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※短編俺主賈栩夢続編。
どうも、最近の俺はおかしい気がする。
気がすると言うのは、元々の自分が常識外れである自覚があるが故のことだ。昔から俺は見た目と趣味が全く噛み合っていない。元から俺個人はおかしいのだから、俺にとっていつもと違う状態でもおかしい気がする、と言うしかないのだ。
……なんて、そんなどうでも良いことは脇に置いておこう。
とにかく、最近俺の日常に異変が起こっているのだ。
夫である賈栩殿の側にいると、心臓が早鐘を打って息苦しい。
それは多分、賈栩殿に口付けられてからだと思う。
辛うじて持っていなくもない……と希望として思っていたい女の部分を賈栩殿に見られて触られてから、側にいるだけで否応無しに感触を思い出して恥ずかしくなって平生(へいぜい)の自分でいられなくなってしまう。
側にいるだけでそうなのだ、賈栩殿と面と向かって話すとなると狼狽(うろた)えてまともな問答が出来ず、極まるとその場から逃げ出してしまう。
今となっては、蓮々が賈栩殿を遠ざけてくれるのが有り難い。まさか、二人の不仲に安堵する日が来ようとは、夢にも思わなかった。あんなに仲良くなって欲しいと思っていたのに。
賈栩殿を徹底的に俺から離す蓮々のお陰か、賈栩殿との接触は、極端に減った。
前までは頻繁に過ごしていた賈栩殿がいない自室を寒く思うが、それ以上にこの空間の中で二人きりになるなんて考えるだけで恥ずかしくて全身から火を噴きそうだ。
夫婦として、身体を重ねるのは当たり前のこと。女は嫁いだならば夫の子供を産まなければならない。それは分かっている。
でも、この燃え上がりそうな羞恥心は想像以上に耐え難い。
俺はどうなってしまったのか。
自分のことなのに何も分からなくて、だけど誰かに訊ねるのも恥ずかしい。
一人悶々と沈思(ちんし)する日々が続いた。
そんな中、ある日関羽と共に出掛けていたところ、雨に降られて贔屓の店から慌てて帰っていた俺は唐突に呼び止められた。
「○○」
「……え?」
「○○」
雨音が混じっていたが、俺は驚いて足を止めた。
聞き覚えのある女性の声だった。俺の記憶が正しいなら、それはここで聞ける筈のない人のもの。もう、一生関わることは無いだろうと思っていた人のもの。
同行してくれていた関羽が、周囲を見渡した俺を不審に思って首を傾げる。
「どうしたの? ○○」
「今、呼ばれたんだ」
「呼ばれたって……誰に?」
「うん……でも、気の所為なのかな。今の声、大姉上(おおあねうえ)だったように思うんだ」
もう一度、雨でしとどに濡れた街中を見回してみる。
だけど、雨中の道に俺達以外の人影は一つも無い。
今度は俺が首を傾げた。
「やっぱり、気の所為だったみたいだ」
「そう。じゃあ――――」
関羽はそこで、言葉を切った。右に向き直り目を細めた彼女は僅かに腰を落として、
「そこにいるのは誰?」
民家の影を睨んで低く誰何(すいか)した。
応(いら)えが返るまで、さほど時間はかからなかった。
影からぬらっと姿を現したのは、関羽よりも小柄な女性だ。雨除けに外套を頭から被っているけれど、この雨だ、外套の意味は無く全身がぐっしょりと濡れている。
顔は外套に隠されていて見えない。
だが、俺には肌にぴったりと張り付いた袖から覗いた右手の甲を見た瞬間彼女が何者か確信した。
途端に、俺は関羽の脇を通過して彼女に駆け寄った。
「大姉上!」
「○○、大姉上って……!?」
関羽の驚いた顔に、俺は大きく頷いた。
大姉上の右手の甲には痣がある。両親はこの大きな痣を男の目に触れることを厭(いと)ったが、俺はこの痣がいつか見た鳳凰の彫刻に見えて誰が何と言おうと尊く思っていた。
それを説明すると、大姉上が小さく笑う。
「本当に、おかしい子。こんな醜い痣を瑞獣だと言うのだもの」
大姉上は外套を脱ぎ、びっしょりと濡れたかんばせを雨下に晒した。
俺は軽く驚いた。
大姉上は嫁ぐまで俺と良く遊んでくれた。両親同様俺の見た目と振る舞いに困ってはいたけれど、家族の中では一番、俺を妹として接してくれていたように思う。
頭が良くて、とても優しい性格が魅力の大姉上は、母に似てとても美しい人だった。
評判を聞いた名士や武将など、彼女を妻にと求める声がひっきりなしだった。父が篩(ふるい)にかけて未来有望であると選んだ、曹操軍の武将の嫡子は、大姉上が妻になることに大層喜んだと蓮々から聞いた。
でも、あの頃の美貌が、今はくすんで見えるのだ。
草臥(くたび)れた影が落ちたかんばせは力が無く、かつての活力も欠片も感じない。
雨で周囲が暗い所為だろうか?
こんな所にまで来た疲労がそうさせているのだろうか?
俺は大姉上の顔に恐る恐る手を伸ばし、頬に触れた。
瞬間、肌の冷たさにぞっとした。
「かっ、関羽、早く帰ろう! 急いで大姉上を温かい場所にお連れしないと!」
「え? あ、ええ! 分かったわ。……あの、大丈夫ですか? 歩けますか?」
「はい。これでも、昔は○○と庭を走り回ったりしていましたので、体力には自信がありますのよ」
大姉上は、ふんわりと笑って首を傾けた。
‡‡‡
「まあ、十三支の方がこんなに沢山。妹がお世話になっているようで、皆様にご迷惑をおかけしておりませんか?」
「あ、いえ……むしろ○○にお世話になっていることが多くて……」
回復を待つこと四日。
大広間にて、深々と頭を下げ合う大姉上と関羽の周りを、猫族が取り囲み物珍しそうに眺める。
俺と大姉上が血の繋がった姉妹だと思えないんだろう。意外そうな眼差しが俺と大姉上を行ったり来たりしている。気付いた蓮々が睨みを利かせているが、見た目が剰りに違いすぎるのだからこればかりは仕方がない。
ほんわかとした物腰の大姉上は、やはり明るい場所に出ても窶(やつ)れた顔をしている。
俺達と出会ったあの日、衣服を着替え、身体を温めている間、大姉上の顔色を関羽が気遣って医者を呼ぼうとしてくれたのだけれど、やんわりと断られてしまった。だからこの四日間、大姉上は医者にかからずに過ごしている。本当にもう身体は大丈夫なのか、心配だ。
「……ああ、そうでした。わたくし、燐西(りんせい)と申します。初めまして」
「あ、わたしは関羽です。初めまして」
「○○のお姉さんだって聞いてたけど、何か思ってたのと違う……」
蘇双が思わず呟いたのに、大姉上は笑みを深めた。
「そうでしょう? でもわたくし、お恥ずかしながら裁縫も料理も妹に負けているんですよ。いいえ。わたくしだけでなく、他の妹達も、お母様だって○○には敵わないと思うわ」
「あ、それ分かる。○○の料理は関羽のより滅茶苦茶美味かった」
「え? いや、そんなことは……」
「……確かに。○○の料理は美味しかったわ……悔しいくらいに」
むっと唇を尖らせ関羽が顔を背ける。
「まあ、まあ。それは良うございましたわぁ。○○の料理は、わたくしも大好きですの。この子の良さが分かる方々に囲まれていて、安心致しました」
「そうだ。なあ、あんた。○○の旦那見たことねえよな?」
張飛の言葉に大姉上が即座に反応した。ゆったりと何度も頷き、期待の目で彼を見返した。
「ええ。そうなんですのぉ。わたくしが最初に嫁いでいったので、妹達の旦那様を拝見したことが無いんです。賈栩様と仰る方だったと記憶しておりますが、こちらにいらっしゃるのでしょうか。でしたら是非ともお会いしたいわぁ。○○のことを、生の末まで幸せにしてあげて下さいって、お願いしたいです」
「賈栩はそこにいるぜ。無愛想だけど、あれで結構○○と上手くやれてるよ」
張飛が示したのは、腕を組み壁際に寄りかかっている賈栩殿。彼は猫族からも距離を取って事の様子を傍観している。蓮々が睨みを利かせている所為だろう。
大姉上は嬉しそうに両手を合わせ、何故か俺の手を引いて賈栩殿の方へ近付いた。
蓮々が青ざめて大姉上を引き留めるが「あら、でも夫婦なのでしょう?」といつもの調子で問われ、彼はうっと言葉を詰まらせる。
蓮々は昔から、いまいち波長が合わないのか、家族一鷹揚でまったりとした大姉上にはとても弱い、ように思う。俺の気の所為かもしれないけど。
だが、蓮々がここで食い下がってくれたらと、俺は思わずにはいられない。
一歩一歩近付くにつれて心臓が早鐘を打ち始める。体温が上昇していく。
止めてくれと思うけれど、それを大姉上には恥ずかしくて言えない。
とうとう賈栩殿の前に立った大姉上は、俺を賈栩殿の隣に並ばせて一歩身を退いた。微笑ましそうに俺達を見比べ、大きく頷いた。
「賈栩様なら、この子が女の子に見えますわね。良かったわぁ」
「お、大姉上」
「いまいち自分に自信が持てない子ですけど、本当に良い子なんですよ。わたくしよりももっと女らしいんです。ですからどうか、末永くよろしくお願い致しますね」
「……」
賈栩殿は、無言だ。
無表情に大姉上を見つめている。
その目に不穏なモノが感じられて、俺は恥ずかしさも失せて不安に顔を覗き込んだ。
「か、賈栩殿……?」
「燐西殿。一つ訊いても?」
「はい」
「あなたは何故、わざわざお一人で江陵まで?」
「それは、○○とあなたを殺せと曹操様がお命じになったからですわ」
……。
……ん?
俺達は聞き逃してしまった。
あまりにさらっと言うものだからすんなりと頭の中に滑り込んで抜けていった言葉に固まった俺は、微かに引っかかった記憶を手繰って、かなり遅れて仰天した。
「お、俺を殺しに!?」
「ええ。あ、でも安心してね。わたくしにその意思は無いから……と言っても説得力は無いかしら。ああそうだわ。ここで裸になって持ち物を全て調べていただけたら納得して――――」
「まま待ってくれ大姉上!」
「そこまでしなくて良いですから!! 本っ当に大丈夫ですから!!」
襟に手をかけた大姉上を、俺が前から手を押さえつけ、関羽が後ろから説得する。
大姉上は本気だ。いつも通りの笑みで本気で言っていた。
俺は賈栩殿を振り返って首をぶんぶん左右に振った。
賈栩殿は困ったような笑みを浮かべて肩をすくめ、大姉上に頭を下げてその場を辞してしまった。謝罪も弁解も無く、だ。
ということは、まだ……大姉上を疑っているんだろうか。
俺は大姉上を見下ろし、問いかけた。
「大姉上。今の話は本当なんですか?」
大姉上は笑顔で頷いた。
「ええ。本当よ。わたくしに従うつもりがないのも本当。賈栩様には信じてもらえなかったみたいだけれど」
「お、俺、賈栩殿に話してきます!」
大姉上は、とても良い人だ。
彼女を疑って欲しくない。賈栩殿には特にそう思う。
賈栩殿は、私室にいるかもしれないと当たりをつけて彼を捜した。
だが彼は私室ではなく、その途中に通過する中庭で、一人柱に寄りかかって思案していた。
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