▼2



‡‡‡




 まことに不如意な展開である。
 蔡剛は○○の為にと買い集めた菓子を腕に抱え、憮然と胡座を掻いていた。
 見るも明らかに頗(すこぶ)る機嫌の悪い彼に、関定も趙雲も、後から合流した蘇双も苦笑混じりだ。されどもこれも○○と賈栩を夫婦らしくくっつけたいと一念発起した関羽と張飛への協力の一環、蓮々を解放してやる気は更々無い。

 可憐な少女の姿で舌を打ち殺気立つ蔡剛からは、重苦しい不協和音が聞こえる。
 賈栩や諸葛亮の話では、誰よりも年輩だと言うが……何処からどう見ても、彼は関羽とほぼ同じ年齢にしか思えない。


「……それで、さ」

「あ゛ぁ?」

「その顔でガン付けんなよ! 怖い!」

「だったらさっさと俺を○○様の所へ行かせろ。これであの無男に襲われてたらお前らぶっ殺す。楽に死ねると思うなよ」

「そんなに大事なのか、○○殿が」

「訊くまでもないことをいちいち訊くな」


 刺々しく返す蔡剛に、趙雲はしかし感心した風情で頷いた。


「今までずっと、想い人の傍に居続けて、侍女の立場を守り続けていられたとは、凄いな。踏み込みたいとは思わなかったのか」

「関係には拘(こだわ)ってねえよ。一生○○様の傍で尽くせるのなら何だって構いやしねえ。侍女だと警戒されずに風呂で裸見れるし触れるし」

「いやそこは入るなよ! お前男だろ!? さすがにバレるだろ!」

「安心しろ。反応してもバレないようにしていたし、風呂の後こっそり隠れて発散していた」

「そこは訊いてない」


 蘇双が軽蔑の眼差しを向ける。

 最初に話を振った趙雲は、苦笑を禁じ得ない。
 本当なのだろうが、そうやってはぐらかそうとしているのは何とはなしに分かった。
 彼が心を許しているのは○○だけなのだ。趙雲達は賈栩に加勢して○○との二人きりの世界を侵略する敵なのだ。
 簡単に、俺達と交流してくれる筈がないか。

 凶神と呼ばれた、趙雲の世代にとっては幻の猛将蔡剛が目の前にいるというのに、何とも口惜しいことだ。


「言っとくがお前ら○○様の裸見たら目玉くり抜くからな。○○様の裸を見て良いのは侍女の俺だけだ」

「ぞっとすること言うなよ」

「っていうか、人妻の裸を女のフリした男だけが見るって、そっちの方が問題じゃない?」

「問題無え」

「言い切った……」


 蘇双は溜息をつき、はたと蔡剛の後ろを見た。うわ、と声も無く漏らし、気まずそうに視線を逸らした。

 蔡剛ははっと鼻を鳴らした。
 趙雲達は、今、ようやっと気が付いたらしいが、彼は、とうの昔から気が付いている。
 背後の壁に隠れて気配を殺して話を盗み聞きしていた人物の存在に。
 蔡剛は勝ち誇ったように鼻で一笑し、立ち上がった。


「さて! 買い集めた菓子を○○様にお見せしなければなりませんので、わたくしはこれにて失礼致します」


 一転して侍女らしい慎ましやかな態度を装い、三人に頭を下げる。壁に隠れた人物にはより丁寧に、慇懃無礼に挨拶をして機嫌良い足取りで立ち去った。

 舌打ちが聞こえたのが、一層蔡剛の機嫌を良くした。
 旦那のお前よりも俺の方がずーっと○○様の近くにいるんだよ、精神的にもな!

 心の中で、高笑い。



‡‡‡




 ここ最近、賈栩の機嫌が非常に悪く、逆に蓮々の機嫌が非常に良い。
 正反対の二人と同じ部屋にいると、今まで以上にいたたまれなかった。どうしたんだ、一体。


「れ、蓮々? もしかして、賈栩殿と喧嘩でもしたのか?」

「いいえ? 不気味男とは一言とて話したくもありませんもの」


 にこにこにこにこ。
 蓮々の笑みが輝いている。
 その笑顔が、一層疑念を大きくした。やっぱり、この二人の間に何かあったな。
 ○○は返す言葉に困り、曖昧に言葉を返す。

 ……賈栩殿に訊いてみれば答えてくれるだろうか。


「蓮々。申し訳ないが、贔屓にしている店に行って、布地を何枚か探して欲しいんだ。構わないかな」


 蓮々は一瞬不満そうに顔を歪めたが、すぐに戻ると言って足早に出かけてくれた。
 暫く足音を聞き、○○は賈栩に恐る恐る問いかけた。


「賈栩殿。蓮々はああ言っていたが、あなた達の間に何か遭ったのだろうか」

「……」


 竹簡を読み進める目を○○に向けた賈栩は、彼女の顔を凝視し、目を細めた。

 心なし棘があるように思える視線に、問いかけてはいけなかったんだろうかと不安になった。


「あの……か、賈栩殿? もしかして、訊いてはいけないことだったか」

「いや……俺なりに理解しようと努(つと)めてみたが、やはり、○○の侍女とは、表面上でも仲良く出来そうにないと、再確認させられてね。そうなると、存在自体が非常に気に食わないと思うようになった。それだけさ」

「え? 賈栩殿……蓮々と仲良くしようとしてくれたのか?」


 失敗はしたようだが、そうしようとしてくれただけでもとても嬉しい。
 思わず笑顔になると、賈栩はぐにゃりと顔を歪める。より不機嫌になったような気がして慌てて唇を引き結ぶ。俯くと、賈栩が立ち上がった。

 前に立った賈栩の足が視界に移り込む。
 顔を上げると片手を差し出してきたので、誘われるように手を重ねる。立ち上がる。


「賈栩殿? 何処かに行くのか?」

「いや? 何処にも」

「? なら────わあぁ!?」


 未だ不機嫌な賈栩は予想外の行動に出た。
 ○○の身体を抱き上げ、寝台に寝かせたのだ。自身は○○に覆い被さり質(ただ)そうと大きく開いた口を己のそれで塞いだ。

 異性に口づけられる経験など、無い。

 仰天して固まったのを良いことに口内に舌が侵入する。上顎を撫でられ痒さを感じられたそのすぐ後に痛いくらいに吸い上げられて舌を強引に絡め取られた。

 何、何だこの状況!?
 何がどうしてこうなっているんだ!
 唐突な脈絡の無い賈栩の行動に○○は混乱する。
 口の方にばかり意識を向け、取り敢えず賈栩を離そうと抵抗すると、太腿がひやりとした。かと思えば熱くてかさついたものが撫でている。足の付け根に近い、内側の皮膚の薄い場所にも至る。
 これ……もしかして、手?
 ああ、うん。手だ。

 ……。

 ……。

 手!?


「んぐ!?」


 何で手がそんなところに!?
 ますます混乱が増し、抵抗もままならなくなってしまう。

 蹂躙される口が熱い。溶けてしまいそうな程に熱い。
 これがどういう行為なのか、段々と分かってきた。
 けれども○○は、それに大きな疑問を抱く。
 関係を思えば当たり前のことだけれど、何故賈栩がそんなことを男のような自分にしているのか、理解が出来なかったのだ。

 ○○は、身体つきはおよそ女らしくない。
 だのに足の付け根にまで至った手は明確な目的を持って動いていると分かるし、そもそもこんなに激しい口付けをするなんて……。

 嗚呼、このまま口が溶けて無くなってしまいそうだ。息苦しいけれど、呼吸が出来なくなる前に口が失われてしまうのではないか、そんな有り得ない不安を感じた。

 ようやっと離れたかと安堵したのもつかの間、またすぐに塞がれた。

 全然、賈栩らしくない。
 意識がぼんやりとしてきたのを見計らい、賈栩はようやっと○○を解放した。

 胸がどくどくと五月蠅い。痛いくらいに動悸が激しい。
 賈栩の指が内腿を軽く引っかくと過敏なくらいに身体が反応した。一瞬駆け抜けた刺激に疑問符が浮かぶ。
 何だ、今の……。
 男との経験の全く無い○○は、未知の感覚に脱力する。

 賈栩は無表情だ。僅かに瞳が熱を孕んでいるように思えるが、気の所為かもしれない。


「……っな、にを」


 答えない。
 ○○の首筋に顔を埋め、肌に吸いつく。

 夫婦なら当たり前の行為だ。
 だが○○と賈栩は、名ばかりの夫婦。賈栩は○○にそう言った感情は無いだろうし、子孫を残すつもりはないと、思っていた。

 だのにこれは一体どういうことなんだ!

 恐怖よりも困惑が勝る。嫌悪感が無いのも不思議だが、彼が自分にこういった行為に走ったことに戸惑う。

 胸の辺りがすーすーする。ひやりとした空気に触れ────触れ?
 見下ろして青ざめる。
 いつの間にか襟が大きく開かれているのが、賈栩と自分の間から見えた。

 いや、夫婦としては間違いが無いのだけれど……けれど、だ!


 今は真っ昼間じゃないか!!


 混乱故に段々思考が乱れていく。

 そんな○○を余所に賈栩の口は鎖骨を辿る。
 肌に強く吸いついた────その時である。

 乱暴に扉が開いた。


「ひっ!?」

「……戻ってきたか」


 賈栩が低い声で呟く。
 襟を戻して扉の方を見やると、そこには鬼の形相をした蓮々が。


「胸騒ぎがして戻ってみりゃあ────」

「蓮々!
?」

 何処から出したのか、大きな戦斧が物々しい雰囲気をまとって現れる。
 さっきとは別の意味で、○○は青ざめた。


「俺の○○様に何しとんじゃワレエェェェァァッ!!」

「蓮々!!  ちょっと取り敢えず落ち着けーっ!!」


 賈栩が退いた隙に身を起こし、衣服の乱れを戻さずに駆け寄った。

 その様に、また蓮々の怒号があがったのは言うまでもない。

 後に関羽達が駆けつけた時には、○○の部屋は酷い有様だったという。



.