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 あたしは、関羽姉さんと血は繋がっていない。
 あたしは父さん――――張世平に、耳の千切れかけた状態で人間の町の隅にいたのを拾われ、幽州の猫族の隠れ里に連れてこられた。
 だから、猫族の隠れ里にあたしの血の繋がった家族はいない。自分の家族がどんな人達だったのかも、知らない。
 ただ分かるのは、あたしが混血だってこと。それ以外は父さんも知らない。

 姉さんと、父さんだけが、あたしの家族。血は繋がってはいないけれど、本当の家族として接してくれた。

 小さい頃は、それで良かった。
 小さいなりに、二人を代わりにして安堵を得ようとした。

 けれども年を重ねるに連れ、気になってくるもの。
 両親がどんな経緯であたしを生んだのか。どちらが猫族で、どちらが人間だったのか。
 知りたくなった。
 知らない方が良いと、姉さんも父さんもあたしを案じて止めてくれたけれど、あたしはやっぱり知りたくて、知りたくて。

 だから、あたしにとって人間社会に出られたことは、正直嬉しかった。理由が理由だったから表には出せないけれど、こればかりは消せようも無い。

 しかし、猫族は人間に『十三支』『十三支』と蔑まれている。
 そんな人間社会――――しかもこの帝のいる洛陽で円滑に生活を遅れるとは到底思えない。
 あたしの予想は、やっぱり裏切られなかった。
 猫族に対する人間達の風当たりは強い。

 洛陽の外に落ち着くまでも、落ち着いてからも、一体何度、壊死した耳を切り落としたあたしが人間のフリをして仲裁したか……。

 猫族を連れ出した曹操という男は、単純に猫族の優れた身体能力を利用する為に連れてきただけであって、こっちの都合なんてお構い無しだ。

 苦情の一つも言いたいところだが、族長を人質にされているから、彼を危険に晒すようなことだけはするなって父さんに言い聞かされた。
 暫く、やきもきして苛々していた。
 それが、どうも殺気として周囲に漏れていたらしい。


「……ねえ、○○。あなた、人を殺す気?」

「え?」

「ここ最近、凄いわよ、殺気」


 おっと、これは失礼。
 あたしは反射的に謝った。
 が、この苛々はどうにも出来ません。しようとも思いません。あたしは悪くありません。


「じゃ、張飛を狩るつもりで鍛錬に誘ってくる」

「止めなさい。張飛が可哀想よ。昔からあなたとの鍛錬で男の子は皆怖がっていたじゃない」

「いやいや姉さん、もう良い年でしょ。過去の恐怖くらい克服出来ないと!」

「克服出来ない傷を作ってしまったんだって自覚なさい」


 ぽん、と頭を撫でられる。
 あたしは肩をすくめておどけた。

 その時だ。


「……翠憐(すいれん)?」


 誰かが、誰かを呼んだ。
 その人名に覚えは無い。
 だけどもどうしてか、あたしに呼ばれたような――――。

 あたしは足を止めて、ゆっくりと振り返った。

 そこには、小柄なお爺さんが。
 白髪は薄く、でも髭は胸元まで豊か。
 腰の曲がってしまった身体は今にも壊れてしまいそうだ。
 ……でも、か弱そうな老体を裏切って、その目は隙が無い。かつては間違い無く歴戦の武人だと、あたしも姉さんも分かった。

 姉として、姉さんがあたしの前に立った。


「あの……お爺さん? 翠憐って……誰のことなんですか?」


 お爺さんは怪訝そうな顔をしてあたしを見、はっとした。
 目を伏せ、落ち込んだ声で「そうか……」と。


「すまぬな。息子の嫁に後ろ姿が瓜二つであったが故……間違えてしもうた」

「息子の嫁……?」

「そちらのお嬢さんと同じ、猫族の娘であったのだから……違うに決まっているか」

「えっ、猫族!?」


 あたしはぎょっとした。
 同時に、まさか、と思った。
 いやそんな好都合な展開……世の中上手く出来ていない。

 けれど、あたしは問わずにはおれなかった。


「あ、あの……その翠憐さんが、あたしに似ていると?」

「ああ、先程も言うたが、似ているどころではない。瓜二つだ」


 あたしは姉さんと顔を見合わせた。

 姉さんが、お爺さんに詰め寄る。


「あ、あの……この子、○○って言うんですけど、人間と猫族の混血で、今本当の両親のことを捜しているんです。手掛かりになるかもしれないから、その話、聞かせてもらっても良いですか?」

「混血……」


 お爺さんは、目を剥いた。
 あたしを見て、唇を戦慄(わなな)かせて、ゆっくりと頷いてくれた。



‡‡‡




 これは驚いた。
 長くなるから家で話そうと、お爺さんのお宅にお邪魔したあたし達は、その敷地内にあった道場から出てきた人物に驚いた。
 それは勿論相手もだ。


「貴様ら……! 何故十三支がここにいる!?」

「夏侯惇に……夏侯淵まで!? あなた達、どうしてここに?」

「先に訊いているのはこっちだぞ! 壮老師に何をした!?」


 俄に殺気立つ夏侯惇殿と夏侯淵殿。
 あたしはお爺さんの迷惑になるからと二人を宥めて事情を説明する姉さんを見つめ、こっそりと、短剣に手をやった。

 されど、その手をお爺さんに押さえられる。


「おや、お前達、関羽さんや○○さんと知り合いだったのか。なれば、早く言えばもっと早くに会えただろうに……」

「そ、壮老師! 汚らわしい十三支の名前を口にするものでは――――」

「やかましいわ!!」


 突然の一喝にあたしも姉さんもぎょっとする。
 ついさっきまでは穏やかな声音だったのが嘘のような、骨まで震わす威圧感たっぷりの怒声だった。
 何事だ、と目を白黒させていると、道場にいた人間達がぞろぞろと出てくる。

 彼らはあたしを目にすると、仰天し、嬉しそうに駆け寄ってきた。


「翠憐師範代! お戻りになられたんですね!」

「十年以上も何処に行ってらっしゃったんですか。俺達すっかりおっさんになってしまいましたよ」

「十数年かかっても若々しいままで、羨ましいですよ」

「え? え?」

「相当、そっくりみたいね、○○」


 姉さんがもしかしたら、当たりかもしれないわよなんて、笑顔で言う。
 でも、こんな簡単に見つかるなんてあるんだろうか?
 不安になって、姉さんの服を摘んで引っ張る。


「大丈夫よ。夏侯惇達以外は、わたし達を嫌な目で見ている人はいないわ」

「そうだよ。ここは、一時期猫族の娘を師範代にして、情けない人間の男共を鍛えとったからなあ。やはり、こやつらもお嬢さんをあの嫁と間違えたか……」


 口調が戻って安堵したのは、あたしだけじゃなくて、姉さんもだろう。

 けれどもお爺さんは視線で夏侯惇殿達を黙らせ、以降の発言を決して許さない。

 これ幸いにと、姉さんがいきなりあたしの懐に手を入れてお爺さんに話しかけた。


「……あの、話を聞く前にお爺さんに見てもらいたい物があるんです」


 姉さんが懐から取り出したのは、お守りだ。
 桃の木の、太い枝を削って作った桃の花のお守り。
 あたしが父さんに拾われた時、両手に大事に持ってなかなか放さなかった物だ。
 両親の物か定かではないから、手掛かりと判断してはいなかった。

 それをお爺さんに渡し、姉さんは反応を窺う。


「……これは、」

「どう、ですか?」


 お爺さんはあたしとお守りを交互に見て、笑った。


「これは儂が、翠憐に贈った物だよ。これを作ったのは儂だ」

「……」


 あたしは、顎を落とした。
 それは、つまり。

 いや、嘘でしょう?
 だって、こんなにあっさり見つかるなんて。
 ただの偶然だ。
 期待するなと、膨らむ胸を押し込めようとする。


「そうか。……お嬢さんが、息子達の娘であったか」

「――――じゃあ、あなた、が、」


 あたしのお祖父さん……?
 確かめるように言うと、「そうなるだろうなあ」とゆっくりと首肯した。首肯してくれた。

 あたしは、その場に座り込んだ。
 姉さんが側にしゃがみ込んであたしの頭を撫でてくれた。


「良かったわね、○○」


 お祖父さんはあたしの前に座り込むと、あたしの両手を取った。


「よく、生きていてくれた」

「あ……あぁ……」


 あたしは、らしくなく泣いた。
 姉さんに抱きついてあやされながら、らしくなく泣いた。
 嗚呼、見つかったのだ。
 しかもこんなにも早く。こんなにも良い形で。

 お祖父さんはその日、あたし達にあたしの両親のことを教えてくれた。
 お父さんはお祖父さんの跡を継いで道場の師範になる為、修行の旅に出て、その中でお母さんと会ったらしい。
 けれども最初は十三支だって問答無用で排除しようとして、呆気なくお母さんに撃退されたそう。
 でもお母さんは徹頭徹尾お父さんの攻撃をいなすだけで、反撃はしない。その上で体力の底をつかせることで撃退されてしまった。
 殺さないのかとお父さんが問いかけると、お母さんはこう言って、お父さんを落としたんだって。


『僕は人を殺す為に武術を磨いてる訳じゃない。確かに、あなたは僕を殺そうとしている。今も、殺気がある。けれどもだからと言ってあなたをここで殺せば、それは自分に立てた誓いも殺すことになる。あなたが僕をどう思っていようと、何度殺そうとしても、僕は守る為の武を守るよ』


 お母さんの一人称は『僕』だったとか、それの何処に異性として惚れる要素があったのか、あたしには分からないんだけど、それからお父さんは、お母さんにゾッコンでしつこくついて行ったらしい。そうして、お母さんを口説き落とした、と。
 一度お祖父さんのもとに戻って、あたしを出産した後暫く過ごしていたけれど、あたしが二歳になった時に家族で旅に出て――――音信不通になって今に至るのだった。

 ようやっと知った両親の姿は、今まで膨らませてきた想像のどれとも違う、でも確かに仲の良かった円満な姿だった。

 それからは、あたしは唯一の肉親の道場に通い詰めた。
 勿論、姉さんも一緒だ。お祖父さんの招きで父さんと三人で訪れることもあった。
 肉親と、義理の家族と、あたしの大切な家族が仲良くしてくれる光景を見ていると、とても嬉しかった。

 お祖父さんの道場には、夏侯惇殿達も連日通っているようで、あたし達をいつも睨んではお祖父さんや他のお弟子さん達に咎められるばかりだ。
 そのくせ、あたしと姉さんが手合わせしていると、興味深そうに眺めてくるのだから変な奴らだ。
 お祖父さんが言うには、猫族の、わけてもあたしの動きは決まった型に従う武人のそれらとはまるで違うから、興味を持っているのだろうとのこと。
 姉さんや猫族の武術は確かに人間達に流通するそれは柔軟さがまるで違う。

 特にあたしは、踏襲(とうしゅう)しつつ、好き勝手に型を作っては全て加えているので、猫族の型とまるで違っているように見えるのは無理も無い。けれどもよく見ていれば、基盤が猫族伝統の武術であることはすぐに分かる。実際、お祖父さんもすぐに見抜いた。