▼ひー様


 あたしは、関羽姉さんと血は繋がっていない。
 あたしは父さん――――張世平に、耳の千切れかけた状態で人間の町の隅にいたのを拾われ、幽州の猫族の隠れ里に連れてこられた。
 だから、猫族の隠れ里にあたしの血の繋がった家族はいない。自分の家族がどんな人達だったのかも、知らない。
 ただ分かるのは、あたしが混血だってこと。それ以外は父さんも知らない。

 姉さんと、父さんだけが、あたしの家族。血は繋がってはいないけれど、本当の家族として接してくれた。

 小さい頃は、それで良かった。
 小さいなりに、二人を代わりにして安堵を得ようとした。

 けれども年を重ねるに連れ、気になってくるもの。
 両親がどんな経緯であたしを生んだのか。どちらが猫族で、どちらが人間だったのか。
 知りたくなった。
 知らない方が良いと、姉さんも父さんもあたしを案じて止めてくれたけれど、あたしはやっぱり知りたくて、知りたくて。

 だから、あたしにとって人間社会に出られたことは、正直嬉しかった。理由が理由だったから表には出せないけれど、こればかりは消せようも無い。

 しかし、猫族は人間に『十三支』『十三支』と蔑まれている。
 そんな人間社会――――しかもこの帝のいる洛陽で円滑に生活を遅れるとは到底思えない。
 あたしの予想は、やっぱり裏切られなかった。
 猫族に対する人間達の風当たりは強い。

 洛陽の外に落ち着くまでも、落ち着いてからも、一体何度、壊死した耳を切り落としたあたしが人間のフリをして仲裁したか……。

 猫族を連れ出した曹操という男は、単純に猫族の優れた身体能力を利用する為に連れてきただけであって、こっちの都合なんてお構い無しだ。

 苦情の一つも言いたいところだが、族長を人質にされているから、彼を危険に晒すようなことだけはするなって父さんに言い聞かされた。
 暫く、やきもきして苛々していた。
 それが、どうも殺気として周囲に漏れていたらしい。


「……ねえ、○○。あなた、人を殺す気?」

「え?」

「ここ最近、凄いわよ、殺気」


 おっと、これは失礼。
 あたしは反射的に謝った。
 が、この苛々はどうにも出来ません。しようとも思いません。あたしは悪くありません。


「じゃ、張飛を狩るつもりで鍛錬に誘ってくる」

「止めなさい。張飛が可哀想よ。昔からあなたとの鍛錬で男の子は皆怖がっていたじゃない」

「いやいや姉さん、もう良い年でしょ。過去の恐怖くらい克服出来ないと!」

「克服出来ない傷を作ってしまったんだって自覚なさい」


 ぽん、と頭を撫でられる。
 あたしは肩をすくめておどけた。

 その時だ。


「……翠憐(すいれん)?」


 誰かが、誰かを呼んだ。
 その人名に覚えは無い。
 だけどもどうしてか、あたしに呼ばれたような――――。

 あたしは足を止めて、ゆっくりと振り返った。

 そこには、小柄なお爺さんが。
 白髪は薄く、でも髭は胸元まで豊か。
 腰の曲がってしまった身体は今にも壊れてしまいそうだ。
 ……でも、か弱そうな老体を裏切って、その目は隙が無い。かつては間違い無く歴戦の武人だと、あたしも姉さんも分かった。

 姉として、姉さんがあたしの前に立った。


「あの……お爺さん? 翠憐って……誰のことなんですか?」


 お爺さんは怪訝そうな顔をしてあたしを見、はっとした。
 目を伏せ、落ち込んだ声で「そうか……」と。


「すまぬな。息子の嫁に後ろ姿が瓜二つであったが故……間違えてしもうた」

「息子の嫁……?」

「そちらのお嬢さんと同じ、猫族の娘であったのだから……違うに決まっているか」

「えっ、猫族!?」


 あたしはぎょっとした。
 同時に、まさか、と思った。
 いやそんな好都合な展開……世の中上手く出来ていない。

 けれど、あたしは問わずにはおれなかった。


「あ、あの……その翠憐さんが、あたしに似ていると?」

「ああ、先程も言うたが、似ているどころではない。瓜二つだ」


 あたしは姉さんと顔を見合わせた。

 姉さんが、お爺さんに詰め寄る。


「あ、あの……この子、○○って言うんですけど、人間と猫族の混血で、今本当の両親のことを捜しているんです。手掛かりになるかもしれないから、その話、聞かせてもらっても良いですか?」

「混血……」


 お爺さんは、目を剥いた。
 あたしを見て、唇を戦慄(わなな)かせて、ゆっくりと頷いてくれた。



‡‡‡




 これは驚いた。
 長くなるから家で話そうと、お爺さんのお宅にお邪魔したあたし達は、その敷地内にあった道場から出てきた人物に驚いた。
 それは勿論相手もだ。


「貴様ら……! 何故十三支がここにいる!?」

「夏侯惇に……夏侯淵まで!? あなた達、どうしてここに?」

「先に訊いているのはこっちだぞ! 壮老師に何をした!?」


 俄に殺気立つ夏侯惇殿と夏侯淵殿。
 あたしはお爺さんの迷惑になるからと二人を宥めて事情を説明する姉さんを見つめ、こっそりと、短剣に手をやった。

 されど、その手をお爺さんに押さえられる。


「おや、お前達、関羽さんや○○さんと知り合いだったのか。なれば、早く言えばもっと早くに会えただろうに……」

「そ、壮老師! 汚らわしい十三支の名前を口にするものでは――――」

「やかましいわ!!」


 突然の一喝にあたしも姉さんもぎょっとする。
 ついさっきまでは穏やかな声音だったのが嘘のような、骨まで震わす威圧感たっぷりの怒声だった。
 何事だ、と目を白黒させていると、道場にいた人間達がぞろぞろと出てくる。

 彼らはあたしを目にすると、仰天し、嬉しそうに駆け寄ってきた。


「翠憐師範代! お戻りになられたんですね!」

「十年以上も何処に行ってらっしゃったんですか。俺達すっかりおっさんになってしまいましたよ」

「十数年かかっても若々しいままで、羨ましいですよ」

「え? え?」

「相当、そっくりみたいね、○○」


 姉さんがもしかしたら、当たりかもしれないわよなんて、笑顔で言う。
 でも、こんな簡単に見つかるなんてあるんだろうか?
 不安になって、姉さんの服を摘んで引っ張る。


「大丈夫よ。夏侯惇達以外は、わたし達を嫌な目で見ている人はいないわ」

「そうだよ。ここは、一時期猫族の娘を師範代にして、情けない人間の男共を鍛えとったからなあ。やはり、こやつらもお嬢さんをあの嫁と間違えたか……」


 口調が戻って安堵したのは、あたしだけじゃなくて、姉さんもだろう。

 けれどもお爺さんは視線で夏侯惇殿達を黙らせ、以降の発言を決して許さない。

 これ幸いにと、姉さんがいきなりあたしの懐に手を入れてお爺さんに話しかけた。


「……あの、話を聞く前にお爺さんに見てもらいたい物があるんです」


 姉さんが懐から取り出したのは、お守りだ。
 桃の木の、太い枝を削って作った桃の花のお守り。
 あたしが父さんに拾われた時、両手に大事に持ってなかなか放さなかった物だ。
 両親の物か定かではないから、手掛かりと判断してはいなかった。

 それをお爺さんに渡し、姉さんは反応を窺う。


「……これは、」

「どう、ですか?」


 お爺さんはあたしとお守りを交互に見て、笑った。


「これは儂が、翠憐に贈った物だよ。これを作ったのは儂だ」

「……」


 あたしは、顎を落とした。
 それは、つまり。

 いや、嘘でしょう?
 だって、こんなにあっさり見つかるなんて。
 ただの偶然だ。
 期待するなと、膨らむ胸を押し込めようとする。


「そうか。……お嬢さんが、息子達の娘であったか」

「――――じゃあ、あなた、が、」


 あたしのお祖父さん……?
 確かめるように言うと、「そうなるだろうなあ」とゆっくりと首肯した。首肯してくれた。

 あたしは、その場に座り込んだ。
 姉さんが側にしゃがみ込んであたしの頭を撫でてくれた。


「良かったわね、○○」


 お祖父さんはあたしの前に座り込むと、あたしの両手を取った。


「よく、生きていてくれた」

「あ……あぁ……」


 あたしは、らしくなく泣いた。
 姉さんに抱きついてあやされながら、らしくなく泣いた。
 嗚呼、見つかったのだ。
 しかもこんなにも早く。こんなにも良い形で。

 お祖父さんはその日、あたし達にあたしの両親のことを教えてくれた。
 お父さんはお祖父さんの跡を継いで道場の師範になる為、修行の旅に出て、その中でお母さんと会ったらしい。
 けれども最初は十三支だって問答無用で排除しようとして、呆気なくお母さんに撃退されたそう。
 でもお母さんは徹頭徹尾お父さんの攻撃をいなすだけで、反撃はしない。その上で体力の底をつかせることで撃退されてしまった。
 殺さないのかとお父さんが問いかけると、お母さんはこう言って、お父さんを落としたんだって。


『僕は人を殺す為に武術を磨いてる訳じゃない。確かに、あなたは僕を殺そうとしている。今も、殺気がある。けれどもだからと言ってあなたをここで殺せば、それは自分に立てた誓いも殺すことになる。あなたが僕をどう思っていようと、何度殺そうとしても、僕は守る為の武を守るよ』


 お母さんの一人称は『僕』だったとか、それの何処に異性として惚れる要素があったのか、あたしには分からないんだけど、それからお父さんは、お母さんにゾッコンでしつこくついて行ったらしい。そうして、お母さんを口説き落とした、と。
 一度お祖父さんのもとに戻って、あたしを出産した後暫く過ごしていたけれど、あたしが二歳になった時に家族で旅に出て――――音信不通になって今に至るのだった。

 ようやっと知った両親の姿は、今まで膨らませてきた想像のどれとも違う、でも確かに仲の良かった円満な姿だった。

 それからは、あたしは唯一の肉親の道場に通い詰めた。
 勿論、姉さんも一緒だ。お祖父さんの招きで父さんと三人で訪れることもあった。
 肉親と、義理の家族と、あたしの大切な家族が仲良くしてくれる光景を見ていると、とても嬉しかった。

 お祖父さんの道場には、夏侯惇殿達も連日通っているようで、あたし達をいつも睨んではお祖父さんや他のお弟子さん達に咎められるばかりだ。
 そのくせ、あたしと姉さんが手合わせしていると、興味深そうに眺めてくるのだから変な奴らだ。
 お祖父さんが言うには、猫族の、わけてもあたしの動きは決まった型に従う武人のそれらとはまるで違うから、興味を持っているのだろうとのこと。
 姉さんや猫族の武術は確かに人間達に流通するそれは柔軟さがまるで違う。

 特にあたしは、踏襲(とうしゅう)しつつ、好き勝手に型を作っては全て加えているので、猫族の型とまるで違っているように見えるのは無理も無い。けれどもよく見ていれば、基盤が猫族伝統の武術であることはすぐに分かる。実際、お祖父さんもすぐに見抜いた。

 未知なる武術に対し、興味が振り切ったらしい夏侯惇殿は、ある日突然あたしに直々に手合わせを申し込んできた。
 道場の中、断る理由も無く、あたしは了承した。

 そして――――まあ、容赦なく伸してしまった。夏侯淵殿に罵声を浴びせられ、そんな彼に、道場の空気を壊すなとお祖父さんの怒号が響いた。

 それだけなら良いんだけど、この翌日から厄介な展開が始まった。
 毎日毎日、夏侯惇殿が手合わせを申し込んできてそれはもうしつこい。
 姉さんが待ったをかけて宥めてくれても、どうやらあたしに勝つことに執念を燃やしいているらしい。全く要らぬ執念だ。

 それが、どうしてああいう感情に発展したのか、あたしには今でも解せない――――。



‡‡‡




――――嗚呼、この部屋は寒い。
 新品の綺麗な調度品、煌びやかな装飾品、高価な化粧品、美しい仕立ての服……。
 極上の物ばかりを集めたこの部屋は、とても騒がしい。

 騒がしくて、寒くて寒くて不快でたまらない。

 目を開けて覚醒してすぐに身震いした。
 寒い……本当に、毎日が寒い。

 どうしてここにいるのだったか――――楽しかった頃の夢を見た後、決まって思う現実逃避の為の疑問。

 分からなければ分からないままでいれば良いのに。あたしの無駄に記憶力の良い頭は、すぐに答えを差し出してくる。
 曹操が、自分をここに閉じ込めたのだと。

 あたしだけじゃない。姉さんも別の似たような部屋に監禁されている。

 どうしてこんな真似をするのか。
 あたし達が混血だからだ。
 曹操も混血だったらしいが、その混血という存在に、彼は異常に固執した。

 あたしと、姉さんと、曹操は二人を一遍に手に入れようとした。側に置こうとした。
 どちらが正妻なのか、妾なのか……判然としないし、それ以上にこちらの意志などお構い無しだ。
 姉さんは張飛と良い仲だし、あたしだって――――好きな人がいる。

 なのに、曹操は猫族から無理矢理連れ出して、こんな地獄のように冷たい部屋に押し込んだ。
 あたし達を助けようとした人達は全て返り討ちに遭い、それからどうなったか分からない。

 幸いなのは、あたしが舌を噛みきろうとしたばかりか姉さんまで毒の花を食らって数日昏睡状態になった為に、あたし達の部屋を訪れることは全く無いこと。

 だが、それでも地獄なのは変わらない。
 助かる宛は無い。
 せめて想い合った姉さんだけは、助かって欲しいのに、守る為にと決めた武も何の役には立たない。

 毎日毎日嘆く。
 毎夜毎夜啜り泣く。
 毎朝毎朝絶望する。

 今朝も――――今日も、そんな日になるんだと、重い身体を起こした。


「……?」


 けれど、今朝はどうも騒がしいような……。
 立ち上がって窓の外を覗こうとした、その刹那である。

 ずっと役目を果たさなかった扉が乱暴に開かれた。

 見やって、顎を落とす。


 そこにいたのは、曹操ではない。
 いる筈のない――――ここに来れる筈のない人だった!


 あたしは衝撃に耐えかねてふらりとよろめいた。寝台の柱に寄りかかって、大股に近付いてくる彼を凝視した。
 彼の隻眼が、あたしをじっと捉えて放さない。
 逞(たくま)しい腕が伸ばされ、あたしの肩を掴み強く引き寄せられた。

 背中に伸ばされた手が一瞬痙攣(けいれん)し、力を込める。

 嬉しいと言うよりも、困惑と恐怖が勝った。
 これも夢、なのだろうか……。
 期待して良いのか、分からない。


「か……夏侯惇、殿……?」


 恐る恐る、確かめるように名前を呼ぶ。
 夏侯惇殿はあたしの背中を叩いた。


「……痩せたな。見違える程に弱々しくなった」

「……ごめん。これは……夢?」

「夢の訳があるか。関羽と同じようなことを言うな」


 姉さんも言ったんだ。
 夏侯惇殿はあたしを放すと頬を撫でた。

 彼の片方の目は、捕まったあたしを連れ出そうとした時に曹操(あるじ)に斬り付けられた。すぐに趙雲達の援護を受けて逃げ出せたけれど……やっぱり、見えなくなってしまったのか。
 手を伸ばして眼帯に触れると、また抱き寄せられた。


「関羽はもう逃げ出している。出るぞ」

「え……?」

「曹操様は今、遠征のさなかにある。逃げるなら今だ」


 手を引いて出ようとした彼に、脳裏で片目を斬られた場面が過ぎる。
 咄嗟に足を踏ん張った。

 夏侯惇殿が驚いたようにあたしを振り返る。


「……○○?」

「あ、いや……今は、姉さんだけを助けてあげてよ。二兎を追う者は一兎をも得ずって言うでしょう?」


 いつの間にか想いを寄せていた夏侯惇殿が助けに来てくれている。
 それは、とっても嬉しいことだ。
 もし、あたしも連れて行こうとして、問題が起こったら?
 今度こそ、夏侯惇殿は――――。

 ぞくり、と背筋が冷える。

 夏侯惇殿はそれを察したようだ。眼帯を押さえ、あたしを呼んだ。


「次は、あのような不覚は取らない。だから、来い」

「でも……!」


 夏侯惇殿は舌を打った。焦りがあるのは、一刻を争う事態だからだろう。外の喧噪が一段と騒がしくなっている。
 けれど、声は穏やかだ。あたしを諭すように優しく語りかけてくる。


「○○。関羽だけを助けて逃げたとしても、もう二度とお前を助けることは出来ない。この事態を知れば、すぐにでもお前を娶るだろう」

「そ、そんなの分からないじゃないか……」

「いや、あの方の乱心は、周辺の諸将にも伝わっている。これ幸いにと攻め込む者も現れるだろう。そんな情勢で俺達が再び忍び込める可能性は限り無く低い。今回の遠征とて、同胞に過剰に入れ込む曹操様が呉を相手に以前のように怜悧で賢明な判断が下せるかどうかも危うい。もはや、河北を制定なさったあの方のお姿は、何処にも見当たらない。負けて帰った時、お前に縋るかもしれない」


 今や彼は、無惨に崩壊した妄執の徒だ。

 あたし達が混血だと知られなければ、曹操はああはならなかった。
 夏侯惇殿や夏侯淵殿だって……主に敵視され国を追われる事態にもならなかった。
 未だに曹操を敬う夏侯惇殿の言葉に、罪悪感が内部からあたしの心を突き刺した。


「……ご、ごめんなさい……あたし達が、」

「違う。曹操様とお前を天秤にかけてお前を選んだのは俺自身だ。夏侯淵も同様に、自分で曹操様との決別を決めた」


 長らく仕えた主の乱心。
 あたしと姉さんが彼の視界をちらつく限り、彼は執念を捨てはしないだろう。
 いや、姿を消したとしても執念深く大陸中を捜して回るかもしれない。草の根分けても、同胞を見つけ出そうとするかもしれない。
 だから、二人は曹操のもとを離れようと決めた。

 それは捧げた忠誠を裏切る不義の行為だ。
 あたし達が、そんな事態を招いたのだ。


「……それこそ、違うよ。これはあたし達の所為なんだ……あたしが混血だって不用心に言わなければこんな事態にはならなかった」


 そうだ。あたしが悪い。
 だからあたしは責任を取らなければならない。
 巻き込んだ姉さんや猫族や、夏侯惇殿達に。
 断じるあたしに、夏侯惇殿はまた違うと、強く言い切った。

 だけど――――と、また反論しようとして、口を塞がれた。

 彼の手ではない。
 彼の唇に、だ。

 抱き竦められあたしは逃げることを許されず発言を禁じられた。
 それは長く、熱かった。

 どうしてこんな真似をする? 分からない。

 あたしは夏侯惇殿が好きだ。

 いつの間にか、ずっとずっと好きだった。
 だけど夏侯惇殿は違う筈。
 彼はあたしの気持ちを知らないし、あたしのことなど自分を負かし続ける混血の娘という認識でしかなかった。

 ただ、あたしを黙らせる為に、こんな惨いことを……?

 いや、女性が苦手な彼がそんな性格ではないことはもう分かっている。
 じゃあ、どうして?

 何が何だか分からなくてただただ頭が混乱した。

 ようやっと離れたかと思えば、隻眼があたしを強く――――欲を瞳の奥に揺らめかせて見据える。脳が、見えない何かに鷲掴みにされたようだった。逃げられない。身体が動かない。


「……良いか。一度しか言わない」

「え?」

「俺が最も耐えられなかったのは、惚れた女が別の男のものにされることだ」

「――――」


――――え?
 あたしは、目を剥いた。
 それは、どういう意味だろう。

 姉さんのこと?
 それとも……。

 駄目だ、勘違いしてしまいそう。
 もっと別の意味があるかもしれないじゃないか。

 呆けるあたしに夏侯惇殿は舌打ちし、身を屈めてあたしを抱え上げた。
 突然の浮遊感に咄嗟に夏侯惇殿の首にしがみつく。


「か、夏侯惇殿……!」

「時間が無い。急ぐぞ」

「そんな……!」


 今の言葉の意味も、よく分かっていないのに!
 待ったをかけるあたしに、夏侯惇殿はまた唇で口を塞いでくる。あたしの抗議など聞かないと意志表示するように、あたしが口を開けば即座に塞いだ。


「意味が知りたいのなら、逃げた後で教えてやる」


 そう言って、彼は廊下を駆け抜けた。

 嗚呼、そんなことを言われたら。

 助かりたいと思ってしまう。

 この人に助けてもらえて嬉しいと、泣いてしまう。

 ……いや。
 あたし、もう……泣いている――――……。



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