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 赤ん坊の泣き声よりももっともっと醜い声で泣いた。
 また城門で年甲斐もなくわんわん泣いて、やっぱり我が子もわんわん泣いて、父親と再会を果たした甥達もわんわん泣いて――――兄も義姉も、新野に到着したばかりの猫族も、相当困り果てていた。

 ただ、彼は……彼だけは、○○と我が子を抱き締めて、背中を撫でていてくれた。無理に宥めようとはせずに思う存分泣かせてくれた。


「取り敢えず、お前達……大人数の前だからな?」

「良いじゃないか。お前も、同じくらい喜んでいるのだから」

「お前達程じゃない」


 乾誕は○○の頭を撫で、妻と笑みを交わす。末子を抱き上げた。


「ひとまず、趙雲。お前はそのまま○○達を連れて猫族と行け。俺達も、後からそっちに行く。挨拶やら荷物やら何やらあるからな」

「良いのか。一日くらいは、身体を休めた方が……」

「多分、あれこれするうちに一日は経ってる。夜眠れればそれで十分さ」


 肩をすくめ、彼は家族と共に城門の奥へ。
 ○○も手伝おうとして、趙雲に腕を掴まれた。


「折角の家族の時間だ」


 ……なるほど、そういうことか。
 乾誕は気を利かせてお互いの家族の時間を作ってくれたのだ。
 涙も止まった○○は趙雲に目尻をそっと拭われ、はっと我が子を趙雲に差し出した。


「あなたの子供です。名は趙統と、お父様が名付けて下さいました」

「ああ」


 趙雲は微笑み、趙統をそっと受け取った。
 すると、興味本位からか数人の若い猫族が脇から覗き込んでくる。「小さ……」そんな感想が聞こえた。

 趙雲が軽く揺すると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった赤子の顔は、ふにゃりと笑みを浮かべる。高い笑声が上がった。
 趙雲の笑みが一層深まっていく。
 彼は一旦○○の腕に趙統を戻すと、またそっと抱き締めた。


「……ありがとう。○○」

「はい」


 生きていて、良かった。
 ○○は心から、そう思った。



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 猫族は博望坡に居を構えた。
 猫族からの厚意で、○○と趙雲は広めの家屋を与えられ、懐かしい、夫婦としての暮らしを取り戻す。
 兄夫婦も、その隣に、わざわざ新しい家を建ててくれた。今では甥達は猫族の子供達と一緒に遊んで怪我を作ってくる毎日だ。

 ○○は、外の子供達の歓声を聞きながら、趙雲が我が子を抱いてあやしている姿を見て、改めて生きていると実感出来た。
 私は生きている。趙統と生き延びて、ここにいる。
 そして愛した人が、目の前にいる。目の前でようやっと我が子を抱いている。
 趙統も、父親を本能的に分かっているのだろう。逞(たくま)しい腕の中ですやすやと眠っている。

 きっとこの先、これ程の幸せは無いだろう。
 幸せを噛み締めていると、また泣いてしまいそうだった。

 涙腺が熱くなりかけて、慌てて目頭を揉む。

 妻の様子に気が付いた趙雲が、趙統を揺り籠に寝かせて○○を呼ぶ。
 近付くと、腰に腕を回され立ったまま、座った趙雲に抱き寄せられた。自然趙雲の額が鳩尾に当たる。


「あなた……?」

「……幽州に戻れなくなってから、ずっと、妊娠したばかりだったお前のことが気がかりだった」


 勿論、乾誕や両親のことは気にならなかったワケではない。趙雲はそう付け加えた。
 それは、○○も考えるまでもなく分かることだった。

 両親も兄も、○○より公孫越との駆け引きには長けている。だから、彼らよりも○○が心配されるのは当たり前のことだった。
 だからこそ、趙雲にとっては、両親が公孫越に斬首されたことは、衝撃的だっただろう。


「だからこそ、義理の父母の無事を願わなかったことが悔やまれる」

「いえ……両親も、命を捨てるつもりで、趙統を守って下さったのだと思います。ですから、私は両親の死を無駄にしないように、生き延びて、こうしてあなたに再び出逢えることが出来て……本当にようございました」

「ああ……本当に、良かった」


 良かった――――心底からの呟きが、繰り返される。
 嗚呼、幸せだと、○○はまた思う。
 きっとこれはこれからも何度も何度も思うのだろう。噛み締めるのだろう。
 良かった……本当に。

 また、目頭が熱くなった。
 すると、趙雲は立ち上がって○○を抱き締める。優しく、頭を撫でてくれた。

 その感触は、ずっとずっと欲しかったものだ。
 だから、とても嬉しい。


「趙雲様、どうかこれからはずっと、お傍に置いて下さいまし」


 もう二度と、離れたくはないのです。
 昔の自分なら、決して言えなかった素直な願いだ。
 さらりとこぼれてしまうのは、昔と変わっているというのもあるし、それだけ淋しく心細かったのだ。
 だから、もう二度とあんな気持ちを味わいたくないし、趙統にも、味わわせたくない。

 趙統は男の子だ。だから母親だけではなく、父親の力が必要になる場面が必ず来る。その時に趙雲がいなければ……○○に父親の代わりが出来るとは思えない。

 そんな、母親としての不安も、趙雲には伝わったのだろう。
 趙雲の腕に力が更にこもる。


「二度と、放さない」


 自分が望んだ大切な家族を二度も放せる筈がない。
 その力強い答えに、自分が思う以上に、深い安堵を得た。

 大丈夫。
 もう、大丈夫。
 今の私なら、大丈夫。
 ○○の奥深く、穏やかに、優しく語りかけてくるモノがある。
 それは○○の知らない○○を把握している存在だ――――そう思うのは、さすがに都合が良いだろうか。

 でもそんな風に思えばこそ、○○は信じることが出来た。無駄な疑いを持つことはしなかった。
 家族の、幸せな未来を。

 だから、噛み締める。
 夫の温もりを、幸せの一つの証であると。

 小さな、笑い声が聞こえる。
 それは揺り籠の中の、趙統のもの。
 覗き込んだ彼もまた、とても嬉しそうに、幸せそうに笑っている――――……。



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