「……申し訳ありませんが、私は、今は誰ともお付き合いをするつもりはございませんので」


 深々と頭を下げる。

 すると、目の前に足っていた女生徒はぽろっと涙を流し、「分かりました」と笑う。そして、悪くなどないのに謝罪して走り去っていくのだ。

 こういう場は、申し訳なさばかりが募って胸が痛む。
 幽谷は去りゆく背中を暗鬱たる面持ちで見送り、もう一度頭を下げた。

 自分を好いてくれるのはとても嬉しいことだ。世平達に家族として迎えられるまで、お世辞にも良い環境で育ってきた訳ではないから、とても恵まれているのだと実感出来る。
 だが、その過去から誰ともそういう関係になりたくないのもまた事実。彼らの告白を受ける訳にいかないのだった。

 ずんと重たい心中を抱え、幽谷は校門へ歩いた。今日は、少し遠回りして帰ろうか。ランニング中の部活動生と擦れ違いながら、そんなことを考えた。

 されど、校門の前に見知った姿を見つけ足が止まってしまう。同時にぐにゃりと顔が歪んだ。嫌悪に、更に胸が重くなる。
 他人のフリをして足早に通り過ぎようとすると、


「よお、姉ちゃん」

「……」


 ご丁寧に、腕まで捕まれて引き留められてしまった。

 幽谷は舌打ちしてその手を振り払い、相手を睨みつけた。そのにやにやした笑みが神経を逆撫でする。

 くすんだ色の髪に褐色の肌した青年である。彼は幽谷の肩に手を回すとぐいと抱き寄せた。
 すぐにそれを強引に引き剥がした。


「……何の用ですか、馬超殿」

「まあそんな冷たくすんなって。昔からの付き合いじゃねえか」

「不本意ながら、知り合いという関係が続いているだけでしょう。私はあなたと親しくするつもりは全くありません。ですので、消え――――さっさとお帰り下さい」


 本音が出そうだったのを言い直して、幽谷は冷たく言い放つ。

 が、馬超と呼ばれた青年に堪えた様子は全く見受けられない。むしろ幽谷の素っ気ない態度でさえ楽しむかのように笑みを崩さずにいるのだ。

 ……だから、幽谷はこの男が嫌いなのである。
 以前、彼に従う不良に絡まれて乱暴な手段で追い返したところ、何故か彼が来て、いきなり『気に入った。俺の女になんねぇか?』などと言われた。この男とはそれ以来の付き合いだ。幾ら嫌がっても絡んでくるし、こうして学校にまで押し掛けてくる。果ては関羽にまで色目を使ってくるのだから始末に負えない。
 本気で嫌がっているのに、この男は気付かずに――――いや、気付いていて敢えて無視しているのかもしれない――――何度も接触してくる。

 そろそろ、半殺し程度の目に遭わせてお灸を据えた方が良いのではないかと本気で考え始めている。


「どうだい、姉ちゃん。一緒にショートツーリングでも」


 親指で指差す彼の背後には、二人乗りのオートバイがある。少々意外ではあるが、改造などは一切していない。馬超は、オートバイを何台も持っているが、そのどれも買ったままの姿らしい。手入れを欠かさない割に手を加えたりしたくないと妙なこだわりを持っているようだ。


「お断りします。あなたに付き合える時間はありません」

「んじゃあ、家まで送ってやるよ。その足、痛ぇだろ?」


 馬超が見下ろす幽谷の左足。傷のこともあって靴下は履かず、素足で革靴を履いているから痛々しい有様が剥き出しであった。
 その足を隠しように後ろに下げ、幽谷はにべもなく拒絶した。

 だが、馬超は幽谷の腕を掴むと無理矢理バイクに乗せるのだ。


「だから私は乗らないと――――」

「良いから。こういう時の人の親切は受け取っとけって」


 ヘルメットを被せられ、エンジンがかかる。

 幽谷はなおも拒絶し続けるが、マイペースな彼はもう聞いてはいなかった。
 降りようとした瞬間妨害するかのようにバイクが勢いよく走り出した。体勢を崩しかけて思わず馬超に抱きついてしまう。


「あんたの家って、ここの道を真っ直ぐ行ってスーパーを右に曲がった先の住宅地だったよな?」

「何故、知って……!」

「こないだ嬢ちゃんとそこで会ったんだ。そしたら、家がその辺だって聞いてな」


 この男に家を教えたら、家にまで押し掛けてきそうだ。


「……途中までで結構です。というか家に近付かないで下さい」

「さすがに家まで押し掛けるようなこたしねぇよ」

「信用出来ませんね」


 即座に斬り捨てる。

 馬超は笑った。


「どうやったら、俺を信用してくれんだ、姉ちゃん」

「私に付きまとわなくなれば、少しは」

「そいつぁ出来ねぇ相談だな。あんたのことは気に入ってる。俺ぁ、一度気に入った女は絶対に手に入れねぇと気が済まねぇんだ」

「迷惑です」

「つれないねぇ。ま、だからこそ夢中になれるってもんだ」


 幽谷は嘆息した。……いつ、この男から解放されるんだろうか。
 まさか、一生か? ――――胃が痛いような気がしてきた。そうならないことを、心から願おう。

 馬超は幽谷の腕が腹に回されていることに非常に上機嫌だ。本当は今すぐにでも解きたいが、彼の運転では危険なのでそうもいかない。カーブではほとんど速度を落とさないのだ。警察に捕まってしまわないのが不思議なくらいに荒々しい。事故ってしまえば良いと思ったが、さすがに自分も巻き込まれては命は無い。


「――――っと、ここで良いか?」

「ええ」


 住宅街に入ってすぐの公園の側で速度を落とし、停まる。
 ようやっと解放されることにほっと胸を撫で下ろし、幽谷はさっとバイクから降りて馬超から大きく距離を取った。

 そのまま頭を下げて大股に歩き去ると、


「また今度、ツーリング行こうや」


 ……誰が行くか。



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