだし、関羽だってこの二人がくっつくんだったら応援したいだろ!?」
「う……っ」
関羽は言葉に詰まり、視線をさまよわせた。
その側で「そんな過ちがあってたまるか!」夏侯惇が怒鳴るが、関羽の耳には入らず、難しい顔をして考え込む。
「そ、それは……確かに、二人が恋人同士になれるなら凄く嬉しいし、その……応援したいなとは、心から思うけど……でも、」
「ほら! 関羽だってそうなんだから、このまま見届けようぜ!」
「ちょ、ちょっと関定!」
「おお、世平と○○発見!」
ずびし、と前方を指差した関定は、何かに驚いたように動きを止めた。
ある建物から出てきた二人。
○○が、布に包まれた細長い物を世平に手渡している。
夏侯惇と夏侯淵の顔と聞いたら、とても言葉では形容しきれない。
目の前の光景を見ていた蘇双が、呆れ返った。
「うわ……○○から贈り物って……世平叔父、無い。それは、無い」
「普通贈り物は男からだよなぁ……」
「ふ、ふざけるな! そんな汚らわしい物、○○様に持たせられるか!」
夏侯淵が吠える。
「世平からは駄目で○○からなら良いのかよ」
「あれは○○様の温情だ。哀れな十三支に同情して、贈り物をされたのだ。十三支は優しくしてやればすぐにつけあがるから困る」
「何だとー!?」
「ああもう! 二人がまた何処かに行ってしまうってば! それに、こんなに騒いでいたら見つかるでしょう?」
関羽が窘(たしな)めると、先程見失ったばかりの彼らはうっと口を噤(つぐ)む。
渋々、睨み合いながら○○達の後を尾行する。
関羽ははあ、と溜息を漏らした。
彼女の胸中には、疑念が渦巻いている。
○○は、関羽のことを良く気にかけてくれる。
混血だと見抜いていたところを見ると、猫族とは初対面なんて嘯(うそぶ)いてはいるが、きっと猫族について人並み以上に知識がある……と、関羽は思っている。
○○は不思議な女性だ。いつも飄々として、掴み所が無い変人として扱われるけれど、時折刃その物のように鋭く張り詰める。
かと思えば弟子達のことをいつも良く見守っていて、小さな癖さえ把握している面倒見の良さを持つ。
関羽に、○○は色んなことを話す。
その話の内容がまだ記憶に残っている関羽にとって、世平と○○が夫婦になってくれたら願ってもないこと、だからとても嬉しいと思う反面、どうにも納得出来ずに首を傾げてしまうのである。
これが気の所為だったらどんなに良いか……と人知れず溜息も何度も出ている。
関羽も、自分が思う以上に○○に懐いているのである。
でも、○○のあの話、嘘ではないと思うし。
でも、でも、でも――――。
ううぅ……と、心の中で板挟み。
「姉貴? 何かすっごい顔してるけど……?」
「え? そ、そう?」
張飛に指摘されて、咄嗟に顔を押さえる。
そこで、はたと関定や夏侯惇達の姿が側に無いことに気が付き青ざめた。
「ちょっと、張飛……四人は何処に行ったの……?」
「丁度今夏侯惇と夏侯淵がもう耐えられないっつって飛び出したのを、関定達が止めに行ったぜ? オレもついて行こうと思ったけど、姉貴が何か変な顔でぼーっとしてたから……」
……。
「……ご、ごめんなさい! わたし達も急ぐわよ!」
関羽は大わらわで、張飛と共に駆け出した。
が――――。
「なぁにこそこそやっとんじゃ馬鹿弟子共がああぁぁぁっ!!」
「あっ」
「あー……」
○○の怒号が轟き道行く人々が驚いて身体を震わせた。
それだけで関羽と張飛は足を止め、一度顔を見合わせた。
行きたくない。
だが、行かない訳にはいかない。
怖いが仕方がない。見捨ててもどうせあの二人には分かることだ。大人しく降参して姿を現した方が無難である。
二人は渋々再び四人を追いかけた。
追いついた先。
夏侯惇と夏侯淵が地面に伏し、蘇双と関定が正座させられている。
その奥には、腕を組んでこめかみを痙攣させている○○と、呆れ顔の世平が立っていた。
関羽は、頭を抱えた。
‡‡‡
自分達をつけている気配には、どちらも気が付いていた。
しかし○○は面倒だからと無視することとし、そのまま自分の用事を済ませようと街中を進んでいた。
そして用事を終えた今、○○は遠慮無く四人に拳固を落とした。特に弟子には死なない程度の加減しかしていない。
「ったく……毎度毎度、あたしの逆鱗に触れやがってよぉ……何遍言ったら分かるのか。難しいことなんぞ言ってねえぞ、あたしは」
「あ、あの……○○……」
「ああ、どうせこいつらが世平殿と歩いてるのを見かけて、恋の逢瀬だとでも勘違いしたんだろ? 残念ながら、あたしは一生、誰ともそういう仲にはなりゃしないよ。関羽にも、あたしが生涯武将一筋だって言っただろ?」
茶化して言う○○に、関羽は残念そうな色を残しながら納得する。
「そ、そうよね……わたし達の勘違いだったのよね……ごめんなさい。迷惑をかけてしまって」
「良いよ。気にすんな」
○○は肩をすくめ、にっこりと笑って見せた。
「じゃあね。関羽。また今度、劉備と一緒にのんびりお茶でもしような」
「あ、え、ええ!」
○○はひらりと片手を振り、弟子達の首根っこを掴み引きずりながら曹操の屋敷の方へ帰って行く。
関羽は謝罪を込めて彼女の後ろ姿へ頭を下げた。……ちょっとだけ、色んな場所に身体をぶつける夏侯惇達に、同情した。
「……まったく。お前達は……」
「悪ィ……おっちゃん……」
「ようやっと世平叔父に春が来たと思ったのに……」
世平はこめかみを押さえて溜息をついた。やれやれと言わんばかりに首を左右に振る。
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