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 それは人形を演じ続ける少女に向けられるだろうと思うと、胸がじりじりとひりつく。

 「そう言えば人形が――――」気になる続きは、聞けなかった。
 雑踏に紛れる彼らを、やっと店から出た蘇双は険しい顔して見送った。

 怪我をした店主は何処に行った?
 いや、それよりも少女は?
 店の奥へ入って確かめるか、と考えて止めた。ただでさえ蔑まれている自分が店主の許可無く入れば、嫌われ者の店とは言え騒ぎ立てられてしまうとこちらが悪者になる。

 やむなしと、蘇双はそのまま陣屋へ帰った。

 後ろを誰かがつけていることにも気付かずに。
 何事も無く散歩から帰った風を装って陣屋に戻った蘇双を、たまたま見かけた世平が出迎え、彼の後ろを見て眉間に皺を寄せた。


「蘇双……その子はどうしたんだ」

「その子?」

「お前の後ろに座っている娘のことだ」


 世平に後ろを示され不思議そうに振り返る。
 ぎょっとした。


「はあ!?」


 婚礼衣装を身にまとった少女が、白猫を抱いて座っていたのである。
 猫が、機嫌が良さそうに鳴く。

 愕然とする蘇双を怪訝そうに見下ろし、


「知り合いか? にしたってどうして婚礼衣装なんか……」

「ちょっと、蘇双! その人形、持って来ちゃったの!?」


 声も出せない蘇双の代わりに返答したのは、蘇双の声を聞きつけて駆けつけた関羽である。後ろには関定と張飛もいる。

 未だ少女のことを人形と思っている関羽は青ざめ蘇双の肩を掴んで揺さぶり叱りつける。

 揺れでようやっと我に返った蘇双は「違う!」ぶるぶると首を左右に振って否定する。

 窃盗の疑いを晴らす為に説明しようとして、躊躇った。
 身の潔白を証明する為だとしても安易に話して良い内容ではない。
 少女を思いやった行動ではあれど、結果的にそれが疑念を強めてしまった。


「蘇双……女の子と出会いが欲しいならオレに言ってくれれば……!」

「あー……悩みがあるなら、オレも関定も聞くからさ。あんまり貯め込むなよ」

「だから違うって!!」


 両側から蘇双の肩を叩き同情的な眼差しを向けてくる幼馴染二名と、複雑そうな顔をする叔父に、蘇双は頭を抱える。それでも証明は出来ないけど自分ではないと頑なに主張し続けた。

 関羽は否定ばかりで謝ろうとしない蘇双に憤然とし、眦を決した。


「もう! 今すぐ人形を返しに行くわよ! わたしも一緒に行ってあげるから」


 言いつつ、少女に歩み寄り――――。


「それは困りますわ」

「困るのはあのお婆さんよ。今頃――――」


 ……。

 ……。


「……え?」


 関羽はゆっくりと少女を見下ろした。


「い、今のって……」

「わたし、この方に用があってこちらに参りましたので、用を済ませぬまま家に戻るのは困ります」


 少女が顔を上げる。

 また、暫くの沈黙を置いて、関羽は文字通り驚倒した。
 言葉にならない様子で少女を凝視する。

 世平だけが冷静で、片手で顔を覆う蘇双を見て察したようだ。


「蘇双。お前はどういうことか分かってるんだな?」

「……一応は」

「なら、ひとまずお前の客として迎えるよう皆には言っておく。……関羽。彼女に服を貸してやってくれ。その格好じゃあ、周りの奴らがどんな勘違いをするか」


 蘇双と少女を交互に見、肩をすくめる。

 少女はややあって、世平の言葉の意味を理解したらしい。


「そうですね。こちらの方はとても素敵な殿方ですから、勘違いをされてしまっては困りますね」

「あ? ああ……まあ、そうだな……」


 世平は蘇双を見、気まずそうに頷いた。


「素敵な……」

「殿方……」

「張飛、関定。言いたいことがあるならはっきり言えば?」


 ぎろりと睨めつける蘇双に二人は目を逸らし、逃げた。

 まだ混乱のさなかにいる関羽を助け起こし、少女と二言三言会話し、三人でその場を離れた。
 猫は、少女が立ち上がる際に膝から降り、蘇双の足へ。抱き上げるとごろごろ咽を鳴らして甘えてくる。

 それを見て、少女が言うのだ。


「その子も雌なのですよ」

「……だから何だよ」

「種族の違う者すら魅了してしまう程の殿方だと言うことです」

「それを言われて喜ぶと思う?」


 少女は首を傾げた。


「喜ばれないのですか?」

「全く」

「それは残念ですわ」


 せめて声にくらいは感情を添えて欲しい。
 無表情で抑揚の無い科白に、関羽と世平が表現しがたい表情で少女と蘇双のやりとりを見ていた。

 後からちゃんと説明するからと、少女に自分のいないところで身の上話をしないように口止めをしておき、蘇双は世平と関羽の天幕に先に行っておく。
 少女は大人しく従ってくれたのだろう、すぐに彼女の服に着替えて天幕に現れた。

 世平は張飛達と手分けして猫族全員に少女のことを伝えて回る為、遅くなるとのこと。蘇双の知り合いで警戒不要と言ってくれるようで、ひとまずは安堵した。

 座った少女に思う存分甘える猫を見下ろす関羽はまだ半信半疑のようだった。


「ね、ねえ、蘇双……本当にこの子、あの店の人形なの?」

「左様にございます。こちらの方に詳細を語ることは禁じられておりますので、ご容赦下さいませ」


 少女が深々と頭を下げると、関羽はたじろぎぎこちなく頷く。


「え、ええ……あの、でもね、」

「関羽。混乱してるのは分かるけど、ここは世平叔父が来るまで待っててよ」


 早く事態を把握したいのだろう関羽を宥め、蘇双は少女を見やる。

 少女は本当に蘇双の言葉に従い、自分のことを話していないようだ。
 人形でいる時のようにじっとしている少女を眺め、ふと彼女の名前を知らないことに違和感を覚えた。
 少女が躊躇い無く話したからとは言え、少女の身の上の深い部分まで知っているのに、名前という基本的な情報を知らないのは、如何なものか。

 そう思った蘇双は、「ねえ」少女に声をかける。

 名前を知らないので彼女を限定して呼ぶことは出来ず、呼ばれたことに気付くだろうかと不安に思ったが、少女は蘇双に焦点を合わせた。


「ボクは張蘇双。君の名前は?」

「○○と申します。そう言えばわたし、名乗っておりませんでしたね。申し訳ございませんでした、蘇双さん」

「ボクも訊かなかったし」

「ああ、言われてみればそうでした」


 ○○に『蘇双さん』と呼ばれても、呼ばれているように全く思えないのは、もう仕方がないと諦めた。
 人形と思い込んでいなかったのが実は生きた人間だった彼女の隣に座っているのが気まずいらしい関羽を気遣い、○○を隣に移動させる。


「殿方の隣に座るというのは、こういう感覚なのですね」


 冗談なのか、本気なのか……。
 蘇双は溜息を漏らし、世平が来るまで気まずい沈黙を過ごしたのだった。

 ようやっと天幕に入ってきた世平の後ろには、好奇心満々の関定と張飛が続いていた。

 わくわくしている二人が青ざめることを予想しつつ、世平に促されて○○のことを話した。勿論、関羽が聞いた強盗殺人の犯人が○○であり、奪った金を母親に与えていたということも伝えた。
 人形と思い込んでいたのにどうして受け取るのかとの指摘には、○○本人が金だけを母親が金を貯めていた壷の中にこっそりと入れていたことを話した。何処にあるどんな壷かも話そうとしたので慌てて止めた。

 悲惨な過去に予想通りの反応を示した関定と張飛、途端に同情しだした関羽を無視して、○○にどうしてここまでついてきたのか訊ねた。

 ○○は暫し瞬きし、


「さあ」


 首を傾げた。
 蘇双は軽い眩暈を覚えた。


「用があったんじゃなかったの?」

「はい。ですが、わたしは何の用があったのでしょう」

「ボクに訊かないでよ。……じゃあ、ボクをつけ始めたのはいつ?」

「蘇双さんがわたしの家からお帰りになる時からですね」

「君の母親が怪我をしたらしいけど、それは知ってる?」

「わたしが斬ったからですわ」


 さらりと答えてしまう。

 張飛達が仰け反り、顔を強ばらせた。
 関羽も青ざめ目を剥いて○○を凝視する。

 ○○は周囲の空気に気付かず、また水の流れるように当時の状況を説明しだした。


「蘇双さんと話したその日の夜、お母さんが正気に戻ったみたいで。深夜にわたしに向かって土下座をして泣き出してしまったんです。それでわたし、蘇双さんに言われたことを思い出して、自分がお母さんをどう思っているのか考えてみました。ですが、自分の心とは分かりそうで分からないものですね」


 最後の言葉は頷けそうで頷けない。これも○○だからである。
 ○○も壊れていると分かっているが、やはりどうしても蘇双自身の物差しを基準に聞いているので、どうしても彼女の話に引いてしまう。

 が、○○はそれにも気付かずに話を続ける。


「それで、試してみようと思って、お母さんを斬ってみたんです。憎ければお母さんを傷つければ少しはすっきりするでしょうし、愛着があるなら悲しくなるか、後悔するでしょうから」

「……で、どうだった訳?」

「さあ、何も感じませんでした。腕を斬ってみるとお母さんは血を流しながら一杯泣くんです。腹を斬ってみると血を流しながら一杯謝るんです。でも、わたしは何も思わなくて、憎いのか好きなのか分かりませんでした」

「で、お母さんはどうなった?」

「さあ。わたし、いつも通りお金を貰いに行ったので。帰ったら誰もいなかったんです。ああ、いいえ。この子がおりました」


 ○○の手が猫を撫でる。

 母親は、娘に斬られて医者へ駆け込んだのかもしれない。
 となると、騒ぎになっている可能性もある。

 関定が、声を震わせた。


「蘇双……知り合いになる女の子は、選ぼうな?」

「関定。選ぶ余地も無かったって、分からない?」

「心中お察しします……」


 ○○は関定と蘇双を眺めて、思い出したように立ち上がった。


「そろそろ、戻らなければなりません。申し訳ございませんが、服を返していただけますか?」

「え……? で、でも、あなたお母さんを斬ってしまったんでしょう? 家に戻れないんじゃあ……」


 関羽に指摘されて、○○がまたつかの間の思案。
 そして、


「そうですね。お母さんがまだ正気なら、わたしを見たらまた泣いて謝罪して騒いでしまいますね」


 斜め上方向に納得した。

 蘇双は頭を抱える。
 世平が肩を叩き慰めるが、全く嬉しくない。


「ですがわたし、あの場所に座っていなければなりませんので、服を返していただけませんか?」

「ひとまず、今日はここにいなよ。正気に戻ったままなら今戻ると大きな騒ぎになるし、君だってもう少し自分のこと考える時間があっても良いんじゃない?」


 色々と思うことはあるが、自分のことを見つめる気になっているのはとても良い傾向だとは思う。