▼柚月様
二周年&十万打知里様リク曹操双子妹続編
※注意



 暗くて冷たい――――懐かしい空間。
 美しい物が、美しく整然と並べられて、でも酷く寒い空間。
 その中に、彼女再び収容された。

 二度とこの部屋に入りたくなかった。
 だってここに、母のように慕った老婆はいない。
 彼女は己の命を懸けて逃してくれた。嫌がらずに世話を焼いて、一緒に笑い合って、まるで本当の家族みたいに、双子の兄よりと比べるべくもない強固な絆を築いた。
 大切な人だった。その願いが、自分が幸せになることだったから、何としても逃げ切りたかった。

 外に出て、色んなことを知った。
 新しい事実を知る度、体験する度、如何に自分の世界が狭かったのか――――否、極端に狭められていたのかよく分かった。
 そんな風に閉じ込めた双子の兄を、大切な家族を殺した双子の兄を、厭悪(えんお)した。
 双子の兄だと、同じ血が流れることすらただただ厭(いと)わしくて。
 二度と会うものかと、二度と戻るものかと、心に決めた。

――――だのに。

 この部屋に来たくなどなかった。
 あの男に会いたくなどなかった。

 ここは地獄だ。
 わたくしを殺してしまう、兄の激情に包まれた冷たい檻。
 何としても、逃げ出さなくては。
 わたくしを、わたくしの子供を、仲間として受け入れてくれた猫族の方々のところに戻らなくては。
 あんな人の傍になどいるものか。
 わたくしの帰る場所はここではない――――息子の待つ、猫族のいる場所。


「……ここがお前の在るべき場所だ、○○」

「いいえ。違います」


 真っ向から否定し、○○は目の前の《他人》を睥睨(へいげい)する。
 この男は他人だ。敵だ。……双子の兄とは思わない。
 わたくしは、外で幸せになるの。それが婆やの、わたくしのたった一人の、最愛の家族の願いだ。


「わたくしは、あなたを恨んでいます。わたくしのたった一人の家族を殺めたのですから」


 目の前の男は、狂気の宿る鋭利な瞳に黒い炎を宿す。
 昔はそれに恐怖することも、反抗心も無かった。けれども今ではそれが憎らしい。あの自分勝手な狂気が○○をここに閉じ込め、痛めつけ、犯し、育ててくれたたった一人の家族を奪ったのだと思うと、憎悪と怒りで頭が爆発してしまいそうだった。

 理解出来ぬといった顔で、男は○○に歩み寄った。

 ○○は逃げるように後退した。


「何を言っている。たった一人の家族は、私だろう。同じ血潮を身に流す者は私とお前だけ。お前に必要なのは私だけだ」


 ○○は首を左右に振った。
 背筋を伸ばし、泰然と敵意を向ける。


「いいえ、いいえ。わたくしはあなたなど必要としておりません。あなたの傍にいるだけでも吐き気がします。消えて下さい。わたくしの前から。そして二度と現れないで」


 はっきりと突き放す○○に、男は物憂げに嘆息した。憎らしげに舌を打つ。


「……十三支に何か吹き込まれたか。毒される前にもっと早くに連れ戻すべきだった」

「! ……いやっ!」


 一気に距離を縮め腕を掴まれる。抵抗するも細腕では呆気なく寝台に押し倒された。
 無理矢理着せられた服を破くように脱がされ、上半身を露わにされる。幸い妊娠線もあまり目立たない白磁の肌は滑らかで、肢体も若い女性らしい細い曲線を維持している。

 妊娠線を爪で撫で、男はうっとりと笑んだ。


「そうか……子が産まれたか。私とお前の子が」

「違います。あなたの子供ではありません」

「いいや。時期を考えればすぐに分かることだ。あの時すでに私の子を孕んでいたのだろう」


 それは否定してもどうにもしがたい事実である。
 子種がこの男のものであったと、○○とて認めている。
 だが、それだけだ。

 子種は受けたがあの子の父親はこの男ではない。こんな醜く歪んだ性根の男が父親であって良い筈がないのだ。


「あの子は、わたくしだけの子です。あなたの子供ではありません。あなたのような男にあの子に父親である資格はございません」

「何……」

「分かりませんか。曹嵩と同類のあなたが父親だとはあの子の汚点になると、そう申し上げ――――うぐっ」


 拳で頬を殴られる。
 髪を掴まれ顔を引き寄せられた。
 眼光の中にうねうねと怒り狂う蛇がのたうっているかのよう。気持ち悪い目だ。こんな男に、自分は抱かれ続け、痛めつけられていたのだと思うと、いっそこのまま舌を噛み切って命を絶ちたい。でも、そんな真似をしてしまうとあの子が独りになってしまう。わたくしが婆やを失ったように、あの子がわたくしを失ってしまう。

 男は○○の乳房を乱暴に掴んだ。もぎ取ってしまいそうな力で爪を立てた。


「うぅ……っ」

「もう一度言ってみろ。私が、誰と同類だと?」

「……っ、あ゛……」


 ○○は男を睨めつける。
 憎らしい。なんて醜い男。
 こんな男と同じ顔をして生まれたなんて、なんておぞましい。

 今では水面に映った自分の顔を見ることすら厭わしい。きっと一生自分の顔を愛せはしない。この男と似た顔を、どうして愛せようか。いいや、愛せる筈がない。

 間近で見ることは、苦痛でしかなかった。


「……っあの汚らわしい曹嵩と、あなたが一緒だと申し上げたのです。曹嵩が母にした仕打ちとあなたがわたくしにする仕打ち、一体何が違うのです? 何一つ変わらないではありませんか。……いいえ、血の繋がった妹を犯して子を孕ませたあなたの方がもっともっと汚らわしい。曹嵩以上の下衆です、あなたは――――」

「黙れ!!」


 今度は首だ。
 掴まれ、ぎりぎりと絞め上げられる。
 男に殺す気は無い。これは脅しだ。

 でも、そんな脅しが効く筈がないでしょう。
 脅したとて、わたくしの憎悪が増すだけだもの。
 ○○は爪を立てられ血を流す乳房の仕返しにと、男の顔に手を伸ばした。

――――殺してやる。
 あなたが脅すだけだというのなら、わたくしはあなたを殺してやるわ。
 わたくしが帰るべき場所に、帰る為に。

 まずはその目玉をくり抜いて視界を奪ってやろう。
 そうして、彼が持ち込んだ剣で心臓を貫けばそれで終わり。

 この人が死ねば、わたくしは、皆のもとに帰れるの……!

 婆やの望んだように、生きられる!!


「……死んで……っ!!」


 心の底から叫んだ言葉は潰れ、醜かった。
 何を言っていたか伝わらなかったかもしれない。
 もう一度言おうとすると、圧迫感が消えた。

 解放され、突如肺に流れ込んできた空気に激しく咳き込む。身体を横にして背を丸め、何度も大きく跳ねた。
 解放された喜びよりも、殺せなかった悔しさで苦しい。

 身を起こして男を睨むと、彼は俯き加減の顔を片手で覆い、ふらりと寝台から離れた。
 壁に寄りかかり、押し黙る。

 今なら逃げられると○○は寝台を降りて部屋を飛び出した。幸い、鍵はかけられていなかった。破かれた衣服で必死に胸を隠しながら、最愛の息子と、仲間の待つ外を目指して暗い廊下を駆け抜けた。



‡‡‡




「――――○○が、私を殺すか。私の死を望むか」


 毒された。
 十三支に大事に囲ってきた宝物が毒されてしまった。

 なんということだろう。
 早く戻してやらなければならない。
 早く、間違いを正してやらなければならない。

 ○○の帰る場所は、私のもと、ただ一つなのだと。


「躾をし直す必要がある。……許せよ、○○」


 躾はお前に大事なことだから。
 彼は、ゆらりと壁を離れ、近くに立てかけた剣を取る。

 だが、躾の前に大事なことがある。
 逃げてしまった宝物を追わなければ。

 そして、もう何処にも行かないように――――。



 四肢を斬り落としてやらなければ。



 嗚呼、そうだ。
 痛いことだが仕方がない。
 これは○○の為なのだ。
 間違いを知って、間違いを正義だと誤認してしまった○○の人生の軌道修正の為に必要なことなのだ。


「曹嵩と私が同類……? そんな筈がない。私はただ在るべき姿に戻そうとしているだけだ。あの男とは違う」


 私はお前を心から愛し、必要としているのだ。
 曹嵩とまるで違うではないか。
 嗚呼、その勘違いも正してやらなければ――――。

 でなければ、彼女は間違った方向に進んで、自ら破滅してしまう。

 それは駄目だ。
 ○○は何も知らない無垢な娘。
 この世でたった一人の愛すべき同胞。
 同胞の私が、元の道に引き戻してやらなければならない……。

 そう。だからこれは仕方なきこと。

 男はにたりと凶悪な笑みを浮かべ、開け放たれたままの扉から外に出た。
















 甲高い、悲鳴――――。



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