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 ランドルア家は当主は男であろうと女であろうと、自らの目で伴侶を選ぶ。身分にすら頓着はせず、皇帝からの指図は決して受け付けない。それが一族の慣習だった。
 長年忠誠を誓い国の守り神のようにも思われていた名家なればこそ許されていたことだ。

 が、しかし。
 ルナールはもう滅びた。
 ルナールと敵対してきたファザーンの下で、ファザーン王に逆らうことは許されない。
 それを形として示す為に、次期当主の伴侶をマティアスの判断に委ねたのだった。

 それは、ランドルア家を守る為に必要なこと。

 ルシアだって、それは分かる。
 何か目に見える形で忠誠が揺るがないことをファザーンの臣下にも示していかなければ、○○の未来も暗い。
 ○○とランドルア家の為を思うのなら、これも一つの手だ。
 マティアスの決めた男と、夫婦に――――それが、ランドルア家に示せる忠誠の証の一つ。

 分かっているのだが、どうにも、不快だった。
 焼け付くような感覚には覚えがある。
 初恋破れて分からない程鈍いつもりはない。

 ただ、それはまだ小さなもので、恋と言うにはあまりにささやかな感情だ。

 まだ育まなければそのうち消える感情だった。
 今のうちに諦めてしまえば良い。

 けれども――――。


「ん……」

「あら……○○。さっき眠ったのに……」

「あ、じゃあオレ、部屋に戻りますよ」

「そうですか? おばさんの話に付き合わせてしまって、申し訳ありません。では、また明日。○○をよろしくお願い致します」


 ルシアは曖昧に頷いて、廊下に出た。



‡‡‡




 一睡も出来なかった。
 ルシアは自室で長々と嘆息する。
 しかも、大変な事態にもなった。

 眠れなかったのは、○○の政略結婚が頭から離れなかったからだ。
 ルシアなりに相手を考えて、それがアルフレートだったり、もしくはマティアスの側妾だったり、臣下の息子だったり……可能性は探せば探す程無限に増えていく。

 その中で、自分が○○の隣に立てば――――なんて考えたこともある。
 今まで気付かないフリをしていた、小さな種火。
 前よりも大きく育ったら、取り上げて、大事にしようとしていた慕情。

 それを、ここで捨てることになろうとは。

 ……女々しすぎるだろオレ!
 沈みかけた思考を怒鳴って持ち直すのも、何度も繰り返した。

 ティアナの時よりはましだ。大事に大事に守ってきた想い程、大きくはない。
 だからここでセーブをかければ、彼女の結婚式でのような醜態を晒すまい。
 ○○の、結婚式でも――――などと想像しようとして、一瞬泣きそうになった。

 蓋をしなければ。
 ○○と自分の為に。

 そう、思っていたのだが。


――――何でオレが○○のエスコート役なんだよ!?


 誰か、心の中でのみ叫んだ自分を褒めて欲しい。
 ルシアは同席出来なかったマティアスとランドルア家の話し合いが持たれたその翌日の夜に舞踏会を開くと、マティアスが言った。
 唐突に聞かされたが、実は城内では前々からランドルア家の為にと準備を進めていたらしい。

 ○○はダンスも出来るようだぞ、と揶揄するように言われ、ルシアは咄嗟に断った。
 政略結婚の話だって持ち出して、自分である必要は無いのだと訴えた。

 だが、マティアスはより面白がって却下。すでにライシャにもそのように伝えてあると言った。ちなみに夫に先立たれたライシャは、マティアスが自らエスコートを申し出た。ここでも、良好な関係をアピールする目的があるのだろうし、ライシャに不満を持つ臣下達を牽制して守る為もあるだろう。

 ならば○○だって、ただ同級だからと言ってルシアにエスコートを任せて良い訳がない。

 そう思いつつ、舞踏会にあわせてドレスアップした○○の手を引いて、広間に入ったルシアは、何度も溜息をつこうとしては踏みとどまった。


「ルシア殿? 如何(いかが)なされましたか」

「いや……って、お前は大丈夫か? また吐くなよ」

「問題ありません。前以(まえもっ)て、いただいた薬を飲んで参りました」

「そうかよ」


 ランドルア家は、騎士でありながらに当主の女性らしさも尊重する。
 正装もそうだったが、今のドレスも、○○の女性の味を強調した艶やかなものだ。
 正装でもドレスでも、普段よりも大人びて見える。

 これで惚れない男がいるだろうか。
 いいや、いない。
 その証拠に、○○に視線が集中しているのが分かる。
 本人もさすがに気付いていて、やや居心地が悪そうだ。
 これは……さすがに踊るのは無理か?

 そう思い、ダンスが始まるのを見計らってバルコニーに連れ出した。

 マティアスがにやにやと見てきたが、徹底的に無視した。


「ほら、ここで喋ってれば、舞踏会も終わるだろ」

「お気遣いいただいて申し訳ありません、ルシア殿」

「オレは元々舞踏会には乗り気じゃなかったからな。いきなり言われたし」


 溜息混じりに言うと、○○も苦笑混じりに同意した。


「自分もです。ダンスはしっかりと学んでおりましたが、殿方といざ実践、となると……自信がありませぬ故。こういう場の空気を学ぶべきだと言われてはいるのですが、華やかすぎる場所は、性に合いません」


 学園の廊下でルシア殿のバイオリンを聴いていた方が、私には丁度良い。
 そう言われ、不覚にもどきりとする。

 ○○は確かにこういった煌びやかな場所は不釣り合いだ。
 姿ではない。性格がだ。
 舞踏会でも嘘と虚構は交錯する。
 見栄を張り、嘲弄する心中を隠して愛想を振りまく。
 だが、次期当主たる○○には、まだ早いとは言ってられない。
 この場には積極的に参加しなければならない。

 本当なら、この舞踏会もバルコニーに逃げてはならなかった。

 けれど、男達の視線を向けられ居たたまれない彼女を放ってはおけなかったのだった。
 広間から早く戻らないかとちらちら視線を寄越す貴族もいる。
 それらに背を向けて、二人は空を見上げた。


「どうする? このままいるか?」

「……そうします」

「寒いんなら何か持ってこさせるけど」

「いえ。この程度の寒さなら、大丈夫です」


 ○○は空を仰ぎ、遠い目をした。
 ルシアは彼女の横顔を見、目を細める。


「母に、婿選びは陛下に一任すると言われました」

「……へ、へえ。お前はそれで良いのか?」

「いえ。密かに猶予を与えると、仰って下さいました」


 猶予は学園を卒業するまで。それまでに自分で伴侶を決められなければ、マティアスが婿を選ぶ。
 そう、ライシャにも内密で言われたらしい。

 ……だからあんなににやにやしてやがったのか。
 これは多分○○ではなくルシアに向けたメッセージだ。今度は失恋してくれるなよ、と。
 ルシアは片手で顔を押さえ、溜息をついた。


「ルシア殿?」

「……で、卒業までにって、誰か宛があるのかよ?」

「宛、ですか」


 私は――――。
 言い止(さ)し、ルシアをじっと見つめてくる。
 ルシアも自然と視線を合わせ、暫し二人は沈黙する。

 ○○の瞳が揺れた。
 その奥に、微かな熱が揺らいでいるように見えるのは、ルシアの勝手な解釈だろうか。それが一種の欲望にも見えるのも――――。

 先に視線を逸らしたのは、○○であった。

 背を向け、明るい声でバルコニーの下を見下ろした。


「ファザーンはやはり、雪深いのですね」

「あ? ああ……昨日の夜は吹雪いてたからな。寒くなかったか?」

「はい。暖房設備がしっかりとしておりましたので。母も体調を崩さずに、舞踏会に出ることが出来ました」


 努めて他愛ない話をしようとしているのが分かる。
 ということは――――さっきのあの目に籠もった熱は。

 ……だと、良いんだけどな。
 こいつ、恋愛事には滅茶苦茶疎いだろうし、自覚があるのかも分からない。
 けれども幾らか軽くなった胸を一度だけ撫で、ルシアは○○を呼んだ。


「ランドルア家は次、カトライア行くんだろ? オレもついてってやるよ。ローゼレット城の案内してやる。時間があるなら、カトライアの街もな。ああ、それまでに日があるんならこっちの案内も出来るな」


 元々は、そのつもりでマティアスに手紙を出したのだ。
 少しでも彼女に溜まった毒が抜けるように。


「よろしいのですか?」

「ああ。何なら観光にお袋さん達も一緒に連れて来いよ」


 笑ってみせると、彼女は嬉しそうに相好を崩して謝辞を述べた。



‡‡‡




「人が悪いな」


 バルコニーの様子を眺めていると、アルフレートが呆れた様子で言った。

 彼もルシアと○○を微笑ましそうに見ている。


「何がだ?」


 マティアスは嘯(うそぶ)いた。


「○○殿の婿の件だ。お前は最初からルシアを推すつもりだろう」


 ○○の婿探しについて猶予を与えたことはアルフレートも知っている。マティアスとアルフレートとで、あの二人の様子を観察していたからだ。
 その結果として、マティアスは密やかに猶予を与えた。

 この猶予は、○○とマティアス、アルフレート、そして恐らくはルシアだけが知る秘密だ。

 誰もが○○の婿はマティアスが選ぶことと思い、彼女に手を出すまい。
 その間に二人が進展すればそれで良し。進展が無くともマティアスがルシアに定める。
 どちらに転んでもルシアであることは変わらない。

 人が悪い。アルフレートはもう一度言った。

 マティアスは何処吹く風だ。


「あれだけ甘ったるい雰囲気を醸(かも)しているんだ、くっつかない方がおかしいだろう」


 顎で示したバルコニーでは、丁度二人が見つめ合っている。
 確かに、一見では恋人のようにも思える。

 ルシアは芽生え始めている感情に気付いているだろうが、○○はどうだろう。マティアスには、無自覚でルシアに好意を向けているように思えてならなかった。
 あの見つめ合いも、○○の方は無意識かも知れない。


「これからは退屈しなさそうだぞ。学園内での二人の様子も、エリクに手紙で報告させることにした。ランドルア家の人間に対する無礼は、王を軽んじる行為と見なす、と臣下にも俺から伝えておく。そうすれば、邪魔な者はいなくなるだろう?」

「……楽しんでいるな?」

「面白いじゃないか」

「素直に喜んでやれば良いものを……」


 アルフレートは吐息を漏らし、バルコニーを見た。

 もう、あの甘い雰囲気は失せている。
 だが自然な笑顔で会話をする異母弟とランドルア家次期当主に、笑みがこぼれた。



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